最後の誕生日その2
午後2時に始まった試合を、秀吉は自軍ベンチというどの観客よりも近い位置で眺めていた。
幸い今日は快晴で、秋晴れの爽やかな空が真新しいスタジアムの中央に鎮座するグリーンのピッチに映えてキラキラと輝いているようだ。
そして芝生の周辺を取り巻く観客席には許されるいっぱいの鼓動が連なっている。去年から猛威を奮ってきたコロナウイルス、ワクチン接種が進んだとかマスクなどの対策が知れ渡った成果なのか、一時期と比べると随分大人しくなってきたがまだまだ油断大敵。
アメリカやヨーロッパなど海外においては今がまさにピークの一つを形作っているのだから、日本だっていつそれが訪れるかは分からない。そう言いながら「あれ、もしかしてコロナってすでに収まってる?」と気付く瞬間、マスクから解放されて今まで通りスタジアムに響くべき音である歓声が再び響き渡るだろう。
言うまでもないがそれがいつになるかもまた分からない。とりあえず今はまだ早い事だけは確かだ。しかしいつかきっとそれは訪れる。それだけは間違いない真実なのだ。そうやって先の見えない未来と過去の中間を、人は今ひたすらに駆け抜けている。希望を胸の奥に秘め。
思えば尾道の新スタジアムは去年完成して今年から運用を開始されたので、本来スタジアムにおいてイレギュラーな状態でしか使用された事のない、かわいそうな施設である。来年は観客数の制限が緩和されるとも言われているが、果たしてどうなるだろうか。
少なくとも現在は声出し応援の自重を求められ、観客は律儀にも概ねそれを守っている。まさしく自制心の賜物だ。だがそうやって声を封じられてもなお、漂ってくる音は確かに存在する。
あわやという場面では期待のざわめき、攻められた時にはスリリングなざわめき。一つ一つの風の名前は同じでも、確かなニュアンスの違いは存外明確に感じられるものだ。
こうやってサッカー以外の部分にも耳を傾けられるようになったのも、全ては秀吉がこうやって過ごす日々があと僅かになったからである。
それまではゲームに集中していたし、観客の声なんてものはあって当然の環境音のようなものだったので特別に注意を払う事などなかった。それがもう、今や終わりの時を自覚しているからこそ、取りこぼした感傷をなくしていきたいという欲望が目を耳を開かせたのだ。
しかしその覚醒を間もなく秀吉は自分の明確な意思に基づいて閉ざした。まだ早い。来年になればいくらでもやれるようになるのだから、感傷に浸るのはもう少し後でなければならない。
とは言え、この至近距離から今の尾道のサッカーを眺められるのは今ぐらいだから……、という誘惑に時々堕ちてしまいそうにもなる。そのたびに「俺はプロサッカー選手なんだ」と心を震わせて正気を保っている。
そもそも観客に自制心を求めておいて、本来の主役である選手が我慢できませんでしたではさすがに情けなさすぎる、申し訳が立たないだろう。
幸い尾道には真面目な選手が多かったし、遊ぼうにもそれほど派手に遊べるところもなかったのでみんな真面目にサッカーと感染対策に専念した。それでも数人の感染者が出たのだが、やれる事はやった上なので必要以上に責め立てる必要もない。
とにかく世界がどんなに揺れ動いても、サッカーというぶれない軸を持って生きていけたからこそ今もある。そういうストイックな生き方を、選手として引退してからも持ち続けなければならないと秀吉はしみじみと感じていた。
そんな心境の中で今目の前で繰り広げられているバトルを眺めると、やっぱりとても面白いものだ。
まず尾道のオフェンスで重要な役割を果たしているのは桂城の冷静なボール捌きだ。以前在籍していた時はもっと前へ前へと突っかかっていくタイプの強気なゲームメイクが特徴だった。運動量も豊富でガンガンドリブルも仕掛けて、しかし時にリズムが単調になりがちという欠点も抱えていた。
今の桂城は鋭さ以上にクレバーなパスが武器の選手となっている。30歳を超えてスピードのピークが過ぎたのも事実だが、それが全てではない。今でも時々見せる突破の鋭さは健在だからだ。しかしかつてのメインウエポンをここぞの場面でしか使わない、いわば伝家の宝刀となってもなお新たな魅力が際立っているからこそ今こうして使われているのだ。
そんな桂城からのパスを受けたのは、これまた途中加入のケサダだ。この男の槍のような突破力も今までの尾道に足りなかったもので、他では替えが効かない唯一無二の個性となっている。
過去において赤と緑のユニフォームを長らく纏っていた桂城と違い全くの新参者、しかも日本どころか海外すら初めてなので未だにチーム戦術を完全に消化しているとは言い難い。しかしその乱れた調和にこそ新たなる秩序がある。そういう意味でもケサダという存在は港サッカーをより魅力的に高めていた。
しかし相手の福岡もさる者。さすがに今シーズン昇格したばかりなので当然降格候補として見られていたが、その悪評を実力で吹き飛ばし現在は1桁順位につけている。その自信がみなぎっているようなサッカーで尾道を受け止めている。
しかし尾道とて昨年は17位で、今年は厳しいと言われてきたものを覆した同士。まさに福岡とは順位を争っている最中という事もあり、まさにがっぷり四つの組み合いと言うべき展開だった。
確かに客観的には優勝争いにも残留争いにも関わらない一戦。結果を見ても前半終了時点で0対0、つまり一度たりともゴールネットが揺れる事なく試合の半分を終えた。しかしこれを消化試合などという無気力なワードで片付けるにはあまりにももったいない、それほどまでに満足感のある展開だった。
特筆すべき事柄は特にない試合でも、思い立ってスタジアムに足を運ぶ小さな勇気を持つだけで簡単にこれほど良質なエンターテインメントを披露できる組織がこの島国に何十も存在しているのだから、日本サッカーも大いに成長したものだ。
サッカーという存在自体はまさしくスポーツであるが、プロサッカーはエンターテインメントの興行である。そういう観点で言うと秀吉が加入した頃の尾道はまさしく二流のエンターテイナー集団に過ぎなかった。
サッカーの力量においても金田や亀井といったテクニックのある選手はフィジカルなどに欠陥があり、野口や茅野といった身体能力に優れた選手は細やかな技術が足りていなかった。秀吉もまた当時は怪我の後遺症もあって実力をフルタイムで発揮できない半端な存在。
秀吉加入からこのクラブは進歩していったのは事実だ。加入する選手のレベルは年々向上していき、既存の選手も総合力を高めていった。それで順位も上がって最高峰の舞台に至ったのだが、その道程は全てが必然によるものであった。
思えばスタジアムも練習場も10年前とは比べ物にならない、一流に足る空間へと変貌を遂げた。そんな新しいグラウンドいっぱいにチアリーディングチームがオリジナルの楽曲を歌い踊っている事だろう。
あの頃は遠い夢だと思っていた光景がこうして実現しているのは魔法の力などではなく選手たちが、首脳陣が、フロントが、そしてファンも含めたジェミルダート尾道に携わる全ての人達が一歩一歩前へ前へと進んで行った。生まれも育ちも違う一人一人が寄り添うようにして、まるで一つの大いなる生命であるかのように。
秀吉はそうやって10年間も、このクラブと歩調を合わせてきた。自分より前から今に至るまでそれを続けている人もいる。秀吉より後から加わり早くにいなくなった人もいる。大活躍した人もいる。不本意な関わり方しかできなかった人もいる。その全てが果てる事のないキャンバスに広がるクラブの歴史という、永遠に未完の絵画を彩る点描となるのだ。
「後半途中から出番があるだろうからしっかり準備しておけよ。エル、クマ、そしてヒデ」
自分と20歳ほども違う仲間と同じ扱いでいられるのももう残り何試合だろうか。そしてその中で出番があるのはどれほどか。今日が最後だとしても何の不思議もない。だからこそ、後悔しようがないほどの明快な返事で指揮官に応えた。
「はい監督! お任せください」
100文字コラム
京都へ期限付き移籍中の山崎弟は昇格へ向かうチームの中で着実に出番を得てここまで6得点と結果も残している。「今は先の話より京都で昇格する事だけ考えている」と語る顔には確かな充実感が滲む。帰還が楽しみだ。




