趣味とセンス
箕輪アサヒはセンスが悪いと思っていた。
「…趣味が悪かったんだ」
「何です?」
掠れた声に掛かる別の声。
この声を、この部屋で聴くことは、南絵には酷く違和感が在る。
陽射しは柔らかかった。敷いたきりの劣悪状況に在る布団にですら何かしらの清廉さを感じさせる柔らかさで室内を照らしていた。
真っ白に装飾されたシーツに赤い痕
ありきたり過ぎて嫌になる。
こういう時に限って、昨夜以降の南絵の意識は連続して存在していた。酔ってもいたし、眠りもしたから所々飛んではいるが、南絵の知りたい『肝心な部分』については確り記憶があった。
「良く、なかったですか?」
「……」
白々しい。箕輪はどこから見つけ出したのかコーヒー風味のホットミルクを啜りながら南絵を見下ろした。
牛乳の買い置きなどなかった筈だが…(在るとすれば、それは確実に腐敗している)コンビニででも調達したのか?
――コンビニで買い物する箕輪。それがどんなものなのか南絵には想像するも無駄なものであったが、とても疲労を感じる光景で在るに違いない。
戦闘服のスーツを脱ぎ捨て、センスの悪いかつサイズの合わない服を纏ってなお、何処かしら『特別』のオーラを発する男。夜の街の住人。
擦れ違っては誰もが振り返り、眼前にあっては誰もが一度は硬直するとまで言わしめた美貌の主が、首元ヘロヘロのしかもデカデカと紛い物のアニメキャラクターの描かれたTシャツの裾をジーンズ(何故か、通したベルトは何故か何故か!サラリーマン試用)に確り仕舞い込んで買い物籠を下げるのだ。
背中には更に何故か登山用リュックで、そこから出てくる財布は今時の小学生でも持たないだろうビニール(これもやはりキャラクター付。しかも雑誌の付録っぽい)。さぞや応対した店員は疲れたことだろう。
それでもクラブの経営者の努力の甲斐あってか(コイツの仕事中の衣装は、全て支給品らしい)、現在、NO.1ホストの名を欲しいままにしている男が、南絵の安アパートで上半身裸で子供っぽい飲み物を啜っている。異常だ。
下半身こそジーンズを纏ってはいるが、いやにラフな着こなしで……ボタンを留めて欲しい。大体、恐ろしくセンスが悪いのだから、ちゃんと服さえ身に纏ってくれさえすれば、南絵はそれなりのペースが保てると言うのにこういう時に限って『良い男』オーラたっぷりの色気満載で存在してくれると言うのはどういうことだろう?
「てっきり、悦んで頂けたものだと思っていましたが?」
「……」
本当に趣味が悪い。ちょっと現実逃避したくなって、思考を飛ばしたのを承知で再度付き付けてくる。
「痛い」
起き上がろうとして、不意に身体が意思を拒絶した。下肢が、痛かった。別段、記憶とそぐわないわけでもなかったが、理不尽だった。
「それはあなたが『協力』して下さらないからです。これでも、かなり気は遣いました」
『協力』されない時点で嫌がられている、とは思わなかったのか、この男は。
そう、白い肌と細い肢体をもってしてもこの存在はアカラサマに牡であった。南絵がずっと知らずにいただけだ。甘いマスクに騙されて「アサヒは紳士ねー」なんて言ってる他の人間と同じ様に知らずに居られただけだった――昨日まで。
「嫌じゃなかったでしょう」
勝手に使っているマグカップをテーブルに置き、指先が昨夜の痕を探るように肩に触れる。
表情を読まれた。酷く残酷な事をされた気がしてカッと血が昇る。
「やめろ、と言った」
手を払って触れられた箇所を拭う様に乱暴に擦った。触れられた肩が、熱い。
フツフツと、というのとは違う、一瞬で凍傷になるような嫌な感じだ。冷たいのか熱いのかもあやふやな感覚。もう一度強く擦る。
「もっと、とも言いました」
堪らなくなって爪を立てて掻き毟る。嫌な感覚はまだ消えない。
「ッ!言ってない!!」
その手を捕らえられた。咎めるような目線のまま、薄っぺらな身体からは想像も付かない力で南絵の抵抗を封じてゆく。
「言いました。あなたはちゃんと『もっと』と」
紅く蚯蚓腫れの走っていた肩に唇が這う。南絵を見下ろしていた目線がいつのまにか側にあった。幽か上目遣いで、無意識の甘えの生むガキ臭さでもって叱り付けるように。
「言って…な、い」
「……仕方ないですね」
珍しくもワザトラシイ沈黙が南絵を無意識に追い詰めて行く。
「では、『実証』するしかないでしょう」
そういえば、昨夜の記憶にはない行為だと、その妙に冴え冴えとした唇を受けながらボンヤリと南絵は思った。
怯えたようにクッと鳴る喉をオモシロそうに眺め、そうして
箕輪は嘲笑した。
箕輪アサヒは趣味が悪い。
そう思った。
昔書いた掌編。
まぁ南絵の職業とか、出会い、アサヒの背景とか色々設定は詰め込み過ぎなくらいありましたが、形になったのはこれだけ。
詰め込み過ぎて自爆パターンでした。