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晴れ、時々軍師  作者: 石田かりん
第二章【前篇】
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「軽舟已に過ぐ」その3

五安の傍に衛江という小さな川があった。

リンシアの治める五安を囲むようにして二股に分かれた、最も深いところでさえ水深は人の腰ほどまでの高さしかない、浅く小さい川である。

そして、この川の一本の西岸には五安が、東岸には平原が広がっていた。

その平原に。

「さっさと運ぶのです。テキパキするのですぞ!」

葵の引く荷車の上に積まれた糧食のその上。そこに大股で立ちながら叫んだヨウの声が響く。

広大な平原である。背後には葵の修復した五安の城壁と、緩やかに流れる衛江があるものの、正面にはただただ広がる平野があるのみであった。

いつもならば穏やかな光景が広がるであろうその場所も、今日は違った。

葵のように荷車を引く者。或いは木で何かを組み立てている者。様々な人が忙しそうに行きかう様子は、さながら祭りの準備をするかのような慌ただしさである。

そんな様子を眺めながら。

「へいへい」

葵は荷車を引く手に力を込め直しつつ、適当に答える。

ロホウに依頼され、宮城の蔵へと向かった葵とヨウは、着くや否やそこにいた担当者から糧食の満載した荷車を渡され、衛江東岸の平原へと運ぶように言われた。

だからこうして運んでいるのだが。

「なぁ、お前ももう少し手伝えよ……」

一緒に引けとは言わないから、せめて荷車からは降りてくれないか。

そんな葵の思いもむなしく。

「何を言っているのですか? ヨウはこうして応援してやっているのですよ? もっと感謝されてもいいくらいですぞ」

眼鏡をクイッとあげ、つつましい胸をそらせながらヨウは臆面もなくそうのたまった。

そんなヨウの反応に対し。

「はぁ……」

と、葵が盛大な溜息をついていると。

「お前、なぜここにいる……?」

直上より、聞き覚えのある声がしてきた。

「ん?」

葵がそれにつられるようにして顔を上げると、馬に乗ったリンシアの姿が目に入ってきた。

「お前……ここがどこかわかっているのか?」

リンシアは困惑した顔でそう言った。

「んー、どこって、平原?」

しかし葵のこのすっとぼけたような答えによってその表情は大きく変化する。心底呆れた表情へと。

そして少し間をおくようにして。

「……まぁいい……」

リンシアはそう言うと、周囲を警護していた一人に葵の代わりに荷車を運ぶよう命じ。

「ついてこい。少し話がしたい」

と、馬から降り、葵を連れ立って歩きだした。

すると。

「ま、待って欲しいのです! ヨ、ヨウも連れて行って欲しいのですぞ!」

と、荷車から転がるようにして降りてきたヨウ。

しかしリンシアはヨウに一瞥をくれただけで、そのまま歩き続けた。

ヨウはそれを肯定と取ったのか、黙ってついてくることとなった。



「さて、ロホウからはどこまで聞いている?」

リンシアに連れられ向かった先は、平原に敷設されつつある陣の一番奥。天幕に囲われた場所であった。上座にはリンシア、そしてその南には葵、ヨウが、それぞれ床几に座る。

人払いを済ませ、しばしの沈黙を打ち破るように発せられたのがリンシアの先の問であった。

「(どこまで、と言われてもねぇ……)」

何とも迂闊ではあったが、葵はこの世界のことを、周囲を取り巻く情勢がどうなっているのかも含めて、ここまでろくに考えもしていなかったことにはたと思い至った。

古代中国っぽい世界であること。そしてリンシアから借りて読んだ書籍からの情報。帝が治める国であること。しかし今はその帝の力が衰え、各地で軍閥化が進み、諸侯が帝室から独立しつつあるということ。おそらくリンシアはその諸侯の一人であろうということ。

今の葵には、その程度の知識しかない。

「……どうやら何も聞いていないようだな……」

答えに窮した様子の葵を見たリンシアは、淡々と自身の置かれた状況を語り始める。

父が急死し、弟と後継者争いの真っ最中であること。そしてその後継者争いで、自身が劣勢に立たされていること。さらには、隣接する諸侯が強大で、仮に後継者争いの結果がどうあれ、領国が危ういこと。

そのどれもが赤裸々で、リンシアにとっては不利な内容でしかない。

「……あの……うぅ……です……」

リンシアを前に緊張して縮こまっていたヨウですら、何度か止めようとしたほどの内容。

インターネットはおろか、テレビ、ラジオ、新聞すら無い時代。日々の糧を得るのに精いっぱいで、それこそ隣町のことなど異世界のことと同義という庶人が大勢だった時代にあって、今リンシアの語った内容を知っているのはごく限られた知識人層、つまり何らかの形でこの街の政治に関わっている者だけであろうか。

兎にも角にも、余所者の葵に聞かせるには、あまりに深く重い内容であった。

ところで、なぜリンシアがここまで語ったのか。

それは城壁を修理してくれた葵への感謝もあっただろうが、リンシア自身の性格も、そして葵に託す思いもあったことであろう。天佑をここで潰えさすわけにはいかないという思いも。

「……さて、そういうことだ」

説明を終え、やや疲れた表情を浮かべるリンシアであったが、一息つくと続けて。

「遅れたが、城壁の修復、まことに感謝している。この街を預かる者として礼を言わせてもらう。ありがとう」

そう言って、桜色の唇をほころばせた。

「さぁ、もう十分に礼はもらった。それこそ一宿一飯の恩にしては過大過ぎるものだ。かえってこちらが返さねばならぬほどであるが、先にも述べたよう、そのような余裕が無いのだ……。本当にすまない……」

そう言ってリンシアは、本当にすまなそうに頭を下げる。

いくばくかの後、ようやく頭を上げたリンシアは。

「だがせめて、道中の安全は確保させよう。ここは戦場になる。ゆえに、他の街へ行くがよい。そのための道案内は何人か付けさせよう」

そう言って、これ以上の問答は無用、とばかりに立ち上がった。

「本当にありがとう、旅人よ」

そう言ったリンシアの顔は晴れやかで、さながら夏の日差しのようであった。

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