サンフレッチェと私 前編
2012年のJ1リーグ戦はサンフレッチェ広島が優勝した。私の出身は広島なので他のチームよりは多くの情報が幼い頃から入って来ていたし、特に好きだったというわけではなかった時期でも知識は他よりあった。それを愛着と言うならばそうなのだろうが、まあ去年の結果は割と嬉しいものだった。
Jリーグが開幕した直後の1993年や1994年は私自身の記憶もまだあやふやだがサンフレッチェに対しては極めて断片的な原風景的記憶は残っていないでもない。日本代表は前川、森保、高木で外国人はハシェック、チェルニー、ノジュンユンとか。それに風間とか笛。選手の名前で記憶が頭の中にあるのはこの辺がせいぜいだった。
しかしこの時期の本は結構実家に残っている。ある程度大きくなった後でも暇な時はそういう本を読んでいたため1994年前後の記録に関しては比較的詳しい。これは広島だけでなく、例えば菊原志郎は浦和にレンタル移籍のイメージだったり日本代表のGKと言えば松永、前川、下川だったりと、割と偏った印象のまま育った。
後は、広島が1994年のファーストステージで優勝したあたりもぼんやりと覚えている。なんかサポーターがはしゃいでいたニュースの映像を見たような気がする、といったレベルだが。しかしそれ以外はほとんど記憶にない。ドーハとかもそうだし、チャンピオンシップの記憶も皆無。ああ、アトランタオリンピックでブラジルを破ったのになぜか早々と帰国してたのは少し覚えてるかも。
監督はバクスター。これも本で顔と名前を覚えた。システマチックでクリーンなサッカーをしていたらしいがそれは記憶にないし、そもそも当時の私にはそんな知識を吸収できる力もなかった。このバクスター監督が1994年までで、1995年にはヤンセンというオランダ人が監督になった。この辺は全然覚えていない。ハウストラとかサントスとか覚えてないどころかまったく聞いたこともなかったし。私の興味が一番サッカーと離れていたのがこの時期だった。
そんな私のサッカー熱が復活したのは1998年。言うまでもなくワールドカップに日本代表が初出場というトピックスあっての話である。で、この年に発売されたゲームでJリーグの知識を吸収した。広島に関してはいつの間にか高木や森保が移籍していたので驚いた。ただこの辺のいきさつに関しては、1997年のオフにかなり厳しい経営判断が下されたらしく、これを知らなかったのは当時の私にとって幸せだったかも知れない。
その頃の監督はトムソン。選手も地味、外国人も地味、成績も地味という印象だった。守備ガチガチで確か清水の監督から何か言われたりしてたし。選手で覚えているのはポポヴィッチ、上村、フォックスのいかにも強そうな3バックとか。それにビドマーとかコリカとかオーストラリア人が多かった。今ならアジア枠で割と面白いコネクションになっていたかも知れないが当時は「中途半端な国から取ってるなあ」というのが正直な感想だった。
それとやはり久保や下田も印象的だった。基本的に知識がいわゆるドーハ組で止まっていたので「新しい人たちが出てきた」みたいな新鮮な感じを受けた。それに福岡から移籍の藤本も。後は高橋泰。そう言えば1999年には森保が広島に戻ってきたが、当時は事情を知らなかったのでこれも何か変な感じがした。ただこの辺にまつわるドラマを知ると監督就任はもはや必然だったと思える。
2001年にはそれまでのトムソンに代わってヴァレリーが監督に就任した。白髪で温厚な老教授を連想させる顔だったと記憶している。でも今当時の画像を見ると意外と黒髪が多かった。3トップの攻撃サッカーを標榜して、その前線の3人は誰になるかという話で地元の番組で推されていたのが大木という選手だった。「誰それ」って感じだったがこの年から出番が増えた。
ファーストステージはいまいちだったがセカンドステージは確か3位ぐらいだった。途中から獲得したオレグというカザフだかウズベクだかのディフェンダーがよく働いていた。それとトゥーリオ。確か本名はマルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカという表記で新聞に載っていたはずで、「帰化したら田中裕二さんなのかなあ」とか思っていた。あと、この時期だったと思うが佐田と須田という選手が一緒に入ってきたのも印象的だった。
このままいけばもっといい順位を狙えるんじゃないかというヴァレリー体制だったが、1年で終わった。婦人の病気とかそんな理由だったと記憶していたが調べたところこれは狂言で早々と中国のクラブと契約を交わしたらしい。そして来たガジエフ。ちょっと立つ鳥後を濁しすぎでは。でも後任監督の彼に関してはセホーンと同じで就任させたフロントが結局一番悪かったという事例だった。
そんな2002年、開幕戦は柱谷監督の札幌に大勝したが、結論から言うと札幌が弱すぎただけだったらしい。去年の神戸もこれに騙されたな。新外国人のミロバノビッチ略してミロはてんで役立たず。ビロングは足が長かった記憶はある。結局ガジエフは途中解任されて木村監督となったが、彼にも窮地を救う力はなかった。それと途中で色々獲得したがこれも泥縄補強といった印象で決定打にはならなかった。
苦戦の果てに最終節の札幌戦ではまさに矢折れ刀尽きと言うのか、壮絶な殴り合いの末に道連れ降格となった。4対5だったか、まさにボロボロなシーズンの締めくくりにふさわしいボロボロな試合だった。確かNHKで中継があって、上村の髪型が凄かった記憶がある。
降格で久保と藤本が退団したが、これは正直仕方ないとしか思えなかった。初のJ2、サンパイオが来てくれたのはありがたかったがそれ以外の外国人、具体的に言うとリカルドとかマルセロはどうにも場末感を出していて侘しさを感じさせた。特にマルセロ、今数字を見るとこの年のチーム最多得点者なのだが、どうにも決定力がない弱々しいイメージしか残っていない。
それともっと侘しかったのはユニフォーム関連だった。まず胸のスポンサーが変わった。それに色合いも何となく安っぽくなった。今はもっと濃い色の紫で「パープルではなくバイオレット」というのが基本らしいが、テレビとかで露出が増えたことで「あれ、こんなに暗い色だっけ」と思う事もあった。でも今の感じで問題はない。個人的な好みで言うとJリーグ初期みたいなださいくらいに派手な色合いのほうが、とか思っているが賛同する者は少ない。
とにかく、このシーズンの序盤はスムーズだったが中盤以降は停滞して気付いたら首位陥落。「でも2位までなら全然問題ないし」と余裕ぶっこいてたら夏頃には3位に落ちてしまい、これは焦った。途中補強で真中とか井川を獲得して、彼らは前年のそれと違って結構戦力になった。ライバルは新潟と川崎。いずれも上でやれそうなこの3チームからどこか1つが来年もJ2で戦う運命にある。正直それが広島になるかもと思う事は多かった。
しかし最後の最後で底力を出した広島は最後から1試合残して昇格を決めた。鳥栖戦で、決勝点は森崎どっちかのフリーキックが壁に当たりつつもゴールみたいな感じだったはず。そして最終節、広島は川崎に負けたが新潟も勝ったので昇格は1位新潟2位広島に決定。それと水戸が躍進したのも印象的だった。
こうしてJ1に復帰した2004年は、相変わらず地味な戦いに終始した。引き分けが物凄く多かった記憶がある。小村とか吉田恵とかディフェンスの補強はうまくいったはず。チアゴもシュートまではうまい選手で「一発決まったら大爆発あるぞ」とか期待していたが結局爆発せずに終わってしまった。それと昇格の手助けとなった真中や井川はすぐに出番を減らして移籍したのが儚さを感じさせた。
翌年の2005年。この年はいい補強が出来たという印象があった。美形センターバックのジニーニョ、チアゴより点を取れそうなガウボン、ユース世代で名前を聞いた池田、今となってはいかがわしい話しか思いつかないけどリアルタイムでは結構役に立った茂原に加えて仙台から小柄なFWを獲得した。点を取るのが得意らしい。
この男、シーズンの最初はなかなか点が取れなかったが一度決まりだすとポンポンと得点を量産して、瞬く間にチームにとって欠かせない存在となった。そして今に至るまでその重要性は変わらないどころかさらに輝きを増してチームの象徴的存在にまで上り詰めた。言うまでもなく佐藤寿人の事である。
この頃の監督だった小野は、後述する最終年の謎フォーメーションの印象が未だに生々しいので監督としてはあまり評価したくないのだが、協会のコネクションを生かした選手獲得はチームにとってありがたいものだったし、佐藤寿人を連れてきたという功績は長らく輝き続けるだろう。シーズン順位もさりげなく7位となかなかの好調ぶりを見せた。
順位上昇と行きたかった2006年だが、小野監督が新しいフォーメーションを試すと言い出した。確か中盤をフラットにした4-4-2だったと思う。キャンプではろくに勝てないし選手もしっくり来ていない感じのコメントを残すし「これ駄目なんじゃないの」と思わせるには十分だった。そしてシーズンでは案の定不発。未勝利のまま途中解任となったが仕方ない。頭はいいけどあくまで本分は研究者であって監督としては何と言うか徳が足りなかった。
新たに監督を招聘するまでのつなぎとして望月コーチが監督になったが、守備をガチガチに固めて寿人かセットプレーでゴールになればいいやみたいな感じの極端な戦術だった。でも勝ち点をしっかり稼げたので「今の最悪な状態から現実的な采配で最高の仕事をしてくれてありがとう」となった。「つまらんサッカーしてるなあ」とか、一度降格している記憶も生々しい中では軽々しく口に出来るものではなかった。
その間にセレーゾ監督とかいう噂が飛び交ったが結局出てきたのはミハイロ・ペトロヴィッチ(ちょっと長いので以下ミシャ)とかいう太った白人だった。昔浦和にいた人とは別人という事で、彼がどのような人物かという知識はまったくなかった。攻撃的サッカーを掲げているらしいが、「もうどうでもいいから残留という結果だけを残してくれ」とだけ願った。
ミシャでまず印象的だったのはいきなり青山を見出した事だった。確か当時3年目で「そろそろ出番を増やさないと高校時代に幻のゴールを決めた人ってだけで表舞台から退場しそう」とか思っていたが、ここから一気に主力へと成長した。それと柏木も台頭して順位も大幅アップ。降格どころか上昇気流に乗ったような幕切れに心は軽かった、という所でちょっと中途半端だけど今回書いた文章の大体半分がこの辺なので前半戦終了。後半には2013年の大雑把な予想もしてみた。




