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和歌山シリーズ 再戦その3

「なるほど。尾道もかなり攻めてくるじゃねえか」

「ああ、これはこっちも負けてはいられないな」


 和歌山の選手たちは改めて心のギアを入れ直した。この試合、最初から打ち合いは覚悟の上だっただけに気迫では絶対に負けてはいられない。ゴールキックからの空中戦を経て、ボールは内村に落ち着いた。


「さあ、じっくり行こうか」


 この内村宏一、高校1年で退学してドイツに渡ったという経歴もさることながら、ポジションも最前線から最終ラインまでどこでもこなすという異色の選手である。対する尾道は港の指示の下、堅固な守備のブロックを形成していた。水も漏らさぬ鉄壁に見える布陣、しかし内村にしか見えない隙間は確かに存在したのだ。


「普通にやれば鶴岡、と言いたいがモンテーロも高いしな。そして剣崎の近くには港。経験の差的にも楽な相手じゃない。となると、こっちだな」


 内村は左サイドに張っていた西谷にパスを出した。猛牛の異名を持つ西谷は得意の強引なドリブル突破で尾道陣内に突撃した。


「やらせるかよ!」


 マッチアップする尾道の右サイド山吉もスピードには自信がある男だ。突破は許さない。ここで西谷がバックパス、そこには左サイドバックの桐嶋がオーバーラップしていた。


「ナイスパス西谷! ここで先制だ!」


 ノートラップから放たれた桐嶋の鋭いクロスがゴール前を強襲する。ターゲットは長身の鶴岡だ。しかしその前に立ちはだかるのは鉄壁モンテーロ。二アサイドに詰めていた鶴岡の前にすっと出ると、頭でボールを弾き返した。こぼれ球を山田が拾い、尾道のカウンターが発動しかかったが栗栖がサイドラインにボールをクリアした。


「ふう危なかった。それにしても相手の左サイドはいいコンビネーションだったな」

「そりゃあ当然っすよ。西谷と桐嶋は高校時代からずっとコンビ組んでましたから」


 ベンチで戦況を見守る秀吉に声をかけたのは茅野だった。


「ほう、詳しいなユーマ。ああ、そういえばお前もあいつらも鹿児島の高校だったな。いわばライバルだったって奴か」

「ええ。その頃は2人ともFWでしたけど、ただでさえ個人技がある上に今みたいなコンビプレーも多くて対応は難しかったですね」

「お互いがお互いをよく知っているわけか。こっちにとっちゃやっかいな選手を抱えているもんだな」


 秀吉の嫌な予感は当たってしまった。前半14分、やはり内村を経由しての左サイドを使った攻めだった。西谷が猛然とサイドを突っ走る。


「このまま突破か、あるいはパスか」


 対応する山吉も次の一手を読みかねていた。この西谷は体当たりのような力強いドリブルを仕掛けてくるのでそれに対処するだけで体力を浪費するが、桐嶋とのコンビネーション突撃が加わるとさらにやっかいになってくる。精神的にも相手に押されていた。


「ヨッシー押されてんぞ! 俺も助太刀するぜ!」

「テツさん!」


 中盤の山田が中への突破を防ぐべくヘルプに加わった。しかしこれは西谷の思う壺だった。外にドリブルした西谷に2人がつられた瞬間、バックパスでいつの間にか上がっていた桐嶋につなげた。完全に虚を突かれた。


「しまった! クロスか!」

「そうじゃないんだよなあ」


 ボールを受けた桐嶋はすかさず真横にボールをはたいた。気付いたら尾道のバイタルエリアがぽっかりと空いていた。そこに走りこむのは内村だった。


「よし、お膳立ては整ったぜ! さあ食らえ尾道!」


 完全フリーの内村がノートラップで左足を振りぬくと、ボールは強烈なミドルシュートとなって尾道ゴールを襲った。GKの宇佐野にとっても予想外の奇襲だったので反応が遅れたが、どうにか伸ばした右腕でボールを触ってコースを変えた。ポスト直撃! ボールは跳ね上がってペナルティーエリア内を浮遊した。


「くっ、誰かクリアを!」


 体勢の崩れた宇佐野が叫ぶ。しかしボールの一番近くにいたのはゴールに背中を向けて立っている剣崎だった。次の瞬間、深緑のユニフォームに映える背番号9が空へと浮上した。重力という鎖から抜け出した宇宙飛行士のように空中でクルリと一回転する間に、右足でボールを捕らえていた。


「何! オーバーヘッドキックだと言うのか!!」


 宇佐野は必死で手を伸ばしたが、ボールはその右手をすり抜けてゴールネットを激しく揺らした。まるで劇画から飛び出してきたような鮮やかなアクロバットプレー。剣崎による、彼らしい派手な一撃でホームの和歌山が先制点を奪った。


「よおおおおおおおおおし!! 決まったああああああああ!!」

「さすが剣崎!! 早速魅せてくれたぜ!!」


 サポーターを、チームメイトを、そして何より自分自身を熱く燃え上がらせるスーパーゴール。チームメイトの手荒い祝福を受けた剣崎は親指を立てた右手を突き出した。続けて中指と薬指を立てた。ハットトリック宣言である。


「ええい忌々しい剣崎の野郎め。3点だと? なめやがって!」

「しかしあれは格好だけじゃないぜ。現に今のゴールは止めようがないほどにスペシャルだった」

「そんな! 山田さん! まだ試合は始まったばかりでしょう!」

「ああ、そうだなウサ。しかし、ああも盛り上がられるとこっちにとっては嫌な感じになるな」


 悪い予感ほど当たるものだ。剣崎のゴールによって尾道のサポーターは沈黙し、選手たちには動揺を発生させた。尾道のキックオフで試合は再開されたがあっさりとボールを奪われた。ここからの時間は完全に和歌山のペースで試合が進んだ。


「もう前半も30分近くだと言うのに、完全に和歌山ペースですよ」


 尾道のベンチメンバーは軽く体をほぐしながらも戦況を見つめていた。はっきりと不利な形勢だった。秀吉や高橋らベテラン勢の表情もいつもより厳しい。


「ああ、このままじゃまずいな。特にやっかいなのが内村という男だ」

「ええ。今日の和歌山は彼を経由して攻撃が始まっていますからね」

「とにかく技術の引き出しが多い。次に選択するのはドリブルかパスか。パスだとしても前か横か後ろか。色々な手があるから手を打ちづらい」

「テツさんもさすがにてこずっていますね。内村に対処するのは千手観音とじゃんけんするようなもの。『次にやってくるのはこれだ』と捉えようがない」


 和歌山の先制点が決まった直後はボール支配率はほぼ半々、シュート数も和歌山が3本、尾道は2本だった。しかしそれから約15分におけるシュート数は尾道は2本のまま、和歌山は7本と大きく差がついた。その和歌山オフェンス陣の中心となっているのが内村である。


 和歌山の中盤には内村と栗栖というテクニカルなゲームメーカーが2人いる。しかしその内実は異なる。栗栖はセットプレーも任されるほど正確なプレーを見せる。一方で内村は彼独自のセンスを爆発させたプレーが持ち味である。変幻自在の発想が相手の読みを狂わせ、チームに有益なチャンスを作り出す。今もまた右の竹内に突破させ、コーナーキックを得た所だ。


「いいぞ竹内ナイス突破だ!」

「そろそろ2点目の雰囲気あるぞ! 鶴岡の高さを使うか? 剣崎がもう一発か?」


 スタジアムの雰囲気も完全に和歌山ペース。2点目は近いであろうと和歌山のサポーター以外の観客も思うほどであった。コーナーキックは鶴岡に合わせたがモンテーロがゴールラインの外にクリアした。次は逆方向からのコーナーキックとなる。


「よし、ここで集中だぞ! まずはしっかりクリアすることが大事だ! まだ1点しか取られていないんだからこれからこれから!」


 押されっぱなしの尾道陣営において孤軍奮闘しているのがGKの宇佐野である。劣勢だからこそ人一倍大声を張り上げてチームに活力を与えようとしている。今日はセービングも好調と見えて、3分前には佐久間のクロスに合わせた鶴岡のヘディングをキャッチしてピンチを防いだばかりである。今シーズン、ベテラン玄馬からポジションを奪い実戦経験を積んだことによって伸び盛りの宇佐野は大きく成長している選手の一人である。


 さて、コーナーキックは先ほど蹴ったばかりの栗栖が逆に回って再び蹴る。今度は二アサイドに低く鋭いボールが来た。宇佐野は飛び出してパンチング、そのボールを拾った山田がハーフウェイライン付近にいた嶋につないだ。一転逆襲だ。


「この時を待っていたぜ! 御野、ヴィトル、広がれ!」

「おう!」

『ようやく逆襲だ!』


 それまでは自陣でどうにか耐えていた尾道だが敵陣に進入した瞬間、一気にスピードアップした。このギアチェンジに和歌山ディフェンス陣の対応が遅れた。その間にも右のヴィトルと左の御野は奥深くまで進んでいく。そして嶋は左にパスを出した。佐久間がオーバーラップしていたためにがら空きとなったスペースでボールを受けた御野が素早くクロスを上げる。中央にはチーム得点王の有川が鎮座していた。


「ちっ、やってくれるな尾道め。猪口、飛ばせるなよ!」

「おう分かってるぜ!」


 和歌山のセンターバックは身長190cmの大森と身長165cmの猪口で構成されている。これだけ見ると猪口が穴に見えるがさにあらず。その鍛え抜かれた肉体は強靭そのもので、前回の対戦においても有川をほぼ完璧に抑え込むなど超人的な活躍を見せている。


 しかし身長が低いのは事実。普通に戦うと埋めるのは難しい差だけに、そもそも戦わせないのが肝要となってくる。ここでも猪口は有川にジャンプさせず、ボールは彼らのはるか上空を通過して行った。


「よし、よくやった猪口」


 安堵する和歌山のGK友成。しかしそれは尾道の巧妙な罠だった。最初から有川はターゲットではなかったのだ。その証拠に御野のクロスボールは仮に有川がジャンプしても届かなかったであろうほどに高かった。本命はその奥からフリーで走ってきたヴィトルだった。


『最高のクロスだぜ御野!』

「しまった! そういう事か!」


 ヴィトルはクロスを胸でトラップすると、ボールが地面に落ちる前に左足でボレーシュートを放った。ほとんど角度のない所からのキックだったが、フックしたボールは友成の両腕をすり抜けてサイドネットを突き刺した。押されていた尾道だったが、このタイミングしかないというカウンター一閃、1対1の同点に追いついた。


「ナイッシューヴィトル! 苦しい時間によくぞ決めてくれた!」

『同点にできて良かったぜ! これもすべてはテルのクロスが絶妙だったお陰だ!』

「キヨシもよくやってくれた! あのセンターバックは強いからな、うまく引き付けたもんだ!」

「しかしまだ同点になっただけだ! これからが本番だぜ! 絶対に勝つぞ!」

「おう!」


 この同点ゴールで精神的にも落ち着きを取り戻した尾道。ここからは堂々と本来この試合でやりたかった攻撃的サッカーができるようになった。もちろん、和歌山もエンジン全開で攻めまくる。ここからは攻撃的なサッカーの応酬が見られた。


 同点から45分までに互いに枠内へのシュートを2本ずつ放った。アディショナルタイムは1分。しかし「安全に終わるために流そう」という雰囲気は一切なかった。むしろもう1点を狙うべく瞳をぎらつかせる者ばかりであった。


 そんな中、前半に散々ピッチで暴れまくった内村が、この期に及んで突如ドリブル突破を始めたのだ。それまではパスで尾道を翻弄していた内村の意外な選択に尾道のディフェンスはマークが遅れた。


「こんな所でくだらない失点をしてたまるかよ。内村を止めるんだ山田今村!」


 港の指示に呼応して突破を潰しにきたボランチ。しかしこれも内村の狙い通りだった。自分にマークが重なれば他の部分は手薄になる。もっと引き付けて、そして決定的なパスを出す。それが内村の狙いだった。


「もっとだ、もっと来い。そう、ここだ!」


 鋭いスルーパスがディフェンスラインを切り裂いて最前線の剣崎まで到達した。障害となる壁はGK宇佐野のみ。剣崎は落ち着いて動きを読み、力強く右足を振り下ろした。ボールは大きくゴールネットを揺らした。しかし尾道は最初から剣崎に反応する気がなかったのだ。すでに副審は旗を水平に上げていたのだから。


「やられた! オフサイドか!」

「ふう、オフサイドトラップは間に合ったようだな」


 完璧なタイミングだったはずなのにと悔しがる剣崎の背中にわざとらしく息を吐きながら語りかけたのは港だった。尾道ディフェンス陣を仕切るこの男にしてやられた。剣崎は忌々しげに言葉を返した。


「くっ、やりますねえ港さん」

「当然だ。俺はお前が生まれる前からディフェンダーをやってたし、お前が小学校に入る前からプロでやってるんだ。まあ年季が違うって奴だな」

「ふん、そんなに長くやってるんならそろそろ世代交代の時期じゃないですかね。俺がちゃんと引導を渡してあげますよ。この試合の後半にね」

「はははっ、愉快なことを言う。そこまで耄碌していないよ」


 港につられて剣崎の口元にも小さく笑みが広がった。


 試合再開のフリーキックと同時に前半終了。点差こそ1対1だが、観客にとってはもう少し点が入っていたのと同等の興奮を感じさせた展開だった。これから15分のハーフタイムを経て勝負の後半が始まる。夏の終わりは近づいてもスタジアムの熱気は高まるばかりである。

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