古の軌跡'19
19年
4 八幡銀仁郎 19-
当時24歳。高卒から6年間二部リーグで揉まれた実戦的ボランチ。テクニックはそれほどでもないが抜群のスタミナをふんだんに駆使した粘り強いディフェンスはいかにも尾道のチームカラーに合致しており、狙い通りにポジションを確保した。
16 宮島傑 19-
当時22歳。豊富な運動量と献身的なプレーが持ち味のサイドハーフ。現在は右サイドを主戦場に激しいポジション争いを繰り広げている。
22 リンドマン 19
当時20歳。この年から外国人枠が拡大したので獲得した高さに定評のある選手。ただ技術的にはまだまだ荒削りでほとんど試合出場もなかった。こういう選手は晩成のケースも多いので、尾道では開花しなかったものの今後の展開に期待したい。
23 長屋宇宙 19-
当時18歳。独特のセンスを誇るテクニシャン。入団当初は運動量の不安があったが徐々に克服されつつある。現在は実戦経験を積むために山口へ育成型の期限付き移籍中。
25 潘海斗 19-
当時24歳。威圧感あふれる体格が持ち味のGK。GK陣に離脱が相次いだためシーズン途中に緊急獲得したところ大奮闘し、それまで盤石の守護神だった種部と激しいポジション争いを繰り広げた。その種部が抜けた今シーズンは当初からレギュラーとして計算されたが、ここに来てより若いウェインの猛追を受けている。
29 小石川龍馬 19-
当時23歳。センターバックとしてはやや小柄ながらもスピード感のあるプレーが出色の選手。1年目は控えメインだったが港監督に交代してからはレギュラーに定着、しかしそのシーズン途中に全治6ヶ月の重傷を負い最近ようやく実戦復帰を果たした。ポジションもまた振り出しからとなるが、持ち味を活かして奪還といきたい。
30 添島正成 19-20
当時28歳。小気味良いスピードとテクニックが持ち味のオフェンシブな選手で、顔の下半分をびっしり覆うヒゲもインパクト大だった。ヒース体制では安定したプレーを披露したがフォーメーションが変わった港体制ではポジションを失い結局途中移籍。
34 ボイェ 19-20
当時22歳。日本ではまだ数の少ないセネガル人選手。抜群の身体能力が武器だが当初はプレーが雑な上に守備意識が低かったので、規律を重視するヒース監督からの評価は低かった。しかし港コーチの叱咤激励で少しずつ意識を変えていき、最終的には左サイドのポジションを確保した。
そして港が監督に就任した20年はセンターバックでもプレーするなど意外な引き出しの多さも見せつけた。もちろん今年も戦力として期待していたが広島に移籍。
38 加藤万多 19-
当時17歳。ユース出身の選手でディフェンシブなポジションならどこでもこなすユーティリティプレーヤー。プロレベルではまだまだフィジカルなど足りない部分も多く、現在は富山へ育成型期限付き移籍中。
39 パブロ・セラーノ 19-21
当時31歳。元アルゼンチン代表で、相手GKの手首をへし折ったとも言われる強烈なシュート力を武器にスペインで得点王に輝くなどまさしく世界的ストライカーだった。尾道がついにこれほどの選手を獲得する時代になったのかと誰もが驚嘆したが、ここ数年は怪我もあり低迷していただけあって加入当初は動きの鈍さが目立っていた。
しかしクラブの総力を上げた再生計画を練り上げ、それに対してセラーノも極めて真面目に取り組んでくれたので20年はその実力を大いに披露。今年はコロナによる入国制限などでコンディション調整に時間がかかった中でも抜群の存在感を見せて、シーズン途中にイタリアへ移籍。
大物と呼ばれる存在であっても、いやむしろだからこそサッカーに対する態度は誰よりも真摯だった。時折見せたスーパーゴールよりもそのような精神性こそ、彼が尾道に残した最大の遺産であろう。垰ら若手はそれを受け継ぎ、クラブ全体の文化としていきたい。
19年まとめ
わずか2年前の出来事でありながら、特に外国人選手に関しては多くのドラマが生まれている。ボイェにしろセラーノにしろ、当初はそれぞれに問題点を抱えており期待通りとはいかなかった。しかしチームの中で確かな成長を見せて最終的には欠かせない戦力となり、そして疾風の如く去っていったが確かに心の中に何かを残していった。外国人選手を助っ人などと呼ぶ風習は、まさしくこのような姿を表現したものであろう。
もちろん日本人選手もそれぞれ欠かせない存在となっている。特に尾道生え抜きであるかのような泥臭い存在感を見せる八幡と緊急補強からレギュラーにまで上り詰めた潘は、移籍によるポジション配分が成功した一例であろう。
また高卒ルーキーの長屋やユースの加藤は現在育成型の期限付き移籍中。彼らが今後尾道で主力にまで成長するのか、別の未来へ進むのかは現時点では誰にも分からないが、今はただ目の前の道をひたすら進むのが正しい生き方ともなろう。セラーノらがそうして生きてきたように。
この次の2020年には山田が引退してその翌年には荒川も尾道のユニフォームを脱ぐ事になるが、かつてこんな人がいたと、それだけをただ言い伝えるだけでは単なる事実の羅列に過ぎず、そんな数行で終わる程度の文章で終わらせるなら彼らが在籍した日々は死んだも同然だ。
例えばセラーノが尾道に在籍していたとは今後も文献を調べれば簡単に出てくる。しかし彼が尾道でどう在ったかを肌で知った男たちがその遺産を実践する事で継承し、それを次の後輩にも拡散し続ける事で初めて歴史が単なる記録の羅列ではない、充実感のある重み、つまりは意味をもってくるのではないか。どうせ生きるならかくありたいものだ。




