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天皇杯の戦い

 J2に所属する尾道が天皇杯のトーナメントに登場するのは2回戦からである。対戦相手は静岡県代表の大学であった。地元ではなかなか名の知られた実力派の大学で、尾道にもJFLで2年とJ2の1年目に在籍していた小松友弘という中盤の選手がこの大学の出身だった。技術のある選手だったが怪我が多くて本領を発揮できず、現在は故郷関西の測量会社に勤める傍らその会社が持っている地域リーグ所属のサッカーチームで元気にプレーを続けているようだ。さて話を戻すと、この2回戦における尾道のメンバーは以下の通り。


スタメン

GK  1 玄馬和幸

DF  3 山吉貴則

DF  4 モンテーロ

DF 21 橋本俊二

DF 30 マルコス・イデ

MF  7 今村友来

MF  6 山田哲三

MF 29 嶋照平

MF 24 御野輝

FW 11 ヴィトル

FW 16 有川貴義


ベンチ

GK 20 宇佐野竜

DF 25 鈴木仁

DF 26 深田光平

MF 13 中村純

MF 19 茅野優真

MF 22 久保春人

FW 27 荒川秀吉


 試合は前半2分、このゲームで一番最初に生まれたチャンスからいきなりスコアボードを動かした。相手は中盤でボールを回していたが、それを嶋がカット。一気に最前線へ送ると、ボールを受けたヴィトルは得意のドリブル突破で相手ディフェンダーを置き去りにしてGKと1対1の場面を作った。


「く、くそう! 入れさせるか!」

『だが少し遅かったようだな』


 慌てて飛び出してきた相手GKの動きを冷静に察知していたヴィトルがループシュートを放った。GKが振り返ったその瞬間、すでにボールがゴールネットへ吸い込まれていた。残念ながら役者が違った。


「よーしナイスヴィトル!」

「さすが落ち着いているぜ!」

『まだまだ序の口だぜ。相手はアマチュアだしもっと点を取らないとな』

「へへ、そうだな! まだまだ始まったばかりだもんな!」


 仲間の祝福に対してもあくまでクールなヴィトル。大学生相手では俺達の相手に不足と言わんばかりであるが、実際に力の差は大きかった上に、早々とゴールを決めた事で尾道の流れはより明確になった。前半15分には有川がドリブル突破から力強いミドルシュートというあまり見られない形で追加点を奪った。あまり言及されないが有川は足技も多彩である。相手のディフェンスが緩かったのも否定できない部分はあったにせよ、高さだけではないと証明して見せた。この2点で前半は終了した。


「ここまではよくやったな。後半からは新しいフォーメーションを試すからなそのつもりでいるように」

「分かりました監督。ただ後半はもっと点を取りたいな」

「相手を甘く見るなよ嶋。向こうにも意地がある。油断すると2点なんてあっという間に詰められるぞ。とにかく攻める気持ちだけは持ち続けるように」

「了解です」


 後半開始から山吉に代えて深田、山田に代えて久保という交代を行った尾道。しかしそれでも流れは前半と同様だった。後半11分には御野とヴィトルのコンビプレーから最後はヴィトルがこの試合2ゴール目となる3点目。この後、ヴィトルは茅野と交代した。


 さらに後半29分、直接フリーキックを今村が落ち着いて決めて4点目を奪った。この後に相手のFWが強引なドリブル突破を図ってGKと1対1の場面を作ったが、ベテラン玄馬の完璧なポジショニングに焦ったかシュートを外してしまいピンチは去った。結局4対0と尾道がプロフェッショナルの貫禄を見せたまま試合終了のホイッスルは鳴り響いた。


「我々のやりたいことは大体表現できたゲームだった。数字上の話ではもう少し(得点を)取れていてもおかしくはなかったが、シュートに持ち込むまでの形はよく出来ていた。特に3点目のゴールのようなつないで崩すパターンはもっとリーグ戦でも増やしていきたい」


 試合後の記者会見で水沢監督ははっきりと手ごたえを口にした。確かに相手は同じJ2レベルと比較してもかなり劣る。しかしそういう相手に、とは言えども理想的なサッカーをできたという事実こそが重要なのだ。


「向こうは個々としては光るものがある選手が多かったので、橋本を中心とした組織的なディフェンスでそれを分断して長所を消すことが出来た。一部の時間を除いてね」


 続いてディフェンスに関しても言及したが、失点寸前のプレーもあったためかオフェンスの時よりもやや低い声のトーンだった。一般的には攻撃力よりもむしろ組織的な守備力が評価されている尾道であるが、それゆえに要求するレベルは高いという事なのだろう。


 この対戦が行われたのが9月8日。それから1ヵ月以上たった後に3回戦が行われる。対戦相手はJ2の和歌山であった。今季はすでに2度の対戦を終えているがいずれも激しいゴールの奪い合いとなり成績も1勝1敗。雌雄を決する第3ラウンドに、しかし尾道のメンバーは以下の通りだった。


スタメン

GK 23 松井正武

DF  3 山吉貴則

DF 21 橋本俊二

DF 25 鈴木仁

DF 26 深田光平

MF  7 今村友来

MF 13 中村純

MF 10 金田正和

MF 29 嶋照平

FW 16 有川貴義

FW 24 御野輝


ベンチ

GK 20 宇佐野竜

DF  2 長山集太

MF  8 高橋一明

MF 17 亀井智広

MF 19 茅野優真

MF 22 久保春人

FW 18 野口拓斗


 はっきり言うと尾道は明らかにメンバーを落としてきた。港滋光、山田哲三、荒川秀吉といったベテラン選手はベンチにすらいなかった。その代わりに今シーズンはここまでリーグ戦出場8試合の鈴木仁や19試合の中村純をスタメンに起用してきた。GKに至っては出場ゼロの松井を初めてピッチ上に送り込むという大胆すぎる布陣だ。


 さらに尾道サポーターを驚かせたのは御野が2トップのFWの位置でプレーしているという事実だった。シュート精度に難があるため最前線は厳しいと思われていた御野だが、新境地を開拓しようというのか。しかも左袖にはキャプテンマークが巻かれている。金田復帰とともにスタメンの機会が減った嶋を両立させようとするなど、とにかく実験が多く行われたメンバーと言える。


 期待と不安が4:6ぐらいの割合でキックオフの笛が鳴り響く。試合開始直後、主導権を握ったのは案の定と言うべきか和歌山だった。1年目ながらいきなりエースとして驚異的な活躍を見せる剣崎を中心に猛烈な攻勢を仕掛けた。この剣崎は足も頭も使いこなすストライカーで、相手守備陣が引き気味の場合は強烈なミドルシュートをぶっ放すスナイパーにも変身する。そして何よりプレー一つ一つに「絶対ゴールを奪ってやる」という強い意志を秘めた迫力がある。


 前半26分、和歌山は中盤の底にいる栗栖から右サイドの竹内にパス。相対する鈴木とフォローに向かった深田をあざ笑うように竹内はこのボールをスルー。その先に走りこんでいた佐久間が上げたクロスは松井が触ったものの、こぼれ球を剣崎が蹴り込んで先制。シュート直前、ブロックに向かった鈴木をかわすフェイントなど、無骨な印象を覆す華麗なテクニックを披露した。リアルタイムで技術の幅を広げていく若きストライカーの潜在能力恐るべし。


 尾道の反撃はまず前半35分。中盤でボールカットした今村から左サイドを駆け上がる深田につなぎクロス。これは大森に弾かれたもののセカンドボールを拾った嶋のミドルシュートはポスト直撃で惜しくもゴールならず。さらに前半43分、御野のドリブル突破からPKのチャンスを得るがキッカー金田のシュートは友成に弾かれてしまう。詰めた嶋のシュートもキャッチされ、最大のチャンスを逃してしまった。


 ロスタイム、密着マークとトラッシュトーキングに興奮した嶋が江川に手を出してしまい退場。直後のフリーキックで朴康信が40m以上の距離をものともせずいきなりゴールに叩き込んで2点目を決めたという事実を鑑みるまでもないほどにまったく余計な愚行で、感情をコントロールできない弊害をこれ以上ないほどに実証してみせた。ただでさえ和歌山に寄っていたものの、この2点目で試合の流れは完全に決まった。


「お前らなあ、和歌山相手にこのまま無様に負けていいのかよ!」

「せめて1点でも取って、一矢報いてくれ!」


 尾道サポーターの祈りにも似た叫びは、しかしフィールドにたゆたう選手たちの耳には届かない。後半9分には栗栖が近距離のフリーキックを直接決めて3点目。後半22分には毛利のロングパスから剣崎を経て最後は鶴岡のボレーシュートで4点目。後半ロスタイムには竹内のロングシュートが決まって5対0となり、これでようやく試合は終了した。


 ここまで「負けた!」と強く感じてしまうような、無残な大敗に終わってしまったのは6月以来である。原因は色々考えられるが、まず明確に違ったのは気迫であった。剣崎を筆頭とした和歌山の選手たちからは「この試合は何としても負けられない」という覚悟をそこかしこから感じられた。逆に尾道はどこか弛緩した雰囲気、最初からある程度捨てていた部分さえあったように見受けられた。そもそも力の差がそれほどないクラブ同士、モチベーションに差があればおのずと結果にも差が出てくるものである。


 それと尾道は実験に走り過ぎた。それぞれの意図を考えるに、もちろんベテランの負担軽減という意図はあれど、すでに首脳陣の視線は来シーズンへ向けられているのではないか。リーグ戦で出場機会の少なかった選手は実際どこまで戦えるか。普段と異なるポジションでプレーした選手は本格的コンバートと言うより現在のレギュラーが離脱、あるいは退団した場合のバリエーションとしてどれだけのパフォーマンスを見せられるか。そしてどこのポジションが現有戦力ではカバーできないか。


 そういう意味で言うとこの試合におけるディフェンス陣に関しては実験失敗と言わざるを得ない。特に鈴木は本来の持ち味であるクレバーさをほとんど発揮できず、和歌山の躍動感に押されっぱなしのまま途中交代となってしまった。前回の和歌山戦以来モンテーロに本来の切れがなく、港とて33歳と無理のできない年齢。センターバックの選手層は水沢監督も頭を抱える問題であろう。


 また御野に関して、新たなポジションに加えてキャプテン任命という二重のプレッシャーがのしかかった影響であろう、彼の持ち味である縦への突破力を発揮する場面が少なかった。確かに御野は優秀な選手だしユース一期生という事でクラブとしても期待しているのは分かるが、まだ2年目の若者なのだ。責任感が本来の躍動感を奪ったとすれば、それはもったいない話だ。


 敗戦直後に尾道はユースから2人の選手をトップチームへ昇格させると発表した。1人は中盤の司令塔栗山正則、そしてもう1人はディフェンシブなポジションならどこでもこなすマルチロールプレーヤー西東良福である。加入する選手がいれば去っていく選手もいる。まだまだ変動は続きそうだ。


 10月に入ってから勢いを失ってきた尾道。チャンスは多いのに1点を決められない、試合終了直前まではリードしていたのに最後のプレーで失点。こうして失った数字の結晶が今の9位という順位である。逆に和歌山はライセンス問題によってJ1の夢が絶たれてからも、むしろ一致団結して力強いサッカーを続けている。両者の間に存在する差を端的に表したのがこの試合だったと言えるだろう。

100文字コラム


先日の練習中に山吉と有川が激しく口論して一触即発となった時に高橋がそれを収めた。決して雄弁なタイプではないが「そこまでにしろ」と言われた途端不思議と心が柔らかくなったそうだ。これを人徳と呼ぶのだろう。

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