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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2021 旅路の果て
327/334

最後の誕生日その4

 結局尾道と福岡、今シーズンのリーグ戦において爽やかなサプライズの風を吹かせた両チームによる対戦は0対0のスコアレスで最後のホイッスルを迎えた。


 やはりあのシーンが尾道最大のチャンスだった。


 ともあれ試合が終了したら観客は速やかに帰宅の準備を進めるのが自然な形。しかし今日の場合はいつもと比べて席に居着いたままの観客が多かった。それは取りも直さず、試合開始前やハーフタイムにこのような告知がなされていたからに他ならない。


「本日の試合終了後に、本日41歳の誕生日を迎えた荒川秀吉選手からの緊急メッセージがあります」


 それは前日まで一切流れてこなかった、まさしく突然の発表であった。とは言え本心から「一体何を発表するんだろう」と分かりかねているようなナイーブなファンはそれほど多くはなかった。


 逆に「ああ、いよいよか……」と、とは言え推測が外れると気まずいので口にはしないものの内心ではある種の覚悟さえ決めながらその時を待つ観客も多かった。季節と彼の年齢と近年の成績をイメージできればおのずとあるワードが浮かぶのは自然だからだ。


 というわけで試合が終わり、双方の選手や監督コーチ、そして審判団が一度芝生の上から退場してから改めて渦中の男はグラウンドに訪れた。上にベンチコートを羽織りつつも、つい数分前まで激闘を見せていた背番号27のユニフォームは汗と泥がこびりついたままである。


 主役の登場に秋風を切り裂きヒートアップする観客席。しかし開口一番に発された言葉は誰も予想していないものであった。


「……えー、本日の試合は申し訳ございませんでした。私の実力不足でチャンスを決めきれず、皆様に勝利という最大の興奮を届ける事ができませんでした」


 そうやって頭を下げる四十路男の姿は、ただでさえ大柄とは呼べない肉体を一層小さく見せた。先程までユニフォーム姿で躍動していた、全く同じピッチでの出来事とは思えないほどの変貌ぶりが逆に選手としての異能を際立てているようであった。


「このような状況にも関わらずサッカーへの、尾道への愛を貫いて万全の備えをしていただいた上で観戦に訪れてくださった皆様、あなた達のおかげで私達はここにあると強く深い感謝を申し上げます。それで、えー、すみません。一応今日のために色々と考えてはいたんですが、さっき試合に出場したので全部飛んでしまいました。ですのでここからは今の私の率直な気持ちだけを述べたいと思います」


 サッカーに対して実直でいられるのはまずは自分に対して実直であったから。そういう人となりも、古くからのファンであるほど理解しているものだ。それだけ長い間をかけて、京都生まれの荒川秀吉という男がこの広島県、尾道に馴染んだ証明であろう。


「先程もアナウンスがありましたように、私荒川秀吉は今日11月7日をもって41歳となりました。まさかこんな年齢までこうしてユニフォームを身に纏い、それを生業とし続ける人生を歩めるとは夢にも思っていませんでした。本当に幸せな道を歩ませてもらいました。しかしそれも今年限り。ええ、つまり今シーズン終了を以てプロサッカー選手としての現役生活を終える事を決断致しました」


 こう言ったところでしばらくの沈黙が場を支配した。ああ、やはりそうだったか。年齢的や今年の成績からしてももしやとは思っていたが、本当にそう告げられると……。悲しさと納得感とがないまぜになったため息が北風とともに吹き荒れた。


「ええ、まずはいつ決断したかと申しますと、本当のところはここ3年ほどは常にその言葉は私の背中に纏い付いていました。一昨年はなかなかコンディションを整えられず試合出場数も減って、チームにも今は亡きヒース監督にも迷惑をかけてしまいました。ただそのオフにシゲさんが監督に就任したので、その港監督の力になりたいと心から願いました」


 港が秀吉が尾道で出会ったチームメイトであり理解者であり友人であり、そして何より人間的に尊敬すべき先輩であった。かつて同じユニフォームを纏った同志の監督就任に燃えないはずもなく、その時点においては引退の二文字は完全に意識の外へと消え去っていたのは間違いなかった。


「それで去年ですが、意欲は高かったもののなかなか肉体が追いつかず、チームも不本意な成績に終わりました。切りのいい2020年、40歳にもなりましたしいよいよ潮時かと、そっちに大きく傾いた瞬間も確かにありました。しかしテツさんが先に引退を決められて、その時に『後は任せた』と言われました。港監督を支えるというだけでなくその約束のためにも、それと私事ではありますが結婚して子供も授かりました。その大陽と紫陽のためにももう1年、しかも4チーム降格という厳しいシーズンになるとは最初から分かっていましたし、尾道のためにやれる事がほんの少しでもあるならば全てを出し切りたい。もはや残っているのはそういう気持ちだけでした」


 平成時代の横綱若乃花は引退の際に『体力を補う気力が限界に達した』と口にした。なんと真に迫る言葉であろうか。秀吉もまた恵まれたフィジカルとは言われない体格の持ち主であり、激しい戦いの中で20代の終わりにはとっくに満身創痍だった。それが30代の壁を超えて41歳まで戦い続けられたのはなぜか。その答えの主観的な一端がここに示されていた。


「そして迎えた今シーズン、とは言うものの肉体と感覚のズレは大きくなる一方で、やはりあまり戦力にはなれませんでした。それでも見てください、今の成績を。開幕前、それはもう降格候補筆頭だの色々言われました。しかし今やそのような予想は完全に覆されました」


 それまでは比較的硬い表情だったものがここで急に企みを成功させた子供のような笑みを浮かべながら語っていた。降格候補、つまり尾道は弱いから負け続けるだろうと言われて悔しくないはずもないが、異議申し立ては口ではなくプレーでするしかない。そしてそれが成ったのだから、大人になった秀吉の中にずっと潜んでいた少年が笑わずにはいられなかったのだ。


「それで肩の荷が下りたというものありますし、何より港監督の目指すサッカーの正しさ素晴らしさ、そしてその理想を体現する若く勇ましいチームメイトの優秀さはこの1年で存分に示せたでしょう。私はそれを嬉しく誇りに感じて、それと同時にその視線はもはや現役選手のそれではないなと気付いた時、ここで身を引くべきだと悟りました。それが10月の事でした」


 特に40歳を過ぎてからは、もはや自分がどうこうという考えがサッカーにおいては消えていった。日常生活ではまだまだ子供にどう接するべきかなど迷いの中にいる中で、なるほど不惑とはこれかと思える数少ない事例がこれであった。


「こうして終わりが見え始めてから1ヶ月、昔を思い出す事も多くなりました。それで改めて感じましたが、私は本当に仲間に恵まれた幸運な人間でした。まず私がプロ生活を始めたのが横浜でした。レベルが違いすぎて腐りかけていた自分を叱咤激励してくれたのが現在SDの佐藤幸仁さんでした。佐藤さんがいなければ私の現役生活はおそらく3年も続かなかったでしょう」


 最初は同じユニフォームを纏う仲間として、それから指導者と選手の間柄を経て、現在はフロントと選手の関係で繋がり続けている。自分のサッカー人生において最大の幸運がこれであると、人生を思い返すたびに秀吉は再確認してきた。


「それから20代の頃は色々なところへ行きました。疾風怒濤のような日々でしたが、平穏よりも常に叩かれ続けたいと、まるで空白を埋めるように移籍ばかり繰り返していました。しかし31歳の時、当時コーチを務められていた佐藤さんに声をかけていただいてこの尾道に来ました。その時は果てしない旅路の中で偶然日本にも訪れたという程度の意識でした。一つのチームに定着する生き方を忘れていたからです。それがまさかこんなに長い付き合いになるとは……。でも今はこれ以外の人生なんてとても考えられません」


 結果的に走り続けた20代、尾道という帰るべき家を見つけて立ち止まった30代と分離した秀吉のサッカー人生。確かに尾道でしか出会えなかった光景も数多い。しかし走り続けた先にしか見られない光景も確かに存在していた。


 どちらかだけが正しかったというものではなく、しかしどちらも体験できる選手は数少ない。その意味においても秀吉はまさしく幸運に恵まれた男であった。


「アソシエーションフットボール、この国においてはより簡潔にサッカーと呼ばれるこの競技の中において、私はゴールを奪う役割を担ってきました。しかし私は、私一人の力でゴールを奪った記憶は全くありません。守備陣がしっかり守り抜き、ドリブルで突破したりパスを供給してくれる仲間がいてようやく存在意義が生まれるのに、そうやってみんなが作ってくれた千載一遇のチャンスを23年のサッカー人生の中で何度も何度もぶち壊しまくってきました。そして今日もまた……」


 サッカーに限らず多くの競技において一流のアスリートは成功の場面よりも失敗の場面ばかりを覚えているものだと言うが、秀吉もまたその例に漏れない男だった。しかしその悔しさがゴールゲッターとしての感覚を研ぎ澄ます砥石となってきたのもまた真実である。


「それでも後悔の中でくじけず、ほんの一つでも決めれば称賛と生きる糧を得られる。その繰り返しでここまで生き永らえてきました。時間いっぱい戦い抜いて0対0で終了、なんて試合結果がここまで頻発する球技はない以上、その中において得点を司るストライカーほどミスが許されるポジションは他にありません。私の誇りは何度失敗しても諦めずに前を向き続けられた事です。そんな私のような人間にとって、ストライカーとはまさしく天職でした」


 ストライカーとはいかにも華やかな存在に思えるが、本質的には戦闘の最前線である以上は泥にまみれてこそのポジション。それもまたかなりアナクロな考えだとは理解しつつも、それ以外の道がないと定めた以上はそれを徹底できるのもまた才能の一つであった。


「ともあれまだ今シーズンは終了していません。私も一選手として残された時間を完全に燃焼すべく残り約1ヶ月、これからも精進を続けて参ります。最後にもう一度、本日は貴重な休日を過ごすにあたって様々な可能性の中からあえてこのスタジアムに訪れるという選択肢を選んでくださった皆様へ、改めて感謝を申し上げます。そして来年の尾道は今年よりももっと強く、魅力的で華やかなサッカーを披露してくれるのは間違いありません。そしてその雄姿をより多くの皆様へ捧げるためにもコロナ退散を祈りつつ、老人の長話を終わらせていただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました」


 全てを言い終えて深々と頭を下げた男の背中に突き刺さったのは、2年ぶりに響き渡る歌声であった。


 本来聴こえてはならないエールが風に乗って耳へと届いたので、祝福の主はかえって動揺していた。「このご時世にそれは駄目なんだ」という良識と、それでもやはりこみ上げてくるどうしようもないほどの嬉しさに潰されたような苦笑いを浮かべながら頭を下げた。


 無論観客もみんないい大人なのでそれがルール違反だと頭では理解している。しかしそんな理性だけで人間性を抑え込めるような類の人間がなぜ毎度スタジアムに訪れて自分とは何の関係もない赤の他人の応援に人生を捧げられるだろうか。


 ヒートアップする情熱が理性を焼きちぎり、そのうねりが大きな波となって叫びに変わる。後からリーグに怒られたが、あの時はそうせずにはいられなかった。こうして黄金色に輝く実りの秋は終わり、今年も冬が訪れた。

100文字コラム


荒川が珍しく政治の話で悩んでいた。というのも自民党岸田総裁は広島県、立憲民主党泉代表は京都府とともに縁のある地域から選出されているからだ。「両方栄えればいいんだけど対決は運命だろうしね」と悲しげな瞳。

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