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晴れ、時々軍師  作者: 石田かりん
第二章【前篇】
12/14

「軽舟已に過ぐ」その4

「……そうか」

戻ってきたヨウから報告を受けたロホウは、ただ一言そうつぶやいた。

そして。

「(リンシア様は遠くを見過ぎておる。それは美点でもあるが、この時代にあってそればかりでは許されまい。自身の限界を知る。それも時には重要となろう。しかし、たとえその手が血にまみれようとも自身の手で何事かを成さんとする気概。その気概がリンシア様には不足しておるようじゃ……。ままならぬものよ)」

しばらく沈思黙考していたロホウであったが、不安げな様子で佇むヨウを見つけ。

「おお、すまぬな。務め、ご苦労であった。ワシはこれからリンシア様にお会いしてくる故、また留守を頼むぞ」

「わかったのでずぞ。このヨウに任せるのです!」

そう言って屋敷を後にした。



さて、ロホウが屋敷を後にしたのと同時刻のことである。

戦が近いからと追われるように五安を出立させられた葵は、リンシアが道案内にとつけてくれた屈強な男二人と、五安より二里(およそ一キロメートル)ばかりの距離にあった。

案内人によると、他の街まではまだしばらくあるらしい。

「それにしても暑いなぁ……」

照りつける日差しに、葵は手を額に当て汗を拭った。

「おっ?」

そして、視線の先に大きな荷物を背負って歩く少年の姿を見つけた。

どうやら少年も葵達に気づいたらしく、近づいてきたのだった。

「やぁ、おじさん達。やだなぁ、そんなに警戒しないでよ」

屈強な男二人がそんな少年を警戒するが、少年はそれを気にすることなく人懐っこい笑顔を浮かべた。

「ぼくはほら」

そう言って少年は、背負っていた荷物を地面に置くと、その中から。

「この革靴を買ってほしいだけさ」

と言って、一足の靴を取り出した。

しかし。

「ダメだダメだ。あっちに行け」

そう言って、案内人のうち、若い方が少年を追い払おうとするも、もう一人のやや年を取った方が。

「いや、待て。この靴、かなりいいものだぞ。おい坊主、お前が作ったのか?」

と、少年が出した靴を手にし、そう問いかけた。

「違うよおじさん。これを作ったのは、ぼくの父さんさ」

自慢の父なのであろう。少年は胸を張ってそう答える。

「いや、しかし……ううむ……」

職務に忠実であろうとの葛藤からか、靴を手に悩み出した中年の男であったが。

「俺は気にしませんよ」

葵が一言そう言うと。

「……ではお言葉に甘えて」

と、財布を取り出した。

「まいどあり。ところでおじさん、今履いている靴、貰ってもいい?」

なかなかに目ざとい少年である。確かに途上にあって、これから靴を持って行くのは不便である。

だが。

「ん? 別にかまわんが、しかし……」

言われた男は、自身が今履いている靴を見た。お世辞にもきれいとは言えないどころか、使い古されあちこち傷だらけである。

しかし少年は気にした様子もなく。

「いいからいいから」

と、促す。

「……まぁ、どうせ捨てるだけだしかまわんと言えばかまわんが……。こんなのを貰って、どうするんだ?」

「父さんのところに持って行くのさ」

「持って行ってどうするんだ? こういっちゃなんだが、ボロボロだぞ?」

「父さんなら、これから使える部分だけを取って、再利用できるよ!」

そう言った少年の顔はどこか誇らしげであった。

「まぁそういうことなら別にかまわんが。こちらも、荷物が減って助かる」

「へへっ、ありがとうおじさん!」

そう少年は屈託のない笑顔を浮かべた。

「ところでおじさん達。これから杭江へ行くのかい?」

「ああ、そうだが」

「それなら、ぼくも一緒に行っていいかな?」

そう少年に問われた中年の男は、ちらりと葵を見る。

それに対して葵は。

「別にかまいませんよ」

と返したので、少年も一行に加わることとなった。

「助かったよ、おじさん達。何でも戦争が近いらしいからって、ちょっと不安だったんだ」

確かに、十を過ぎたくらいの少年には不安なことであろう。

現代日本ならば、小学校か中学校に通っているであろう年齢の少年である。

その少年すらも食べるために、こうして働いているのだ。

「(俺、大丈夫かな……)」

と、多少の不安を覚えた葵であったが、案内人二人の。

「そういえば、お前んとこも今度ガキが産まれるんだって?」

「ええ、そうなんですよ。だから今、女房が実家に帰っていて不便で不便で……」

「おいおい、何を言ってやがる。これから先、子供が産まれればもっと大変になるぞ」

「そういえば、娘さんでしたっけ?」

「ああ、そうよ。ちょうどそこの坊主くらいの年齢でよぉ。かわいいさかりさ」

「へぇ」

という、のんきな会話に。

「(まぁ、なんとかなるかな)」

と、思い直していた。

それはあまりにも穏やか過ぎる午後のことで。

「戦争、ねぇ……」

あまりの現実感のなさに葵に思わずそうつぶやかせる。

確かに葵のいた現代日本は“平和”であった。

尤も何を以て平和とするのかという問題はあるにせよ、少なくとも身近に“死”の危険は無いに等しかったし、“死”というものを認識する機会というのも同じく身近ではなかった。

それは現代日本に生まれ育った葵にとっても同じである。

もちろん、知識としての戦争は学校でも習ったし、時折見るニュース番組でも知っていたが、それはどれもこれも“清潔さ”に覆われたもので、どこにも人間の生死というものへの生々しさなど無かった。つまり、生命の躍動、そしてそれが一瞬にして失われるという恐怖を、葵はこれまで認識したことが無かったわけだ。

葵にとっての人の死とは、病院で看取った祖父のそれのみである。

もちろん、子供の時から自分のことをひどく可愛がってくれたのが祖父であったし、そしてさっきまで普通に話していた存在が突然に、それも永遠に失われる悲しみ、或いは衝撃は大きかったものの、どこか機械的に“処理”されていく様子に、人間の死というものに対する認識が希薄化されてしまっていた。

故に。

「おいおい……嘘、だろ……?」

唐突に、そして生々しさを以て迫ってきた死というものを眼前にし、葵の思考が完全に麻痺してしまったのも致し方の無いことである。

急かされるように五安を出立させられ、リンユーや城壁修理で関わった職人達、或いは仕事の面倒を見てくれ、屋敷に住まわせてくれたロホウをはじめ、世話になった人々に最後の挨拶が出来ずじまいだったことに幾分の心残りを覚えていた先ほどまでの思考が完全に霧散する。

つい先ほどまでは、普通に道を歩いていたのだ。

天気もよく、日暮れまでは幾ばくかの余裕を残した穏やかな午後。

そのはずが、突然三人の男達が現れたかと思えば、今はリンシアが道案内にと、おそらく護衛兼ねてであろうが、付けてくれた屈強な男二人と、先ほどの靴売りの少年が葵の眼前に倒れているのだ。

一人は頭を矢で射られ、真っ赤な血に交じった脳漿を飛び散らせながら。

一人は槍で腹を突かれ、臓物を地面へとぶちまけながら。

少年は胸を裂かれたのであろう。

鮮やかな朱と赤黒いものが混じった血を地面に吸わせている。

いずれの顔も苦悶に充ち、息絶えた目は充血していた。

「……なぁ、嘘、だよな……?」

あまりに衝撃的光景に我を失っていた葵であったが、喉元に感じたひんやりとした鉄の感触に、そしてその殺意を持った鉄が自らの皮膚を突き破らんとする痛みに、これが現実であるのを思い出すことを強要していた。

そう、それは本当に一瞬の出来事。

陽光に反射し、何かが光ったかと思えば、年配の男の頭に矢が突き刺さっていた。

そしてそれを茫然と眺める余裕もなく、唐突に三人の男が現れ、そのうちの一人が若い男の腹に槍を突き刺し、もう一人は少年に剣で切りかかった。

そして。

「貴様、何者だ?」

と、葵の喉元に剣を押し付けながら問いかける男。

男からすれば、今のところ葵を殺すつもりはない。

この三人組は、リュウシン配下の将、ガクジンの放った斥候であった。

斥候というものは、誰もがなれるものではなかった。敵地に潜入し、情報を持ち帰ってくるだけの力量、そして何より、情報を選定するだけの目端が利かなければならない。

そして今葵に問いかけたこの男を含めこの三人は、その素質を最低限は備えていると言えた。

不意うちとはいえ、屈強な男二人を一瞬で倒すだけの腕前。そして、戦の近づきつつある五安より、その男に守られるようにして歩く葵が、何らかの重要な人物であることを見抜く目端。

そんな三人の男達の一人。リーダーらしき男の声。

だが、これによって、葵は完全に現実へと引き戻される。

――恐怖。

まず葵が感じたのは恐怖であり、次に感じたのも恐怖であった。

足が震え、歯もカチカチと音を立てる。

しかし思考はゆっくりとだが、しかし着実に回復しつつあり。

「(ああ、俺はここで死ぬのか……)」

と、思うまでになっていた。

しかし。

「ちっ。もう一度尋ねる。貴様、何者だ?」

と言う、先ほどの男の声。そして、鉄の先が皮膚を破り、そこからこぼれ出した血液がわずかな温かみを以て首筋を伝う感触。

人は恐怖が増大すると、死そのものよりも恐怖の継続を恐れ、その恐怖から一刻も早く逃れんがために死をも望むものらしい。

葵もその思いに囚われつつあった。が、同時に怒りも感じる。

唐突に、本当に唐突に。元とは異なる世界へと迷い込まされ、そして今殺されようとしている理不尽への強い怒り。

――――「助かったよ、おじさん達。何でも戦争が近いらしいからって、ちょっと不安だったんだ」

――――「そういえば、お前んとこも今度ガキが産まれるんだって?」

――――「ええ、そうなんですよ。だから今、女房が実家に帰っていて不便で不便で……」

――――「おいおい、何を言ってやがる。これから先、子供が産まれればもっと大変になるぞ」

――――「そういえば、娘さんでしたっけ?」

――――「ああ、そうよ。ちょうどそこの坊主くらいの年齢でよぉ。かわいいさかりさ」

圧倒的な理不尽がまかり通る、この世界に対する強い怒り。

だからこその。

「ふっ、ふざけるなっ!」

という強く、大きな叫び。

そして葵は、その叫びにひるんだ男達の様子を見逃さなかった。

「剣道部なめんなっ!」

葵は一気に駆けだす。

今までにない速度で。今までにない真剣さで。

慌てて追いかける三人の男達を背に、葵はひたすら走りだした。

「こんなの……ぜってぇ認めねぇ!」

それは青年期特有の、青すぎる正義感の発露に過ぎなかったかもしれない。

しかしそれは同時に、風に吹かれるまま流されるだけだった綿毛が、ようやくその根を伸ばすべき地を探し求め始めた瞬間でもあった。

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