表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/334

回顧その1

 3月の頭に開幕した今年のJ2もすでに41試合を消化した。すでに甲府のJ2優勝とJ1自動昇格は確定。もうひとつの自動昇格枠は未だに決まっておらず、京都、湘南、大分、横浜の4クラブが何としてもこの枠を得ようとしのぎを削っている。


 尾道は残念ながら現段階で17勝11敗13分の勝ち点は64と、ここからすべて勝利したとしても最高で7位と、プレーオフにすら届かない数字にとどまってしまった。閉幕を前に終戦となってしまったが選手たちはそれでも前を向いて戦い続ける義務がある。歴史的に見ると少なくともそれまでの11位を上回るクラブ歴代最高順位でのフィニッシュは確定的なのだから。今年の戦いで得たものと得られなかったもの、それを来年に生かすためにも。


 そして今日は11月7日。この日は荒川秀吉32回目の誕生日だ。その日の練習メニューを普通にこなし、最後にクールダウンのストレッチを行っていたところに深田、マルコス、有川らが急襲、卵と小麦粉をぶつけるという文字通り手荒い祝福を行った。


「ハッピーバースデーやで! ヒデさーん!」

「ぐあっ! やったな!」

「ハァーッハハハハ! まだまだ卵はありますよー」

「ほらほら! おめでとうございますヒデさん」

「これが僕たちからの祝福ですから、全部受け取ってくださいよ! うりゃー!」

「てめえらなあ! ハハハ、今度は覚えとけよ!」


 Jリーグにおいては割と多くのクラブにおいて普及しているブラジル式のお祝いは、秀吉にとって初めての体験ではなかった。何と言っても、秀吉には実際本場ブラジルでプレーしていた時期もあったのだから。白い粉まみれになった顔を拭おうともせず、秀吉はふと過去へと思いを馳せた。






「出てきてくださいよ社長! 説明してください! なんで俺が解雇なんですか!」


 雨の降りしきる晩秋、クラブハウスのドアを激しく叩くのは10年前の秀吉である。さっぱりとした短髪で一瞬誰だか分からなくなるほどだが目つきなどは今とほとんど変わっていない。しかし闘志の矛先がフィールド上の敵ではなく所属クラブの、いや、正確に言うとまさに先ほどまで所属していたクラブのフロントへ向かってしまっている。


 2002年。世間的には日韓ワールドカップに沸いた年であるが、当時の秀吉はそんな喧騒ともほぼ無縁のJ2鳥栖に所属していた。それよりさらに過去へと話をさかのぼると、まずプロ選手として横浜に入団したのが1999年だった。横浜には2年所属してリーグ戦出場は0だった。技術があまりにも未完成で持ち前の得点感覚を発揮できず、また選手層の厚い横浜では試合に出場する事によって技量を磨くこともままならなかった。


 そして2001年、当時J2に所属していた鳥栖への期限付き移籍が決まった。予算的に苦しい事で知られていたが2000年の順位は6位となかなかの健闘を見せており、さらなるステップアップを図るために当時の高須監督が白羽の矢を立てたのが横浜でくすぶっていた秀吉だったのだ。身にまとうユニフォームの色は変わってもその情熱に変わりなく、むしろさらに昂っているほどであった。


「これは自分にとっても大きなチャンスだ。そして最後のチャンスかも知れない。必ずものにしてみせる!」


 鳥栖では出番があった。それだけで秀吉は燃えた。もちろん移籍したところで下手だった技術が急に上達するわけではない。やはり鳥栖でも下手だった。しかし技術を超越したところにある迫力、何としてもゴールを奪おうとする強引なまでの熱意に満ち溢れていた。鳥栖の高須監督は秀吉のそういった気質を買い、結果を出せなくても何度もチャンスを与えられた。


 秀吉の理想とする自分のプレースタイルは少なくともプロに入った時から変わっていない。つまりはストライカーである。まずは点を取る事が大事。その上でチームにとって欲しい時に一発決めてくれる存在感、どんな形でも決めればそれが一番という姿勢は常に持ち続けている。個人主義者では決してない。チームが勝利を得るには得点が必要なので、自分が点を取るという行為自体がチームに勝利をもたらす最善手であると認識しているのだ。


 しかし理想と現実は違う。理想ではドリブルで相手ディフェンダーを抜き去っているはずなのに実際は逆にボールを奪われている。理想ではパワフルなシュートがゴールネットに突き刺さっているはずなのに実際はポストのはるか上を通過している。なぜか、それは自分が下手だからだ。下手なのを解消するには練習しかない。秀吉は来る日も来る日も自分の理想に肉体をトレースさせるべく努力し続けた。


「お待たせ。すまんな、ちょっと用事があって遅れちまった」

「おせーよ。まあまだ試合始まってないからいいけど。席も空いてるぜ」

「ありがたい。ところで今日の先発は誰だ?」

「ああ、FWはまたあいつだよ」

「ちっ、荒川か。ドリブルもパスもてんで駄目、キープもできないしそもそも下手すぎるんだよなあ」

「たまにいいシュート打つんだがなあ。そこまでたどり着けないからなあ。今日の試合、また負けるぞ」


 サポーターの間ではこのような扱いをされるのが常であった。時には練習中、はっきりと聞こえるように「あんな下手糞のどこがいいのか分からんわ」などと舌打ちされた事もあった。悔しいとは思ったがその一方で「実際に下手だからああ言われるのは当然。俺が力をつけて見返せばいいだけ」と冷静な目で己を見つめることも忘れなかった。練習後、サポーターが帰った後も1人居残り練習を欠かさずにいたのを知る者は少ない。


 こうした秀吉のたゆまぬ努力が実を結んだのはJ2の第10節、仙台戦である。現在はJ1で優勝争いを繰り広げるまでに成長した仙台であるが、この2001年シーズンで2位になって昇格して翌年が初のJ1経験となるわけで、まさに夜明け前の時代と言える。


 しかしこの年2位に入るだけあってかなり強力なチームであった。新加入のブラジル人ストライカーマルコムはこの年J2得点王に輝いたほどの実力者で、中盤にも元日本代表のテクニシャンを複数揃えていた。一方の鳥栖ははっきり言って無名な選手が多かった。プロにおける実績皆無の秀吉が「こんな奴いたなあ。選手権では凄かったよね」という思い出され方とは言え、知名度だけで言うとチームでも上位だったほどである。


 前半はまったく精彩を欠いた展開だった。実力通りに仙台が攻めまくり、鳥栖は早々と気持ちが切れたかのような平凡なミスを重ね、最初の45分が終わった時点で0対3と大差を付けられるに至った。


「あーあ強いなあ仙台」

「ほんとっすねえ。案外今年昇格するんじゃないですか?」

「やっぱ金かけて選手集めたところは違うよ」


 ハーフタイムのロッカールームにおいてもこのようなだらけた言葉が飛び交う。確かに仙台のほうが明確に強いのだが、だからと言って戦う姿勢すら放棄するのはプロフェッショナルであろうと努力する秀吉にとって許されざる事であった。


「そういう言い方はないでしょう」

「んっ? どうしたんだヒデよ、そんなにいきり立って」

「この試合、もう諦めてしまうんですかって事ですよ」

「なんだ? そうは言ってももう3点差だぞ。こんな負け戦で頑張って何になる」


 順位の低迷が続くと選手たちの心の中に「もうどうしようもないな」とか「こんなもんでいいだろう」といった悪い影が覗くようになる。しかし秀吉は諦めることを知らない性格だった。駄々っ子をなだめるような言い方をする先輩に対して、逆により激しい口調で言い返した。


「仙台は前半の45分で3点取った。でも後半だって45分あるんだから、その時間でウチが3点取れないはずがないでしょう!」

「そうは言うがなあ」

「だから! まだこの試合は続いているしサポーターだって俺たちの諦めた姿なんて見に来たわけじゃないでしょう。最後まで戦わないと!」

「お前なあ! 黙って聞いてりゃ先輩に向かってなんて言い草だ!」

「いや、待てい! これはヒデの言う通りだ」


 白熱してきた議論に待ったをかけたのは監督だった。双方の言葉を抑えると、びっしりと生え揃ったあごひげをなでるいつもの仕草を見せつつゆっくりとした、しかし秀吉に勝るとも劣らないほどの熱気に満ちた口調で言葉をつむいだ。


「まあ確かにウチと仙台では実力差があるし3点は簡単に詰められる数字じゃない。だがな、絶対に無理じゃないのがサッカーというものだ。万に一つでも可能性があれば、それに賭けるのがプロってもんだろう。まあヒデは下手だがな、こいつにはハートがある。サッカー選手として一番大事な要素を持っているんだ」

「監督……!」

「だからヒデは、結果的に10対0で負けるとしても90分とロスタイムが終わるまで戦い抜くだろう。そしてそれは俺の気持ちと同じだ。これをバカバカしいと思う選手がいるなら、今すぐこの戦いの舞台から立ち去ってくれ。繰り返す、戦い抜くんだ。そして仙台に一矢でも報いようじゃないか!」


 そして後半、鳥栖は生まれ変わったかのように躍動を始めた。技術は下でも諦めることをしない姿勢を見せる事で、「この試合はもらったな」という気分からペースを落としてきた仙台を制圧していった。


「むう、一体どういうことだ! 前半と後半ではまるで別のチームを相手にしているようじゃないか!」


 仙台の選手たちが困惑する中で後半5分、鳥栖が左サイドを突破してセンタリングを入れた。しかし中にいるのは相手センターバックに囲まれてポジション取りすらままならない秀吉。ここも仙台ディフェンスが冷静に弾き返すだけかと思われた。


「これほどのチャンス! 決められなきゃストライカーじゃねえ!!」


 秀吉は強引にディフェンダーの前へと体を持っていった。フィジカルでは劣っていても気迫だけは負けられないという思いだけがその肉体を動かしていた。体勢は不十分、しかし頭がある。強引に突っ込んでのダイビングヘッドで合わせたボールはバウンドしつつ相手GKの腕を掠めてネットを揺らした。


「これで1点だがまだ1点だ! 後2点、何としても追いついてみせる!」


 このゴールは秀吉が鳥栖に移籍してから公式戦で初のゴールだった。しかし嬉しさよりも沸々とした闘志のほうが強かった。ビハインドだから、勝利のためにはもっと得点を奪わないといけないから。喜びもそこそこにボールを小脇に抱えて自陣へ戻った。


「後2点、いや、3点だ! この試合はまだ終わらないぞ!」


 秀吉の熱気が他の選手に感染したように、ここから相次いで2得点を奪って試合を振り出しに戻した。最終的には仙台のエースマルコムに決勝点を奪われて3対4で敗れたが、試合後選手たちはサポーターからの惜しみない拍手に包まれた。そして秀吉も己の信じた道は正しかったと実感した。


 この日から秀吉のストライカー人生は本格的に始まったと言える。この年チームトップとなる13得点を挙げてすっかり鳥栖のエースとなった。下手は下手だが決めてほしい時に限っていい動きを見せる、怖さのあるストライカーとしてJ2界隈では認知されるようになった。開幕直後はあれほど口を極めて叩いていたサポーターからも今や「頼むぞ俺達のエース秀吉!」などと熱く応援されるようになった。1人のプロサッカー選手として秀吉は認められたのだ。


 順位こそ12チーム中10位と低迷した事に加えて経営のゴタゴタもあって高須監督は辞任という結果に終わった2001年の鳥栖であったが、秀吉個人としては大いなる成果を手にした。翌年の2002年は、それまでの期限付き移籍から鳥栖への完全移籍に切り替わり「来年はもっと点を取って順位を押し上げてやる」というモチベーションも高まっていた。


 しかし現状は厳しかった。前述の通り慢性的に経営難という状態だった鳥栖。昨年の途中に社長が辞任という混乱状態を経て新たな社長を招聘したが、この人物と秀吉はどうも反りが合わなかった。例えば5月頃、チームが3連敗して秀吉も無得点だった時に突如「勝てないのはFWが悪いからだ。代えろ」と人事に介入してきた。


「社長、お言葉ですが彼は本来得点能力に優れた選手でして、しかしFWとはいつでもゴールを決められるわけではないもので……」

「はあ、あんた雇われの身分のくせに随分生意気な口を叩くわね。普通の会社なら楯突いた時点でクビよ」

「うう、むう……」

「じゃああのFWは当分外してね。分かった?」

「……仰せのままに」


 監督としても決定力のある秀吉は外したくなかったのだが相手が相手ではどうにもならず、ここから数試合秀吉はベンチを暖める結果となった。一事が万事、この社長は常に強権的で、自分の思い通りにならないと気がすまないタイプだった。


 この圧力に負けて黙って従っていたらいずれまた風向きは変わっていたかも知れない。しかし秀吉は「悪法もまた法なり」と従う事をよしとする人間ではなかった。


 決定的だったのは8月のある日であった。その日も練習をしていた秀吉はチーム発足当時からの広報スタッフが神妙な顔つきでクラブハウスから出るのを見かけた。優しくチームを見守り、盛り立てようと努力を惜しまなかった、チームの父親と言える彼が初めて見せる表情だった。


「どうしたんですか、そんな浮かない顔をして」

「おお、ヒデか。ふふ、俺はな、たった今このクラブをクビになった」

「な、なんで、そんな馬鹿な! 嘘、嘘でしょう! 嘘ですよねえ!!」


 混乱のあまり興奮する秀吉の肩を持ってなだめてからゆっくりと首を横に振った。


「残念ながら、そういう事なんだ。どうにかこのクラブを盛り立てたいと思ってきたがな、どうやらここまでみたいだ。天命に誓って悪い事はしちゃいないが、結局はこれも運命だったのかも知れないって奴だ」

「じゃあ、やっぱりあいつに」

「クラブから離れても俺はチームを見続けるさ。後は頼むぞヒデ。お前なら最後まで走り続けていられると信じてるよ」


 秀吉の両肩を二度強く叩くと彼はゆっくりとした足取りでクラブハウスから遠ざかり、そして二度と現れることはなかった。秀吉は即座にクラブハウスの奥へと足を進めた。


「社長! 社長いるんでしょう!」

「何? うるさいわね」


 中から声が聞こえたと同時に扉を開くとなだれ込むように社長の前へと滑り込み、単刀直入に切り出した。


「聞きましたよ。たった今スタッフを1人解雇しましたよね。どう言う事なんです? あの人ほどクラブの事を考えている人はいないと言うのに!」


 鋭い目つきをさらに尖らせた秀吉の訴えを社長は鼻で笑って、素っ気無く次のように答えた。


「あれはクラブの金を不正に持ち出して私的な用事に利用していたようだから切ったの。警察沙汰にならなかっただけましだと思いなさい」


 この言葉は嘘だと秀吉は直感した。広報の「天命に誓って悪い事はしちゃいない」とはこの事を言っているのではないかと思いついたのだ。秀吉は疑惑と怒りに満ち溢れた低い声で「それは本当なんですか」返した。


「そんな事はどうだっていいでしょう。邪魔なものは整理しないとうるさいだけじゃない」

「邪魔? 整理? 誰の事を言ってるんです! まったく逆でしょう! 必要なところばかり切り取って!」

「たかが選手の分際で随分言ってくれるわね。まあいいわ、この件に関しては追って処理しましょう。私はこれから会合に出席するのであなたはさっさと帰りなさい」


 これ以降、秀吉は先発で出場できなくなった。しかも途中出場で張り切った試合でゴールポストへダイブした結果怪我をするなどタイミングの悪さも重なり、結局この年は6得点しかできなかった。そして冒頭の光景へとつながる。秀吉とてなぜ解雇されたか分からないでもないのだが、せめて最後にもう一度社長と話したかった。無論、社長は出てくるはずもなく、雨と涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま夜が深くなるまで扉の前でたたずんでいた。


 しかしここで切られた秀吉は幸いだったのかも知れない。鳥栖の混乱はここからが本番で、一時期はもはや解散もやむなしという所まで行ったのだから。新たな経営陣の元で経営を立て直し、現在はJ1へ昇格するまでに至ったが、それには10年の雌伏を必要とした。なお、秀吉にクビを言い渡した社長は後に逮捕されている。

100文字コラム


尾道専門の練習場が作られる!事実上の親会社である幸波グループが先日発表したもので沼隈半島に二面の天然芝と一面の人工芝によるグラウンドとクラブハウスが整備される。昇格に向け走るチームへ心強い援護射撃だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ