浮動その4
ラスト5分で殊勲のヴィトルに代えて前線でのチェイス要員として茅野を投入。茅野はそのスピードとガッツを生かして気迫のこもったプレーを見せ、水沢監督の狙いを見事に体現した。このようにして甲府の猛攻にも尾道は体を張って耐え切った。2対1、厳しい戦いの末に強敵甲府を尾道は破った。勝ち点3を得た事でプレーオフ圏内に順位を浮上させた。試合終了後、インタビューに逆転ゴールを叩き込んだヴィトルが呼ばれた。
「放送席、そしてスタジアムでご覧の皆さん、逆転ゴールを決めたヴィトル選手です。ヴィトル選手、おめでとうございます」
『ありがとう。今日は必ず自分がゴールを決めて勝ちたかったので良かったと思っている』
「逆転ゴールはスピードで相手を抜き去ってからの豪快なシュート、見事でしたね」
『俺の得意な形だった。(同じFWの)キヨシとヒデがお膳立てしてくれたから生まれた、いわば3人で奪ったゴールだ』
「後半、3トップになってから攻撃がつながるようになりました」
『キヨシのパワー、ヒデのテクニック、そして俺のスピード。みんな違う個性を持ちながらそれを生かせるように出来ている。最高のトリオだと思っている』
「最後に、はるばる山梨県まで応援に駆けつけてくださったサポーターに向けて一言お願いします」
『一部では変な噂が流れていたがそれは全部嘘。俺はこれからも尾道のためにゴールを決め続ける! 今の本当の気持ちはそれだけだ!』
この言葉が伝わった瞬間、スタジアムから大歓声が湧き上がった。サポーターたちも移籍騒動は気にしていたが、ヴィトル自らがそのような噂を一蹴して見せた。そして林GMも安堵して新外国人の契約交渉をスタートさせた。ターゲットは左サイドバックを埋める逸材、マルコスである。
マルコスの先祖に日本人がいたと判明した事もあって、交渉は極めてスムーズに進んだ。そして約1週間後、早くも日本に降り立ち、入団会見が行われた。登録名は先祖の日本人である井手助三郎にちなんで「マルコス・イデ」となった。背番号は30番。秀吉を超える大きな番号となるのは途中入団なので当然と言える。翌日には早速練習にも参加した。
「ミナサン、ハジメマシテ。マルコスイデトイイマス。ヨロシクオネガイシマス」
片言の日本語で挨拶をこなしたマルコスに惜しみのない拍手が送られた。黒く色づいた肌、長いもみあげにキリリと太い眉毛、いかにも意志の強そうなグリッとした目つきはどこか「薩摩隼人」という言葉を連想させる。ただ、先祖の井手さんは広島県の生まれだったらしい。この縁も尾道に至らせた要因であろう。
さらに5日後、広島から攻撃的MFの嶋照平(20)を期限付き移籍で獲得と発表された。嶋は強豪として知られる広島ユース出身の選手で、高い技術を持ちながら今シーズンはここまでカップ戦で2試合のみと出場機会に恵まれなかった。記者会見では「いいチャンスをもらった。がむしゃらなプレーが持ち味なので尾道でも当たって砕けろの精神で挑んでいきたい」と言い切った。
本拠地が近い広島からの移籍なので入団会見をした当日にはジャージ姿に着替えて練習に参加した。サッカーと言うより甲子園を目指す高校球児を連想させるルックス、気合の入った剃り込みといじりすぎな眉毛が印象的だった。不敵な面構えをしたまま練習前の挨拶ではこのように言い放った。
「俺はこれまでパスを磨いてきたので、そういうプレーを尾道でも貫いていくだけです。チームに合わせるのではなく俺に合わせるようなプレーをしていきたいです」
言い切った後の拍手はまばらだった。なかなか生意気な、そして芯の強そうな男だ。練習でもゴール前でやたらと鋭いパスを連発してほとんど繋がらなかった。
「今のくらい追いついてくださいよ秀吉さん!」
「おい! そういう言い方はねえだろ!」
「おっとストップだシュータ! 確かに今のパスに追いつけたら決定的なチャンスになっていた」
秀吉の擁護に「やっぱそうでしょう?」と言わんばかりのドヤ顔を見せ付ける嶋。それがまたいらっとさせる。結局この日の練習ではチームと嶋が噛み合わないままに終わってしまった。
「なんて野郎だ、あの嶋っての」
「今はいい流れで来てるのに、こんなんでチームワークが乱れでもしたら最悪だ」
「確かに凄まじく天狗になってるな。まあ俺はああいうの好きなんだがな」
「俺もヒデの言葉に同意だな。今は異分子だが、あれぐらい飲み込めるチームじゃなければ昇格なんて夢のまた夢だろうよ」
「そんな、玄馬さんまで。まあ確かにうまいですからねあいつ」
「まあお手並み拝見よ。鼻をへし折られるのまでが一連の過程だからな」
意外とベテラン受けの良い嶋である。秀吉などは自分の若い頃に重ねている風であった。「ああいう傲慢な馬鹿野郎が突っ走る事でチームにもエネルギーが生まれるんだ」とでもいう風な、経験ゆえの余裕がある。まあ、とりあえずこうして新たな選手たちも入ってリフレッシュ、新生尾道の夜明けだと思いきやとんでもないニュースが同時期に飛び込んできた。
「尾道所属FW王秀民、中国移籍決定」
何と、王が故郷である中国のクラブである「武漢銀鶴」に移籍すると向こうのクラブが発表したのだ。しかも完全移籍。何の前触れもなく、と書きたかったが確かに前触れはないでもなかった。甲府戦では「体調不良」を理由にベンチからも外れていたのは今思うとそういうことだったのかも知れない。移籍直前の選手はそういう不可解なベンチ外になったりする事もある。
しかし今回は本当にあっという間の出来事で、会見もないあわただしい別れだった。残したものは移籍金と2年半で79試合出場11得点という数字、それといくつかの思い出だけとなった。背番号9はとりあえず今年は誰もつけることなく終わりそうだ。それもまた悲しい話である。完全に過去とするには来年を待つしかないとは。
「いやはや、まさかシューミンがこんな形で離れるとは」
「まあ今年はスタメン出場が少なくなっていましたからね。思うところはあったんでしょうけど」
「攻撃のオプションが減ったのは純粋にマイナスだ。金だけじゃ埋められない問題だってある」
水沢監督ら首脳陣にとってもこの移籍は寝耳に水だったようで、クラブハウスでは連日喧々囂々の議論が行われるに至った。選手ありきで戦術を組むタイプの水沢監督だけに移籍の意味は重い。ヴィトルが残留するか不明だった時も、様々なケースを考えて戦術を組んでいた。しかし王に関しては佐藤コーチの言うように新加入の有川や秀吉に押されて出番が少なくなっていたのは事実である。やはりサッカー選手の価値は試合に出てこそ。そういう意味では少しケアを怠っていたのかも知れない。
「まあ、行った者は仕方ない。マルコスと嶋をうまく組み込めば間違いなく今まで以上の力となるんだから」
「そうですね。マルコスは練習を見てもスピード、テクニック、それにスタミナも抜群ですから」
「嶋もなかなかうまいし、いいオプションになりうる」
「ただ精神的にムラがあるようですけどね。何となく佐久間を思わせるような」
「佐久間か。まあその辺はまだ若いって所だろうよ。何とか気付かせてあげたいもんだがな」
引退後は少年サッカーの指導者として活躍した時期のあった水沢監督は育成に関しては「選手の自主性を重んじ、長所を伸ばす」で一貫している。しかし自主性を重んじるにしても選手本人が間違った認識のまま進んでしまえばどうにもならない。どんな名人も100%成功とはいかないのがこの世界で、その中でも育成に失敗した選手の名前だけはよく覚えているものである。いや、佐久間はまだ現役だし失敗と言うには早いのだが、少なくとも尾道ではその潜在能力を開花させる事が出来ず、それを今も後悔している。
「そういえば佐久間はまた移籍したみたいですね」
「ああ、今度は和歌山だったかな。そういえば和歌山と次にやるのはいつだっけな」
「1ヵ月後ですよ。8月の終わり、第31節に」
「そうか。次は勝ちたいよなあ、何としても」
「そうですね」
話し合いのうちに夜は更けていく。明日も練習明後日も練習で、それを繰り返すほどに試合へ近づく。止まってはいられない。
100文字コラム
ワールドカップ自国開催の〇二年、尾道は全国リーグに昇格。一気にJ入りを目指すもここからやや停滞。クラブの象徴だった土生の退任などを経て〇七年、高橋や長山ら若手の活躍もありようやく昇格の扉をこじ開けた。




