入団その4
試合開始を告げるホイッスルが鳴り響いた。先攻のビブス組は中盤の底やディフェンスラインでパス回しを行い、ポゼッションを保ちながらラインを押し上げていく。秀吉は積極的にチェイスしていくがまだミスの気配はない。そして右サイドバックに入るレンタル移籍の山吉がゲームメーカーの金田と連動しながらショートパスを連発してディフェンスラインを突破しにかかる。
水沢監督は現役引退後、少年サッカーの指導を長く続けてきた。その影響もあり、特にオフェンスは特定の戦術に選手を当てはめるのではなく選手の素質に合わせて柔軟に戦術を代えていくタイプである。
今季のチーム構成で言うと、足が速くてテクニックも高い山吉は間違いなく大きな戦力となるし左の小原もいいのでサイドはかなり強化されたと言える。そしてFWのヴィトルと王秀民はどちらも高い身体能力を誇るタイプである。
実力のあるサイドバックにパワフルなFWがいるのだから、それを生かすために両サイドをワイドに使っての攻撃が今年の基本形になるだろうと考えている。本当は有川をターゲットにしたいのだが想像以上に使えず頭を悩ませているのは秘密の話。
控え組のディフェンスは視野の広い中村とJ2での経験豊富な鈴木を中心に健闘したが、前半13分にヴィトルが個人技で抜け出してGK宇佐野と1対1となる。高さやパワー、スピードといった身体能力では劣る中村や鈴木ではヴィトルのような圧倒的な個人技を持つ選手のマックスパワーには対応できない。
宇佐野は積極的な飛び出しを見せたがヴィトルはシュートせずボールを左に流し、走りこんできた御野が右足でゴールに押し込んだ。
パシィッ!!
ゴールネットが大きく揺れた。レギュラー組が個人のパワーを生かして先制点を挙げた。
「ナイスパースヴィトール! 今のはいい形だったし本番でも十分通用するぞ」
この先制点を演出したヴィトルは怪我さえなければJ1でも通用する力があるだけにまともに勝負しては勝てない。水沢監督もストライカーとして大いに頼りにしているが怪我と引き抜きには相当気をもんでいる。
そしてゴールを決めた御野はユース出身で尾道生え抜き期待の星である。昨年から続く体力強化プログラムの甲斐があって初見の秀吉が注目するほどに下半身が太くなった。プロの肉体を会得した事で独特のサッカーセンスを実戦でも発揮できるようになりつつある。
「さあガンガン行け。1点を取れてやっと2点目を取れる資格が生まれるんだ」
水沢監督は檄を飛ばしたが、それ以降はディフェンスラインの奮闘もあり膠着状態で前半終了。ビブス組がポゼッションでも完全に優位に立っており、控え組の前線の選手はほとんどボールに絡むことなく終わった。秀吉は積極的にボールを追いかけるなどやれる事はやったにしても、本人としてもまったく不満が残る内容だった。
「いまいちだったな。それにしても、うまいもんだな。俺がいた頃とは同じJ2と言っても桁違いだ」
自分への悔しさとは別に、ピッチサイドにたたずむ秀吉が感心していたのは尾道の選手の技術に関してであった。足元にぴったりとトラップする、ロングパスが所定の位置に通る、ゴールキックがラインを割らない。これらは当たり前の事に思えるが、そうではない場所ではそうでもない。十年一昔というが、日本サッカーの進歩するスピードにおいては10年などもはや三昔ぐらい前になっている。ただ、メンタルが駄目な奴は今においてもやっぱり厳しいものだ。
「え、何か言いましたか荒川さん」
「いや、何でもない独り言だ。後、荒川じゃなくてヒデでいいぞ」
「はい、わかりました。ヒデさん」
お前の事だよ、素直で優しくて気が利いて、でも戦えていない有川君。ピッチ上ならエゴという奴を見せるべきときに見せない奴はむしろ悪人、そう考えて秀吉は今までプレーしてきた。しかし有川はどうにも育ちが良すぎるようだ。
「ヒデさーん、後半始まりますよー」
「おう、今行く」
いや、本当にいい奴なんだ。しかし、ううむ如何ともしがたい。
後半開始直後、控え組は左サイドを亀井と深田のパス回しで突破してクロスを上げた。突破されたビブス組の右サイド山吉は後半になって動きの質が落ちていたが、どうもスタミナに問題があるらしい。動けていたらJ1でも通用する技術はあるだけに惜しい。
さて、クロスをあげた時の状況だが、ペナルティーエリア内にはGK以外だと有川とモンテーロがいるだけという1対1の状態となっていた。同点に追いつくには絶好のチャンスだったが有川がモンテーロのパワーに押し負けてボールごと弾き返された。こぼれ球を拾った久保だが、すでにディフェンスは戻っていたのでとりあえずシュートを打ったが大外れ。これで控え組の攻撃は終了した。
「おいおい有川よ今の踏ん張れんか」
「す、すみません」
秀吉がちょっと声をかけると有川は恐縮そうに謝ったが、そんな言葉を聞くために話しかけたのではない。秀吉は語気を強めた。
「立派な体格が泣いてるぜ。なるほど確かにモンテーロはパワフルな選手だ。しかしお前だって同じぐらいのパワーを持っているはずだろう。勝負しに行って負けたのなら仕方ない。しかし今のプレーを見ていると最初から負けるだろうと思っていたようにしか見えなかった」
有川は押し黙っていた。
「まあ、こんな台詞を聞くのは初めてじゃないだろう。けどな、今ここにいるって事がどういう意味かは理解してるよな。四の五の言ってられないって事も」
ここまで言った後で、秀吉は落ち着いた口調で諭すように語りかけた。
「とりあえず、戦ってみろ。相手が誰とか関係なく。とにかくあの時ああやっておけばとか後悔するようなプレーだけはするなよ、絶対に」
言いたい事を言い終わると秀吉は本来のポジションに戻った。すでに試合は再開されている。相変わらずビブス組が押している展開ではあるが、控え組も次第に組織的なディフェンスがこなせるようになってきた。特にMF中村の的確な指示が功を奏している。試合は中盤での潰し合いで時間が過ぎていった。
後半も25分を過ぎた頃、ビブス組がセンターサークル付近でパス回しをしている途中であった。タフだが技術力は高くない山田がボールを持ったときに秀吉が猛烈なチェイスを仕掛けた。焦った山田はやや遠くにいる今村にパスを出したが亀井がカット、一気に控え組の前線が動き出した。
「速攻!」
秀吉の叫びに呼応するように亀井は前線にロングボールを放った。追いかけるのはディフェンスはモンテーロ、そしてオフェンスは有川だ。
「弾け! モンテーロ」
「やらせるか!」
玄馬の指示を吹き飛ばす勢いで叫んだ声の主は有川だった。後半直後のプレーとは一転、荒ぶる有川のパワフルなジャンプに一瞬モンテーロのアクションが遅れた。
競り勝った有川のヘディングでボールはゴール前に転がり、それを走りこんできた野口がキープ、ペナルティーエリア内でGK玄馬と1対1になった。
「いけえええタクト!」
秀吉たち控え組の叫びを受けた野口は全てのパワーを右足にこめてシュートを放った。シュートは玄馬の右腕をすり抜けてゴールの右隅へ……
ガゴッ!
ああ、無情! ポスト直撃!
ボールは大きく上空を跳ねてゴールラインを越えていった。ネットを揺らすことなく。野口は脱力のあまり両手で顔を覆ってピッチに倒れこんだ。
「惜しい惜しい! いいシュートだったぞ野口! 有川もよく戦った」
水沢監督が即座に声をかけた。続いて
「今のはビブス組の反応も遅かったぞ。開幕戦の相手は千葉だ。高さ勝負になるとああいう場面をいくらでも作られるぞ」
とディフェンス陣に発破をかけた。その片隅で粗い呼吸をしている有川に秀吉は近づいた。
「やっぱりやれるじゃねえか」
「はは、そうですね」
今、有川の目が輝いた。よどんだ目をしていたらどれだけ若くて才能があってもそれを開花させる事は難しい。誰が指導するにしても伸びるのはその選手自身なのだから。
その点で言うと有川の瞳はとても綺麗で、なおかつ熱いものが着火しつつある。これは今シーズン期待できそうだと秀吉は感じた。そしてこの光景を遠くから見つめる目線もあったのだが、それには誰も気付かなかった。
100文字コラム
他クラブファンに聞く尾道の印象。三位玄馬港ら渋いベテラン、二位優秀な若手のレンタル先、そして圧倒的一位が「地味で泥臭い」。山田長山がその典型だが金田のようなテクニシャンも妙に薄汚れて見えると専らの噂。