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浮動その1

 6月以来日本列島を蹂躙してきた梅雨前線もようやく生気を失ってきた7月11日、今日も変わらず尾道の選手たちは日々の練習に時を費やしていた。猛烈な勢いで気温が上昇しているがそんなものに負けてはいられない。


 J2も折り返し地点、現在どうにか9位につけている尾道だが、今季のJ2は混戦模様が続いている。例えば京都、1ヶ月前はやれ首位に立っただのこのまま自動昇格圏内に定着だの言われていたがそこから数試合は勝ちきれない試合が続き、いつの間にやら8位まで落ち込んでしまった。しかし前節で実に8試合ぶりとなる勝利を挙げた。ここから体勢を立て直せるか。


 逆に開幕当初は足踏みしていたもののようやく歯車が噛み合ってきたチームもある。例えば横浜F、序盤はまったく勝てずに早々と監督解任というゴタゴタを演じてしまうという醜態を晒した。しかし新監督の下でチームは団結を取り戻した。怒涛の6連勝を決めるなどして順位も上昇、気付いたら7位、首位とは勝ち点7しか離れておらず自動昇格すら十分に可能な位置まで登りつめてきた。


 さて尾道であるが、6月は京都と同様に苦しんだ。しかし心機一転、7月1日の徳島戦ではまず前半12分に細かいパス回しから最後はヴィトルが決めてまず1点。そして後半21分にはコーナーキックからDF橋本が彼にとってJ初ゴールとなるヘディングシュートを決めた。その後1点は取られたものの2対1で久々の勝利を挙げて、暗黒連敗街道をようやく脱出した。


「ここまで連敗が続いて本当に苦しかったけどずっと前を向く気持ちだけは持ち続けてきた。勝てなかった時期も応援してくれたサポーターのためにも今日は絶対に勝ちたかった」


 殊勲の橋本はヒーローインタビューにおいてこのように語った。これは橋本だけでなくチームの誰もが同じように考えていた、まさにチームの気持ちを代弁した言葉である。


 確かに苦しい日々だった。小原は今季絶望と診断され、金田も復帰は秋までかかるようでまだ全体練習にも復帰していない。選手間の意見の対立からチームがバラバラになりかけた事もある。しかし、終わってみれば悪い事ばかりではなかったとも言える。それまでのラインとは別の所から新たな希望の芽が顔を出しつつあるからだ。


 例えば橋本の存在などは「家貧しくして孝子出ず」の最たるものである。今年仙台から加入した当初はひょろりとしてどこか頼りないセンターバックと見られていた選手だったが、実戦経験を積む事によってパフォーマンスが見る見る向上していった。そしてついに試合を決める得点を決めるに至った。


 橋本の立場は決して安泰ではない。次節からはカードで出場停止だったモンテーロが戦線に復帰したのでまた控えに戻った。あくまで3番手、しかしそれまでは「頼りないバックアップ」だったものが今では「長身かつクレバーな動きを見せるセンターバック」と評価されるようになった。無論、今後はより積極的な意味で出番が増えてくるだろう。


 また、橋本の得点をアシストしたコーナーキックを蹴ったのは御野であった。元々尾道のプレースキックは金田に一任されていた。しかしその金田が試合に出られないとなると誰かが代わりに蹴らないといけないので代役を任じられたのだ。今は左なら今村、右なら御野と使い分けているが、これはこれで案外面白い。今村は精度、御野は鋭さのあるキックを蹴るので、テクニカルな金田とは異なる味が出ている。


 このように、チームは確実にレベルアップしてきている。徳島を破った勢いをそのままに次の第23節では難敵草津に3対0と快勝。前半7分に有川が豪快なミドルシュートを決めて先制。さらに前半43分には大胆なサイドチェンジから山吉が上げたクロスにまたも有川が頭で反応して2点目。後半36分には途中出場の秀吉が倒されて奪ったフリーキックを今村が直接叩き込んで止めとなる3点目を挙げた。


「なかなか点が取れなくて、チームも勝てずに悔しいし悩む時期が長かった。でも今日は久しぶりに安心して眠れそうです」


 晴れ晴れとした声で喜びをあらわにするエースストライカー有川の得点は実に5試合ぶりであった。取るべき人間が点を取るようになると俄然勢いが出てくるものである。尾道は再びシーズン序盤のような力を取り戻しつつある。


「ヒデさんおはようございます」

「おうトモキか、おはよう。昨日はナイスゴールだったな!」

「はい、ヒデさんがいい位置でもらってくれたんで」

「おいトモキ! あのフリーキックすげえぶれてたよな! あんなのいつ覚えたんだよ!」

「あっ、シュータさんおはようございます。まあ密かに練習してきたんで」


 クラブハウスでの会話もあの頃のようなにぎやかさを取り戻してきた。一時期はピリピリとしていたが、やはり和気藹々とした空気のほうが創造的なプレーも生まれやすくなるというものだ。馴れ合いではなく全員が同じ方向を向いた上で、その目標に向かって明るく進んでいけるチームが今の尾道である。


「よーし、全員揃ったな。日曜日はよくやってくれた。あの草津相手に完璧な試合運びだった。この流れのまま次の試合にも臨みたい」

「そうですね監督。今は試合直後なのに体が軽くて、早く次の試合したいですよ」

「俺も同じだぜ。次の試合が待ち遠しいわ」


 勝利で気分が良くなると疲れも感じなくなってくる。山吉や有川が次々と強気な発言をするが、これは根拠のない強がりなどではなく本心からの自信がにじみ出たものである。これも苦しい時期を乗り越えたから言える言葉たちである。しかし水沢監督はあくまでも慎重だ。彼らの勢いを制して、ゆっくりと次の試合について語り始めた。


「ははは、そう早まるな。さて、分かっているとは思うが次節の相手は甲府だ」

「甲府、あのストライカーデビがいる」

「うむ。デビは今のところ得点ランキングトップ独走だからな。守備陣にとっては苦労する事になるかも知れんぞ、港よ」

「確かにあいつはやっかいですね。しかしこのタイミングでモンテーロも復帰しますからね。どうにかして見せますよ」


 デビはかつて札幌や名古屋に所属して、J1でも十分に通用していた実力派ストライカーであった。しかし中東のクラブに引き抜かれて日本を去った。かつて、開幕当初のJリーグは「年金リーグ」などと揶揄されるほどに潤沢なマネーで有名な外国人選手を集めていたが、現在その役回りは中東と中国が担っている。デビもオイルマネーの誘惑に駆られてチームを移った。しかし結果から言うとそれは必ずしも正しい選択とは言えなかった。


 確かに金はある。しかし金さえあればサッカー選手にとって最高の幸せが保証されるというものではない。日本円で言うと2億円にもなる大型契約を結び、喜び勇んでカタールの地に立ったデビは間もなく絶望を知った。


 潤沢な資金があるはずなのになぜか給料が振り込まれていなかった。しかし移籍に関わったブローカーや代理人からは「早く金をよこせ」と催促される。妻はストーカー被害に逢うし、イスラムの戒律の問題もあって娯楽らしい娯楽もなかった。


「もう駄目、最悪。日本に戻りたい」


 その思いが通じたのが去年の夏であった。当時はJ1に所属していた甲府が残留の切り札として日本でも実績のあるデビをレンタル移籍で獲得したのだ。しかし彼がその真価を発揮するには半年という年月はあまりにも短かった。中東ではほとんど試合にも出られずに体のキレは鈍っており、実戦感覚を取り戻すだけで半年が過ぎていった。


 結局甲府は力及ばずJ2に降格してしまった。しかし今年、ようやく体が絞れてきたデビは覚醒。本来のパフォーマンスを発揮できればJ2クラスにおいて破格の実力者である事は言うまでもない。ここまで22試合に出場して17得点と、ストライカー健在をアピールしている。


 結論を言うとデビの中東移籍は遠回りだった。金だけあってもそれ以外は何もない世界は結局サッカー選手の魂を満たす事は出来ないのだ。デビだけでなくG大阪などでプレーしたジェアンドロがG大阪に復帰したり、新潟や浦和で高い得点力を見せていたエジムソンがF東京に移籍するなど一時期の中東移籍ラッシュからのゆり戻しが起きている。これも本当に輝ける場所を求めての結果と言えよう。


 しかしやはり、それまでは年俸数千万が関の山だったものが突如「ウチでは1億円以上払いますよ」と提示されたら、プロフェッショナルとして飛びつかないわけにはいかない。クラブとしても戦力のマイナスは痛いが移籍金で懐を潤す事が出来るので痛し痒しである。かくして被害を受ける選手は後を絶たない中東移籍である。


 なお、日本人選手は噂に上がった事はあるものの今のところ実際に中東のチームに引き抜かれた選手はいない。金以上に胡散臭い部分があると知っているからか。案外ワールドカップ予選などで「中東らしさ」を熟知しているのが良いのかも知れない。いや、同じアジアでも韓国人は割と中東移籍もあるのでそこは関係ないか。まあ、オイルマネーの行く末がどうなるかは今後も注視すべきポイントであろう。


 ちょっと話が逸れすぎた。何を言いたいかというと、尾道に所属するヴィトルにも移籍の誘いが来ているらしいと言う事だ。相手は中東、ではなくJ1の札幌である。札幌は今年J1に昇格したものの苦戦が続いている。最大の原因は怪我人が多すぎる事だが、外国人選手の不振も一因となっている。得点力も守備力も厳しいが、守備にはオーストラリア代表のジェイク・ウエストがいるので攻撃陣の補強を重点的に行おうとしている。そこで白羽の矢を立てたのが爆発的なスピードを持つヴィトルというわけだ。


 年齢はまだ若く、実績もそれほど派手ではないため年俸はかなり安い(実際に年俸は1000万以下である)が、ここまで7得点を奪っているなど実力は確かである。また、日本にフィットするか分からない新外国人よりもJ2とは言え日本でやれる事を示している選手のほうが安心できるという事情もある。


 しかし札幌は強化部長がブラジルに渡って新外国人を探しているという記事も出たばかりである。しかし実際の動きは報道を見るだけではまったくつかめない。今にも新しい外国人と契約しましたというニュースが飛び込んでくるかもしれない。7月、それはチームが揺れ動く時期に突入する時期でもある。

100文字コラム


夜のトレーニング室に悩ましげな吐息。けしからぬ輩かと色めきつも声の主は荒川だった。「マッサージしてただけだよ。変な声が出るのは歳を取った証拠なんだ」との言い分に同じくベテランの港や玄馬は深く頷いた。

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