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晴れ、時々軍師  作者: 石田かりん
第二章【中篇】
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「彩雲の間」その2

夜半。リンシアの姿は、五安近くの海岸にあった。

戦機が迫る中にあって一人ぽつねんと佇むにはあまりに不用心であったが、父が儚くなったこの地で果てるのならば、との思いも同時にあったことは事実である。

「……静かだな……」

リンシアはそう独語する。

月は叢雲が隠しているものの、ただ寄せては返すさざ波が響く静かな夜。

一条の夜風がリンシアの長く美しい髪を撫でた。

ふと。

リンシアは背後に人の気配を感じる。

「何者だ!?」

リンシアとて、むざむざ敵に討たれてやるつもりはない。

周囲を警戒しつつ、腰に佩びた太刀に手をかけると、油断すればすぐに消えてしまいそうな気配に全神経を集中させた。

そして。

「お、お前……なぜここに……」

叢雲の隙間から見せた月光に照らしだされた顔に驚愕する。

いや、顔だけではない。

全身泥だらけとなり、返り血をも浴びている葵の姿を見つけ、目を見開く。

「……いったい何があった?」

手練れも二人ほど付けたはずである。

あの二人がそうそうやられるとは考えにくい。

いったい何があったのか。

「……まさか……」

リンシアは、月明かりに映し出された葵の顔をじっと見る。

リンシアとて武術をたしなむ身。

相手の力量もある程度はわかる。

故に、一瞬頭によぎった考えをすぐに打ち消す。

葵ではあの二人を討つことはできないであろう。

それに。

「……助かった……」

という葵の声はあまりにも弱々しすぎた。

「……何があったのだ?」

だからリンシアは太刀から手を離し、再び問いかける。

おおよその予測はつくが、それでもリンシアは尋ねずにはいられなかった。



さて、尋ねられたほうの葵はと言えばどうだったか。

三人の男達に襲われたところまでは説明できる。

しかし、問題はその後のことだ。

何とか隙をついて逃げ出したはいいが、相手は曲がりなりにも訓練を受けた斥候である。

対する葵は、高校生。

とてもではないが、普通に走って逃げたのではすぐにまた捕まってしまうであろう。

まして土地勘も無いところでの逃亡劇である。

故に葵は、道から外れ、木々の間を縫うように、或いは悪路をも厭わず、がむしゃらに走った。幸い体力は、日々の部活でそれなりに自信があった。

木の枝に引っ掛かり、傷が出来た。泥に足を取られ、転びもした。ここがどこかはわからない。どこに向かっているのかすらわからない。しかしそれでも葵は走った。

そして気づいたら追手の姿は見えなくなり、この海岸にいた、というわけだ。

それは多分に幸運に支えられたできごとであったことは間違いなかった。

葵がそこまで説明すると。

「そうか……それはすまなかった……」

リンシアは本当にすまなそうに頭を下げた。

確かに、リンシアの見通しが甘かった部分もあるであろう。

しかし、そのせいだけではない。

だからこそ葵は。

「……いや……」

と、短く打消しの言葉だけを述べた。

夜の帳が二人の間を支配する。

互いに会話もなく、再び叢雲へと姿を隠した月。そして静かに寄せては返す波音。

いったいどれほどの時が経ったであろう。

そういえば、最初に二人が出会ったのもこの場所であった。

それもあったのかもしれない。

溢れた水が一滴、また一滴とこぼれるように、リンシアはそれまでため込んでいた何かを吐き出すように、しかしゆっくりと、桜色の唇を開きだす。

「……聞いて、くれるか……?」

ただ波音だけが聞こえる。

葵は何も答えない。

しかしリンシアはそれを肯定と取ったのか、話を続けた。

父のこと。そして父から託されたことを。

「私にできるかどうかと、何度も自問してきた。しかし……」

そこでリンシアは一旦言葉を区切る。

「私にはどれもできそうになかった」

それは淡々としていながらも、切々とした響きを伴っていた。

「だからお前に託すことにしたのだ。父の亡くなったこの場所に、突然現れたお前に……。いや、身勝手な言い分だということは承知している。しかし私には、お前が父の託した思いに思えた。父の思いを成し遂げてくれるための存在に……。ずいぶん勝手なものだな、私は」

リンシアは自嘲を含んだ、乾いた笑いをもらす。

しばしの沈黙の後。

「……なぁ、俺は平和な世界から来たんだ。いや、そこにいたときは、そこが平和だなんて考えたこと、一度も無かった。それが当たり前だったからな。だけど今日……」

そこで葵は沈痛な面持ちを浮かべる。

一瞬にして三人の命が失われた絶望。そして自らの命が危機に瀕した恐怖。

様々な感情が綯交ぜとなり、葵の脳裏を包む。

「……俺はこの世界を変えたいと思った……。どう変えたいかはまだわからない。だけど、変えたい、変えなくちゃいけないと思ったんだ」

ところで、“宿命”という言葉がある。

我々が何か一つを選択するとき、はたしてそれはどこまでが自由意志によるものであったと言えるのであろうか。

たとえば、分かれ道に出会ったとする。その時、我々には二つの選択肢、つまり右の道へ行くのか、或いは左の道に行くのかという選択肢が用意され、それを自らの意志によって選び取っているようにも思える。

だが果たして、本当に我々は選ばなかった方を選択することも可能だったのであろうか。右の道ではなく、左の道へと進むこともできたのであろうか。

それは、過去に戻らない限りにおいて、証明することができない。

あるいは、選択肢が用意されているようでいて、その実、最初から、右の道を選ぶことが決定づけられていたとしても、我々は同じくそれを証明することができないのだ。

もしかしたら葵がこう思うに至ったのも、それは宿命だったのかもしれない。

「……だけど、俺は……」

弱い、という言葉は飲み込んだ。

あの時、何もできず、ただただ逃げることしかできなかった己に対する無力感。

そんな自分にいったい何ができるというのであろうか。

だが一方で、この世界を変えるんだという使命感も強く感じるのだ。

そして、そんな葵の姿を見た、リンシアは自身を恥じていた。

まだ来て日が浅い葵ですら、この世界の矛盾を、あるいは不幸を切々と感じ、それに波紋を投げかけようとしているというのに。

「(逃げていただけ……か)」

己の無力さを言い訳に、そこから逃げようとしていた自身の姿を見つけたリンシアは、ゆっくりと立ち上がった。

「私はもう逃げない。父の目指した、できるだけ多くの人が笑って暮らせる世を作ることから」

そうしてリンシアは右手を葵へと差し出す。

「お互いに、まだまだ弱い存在ではあるが。それでも私は先に進もうと思う。一緒に、来てくれるか?」

海のかなたからその姿を現した朝日を背にしたリンシアは光り輝いて見えた。

それはまだまだ荒削りの輝きにすぎなかったのかもしれない。

しかし、この世界を再び照らし出すことを予感させるには十分な輝きであった。

「おう。こちらこそよろしく頼む」

葵とリンシアの手が繋がる。

それは、細くも、しかし確実に天上へと続く蜘蛛の糸に手を伸ばした瞬間でもあった。

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