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浮動その3

 ホームである甲府のキックオフから試合はスタートした。尾道はここまで12勝7敗4分の勝ち点40で順位は9位。対する甲府は11勝4敗8分の勝ち点41でプレーオフ圏内となる6位となっている。ここで尾道が甲府に勝利すればプレーオフ圏内まで復帰する。逆に甲府に敗れれば一気に目標が遠のいてしまう。もちろんJ1復帰を狙う甲府としては障害となりかねない尾道を排除しておきたい。両チーム、ここは負けられない試合だと気合が入っている。


「さあキックオフだ。練習通りデビにつけモンテーロ」

「OK」

「甲府はパスをつなぎ、ボールを動かしてくるチームだ。テツはうまく分断するように」

「おう、分かってるぜキャプテン」


 試合開始と同時にキャプテンである港の指示によって陣形は動き始める。例えばフォーメーション4-4-2だの3-4-3だの4-2-3-1だの色々言うが、現代サッカーにおいてそういったポジションはあくまでも目安のようなもので、試合中は大いに流動するのが当然である。だからこそ細かい調整は勝利を目指すに必須となる。


 しかし前半は完全に甲府のペースだった。理由は今日の試合に限って尾道のバイタルエリアが普段より大きくなってしまっていたからである。具体的に言うと中盤の底をそれまでの中村から橋本に代えたのが失敗であった。橋本は確かに成長しているが、慣れないポジションだったからか本来の理知的な動きが見られなかった。タフな山田はよくフォローしたがさすがに1人だけでは厳しいものがある。スピードにおいても橋本は中村に劣るため、甲府のパス回しに対応できずにいた。


「まずいな。ならばゴール前を固めて決定的な場面を作らせるな」


 港の指示によって尾道はディフェンスラインを引き下げた。これによって甲府は中盤で華麗なパス回しを披露するスペースを得た。逆に尾道はほとんどマイボールにできず、実にボール支配率は甲府の64%という数字になってしまった。


「どうするんですキャプテン。こうも回されるとまずいんじゃ」

「慌てるな橋本。パスをいくら回された所で前に蹴らないとゴールにはならん」


 ポゼッションサッカーを目指すチームではたまに「パスを回すことばかりに気を取られてパスが手段ではなく目的となってしまう」という光景が見られる。華麗なパスワークを披露するのはいいが、前への推進力がなければ相手からするとそれほど怖くない。そんな攻めで悦に浸っているようでは真のポゼッションサッカーはままならない。しかし甲府の場合は一発で試合の流れを変えるストライカーがいる。そこが凡百のチームとの違いとなっている。


「さあ、パスも回ってるしそろそろスコアが動く頃だ」

「今こそ俺たちの甲府が先制する時!」

「ここで決めてくれデビ!」


 スタジアムにはホームである甲府サポーターによるこのような期待感が高まってきた。そしてそれに最高の形で応えるのがストライカーという生き物である。前半43分、尾道としてはもう少しでハーフタイムも見えてきたという時間帯、甲府の野獣が鋭い輝きを放った。


 細かいパス回しで中盤を制圧する甲府。その時、デビが斜めに動いた。ちょうどセンターバックと左サイドバックの間で、密着マークについていたモンテーロはデビの姿を一瞬見失ってしまった。その一瞬を甲府は見逃さず、鋭いパスが出された。


「しまった! ペナルティーエリア内に侵入されたら迂闊なディフェンスはできない!」

「ええい! 体を張ってシュートをブロックするんだ!」


 モンテーロのフォローに向かった港を嘲笑うかのようにデビはふらりとしたドリブルでセンターバックコンビを抜き去った。そして宇佐野が近づく時間を与えないまま右足で大砲のような一撃を繰り出した。次の瞬間、ボールはゴール右側のポストに当たりながらも、それを弾き飛ばすような勢いでネットを大きく揺らした。甲府、先制。


「決まったあああ! さすが俺たちのエースストライカー!!」

「やっぱりお前がやってくれると思ってたぞデビ!!」


 甲府サポーターの大歓声がスタジアム全体にこだまする。まさに待望の1点だった。逆に尾道としては一番警戒していたはずの男にやられてしまった。それからは大した動きもなく前半終了となったが完全に甲府のペースで、悔いの残る展開だった。


「すまなかったみんな。完全に読み違えていた。采配ミスだ」


 ハーフタイムの控え室、水沢監督は己の至らなさを選手たちにわびた。成長中の橋本とそれまでのレギュラーである港やモンテーロとの融合を目指したスタメンだったが、その目論見は外れた。やはりフォーメーションとは有力な選手を上から11人ピックアップすれば良いという単純なものではない。


「今日は必ず勝ちたい。そのために後半の始めから動く。まずは橋本、すまなかった。お前を生かしきれなかった」

「そんな監督。謝るのは僕のほうですよ。期待に沿えずに」

「お前の評価は変わらない。しかし今日は勝利のために中村と交代してもらう。役割は分かっているだろう。頼むぞ、中村」

「はい! 任せてください! ハッシーの無念も取り返して見せます!」


 何か湿っぽいことを言いたそうだった橋本に向けて中村は「心配するな」と言わんばかりに親指を立てた。橋本は大きくうなずいた。それだけで十分だった。


「そして御野、お前の動きが悪かったんじゃない。しかし得点を奪うために荒川と交代する」

「分かりました。頼みますよ、ヒデさん!」

「おう、無論だ。と言うか、俺を出すという事は後半は3トップを?」

「そうだ。とにかくボールを奪ったらスピーディーに攻撃を仕掛けるように。2点だ。荒川! ヴィトル! 有川! 2点取ってくれ」

「分かっていますよ、監督」

『もちろんだ! やってやるぜ!』

「それが俺達の仕事だからな。さあ、勝ちに行こうか」


 目先の勝利よりも完成度を重視するため基本的にはメンバーをいじるのが遅いと言われる水沢監督には珍しく、派手に動いてきた。未だにドロドロの混戦が続いているJ2だが、そろそろ上を狙えるチームとそうでないチームが分離されつつある空気もそこはかとなく流れている。尾道が前者に残るためにはまさに今こそ正念場、内容ではなく勝利が必要だと分かっているからだ。


 そして運命の後半がスタート。有川からヴィトル、秀吉、今村とボールを回しつつ形成を整える。ディフェンスラインは前半同様だが、中盤の3人は右から今村、山田、中村の順番でほぼフラットに並ぶ。FWは右にヴィトル、左に秀吉、そして中央最前線に有川が陣取っている。ポストプレーに長ける有川の周辺にゴールへ直結する動きのうまい2人がうろついている、相手ディフェンスにとっては防御しにくい3人である。


「ふふ、このフォーメーションの利点はオフェンスだけじゃないぜ」

「ブツブツ独り言を言ってんじゃねえ! そっち行ったぞトモキ!」

「分かってますって! こんなパスは読みの内だ!」


 尾道の誇る強力3トップを警戒しながらも甲府は得意のパス回しを仕掛けてきた。しかし後半は前半のようにはいかない。ここでも短いパスの出所を今村に読まれてカットされた。それまでは成功していたはずのプレーが尾道によって分断されるようになった。


「よーしナイスカット! ここから一気に前線へ送るんだ!」

「よっしゃ! 頼むぜ3トップの皆さん!」


 中盤は今村、中村、山田と守備に一家言のあるタイプを並べた事で攻守のバランスが改善された。この3人が柔軟にポジションを変化させつつ甲府のパス回しを防ぐ。読みとスピードに優れるため、高さやパワーはともかく平面でのディフェンスにおいてはJ1でも十分に通用するレベルであろう。


 中盤の改善によってボールを保持できるようになると、必然的に尾道がペースを握る時間帯も増えてきた。甲府としても焦る。それがミスを誘発して、しだいに流れまでも変化しつつあった。ボール支配率でも後半だけを見るとほとんど半々まで来た。


「ああ!またパスをカットされたのか!」

「まずいぞまずいぞ! このままじゃいつ同点に追いつかれても不思議ではない!」


 甲府のサポーターたちも不安を覚えてきた。逆に尾道としては「頃合」である。秀吉、ヴィトル、有川といった前線の選手たちもそのような匂いを嗅ぎ分けていた。


「そろそろウチに流れが来つつあるな」

「そうですね。ボールをカットできるようになったのが大きいですね。後はゴールを何とか」

『そうだヴィトル! 次にボールが来たら例の奴をやるぞ!』

『分かったヒデ! 今は俺たちの流れだからな、5分以内に同点に追いつかないと』

「ポルトガル語で何を言ってるんです? いじめ、かっこ悪いですよ」

「ふ、点を取る秘策さ。お前はいつも通りやってればいい」


 ポルトガル語での密談の直後、山田が1対1の突破を防いで相手からボールを奪った。


「それパスだ! 行くぞキヨシ!」

『おっ! 早速チャンスだ!』

『よし開け!』

「頼みますよヒデさんヴィトル」


 山田から前線に送られたロングパスに対応するのは有川である。その有川がヘディングで左に流すと、それをキープしたのはそれまで左にいた秀吉ではなくヴィトルだった。本来のポジションと入れ替わるように斜めに走った結果、相手のマークが分断されてゴール前ほぼフリーとなった。


「よしチャンスだ! 打てヴィトール!」

『言われるまでもないぜ!』


 スピードに乗った褐色の弾丸は得意のドリブルでペナルティーエリアに侵入すると、ディフェンダーが寄ってこない内に左足で強烈なシュートを放った。しかしGKが横っ飛びからのパンチングでゴールの横へ吹き飛ばした。同点ゴールならず! しかしコーナーキックを得た。


『畜生!』


 地面をこぶしで叩いて悔しがるヴィトル。しかし貴重なコーナーキックを得たのだから悪くはない。本来のキッカーは右の御野だがすでに退いているので山吉が蹴った。ニアポストには有川、ファーポストにはモンテーロのツインタワーがゴール前で存在感をアピールする。もちろん甲府としてもこの2人に密着マークをつけている。しかしそれが尾道の狙いだった。ホイッスルの後、山吉は近くに待機していた今村にそっとボールを回した。ショートコーナーだ。


「狙い通り! そしてこのクロスからが本番よ!」


 今村は得意の左足で低く鋭いクロスを蹴りこんだ。ターゲットは有川。マークについていた甲府のセンターバックがどうにか頭でクリアしたがまだ中途半端。ここに猛烈な勢いで走りこんできたのは港だった。普段は攻撃をモンテーロに任せてカウンターに備えた位置取りをしている慎重派の港による突然の攻め上がりには甲府もマークが出来なかった。


「これで同点だ!」


 ボールに追いついた港は、走った勢いそのままにシュートを放った。ペナルティーエリア外からのミドルシュートだが威力は抜群、混戦地帯を飛び越えて一気にゴールネットを襲ったがポスト直撃! しかしこのボールにいち早く反応したのは得点の匂いを嗅ぎ分ける能力がフィールド上で一番発達している男、秀吉であった。


「入ってりゃいいんだよ!!」


 フワリと宙に浮かぶボールをダイビングヘッドで強引にねじ込んだ。後半18分に生まれた1対1の同点ゴール! しかし秀吉は一切満足していなかった。


「もう1点だ! もう1点取らないとこの試合意味がない!」


 秀吉は喜ぶ代わりに鬼神のような表情を崩さないまま叫んだ。次の1点を取れるかどうかが今後の尾道にとって重要な分岐点となる。チームを、サポーターを鼓舞するために素早いリスタートを求めた。


 こうなると完全に勢いは尾道のものである。もはやどちらがホームなのか分からないほどに猛烈な攻勢を炸裂させた。勢いに飲まれた甲府は完全に後手後手に回り、どうにかクリアしてもセカンドボールを尾道に拾われる苦しい展開となった。


 そして後半23分、ディフェンスを強化するための交代を準備したその瞬間、甲府にとっては一番恐れていた事態が、尾道にとっては願ってもない瞬間が訪れた。甲府のディフェンダーがパス回しをしている中でトラップミス、それを秀吉が奪ったのだ。


「うおお奪った! 大チャンスだ!」

「2点目だヒデさん!」


 尾道ベンチの選手たちも興奮する中、あくまで秀吉は勝負師としてクールに状況を整理した。今はペナルティーエリアのすぐ外にいるがシュートは打てないでもない。ただもう少し近づいたほうが確実だろう。ペナルティーエリア内には相手のDFが2人、そしてその2人は泡を食ってこちらに向かってきている。有川とヴィトルは少し後ろだがマークは外れている。


「ふふ、こりゃ単独突破はできそうにないな。しかしこの俺に対して2人3人と来る事で他へのマークは外れるぜ」


 軽く唇を潤すと、秀吉は何食わぬ顔のまま真横にパスを出した。そこには尾道の背番号11が完全フリーで走りこんでいた。ヴィトルを追いかけるマーカーもいたがその選手は有川によってスピードを減速させられていた。


『絶対にここで決める!』


 ヴィトルはボールに追いつくとひとつドリブルをしてGKの眼前に迫った。飛び出してきたGKの動きを冷静に見極めるとフェイントで抜き去り、無人のゴールを揺らした。逆転、相手のミスを逃さない執念が実った一撃だった。その時ヴィトルは心の奥から叫んだ。大地を揺るがすほどの魂の叫びだった。

100文字コラム


尾道には若い選手が多いのでベテランは常に世代間ギャップを感じているという。先日荒川が今村に「サングラスを外した杉山清貴に似てる」と言うも今村は杉山の存在すら知らず「そこからか」と三十路男は天を仰いだ。

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