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浮動その2

 この日の練習がすべて終了して選手たちが全員練習場を去った後、水沢監督と佐藤、中島、野沢のコーチ陣は揃ってクラブハウスの一室へ向かった。あらかじめ林GMに「練習が終わったら来るように」と言われていたからだ。


「ただいま練習が終わりました。林GM」

「ようこそ。さて、早速ですが、言われた通りの選手をリストアップしてみましたので、今日は詰めの作業を行っていきます。まずは座ってください」


 チームを統括する林淳一GMの穏やかな声に導かれるように、監督とコーチは用意されていた椅子に座った。プリントされた資料が全員に回ると、すかさずDVDの再生がスタートされた。


「まずは1人目、赤いユニフォームのチームの背番号22番を見てください」

「ええと22番は、いたいた。最前線の選手か」

「ええ。名前はアントニーニョ、見ての通りFWです。年齢は24歳」


 アントニーニョと紹介された褐色に黒の縮れ毛をなびかせる男が地球の裏側、ブラジルで躍動している映像が続く。間もなく、素早いパス回しから1人抜け出してGKと1対1の場面となった。アントニーニョは間合いを詰められる前にパワフルなシュートを叩き込んだ。


「なるほど、シュート力はかなりあるようだな」

「それに積極性も高い。パスへの反応のなかなかのものでしたね」

「ただ、ドリブルはどうかな。かなりがっしりした体型に見えるが」

「身長は174cmで体重は79kgですからね」

「意外と低いですね。確かにここまでヘディングのシーンがありませんし、得意ではないのでしょうかね」

「ドリブルもほとんどないな。ただちょくちょくフェイントをするが、これはうまいな」

「その辺はブラジル人特有の、といった感じでしょうかね。なかなかリズム感はあるように思えます」

「しかしそれが日本のリズムと合うかどうか」


 尾道は確かに強くなってきている。しかし既存の戦力の底上げだけではどうしても限界がある。今年は幸いにも混戦模様、つまりどこにでもまだチャンスは転がっていると言う事なのだから、この千載一遇のチャンスを逃してはならないとばかりに補強を決意した。


 チームに足りない部分はどこかもシーズンを重ねるうちに見えてきたものである。そういう意味で言うとこのアントニーニョのポジションであるFWは一見安泰に見える。有川、ヴィトル、王、荒川と人材豊富だからだ。しかしそれも一枚皮を剥ぐと脆いものである。最大の懸念材料はヴィトルの引き抜きである。現に札幌からの噂もあるのだから、もし事実だとすれば由々しき事態であり看過できない問題となる。


「では次の選手を見ましょうか。白と黒のユニフォームのチームの背番号18番ですね」

「お、今度はサイドバックか」

「割と小柄だな」

「しかしがっしりした体格だ。足は速いし、何よりタフそうだ。ディフェンスもなかなかうまいな」


 次のDVDに移ったサイドバックも尾道にとって重要なポジションである。特に左は、本来レギュラーだった小原が今季絶望の負傷というアクシデントに巻き込まれてしまったためにかなり選手層が薄くなっている。代役の深田はここまでよく頑張っているが本質的には右サイドの男だし、やはり小原のテクニックが恋しくなる事もある。


「名前はマルコス。左サイドバックが主戦場ですが右もこなす事が出来ます。年齢は26歳。それまではバリバリのレギュラーだったものが、今季は新監督就任と補強によって出番が減っています」

「なるほど、それなら移籍する理由もあると」

「しかしもったいない話だな。守備もいいし、クロスだってうまいもんじゃないか」

「このチームの左サイドバックはブラジル代表にも選出されたレオナルド・サントスがレギュラーですからね」

「ああ、あのレオナルド・サントスか。それはさすがに分が悪いな」

「獲得できれば間違いなく戦力になる選手だと思いますよ」


 そして最後となる3人目の選手の映像に切り替わった。最後は金田負傷によってぽっかりと空いてしまったゲームメーカータイプの選手であった。


「青と黒のユニフォームのほうの20番です」

「この白人の?」

「そうです。名前はヘイス。28歳の攻撃的なMFです」

「ヘイスか。ヘイス、ヘイス、どこかで見た事がるような気がするんだが」


 水沢監督はヘイスと呼ばれた男にどこか違和感を感じた。確かに見た事があるが何か違うような気がする。それを解消したのは林GMの言葉であった。


「そうですね。このヘイス、2009年には徳島に在籍していましたから」

「ああ、あいつか。完全に思い出した。確か登録名はアンドレイだったような」

「なるほど、あのアンドレイですか。確かにテクニックはありましよね」

「ただ、当時の印象で言うと持ちすぎという感じがあったな。確かに上手いが実戦ではあんまり役に立たないと言うのかな」

「それは同意見ですね。実際徳島でもほとんど活躍できなかったはずです」

「しかしテクニックは確かだ。今度は成功したいとも思っているだろう」

「確かにギラギラしたところはかなりありましたからね」


 林GMが目を付けたのは以上の3選手だった。3桁に届くほどの新外国人候補からじっくりと見極めた結果がこれである。3人ともブラジルにおいて全国区とは言いがたいが、尾道にはまず予算的な制約がある。大企業の庇護下に入るクラブではない、しかも本拠地は中国地方と比較的地味なポジションであり、無論営業努力は常に続けているが簡単にはスポンサーも見つからないのが尾道の現状でもある。


 さらにシーズン途中での移籍であるという点、コネクションには限界があるという点などもある。まあその中ではそれなりに使えそうな選手をよく見つけたほうであると言える。映像が切れた後、首脳陣たちは議論を開始した。


「今すぐほしいのはゲームメーカーだがなあ」

「左サイドのマルコスも出来れば獲得していただきんですがねえ」

「うむ、マルコスは良い選手だな。しかし問題はヴィトルだ。あいつが移籍するか残るかで大分戦略は変わってくる」

「確かに。移籍ならアントニーニョに手を伸ばす必要も出てくるでしょうし」

「そうなると、まだこの選手と決める事はできないか」


 シーズン途中における主力選手の移籍はチームの根幹を揺るがしかねない事件である。J1では毎年のように海外へ選手を送り出すクラブもあるが、尾道にそんな体力はない。そもそも選手の絶対数が少ないので選手1人における戦力値が大きいし、予算的にも戦力を余らせるという選択肢はない。とりあえず今日のミーティングはお開きとなった。


 翌日、スポーツ新聞に不穏な記事が掲載された。


「J1大宮、新外国人FW獲得へ 栃木サビオ尾道ヴィトルら候補か」


 それまでは雑誌などに「札幌が触手を伸ばしたという噂がある」程度にしか語られていなかった移籍問題。大体あの手の特集はやけに選手を移籍させたがるのでマネー特集と並んで好きではない企画なのだが、とにかく「ソース未定の噂話」から「新聞記事にもなった噂話」へとランクアップを果たした事だけは確実に言える。しかも大宮は札幌以上に資金力があるので、マネー対決となると圧倒的に不利なのは間違いない。


「おいおい見たか今日のスポーツ新聞を」

「おう見たで。ヴィトルが移籍するかも知れんとはなあ」

「でもまだ単なる噂だろう。候補とか言ってもただ単に記者が勝手に名前を書いただけだろ。妄想だよ妄想」

「でも今までは札幌って言われてたのに今度は大宮ですよ。リアル感ありますよ」

「確かになあ。じゃあやっぱり引き抜きとかそういう話自体はあるんじゃ」


 尾道のクラブハウスでもこの小さな記事の話題で持ちきりであった。プロである以上移籍があるのは仕方ない。しかし今の今まで仲間だと思っていた人間がある日を境に突然消え去ってしまう可能性があると言われると動揺をまったく抑えられるものではないのが人情である。


「おう、どうしたんだ、そんな集まって」

「あ、ヒデさんとゲンさんおはようございます」

「それが、この新聞に書いてるんですけど、ほら、ヴィトルが移籍するかもみたいな」


 秀吉と玄馬のベテラン2人は若い選手たちに言われるがまま小さな記事に目を通したがさしたる動揺も見せず、むしろ小さく笑う程に余裕綽々であった。


「なんだよ、この程度の記事に慌ててからに」

「まったくだ。移籍も解禁される時期なんだしこの程度の新聞辞令、珍しくもない」


 秀吉は言うまでもないが、玄馬も移籍の多いサッカー人生を送ってきた。1994年、最初に入団したクラブが磐田であったと覚えている者は少ない。その後、広島を経て浦和に在籍していた時期にレギュラー定着して代表にも選出、キャップも記録した。しかし玄馬がJ1において正GKの地位を確立していたのは2001年を中心にした前後合計3年ほどだけであった。


 浦和が強くなると同時に弾き出される形で当時J2で戦っていた仙台へ移籍。正GK格としてゴールマウスを守ったが昇格には至らず。2006年からは大分、名古屋、新潟といういずれもJ1のクラブにおける控えGKとしての役割を与えられた。尾道に移籍したのは2010年、水沢監督の熱心な勧誘が実っての事だった。


 このような経験のお陰で日本国内において強いクラブやそうでもないクラブ、金のあるクラブやそうでもないクラブ、色々と知る事が出来た。無論、移籍に関しても数多くの無責任な噂を目の当たりにしてきただけあって「この程度は珍しくない」という言葉にも説得力が生まれるものである。


「うーん、そんなもんですかねえ」

「そんなもんだよ。俺だって外国行ってる時には20回ぐらい日本復帰してたぜ」

「ああ分かる。俺も大阪に行かされたり千葉に行かされたり日本全国回ったわ。結局実際に入団会見が行われるまでは全部話半分だよ」

「そうそう。移籍秒読みだの監督が絶賛だの変な記事が出るってのは逆に注目されてるって事だからな。お前らもこういうデマの主人公になれるような選手を目指そうぜ」


 報道において大事なのは正確さではなくセンセーショナルさである。だから共産党の大物との会見を捏造したり珊瑚に傷を付けたりオーストラリア人が20年近く変態記事を垂れ流したりするような事件は後を絶たないのだ。まあ、移籍するとかしないとかはその辺に比べると罪の小さい、むしろ一喜一憂する楽しさを提供するエンターテイナーとしては一流の仕事であると言える。


「まあヒデさんやゲンさんにそう言われると大丈夫かなあって思ってしまいますよ」

「というかさ、じゃあ、本人に聞けばいいだろ」

「それもそうだな。俺はポルトガル語もできるし、聞きたい事があったら翻訳して伝えてみるぜ」

「そうか、まあヒデさんはブラジル行ってましたからね。お願いします」


 思い立ったが吉日と言う事で、秀吉らはヴィトルに尋ねることにした。ヴィトルは同郷、ブラジル人のモンテーロとともに何か雑談をしているようだったが強引に割り込むように話し始めた。以下は「」は日本語、『』はポルトガル語としする。


『よう、ヴィトル。今日の調子はどうだい?』

『おう、ヒデ。すこぶる良いよ。暑くなってきたからかな。ブラジルでも暑くなってからのほうが調子が良かったからな』

『こっちとは季節が反対だけど、それにも慣れたのか?』

『へっ、夏を2回味わえるんだから最高にハッピーだぜ』


 声をかけてきた秀吉に対して、普段とまったく変わりない調子で返事した。何かを隠しているようには思えない。


「じゃあ、この新聞を見てください。下のほう、ここの記事を」

『ん、何かあったのか。お、日本語で俺の名前が書かれているな。何って記事なんだ』

『お前が移籍するかもって話だ』

『えええええええ!! 俺が移籍? 冗談はよせよ、初耳だぜ』


 実際はポルトガル語で話しているので何と言ったかは秀吉とモンテーロしか分からなかったが、とにかくヴィトルが大いに驚いた事だけは口調だけでも十二分に伝わった。その後も話を続けたが、少なくともヴィトル本人に移籍の意思は一切なさそうだった。


『当たり前だろう。俺は去年怪我で駄目だったからな。今年はこの尾道で1年通じて結果を出さないとプロとして恥ずかしいだろ』

「じゃあやっぱりデマと」

『そりゃあな。俺達は最初からこんな馬鹿らしい記事を信じてなかったがサポーターはどう思うかな』

『おお、確かにそこは問題だな。ならば、何としても次の甲府戦で結果を残して尾道への忠誠を示さないとな』

「期待してるぜヴィトルよ。さあ、そろそろ練習の時間だ。グラウンドへ行こうか」

『ああ、そうしよう』


 新聞記者が適当にでっち上げた記事。しかしこんなものでさえ選手にとっては次へ向かうモチベーションとなりうるのだ。士気高く、充実した練習を積んで甲府戦に臨む事が出来た。そのメンバーは以下の通り。


スタメン

GK 20 宇佐野竜

DF  3 山吉貴則

DF  4 モンテーロ

DF  5 港滋光

DF 26 深田光平

MF  6 山田哲三

MF 21 橋本俊二

MF  7 今村友来

MF 24 御野輝

FW 11 ヴィトル

FW 16 有川貴義


ベンチ

GK  1 玄馬和幸

DF  2 長山集太

DF 12 開田伊多智

MF 13 中村純

MF 17 亀井智広

MF 19 茅野優真

FW 27 荒川秀吉


 橋本がボランチに入っているのは最近の急成長を見込んでの抜擢である。それに前所属の仙台では中盤での起用もよく見られたので開田よりも適応は早いだろうという読みもある。それと王秀民が体調不良訴えた事でベンチから外れたのもトピックスである。王の代わりに今日はセンスに定評のある亀井が久々のベンチ入りを果たしている。


 それにしても、当初は不安定だった今村を一列前に置く采配も、今では見事に適応したものだ。金田のような一瞬のひらめきによる驚きや美しさが輝くプレースタイルとは違い、緻密に計算されており、目の肥えた観客に「なるほど」と思わせるプレーをする。


「甲府は強いが、これから昇格争いをするためには勝たねばならない相手だ。今後、ウチに上を争う資格があるか、それが今日試されるのだ」


 試合直前のミーティングで水沢監督は選手たちに檄を入れた。敵地小瀬はまさに甲府のチームカラーである赤と青に染めつくされている。J2参戦当初は弱小不人気で消滅秒読みと言われた時期もあった。しかし地道な営業の結果J1にも参戦できるまでに力をつけた。サポーターの数や熱さも素晴らしい。一朝一夕にとはいかないが尾道もいずれは、という意味では憧れの先輩とも言える。しかし勝負の時はそんな感情は捨てて、勝利のみをただひたすら狙うだけである。

100文字コラム


ナックルボールを投げられると豪語する中村。試しに野球経験者の松井久保長山と対戦したところボコボコに打たれまくった。「単なるスローボールでは」という疑念に「今日は風が悪かった」としょっぱい言い訳に終始。

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