回顧その2
「ふう、やっちまったな。どうすっかな、これから」
鳥栖の寮を出ても行く当てはない。横浜ともすでに縁は切れているし、とりあえず京都の実家に戻って正月を迎えた秀吉。しかし実力が錆付いたわけではない。実際、複数のクラブからオファーも届いていた。しかも鳥栖より順位が上のクラブから。そこらに入ってあの社長を見返すのも一興と考え、実際関東を本拠地とする某クラブ(当時はJ2だったが数年後から現在に至るまでJ1に所属)に入団しようと決めた瞬間もあった。しかし頭のどこかで「何かが違う」という思いが顔を出し、それが日増しに大きくなってくるのを感じていた。
「このままでいいのか、俺は」
小学生の頃に白と黒のボールを手に取り、蹴り始めた。それから中学、高校、横浜、鳥栖とサッカーを続けてきた秀吉にとって、今はサッカー人生初と言っていい空白の時間だった。不安定な時期と言えばその通り。しかし秀吉にとってはひとつのチャンスと解釈する事にした。自分の羅針盤が本当はどっちを向いているのか。そして羅針盤の指し示す方向に本当に自分は向かっているのか。
関東で活躍して鳥栖の社長を「ざまあみろ」とでも嘲笑えばそれでいいのかと問われると「それは断じて違う」と返す以外に答えを知らない。決してそんな矮小な目的のためにサッカーを続けているのではないからだ。サッカーで大事なのは点を取る事。そして自分はそれが出来ると信じている。信念に基づいてしがらみに縛られず、サッカー選手として自由に戦い続ける事こそが自分の道であろうと考えるようになったのだ。
「申し訳ありませんが、先日いただいたオファーに関してですが色々考えた結果、受けることはできないと決めました」
「……そうか。ふむ、残念だが君の決めた道だから仕方あるまい。ところで、どこに行くと決めたんだい? ウチほど君の実力を買っているクラブはないと自負しているが」
「はい。それは本当にその通りで、そちらに不満があるわけじゃないんです。本当に誠意を感じましたし、これから絶対強くなるしその一員でいられればと考えもしましたが……。何かが違うんです、自分の中で。上手く言えないですけど、そこがはっきりしないままじゃ、妥協してるような気がして……。だから、ブラジルへ行こうと考えています」
秀吉の口からブラジルの名が出たとき、その強化担当者は「ほう」と軽く驚いた表情をしていた。日本の他のクラブとの争奪戦に敗れたものと早合点していたからだが、秀吉の真意はまったく別のところにあった。
「ブラジルか。なるほどなあ。ただ俺はスカウトのために年に何度もブラジルへ飛んでいるが、あそこは厳しいぞ」
「はい、それは分かっています。でも今はそうしたいんです。せっかく世界中でやってるサッカーの選手になったんだから、別に国内だけが選択肢の全てじゃないでしょう。行きたいところに行ってやりたいようにやる。そうやって生きていたいんですよ、今は。わがまま言ってすみませんが、大体はそういう事です」
当時を振り返ると我ながらよくもまあ大見得を切ったものだと苦笑する秀吉であるが、若さゆえの無謀さが時に新たな道を拓く事もある。もはや退路はない。覚悟を決めた秀吉は、ある人物に国際電話をかけた。
「ハッハッハー、まさか1年もたって君の声が聞けるとは思わなかったよヒデ」
「俺もです、マウロコーチ」
マウロ・クラウジオ・ダ・シルバ。秀吉が鳥栖に加入した2001年にコーチをしていたが、彼を日本に連れてきた高須監督退陣とともに自身も退団、ブラジルに帰国していた。その際に「ブラジルに来たければ僕を頼って」と言って選手全員に自分の電話番号を教えてくれた事を秀吉は覚えていたのだ。あの時は「自分は鳥栖に骨を埋めるので関係ない話だ」としか思っていなかったが、まったく時流は変化するものである。
「しかし君が解雇とはねえ。フロントも不思議なことをするもんだよ」
「なったものは仕方ないですよ。色々ありましたし。ところで例の話ですが」
「無論だ。君の夢に僕からは協力を惜しまないよ」
「ありがとうございます」
「しかし来るまでは楽でも来てからは大変だぞ。それは理解しているな」
「はい。色々な人から言われましたが心は変わりません。覚悟は出来ています」
「それなら良い。1週間後、サンパウロで会おう!」
日本の真冬はブラジルの真夏である。1月末にはもう州選手権が開幕するため、秀吉が加入した1月中旬というタイミングはシーズンオフではなく、まさにシーズン開始直前の時期だった。サンパウロの空港から車で4時間、ジェイナスというクラブが秀吉の新たなるチャレンジのステージとなった。
『みんな集まれ。今日からチームに加わることになった選手を紹介するぞ』
「荒川秀吉です。日本から来ました。点を取るのが仕事です。よろしくお願いします」
ポルトガル語もまだ未習熟。初の海外体験という事もあり、いつになくおずおずとした挨拶だった。集まったブラジル人たちは地球の裏側から来た得体の知れない男を鋭い視線で値踏みしている。そして口々に「どれほどのものかな。まず体のサイズは平凡だな」「まあどうせ大したことないだろうがな日本人だし」などとポルトガル語で囁き合っているが幸か不幸か当時の秀吉には彼らが何と言っているか理解できていなかった。
ブラジルに来てからの数ヶ月、秀吉はサッカー以前の問題に突き当たった。日系ブラジル人の経営するレストランに住み込み、芋の皮むきや皿洗いと言った雑務を手伝いつつ言語の習熟に励んだ。それまでやった事のない仕事だったが、それだけに知らない楽しみを覚え充実した日々であったと回顧する。
しかし本業であるサッカーではなかなか結果を出せなかった。まず技術の格差は明確にあった。トラップの正確さやシュートの精度といった部分もそうだが、その前段階と言えるディフェンダーとの駆け引きやスペースを察知する力においても秀吉はまったく未熟だった。「こんな下手糞と組んでたら俺の評価も下がるぜ」とばかりに練習ではろくにボールも回ってこない有様だったが、それもすべては自分の至らなさ。信頼を得るには結局自分を磨くしかないのだ。
諦めずに腐らずに、練習に次ぐ練習で力をつけた結果、シーズンの終盤にはようやくベンチ入りできるようになった。「これでようやく白と黒の縦縞模様に44という背番号が入った試合用のユニフォームを汚すチャンスが出来た」と喜んだ。この時期、練習において秀吉が特に磨いたのはボールを持っていない時の動きの質である。
幸い自分はチームでも2番目の俊足、しかもスタートの瞬発力に限っては最速であった。この恵まれたスピードを生かすにはどう動くのが一番正しいか。相手をかわす動きとは。そういった部分を伸ばした結果、シーズン最終戦で途中出場するとファーストタッチでいきなりゴールという鮮烈なデビューを飾った。これで多少は見る目が変わってきた。ポルトガル語も日常会話に支障が出ないほどに習得して、ようやくジェイナスの一員とみなされるようになった。
そしてマウロが監督に就任した2年目の2004年、ジェイナスは快進撃を見せた。それまでは3部リーグの中堅といったポジションだったクラブが突如開幕8連勝というロケットスタートを決め、優勝争いに名乗りを上げた。その中心となるエースストライカーが日本人というのもブラジル国内においてはまさに空前絶後のトピックスであった。
「あの日本人、また決めやがった!」
「しかも後半ロスタイム! このプレーがなければ同点で終わっていただろうに」
「ヒデヨシ・アラカワ。大した点取り屋だ」
持ち前のスピードに加えてブラジルのテクニックを吸収する事によって洗練されていった秀吉の動きは簡単に捕捉できるものではなく、しかもそれを後半ロスタイムなどの試合を決める重要な時間帯によく発動させた事から「ここぞという場面で頼りになる勝負強いストライカー」という評判が立った。こうなると日本人であるという希少性も名前を売るには便利になる。日本人でも下手じゃない、頼りになる日本人だ、と。
この試合に勝てば昇格という試合でも秀吉は大爆発してジェイナスは2部リーグに昇格を決めた。しかし秀吉がこの舞台で戦うことはなかった。ブラジルでの活躍を耳にしたポルトガルのクラブ、ファティマに引き抜かれたからだ。このファティマでは当初サイドハーフとして使われるなどやや不本意な起用もあったがシーズン終盤には最前線に置かれ、最後の5試合で4得点と躍動して「来シーズンは面白そう」と評価されるようになった。ブラジルで身につけた自分の実力は所変わっても通用すると確信したのはこの時である。
ポルトガルリーグは秋春制なので5月にはシーズンが終了となる。今シーズンはもっとやれた感触はあったが最後に手ごたえを掴めたし、来シーズンはもっと頑張ろうと練習を続けていた秀吉の前にあるギリシャ人の女が訪れた。この女こそ秀吉の運命を変えた代理人、デスピナ・カラスである。
「あなたがヒデヨシ・アラカワね。ふふ、噂は聞いているわ」
「誰です、あなた」
「ふふ、強いて言うならヨーロッパという炎熱地獄をさまよう子羊を導くベアトリーチェってとこかしら」
デスピナという女は突拍子のないところがあり、初めて会った瞬間からこういう発言をして平然としている。タイトな赤いスーツを着こなし、肩まで伸びる栗色の豊かなストレートヘアーにサングラスをかけた、いかにもタフな仕事でも平然とこなしそうな、キャリアウーマンのような見た目の女だが中身はドリーミーなのか。しかしこの発言はなまりの少ない日本語でなされた。普通の女ではなかろうと秀吉に思わせるには十分すぎた。彼女とは後日、別の場所で会う約束を交わしてこの場は去った。
「へえ、代理人だったんですか。で、そのFIFA公認の代理人さんが俺に何の用です?」
「言うまでもないでしょう。代理人とサッカー選手、その関係なんて」
数日後、リスボンの小さな中華料理屋で再びデスピナと会った。彼女は相変わらず必要以上にスリムに見せる細身のスーツを身にまとい、しかし店内なのでサングラスを外してオリーブよりも黒い瞳を仄暗い照明に晒していた。瞳から発せられる光線はひどく冷たく、同時に一点を仕留めるように熱く鋭く秀吉を貫いた。彼女は食前に運ばれたジャスミンティーで軽く唇をぬらすと、滔々と代理人の仕事やら秀吉の評価やらを語り始めた。
「代理人とか一部の偉い人専用で俺には縁のない話だと思っていましたがねえ」
「日本ではまだ特別な印象があるようね。でも世界的にはいないほうがおかしいくらいよ。ところでヒデ、あなたはまず横浜から鳥栖、鳥栖からブラジルのジェイナス、そしてジェイナスから今のファティマと3回も移籍を経験しているわね。ファティマだって最後までい続けるわけじゃないでしょう」
「それは知りませんね。移籍ってなればそうなるし、そういう話がなければずっとこのままでしょう」
「私には分かるわ。あなたはさすらいに生きる男の瞳をしているから、きっとまた移籍するって。しかも国だけでなく大陸をもまたぐような移籍をね」
デスピナの言葉に秀吉は思い当たる節はあった。実際、すでにアジアの日本から太平洋を越えて南アメリカのブラジルへ、そして今度は大西洋をまたいでヨーロッパのポルトガルまでたどり着いた。そして年齢はまだ24歳、落ち着くには早すぎる。このような心の動きを読みきったようにデスピナは言葉を続けた。
「ゴールを奪う重要性は世界中どこでも同じよ。あなたはどんな世界でもそれを出来る選手だから私は気に入ったの。あなたはただ自分の思うサッカーだけをしていればそれで世界を翔けることができるの。つまりね、私はその手助けをしたいの」
「はあ、そうですか」
マシンガンのように言葉を連ねるデスピナに押されたか、あっさりと契約は成立した。その1週間後、秀吉はギリシャの強豪クラブであるデュカキスへの移籍が発表された。ファティマは契約の延長を望んだが経営状態は万全と言えず、移籍金を見せられるとそれに従わざるを得なかった。薄情かも知れないが、クラブも金が必要だ。半年ほどの在籍で2000万円ほどの金が得られたのだからファティマにとっても悪い話ではない。金があれば新たに選手も獲得できる。
こうしてギリシャへと渡った秀吉。住宅などもデスピナが手配してくれていたのですんなりと街に馴染む事が出来たのはいいが、サッカーの方ではすんなりとはいかなかった。ようやくチームのやり方を覚えたところで監督が交代し、新監督はパワー重視のサッカーを推し進めたので秀吉は冷遇された。結局ギリシャにいたのは半年だけで、今度はエジプトのギザルへ移った。
このエジプトの地で秀吉は躍動した。試合に出られなかった鬱憤を晴らすように降格寸前だったチームにおいて14試合で10点と大暴れ。動き出しの鋭さはこのエジプト時代がナンバーワンだったという意見も多いほどで、相手のディフェンス網を何度も切り裂いて決定的なゴールを連発した。
「おめでとうヒデ。ところでエジプトでの活躍を聞いて……」
「はいストップだデスピナ。今度はどこの国だい?」
「ご名答。さすがストライカー、野生的な勘が冴えてるわね」
嫌に明るく作ったデスピナの声に秀吉は「まったく」とばかりに肩をすくめた。このデスピナという女、経歴からしても秀吉より年上なのは間違いないが、ふとしたしぐさや話し方がたまに無邪気な乙女に見える瞬間もあり、変な言い方になるが年齢不詳な部分がある。普段は特に気にしていないが、時々疑問に思ってしまう。特にこういう移籍の話を持ちかけられた時には。
「しかしまあ世界中でやってる競技も良し悪しだねえ。ようやくモロヘイヤのスープにも舌が馴染んだ頃合なのに」
「じゃあ今度はチーズフォンデュの味に慣れてもらわないとね」
かくして2006年シーズンはスイスのアルペンローゼというクラブに移籍が決定した。小学生の頃から算数が苦手だった秀吉、このあたりで自分が何回移籍したか数えるのをやめたらしい。
100文字コラム
野口と亀井が二重焼はあんこかクリームかで激論を交わしていた。そこを通りがかった港が「今川焼の事か」と言うと二人仲良く怪訝な顔。大判焼派の橋本や回転焼派の茅野も参戦してきた辺りで港が強権発動でお開きに。




