more aggressive 3
「まだ足りねえぞ! これからが本番だから締まっていこうぜ!!」
「言われるまでもないぜ!」
「さあ行こうぜ! 次の1点こそが勝負だからな」
殊勲の秀吉はしかし誰よりも気を抜いてはいなかった。言うまでもなく同点では足りない。最低でも後1点加えないことには笑うも何も出来はしないのだ。
選手たちもここからさらにテンションを高めて、積極的な動きを見せた。攻めも守りも前へ前へという勢いがあるから自分たちのペースも作れるものであって、観客たちの熱い歓声にも助けられてそのパワーは相手のそれを完全に上回っていた。
しかし相手も必死だ。同点までならともかく、次の1点だけは絶対に奪われてはならない、むしろ俺たちが奪って尾道を突き落としてやると言わんばかりに目の色を変えてきた。試合は前半の序盤と同様、極めて激しいバトルとなってきた。一触即発、いつスコアが動いても不思議ではない危険なムード。そして実際にスコアが動く時とは、どちらかが致命的なミスをしてしまった瞬間である。そしてそれは、尾道の方に訪れた。
「やられるものかよ!」
「うかつだぞヤマト! 裏を狙ってる!!」
「なっ!」
尾道の右サイド、を突破しようとする相手FWを止めようと走ってきた竹田のさらに裏、サイドバックのオーバーラップに気付くのが遅れてしまった。エリアを深々と突破する相手に対して山田が慌ててヘルプに向かうも遅かった。クロスはやや高いものだったので宇佐野はどうにかパンチングでしのいだがそれをトラップしたのはアウェーの白いユニフォームであった。すでに右足を振り上げている。
「ええい、シュートはさせるか!」
身を投げ打ってディフェンスに向かった亀井だったがこれは相手のフェイントだった。切り返してディフェンスラインのギリギリへとスルーパスが通ってしまったのだ。オフサイドはない。宇佐野や尾道ディフェンス陣が向かうよりも素早く、相手FWはその左足から鋭いキックを放った。呼吸の音だけが響くように聞こえた。後半24分になって、懸案の2点目を相手に奪われてしまったのだ。
スタジアムにはため息さえ聞こえない。ただ絶望だけが空気を支配している。終わりなのか、もう駄目なのか。あまりにも静かで、あまりにも重い。しかしどこの世にも諦めの悪い奴はいるもので、幸いこのピッチにもそんな男がいた。
「おい、しけてんじゃねえぞ。まだ時間はある。2点じゃ足りねえなら3点取ればいいんだろ。シンプルでいいじゃねえか、やってやるよ」
秀吉は逆境において、なお情熱的にぎらつかせた瞳の中身は変わることがなかった。そして水沢監督もまた諦めるという言葉を嫌う男であった。普通の試合なら絶対にしない、奇妙な動きを見せたのだ。
「おお、もう三枚目の交代か」
「芳松がユニフォームに着替えてるな。じゃあ誰と交代だ? 御野か? まさか野口じゃないよな」
ベンチで監督の指示を受けているのはFWの芳松であった。タイプとしては若き日の秀吉のようなアグレッシブな動きと得点感覚に秀でたタイプである。しかし今シーズン、途中から起用される場合は基本的に秀吉や御野との交代で入っていた。しかしその二人の動きはまったく悪くなってはいない。玄人筋の観客もその真意を測りかねたが、第四の審判が掲げたのは背番号2、つまりマルコスと交代となったのだ。
「ええっ、マルコスかよ。まさか竹田みたいに芳松にサイドバックさせるんじゃないよな?」
「それなら小原出すだろ。何を考えてるんだ」
しかし芳松がピッチに入ってその全貌を表すと、尾道を知る者ほど驚倒して衝撃に打ち震えるようだった。それは今までの尾道では一切見られず、慎重な水沢監督の性格から判断してもそれはないと思われていたまったく新しいフォーメーションとなったからだ。
ディフェンスラインはセンターバックの仲真と朴に加えて本来はボランチの山田が最終ラインに下がった。中盤は亀井、桂城、御野の三人。そして野口と秀吉に芳松も加わり、さらにそれまでは右サイドバックだった竹田までもが最前線に居座るようになったのだ。数字で表すと3-3-4となる「点を取ればいいんだろう」と言わんばかりの強行突破的なフォーメーション。しかし実際に点を取らない事には何も始まらない。今更失点を気にする必要はない。負けるなら負け、勝つなら残り15分と少々というあまりにも限られた時間の中から2点奪い取るしかない。まさしく今しかないという賭けであった。
そしてある意味ではこのフォーメーションの鍵となっているのが朴である。フィジカルは確かに素晴らしいものの比較するとモンテーロに劣るためなかなか出番に恵まれなかった朴であるが、モンテーロとの比較というだけでなくディフェンス陣全体と比較しても間違いなくナンバーワンという武器があり、それがロングフィードである。鋭くて正確なフィードは確実にアシストとなる。
ボールを奪えば朴が蹴り出したボールを野口が散らして芳松や竹田に送る。こぼれたボールは御野や桂城が拾ってまた新たにオフェンスを展開する。シンプルなやり口だが、その分有無を言わせぬ迫力がある攻めである。札幌の選手たちはこのなりふり構わぬ攻撃に気圧されているようで、徐々にラインを下げていき、その分尾道には攻めやすくなった。
「ゴールだ!」
「何としてもゴールを奪ってやる!」
尾道のイレブンの心はただこれだけでいっぱいに埋まっていた。そして後半39分、逆巻く怒涛の攻撃に札幌の壁はついに突破された。前線でこぼれたボールを拾った桂城から人知れずディフェンスラインの裏に抜け出していた秀吉へ、完璧なパスが通ったのだ。
「フリーだ! 行け秀吉!」
尾道イレブンも観客も、誰もが望んでいる光景をあくまでクールに再現してみせた。相手GKの動きを見張って右と思いきや左へ、フェイントを交えつつ冷静に流し込んだ。これで同点。しかし秀吉は1点目の時と同じ態度であった。まだ終わってはいない。何としても後1点を奪わなければならないという強い使命感が生み出す気迫が全盛期からすると随分くたびれた肉体を揺り動かしていた。
その後も精力的なオフェンスを続けて90分が過ぎた。残りはアディショナルタイムの4分のみ。ボールを追う選手たちは倒れる時も前のめりとなる。とにかくどんな形でも1点を、という決意を秘めた魂がそうさせるのだ。
「よし、また奪った!」
「ここから一気に攻め立てるんだ!」
最後尾に下がった山田が相手のパス回しを読んで奪ったボールをすかさずセンターサークル付近の亀井に送った。ボールを受けて前を向いた亀井の目に映ったのは90分戦い抜いてなお躍動を続ける竹田の姿であった。竹田はうまい選手ではないが、なぜか彼をスタメンにすると勝つ試合が続いた。そう言う意味では何か大事なものを持っている選手なのかも知れない。オカルトを信じない亀井だが、今は竹田の力にすがった。
「来ると思ったぜ。ふふっ、こうなりゃもうガツンだ!!」
威勢のいい言葉でボールを受ける竹田だが、その頭脳は意外なほど冷静であった。FWとして入ったはずなのになぜがサイドバックを命じられた。本当の事を言うとやりたくはないポジションだった。しかしプロの世界、最前線で思うような結果を残せなかったのだから仕方ない、もうアマチュアとは違うと自分に言い聞かせているうちにそんなポジションも愛着がわくようになってきたのだ。そう思えるようになると技術も加速度的に吸収できるようになった。
今まではとにかく突撃して勝負する以外の選択肢を取ろうとしなかった。スピードだけで相手は抜けたからだ。しかし今は違う。スピードは確かに驚異的だがいつも抜けるわけはない。そこで考えるようになったのだ。今も竹田はサイドに流れつつ、フェイントで一瞬の隙を生み出すとすぐにクロスを上げた。これも今シーズン途中に身につけた技術だ。来年はポジションがどこであれ、より活躍できるのは確実だろう。
「やべっ、伸びすぎたか」
しかし所詮は付け焼刃。ボールは野口の後方に伸びすぎた。しかしここでボールを拾えるのが流れを味方につけたチームであって、これを芳松がトラップした。一気にペナルティーエリアに侵入しようとする芳松を阻止せんとディフェンス2人が引き付けられた瞬間、芳松が選択したのは意外にもバックパスであった。そこにいたのは秀吉であった。ディフェンスは野口や芳松に向かっているのでシュートコースはぽっかりと空いている。
札幌のディフェンダーはシュートだけは防ごうと強引な突進をした。確かにシュートは防いだ。しかしそれは秀吉の肉体ごとであった。長い笛が鳴り響き、レッドカードが掲げられた。しかもファールはペナルティーエリア内。過去最高の歓声がスタジアムを一色に染めた。
「へへっ、痛みすら感じねえな。やっぱり昂ってやがるぜ、いい年しても」
「頼みますよ、ヒデさん」
「おうよ。任せとけ」
ペナルティーエリアにはもはや二人しかいない。札幌のGKと秀吉である。時間的にアディショナルタイムの3分は既に過ぎている。どう転ぶにせよこれが最後のプレーとなっても不思議ではない。そんな状態にあっても秀吉はまるで他人事のように思えた。最後の笛が鳴らされても、まるで練習中のようにゆっくりと助走をつけて、右足で振り抜かれたシュートはゴールの左側を襲った。相手GKもその方向にジャンプしたものの指先1cm先をすり抜け、ゴールネットを揺らした。
「やった逆転!」
「よおおおおし最高!! 時間は!? 他会場は!?」
盛り上がるスタジアム。同時に試合終了を告げるホイッスルが響いた。昇格の可能性が今、完全に消滅した札幌の選手たちは頭を抱えながら次々と地面へ打ち倒される。逆転勝利、最大の歓喜!! しかし、この歓喜が数秒の後、沈黙へと変わった。電光掲示板に表示された他会場の結果は、さながら振り下ろされた死神の鎌であった。
つまり、試合前に尾道とは勝ち点が同じながらも得失点差が3点及ばない関係で8位だったチームが今日、5対0で圧勝したのだ。その結果勝ち点において札幌を、得失点差において尾道を逆転して6位に滑り込んだのだ。結果、プレーオフ進出は京都、徳島、千葉、長崎に決定。尾道にしてみれば6位との直接対決に勝利して引きずり下ろしたはずなのに7位という順位が変わらないというあまりにも無情な結果に終わったのだ。
「うわあ、これはまた……」
「なぜだ! こんな、ええい……」
桂城は精根尽き果てたという青ざめた表情でどうにかつぶやくのが精一杯であったし、亀井に至ってはその瞳から大粒の涙をこぼしながら秀吉の肩に寄りかかり、もはや支えなくしては立つことさえままならない有様であった。
「まったくやってくれるぜ。カメよ、泣くなとは言わないが今のうちに涙は流し尽くしておくんだな。お前はまだこれからだ」
「くっ、こんなんなら最初から負けたほうが俺たちの力が足りなかったって納得できたのに……」
「滅多な事は言うもんじゃねえぜカメ。俺たちは死力を尽くして戦い、そして勝利を手にした。それでも駄目だったって事はもっと大きく、強くなれって思し召しだ。見ろよ、あのゴール裏を。俺たちを称えてくれているサポーターたちがあんなにもいるんだ。11451人だっけな。胸を張って行こう」
「はい」
肩を濡らす亀井に贈った言葉たちがどれだけ彼の身に入ったかは知らないし、自分の若い頃はと思うとあまりに背負わせすぎるのは酷であるように思えた。そもそも秀吉自体、この試合ではハットトリックを達成して勝利を呼び込みつつ、結果そこには悲しみしか残らなかったのだからあまりにもあんまりな話である。最大の救いはしばしの沈黙を経て再び声を張り上げたサポーターたちの姿であった。彼らに報いたいと、最後の挨拶に向かう選手たちは堂々と手を上げ、大きく頭を下げた。
「ええ、まずは今シーズン我々に惜しみない声援を、苦しい時には熱い叱咤激励の言葉を、そして温かい眼差しと有形無形の支援を与えてくださいましたサポーターの皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。最後の後一歩という部分が足りず、何よりこの一年私たちに応援を惜しまなかったサポーターの皆様に対して最大限報いる結果を残せなかったという悔しさで心は満ち溢れています。選手たちを責めてはやらないでください。素晴らしい選手ばかりが集まっています。これも監督である私の力不足ゆえの結果ですから」
試合終了後、メインスタンド前にて水沢監督はシーズンを終えての挨拶を始めた。自らを責めるような言葉に、しかしサポーターたちは暖かかった。「惜しかったけどいいシーズンだった!」「来年こそ頼むぞ!」という歓声が飛び交う。しかし水沢監督が次の言葉を告げるに及んで、その空気は一変した。
「しかしそんな私もこの5年間、持ちうる全力を尽くして尾道に尽くしてきました。今日を限りにこのような素晴らしき日々に別れを告げると思うと、酷くセンチメンタルな感情が胸中に去来して離れないのです」
監督自らの口から飛び出した退任宣言。これはサポーターのみならず選手たちからしても寝耳に水の話であった。
「ええっ、そんなの聞いてないっすよ! 芳松さん、知ってました?」
「い、いや。知らん。ヒデさんはどうです?」
「俺も初耳だ。いや、まあここ数試合は何となく覚悟決めてるなって雰囲気はあったが……」
観客席のみならずグラウンドに並んだ選手たちも互いに顔を見合わせてざわつく程であったが、それを制して、「5年でひとつの区切りになるとは最初から決めていました。GMからは『来シーズン以降も続けてほしい』とありがたい言葉をかけられましたが私の意志が固いと理解していただき、最終的には了承していただきました」と続けた。決して解任ではなく、あくまでも自分の意思による勇退であると強調した。
「後一歩だと言いましたが、その一歩を埋めるのはそう容易い事ではありません。私に欠けていたのはそれを埋める胆力でした。ゆえに、次の監督に関しましてはある程度情報を耳にしてはいますが、その弱点を埋めてくれる人物であり、名前を聞いた時は『この人なら大丈夫だ』と正直ほっとしました。近いうちに発表はあるでしょうが間違いなく、来シーズンの尾道は今年よりずっと強くなります。これはもう断言してもいいです。ですから、サポーターの皆様も一層の応援で選手たちを盛り上げてやってください。これが水沢威志最後のお願いです。5年間、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる水沢監督に惜別の拍手が贈られた。そして選手たちによって胴上げが行われた。決して台本通りの展開ではなかったためいびつな胴上げとなったが、万感の思いを直に感じられるセレモニーであった。
「ううむ、これは次の監督は責任重大ですねえ。ハードル三段ぐらい上がったんじゃないですか」
「ふふっ、しかしその分やりがいもあるでしょう。ところで、今日の試合はどうでしたか? 色々と感じる部分はあったでしょう。我々の強みや、それに課題も」
「そうですね。いや、しかしいいチームですよ、この尾道は。さすがミズさんが育てただけの事はある。特別な何かをするまでもなく、少し背中を押すだけでもう十分でしょう」
「そのためにあなたの力が必要なんですよ、正岡忠満さん」
その姿をメインスタンド上部、ガラスに囲まれた一室から眺めていたのは林GMともうひとりの男であった。灰色のスーツに包まれた細身の体格や軽く左右に分けられた黒髪は実直な勤め人のようであったが、その口調は野趣に溢れ、眼鏡の奥に潜む細く冷徹な視線に至ってはむしろギャンブラー的でさえある。GMの言う正岡忠満とはまさにこの男であり、尾道の新監督となる人物である。こうして2013年尾道の戦いは終わりを告げた。そして次の戦いがまた始まろうとしている。
100文字コラム
今年一気に台頭した野口だがその成長は途中退団したシュヴァルツにありとは本人も認める。「身長の活かし方から心構え、りんごソースを添えたマカロニ料理まで色々学んだ。特にマカロニは美味しかった」と感謝する。




