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晴れ、時々軍師  作者: 石田かりん
第二章【中篇】
13/14

「彩雲の間」その1

朝露の中、軍馬の嘶きが響く。

「リュウコウ様、委細整いましてございます」

天幕の床几にありて悠然たる面もちのリュウコウは、その報告にゆったりと頷いた。

そして。

「あいわかった。ロホウに伝令、予定通りの手筈で行う、と」

「はっ!」

慌ただしく陣幕を駆け抜ける伝令の後姿を見送りながら、リュウコウは傍に控えていたリンシアに笑顔で話しかける。

「どうしてリンシア? まだ緊張しているのか? ん?」

からかうような調子で話しかけられたリンシアは、苦虫をかみつぶしたような顔である。

「……父上、ここは戦場にございます。今少し面もちをお直しくだされ」

「はははっ! リンシアよ、お主もまだまだよなぁ。大将が戦場で辛気臭い顔でもしてみろ。それこそ兵たちは此度は負け戦かとばかりに士気を落とそうぞ。それに大将たるもの、二つのことができればよいのだ」

「二つ?」

と、思案顔のリンシア。

「そうさな、二つよ」

その言葉に、リンシアは桜色の唇を結び、しばし真剣に考える。

しかし思い至らず。

「父上、その二つとは何でしょうか?」

と、問いかけた。

それに対しリュウコウは手で顎髭を撫でながら答える。

「なに、首を縦に振ることと、横に振ること。たったそれだけよ。その具申が良いものだと思えば縦に振る。良くないと思えば横に振る。その二つさえできれば問題ないのだ」

そう言って再び大笑いを始めたリュウコウを、リンシアは呆れ顔で眺めていた。

父であるリュウコウは、隣国の領主であるクガイと鋭く対立するなか、その激しい戦ぶりから“五安の列缺(雷神の意)”とも渾名されている。

そんな父ではあったが、時折、いや、普段見せる姿とのあまりの乖離に。

「(世の評価などあてにならないものね……)」

リンシアが密かにそう思っていると。

「きゅ、急襲にございますっ! て、敵、我が本陣に迫りつつあり!」

伝令が慌てて飛び込んできた。

先まではこちらが奇襲をかける手筈であった。そのための準備も進めていた。

しかし一転。

こちらの準備が整う直前、逆にこちらが奇襲を受けることとなった。

本陣が俄かに浮き足立ち、各所が慌ただしくなる。

リンシアも不安気な表情を浮かべるも。

「おいおい、何をそんなに慌てているのだ」

と、リュウコウは変わらず悠然とした面持ちのままであった。

「どれ、敵さんがやってくるのであれば、存分にもてなしてやらねばなるまい」

そう言うとリュウコウはのんびりと立ち上がり、天幕を出る。

そして浮き足立つ本陣を前に。

「おい、お前ら! 何をそんなに慌てておるのだ。日頃の訓練は何のためのものか! こういう時のためのものであろう。慌てるな。訓練を思い出せ!」

と大声を発すると、続けて側近くにあった伝令に対し。

「おお、ロホウに伝えてくれ。敵が先に我が本陣を奇襲する模様。ゆっくり来い。俺の獲物を奪うな、と」

そう告げ、ニヤリとした。

「(父上にはかなわないな)」

それまで浮き足立っていた雰囲気が一瞬にして消え、活気を取り戻す様を目の当たりにしたリンシアはそう心中でつぶやく。

「いい顔だ」

ふと頭の上に置かれたリュウコウの手。

リンシアはその大きさに、改めて父の偉大さを知る。

「さて、リンシア。図らずもお前の初陣を飾るに、絶好の舞台となったな。俺の傍から離れるなよ?」

「はい、父上!」

「うむ、いい返事だ」



「……父上……」

一人、夕日が沈む直前の薄暗くなった室内で、リンシアはかつての出来事を思い出していた。

そしてリンシアの思考は再び飛ぶ。

そう、最愛の父が死をむかえるその時へと。



「いいかリンシア、怨んではならん……」

戦場にあっては無類の強さを誇った父が倒れようとしている。

戦においてであれば、まだ納得ができたかもしれない。

しかし、暗殺者の凶刃によってとは……。

「ははっ、目がかすんできやがったぜ……」

リュウコウの乾いた笑いが、さざ波に消される。

油断があったのは事実である。

護衛もつけずに、たった二人で五安にほど近い海辺へと行ったのだから。

だが、それがまさか……。

「どうやら俺もそう長くは持たんようだ。だからよく聞け、リンシア」

おそらく暗殺者は、帝室の放った者であろう。

権力を維持するには、二つの方法がある。

一つは、絶対的な力で他を圧倒すること。つまりは力による支配であるが、この頃の帝室には、その力が失われつつあった。

となると、もう一つの方法が採られる。

それは、権威による支配。つまり、ある二者を争わせ、それを仲介することで自らの存在価値を高める支配の方法である。自身より力を持った存在を生み出さないために、もし力を付けそうな存在がいれば、対立の火種を蒔き二者を争わせ、その力を弱めたところで仲介する。

まさに自作自演劇とも言える方法であるが、間違いなく他の力を弱めつつ、自身の存在意義を増幅できる方法でもあった。

これがこの当時帝室が行っていた支配のやり方である。

ゆえに、“五安の列缺”と呼ばれ、天下にその名を知らしめつつあったリュウコウが狙われたのであろう。それも後継者を未だ定めていないこの時期に。

「父上ぇ……父上ぇ……」

リンシアは、徐々に息の細くなりつつある父の身体にしがみついた。

ああ、何と立派な体躯であろう。この体躯に支えられ、今の五安がある。今のリンシアがある。

それが今や土に還ろうとしているのだ。

リンシアの瞳からはとめどなく涙があふれる。

しかし。

「聞け、リンシア!」

儚くなろうとするには、あまりに大きなリュウコウの一喝。

ハッとしたリンシアは、父の目を見る。

そこには消える寸前の炎のように、最期の輝きがあった。

「いいかリンシア。こんなやり方を続けるようじゃ、この国も長くはねぇ。疑心が疑心を生み、あとは坂を転がり落ちるだけよ。俺はそんな国を変えようと思った。変えるだけの力が欲しかった。だがどうやらここまでらしい……」

そこまで一気に言うと、リュウコウはリンシアの手を引き寄せ、力強く握りしめた。

「全員とは言わねぇ。だが、できるだけ多くが笑って暮らせる世……を……」

一人の男が永遠の眠りについた瞬間である。

それは“列缺”と呼ばれた男にしては、あまりに静かな最期であった。



リンシアは父の手の感触が未だに残る自身の手を握り締める。

すでに日は落ちていた。

最早完全に暗闇となった室内で、リンシアは一人つぶやく。

「……父上……私は……」

あの日、父を殺した暗殺者を取り逃がした。

仇を討つことすらできなかった無力感。

あまりにも無力すぎる自分に、父の跡を継ぐことができるのだろうか。

あの強く優しかった父の跡を……。

「……私には……」

先ほどやってきたロホウにも言われた。

しかし、あまりにも父の姿は、そして父から託された思いは、今のリンシアには巨大すぎた。

だからせめてと、蜘蛛の糸を手放し、父から託された火だけは消すまいとしたのだが。

「……勝手だな…私は」

そう言うと、リンシアは静かに目を閉じた。

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