古の軌跡'17
17年
監督 竹島良吾 17
当時45歳。現役時代は得点感覚に優れたストライカーだったが引退後は半分バラエティタレントのような存在だっただけに、当時からしても知名度だけで監督就任させたのかと囁かれた。サッカー観としてはクラシカルなブラジルスタイルの信奉者で、攻撃的かつテクニカルな若手を積極的に抜擢した。
世界に羽ばたいたトリニダードが事あるごとに「若かった自分を信じて使い続けた素晴らしい指導者」と褒め称えているため世界的には育成に長けた名伯楽と見られている。確かに彼ほどの圧倒的才能の持ち主からすると自分に自由を与え好きにやらせてくれた監督は天使同然であっただろう。
良くも悪くもそれまでの尾道の堅実なスタイルとは異なる華やかなタイプで、勢いがある時はなかなか愉快なサッカーを展開していたが、一度崩れるとまったく立て直しが出来ず途中退任となった。結局は指導者としての経験不足で、時間をかければ意外と成長するかも知れないが、芸能界に舞い戻り自ら無能監督とネタにしている現状では望み薄か。
監督 ドン・ヒース 17-19
当時57歳。本名ドナルド・ウィリアム・ヒース。竹島監督が退任し、繋ぎの佐藤監督を経て7月に就任したイギリス人指揮官。残留争いを勝ち抜くための現実的なサッカーに加えて鬼のように厳格な指導体制を敷いて、それに反発する選手はトリニダードほど明確に傑出した実力者であろうと干すという非情なまでの厳しさを見せてチームをまとめた。
翌年からは多少軟化したものの、最後までチームの家長たる頑固親父の姿をグラウンドでは貫き通した。プライベートでは奥方に頭が上がらないシャイな性格だったが、それを知る者は決して多くない。
攻守のバランスを重視した堅実なサッカーは時につまらないと批判されつつも着実に残留という任務を達成し続けた。結局のところ奇を衒った竹島監督よりも厳しく真面目なヒース監督のほうが尾道には合っているのだろう。18年にはクラブ史上最高順位を記録し、19年に退任と同時に監督業も引退した。今年初めにコロナウイルスで逝去。
コーチ ダヴィド 17
当時55歳。現役時代は竹島のチームメイトで、エレガントなセンターバックとして大活躍した。ヘッドコーチ格としてディフェンスを担当すると見られたがほとんど指導はしておらず、竹島監督の飲み友達とも揶揄された。守備はまったく整備されず低迷の原因となり、途中退団。現在は母国ブラジルでトウモロコシ農園を経営している。
コーチ フェレイラ 17
当時40歳。ブラジル人のフィジカルコーチで、基本的には緩めのメニューを組むタイプだった。竹島監督退任に伴いクラブを去り、現在はボリビアのクラブに所属している。
コーチ アーサー・セントジョン 17-19
当時62歳。スラリとした長身に知性を感じさせる風貌から、当初は彼こそ監督だと間違われたほどであった。現場でも直接指導するのはセントジョンで、ヒースは遅れてグラウンドに登場し一言二言喋るのみといったシーンは日常だった。しかし「監督として最も必要な能力をドンは持っているが私は持っていない」と、あくまでも監督を補佐するナンバー2の立場に徹した。ヒース監督とともに退任し、現在は故郷のオックスフォードで少年サッカーの指導をしている。
4 鄭先珍 17-18
当時30歳。守備陣の弱さを見てシーズン途中に緊急補強したセンターバック。強靭なフィジカルが武器という前評判だったが、それを差し置いても明らかに太り過ぎで、怪我も多く戦力にならなかった。慌てて結んだ契約は選手優位だったらしく翌年も残留したが状況は相変わらずで、売ろうにも引き取り手がなく結局契約満了まで在籍した。韓国二部のクラブに加入も翌年限りで引退。現在はIT企業に勤めているらしい。泥縄補強はやめようねという見本。
5 池山大心 17-18
当時32歳。長年神戸に在籍して貴重な控えとして活躍した守備的ユーティリティプレーヤー。ポジション登録はMFだったが尾道ではセンターバックとして期待され、監督交代が連発する中で傑出した個性はないものの何でもそれなりにこなす利便性を買われて17年はフル出場。18年は控えに落ち着きオフに退団。移籍した福岡でも貴重なバックアップとしてチームを支えて現在も現役。
8 トリニダード 17
当時17歳。とにかく凄い選手だった。本来は移籍制限に引っかかる選手だったものを裏技で獲得という経緯もかなりやばいが、実力も唯我独尊な性格も尾道においては突き抜けすぎていた。才能を信じる竹島監督は自由に任せ、規律を重んじるヒース監督はそれを認めなかった。結局1年で海外へと去っていったが、それすらも長過ぎたかも知れない。今やエクアドルが誇る世界的スターだが衝突と移籍を繰り返す問題児としても名を馳せている。
13 奈古一平 17-
当時22歳。通称ナコちゃん。ちんちくりんなファニーフェイスに中学生並の小柄な体格、そして奇妙な言動はもはや尾道のマスコットのようなものだ。本来のマスコットであるジェミーちゃんとルディーくんももっと目立たないと。選手としては切れ味鋭いドリブラーで、ヒース監督になってから重用された。去年一昨年は怪我のため低迷したが今シーズンは持ち前のシャープさが復活して主力に舞い戻った。新スタジアム初ゴールを決めたラッキーボーイでもある。
15 円山青朗 17-19
当時27歳。荒々しいスライディングが代名詞のハードなディフェンダー。17年はセンターバックのレギュラーを獲得。翌年以降は怪我もありやや出番が減ったものの、クリーンなディフェンスを会得し以前のダーティーなイメージはかなり払拭された。19年限りで退団し現在は横浜Cで奮闘中。
17 日川周 17
当時21歳。運動量豊富なサイドバックでポスト結木の一番手と期待されたがチームの混乱に翻弄されてポジションを掴みきれなかった。1年で湘南に復帰し、今シーズンから鳥栖へ移籍。現在の活躍を見ても実力は十分だったと改めて感じさせる。タイミングが悪かった。
32 山田多摩男 17-20
当時24歳。シーズン途中に獲得したゴールキーパー。三部でも控えだったため「金の無駄」「鄭に続く泥縄補強」と叩かれたが、練習でも一番大きな声を出してチームを鼓舞し続けた。正直実力的には平凡だったが、尾道には欠かせないムードメーカーとして4シーズン在籍して今年から宮崎に所属。レギュラーとして頑張っている。
33 池角斌生 17-19,21-
当時18歳。ユース出身のテクニック抜群なストライカー。当初はフィジカルが弱くて出番を得られなかったが期限付き移籍の期間を経て今シーズン尾道に帰還したら随分たくましくなっていた。ライバルは多いので日々競争だが、きっかけさえあれば伸びてきそうな存在。
35 サイード 17
当時20歳。日本では珍しい中東オマーン出身選手。荒削りだがスピード抜群で、リーグ戦ではあまり出番がなかったが天皇杯では持ち前の突破力を発揮して決勝進出の原動力となった。1年で退団し現在はカタールでプレーしている。代表にも選ばれた。
36 中原城吾 17-19
当時37歳。かつては日本サッカー界最高の天才とも称された男。途中補強としては最大のインパクトを持つビッグネームで、実際のプレーでもそのテクニックはいささかたりとも錆びついておらず、特に同じく大ベテランの荒川とのコンビネーションは二人にしか見えないものが見えており魔法のようだった。19年限りで退団した際はいよいよ引退かと騒がれたが、かつて尾道のライバル的存在だった豊橋のクラブに移籍するなどまだまだ情熱に衰えなし。
17年まとめ
混乱。このシーズンに関してはこの一言で十分だろう。タイプが全く異なる3人もの監督が立て続けに就任する状態でよく残留できたなとかえって感心するほどだ。この監督人事に象徴されるフロントのゴタゴタに伴い、選手も例えば竹島体制ではよく出場していた成田がそれ以降は出番を失ったり、その頃は一顧だにされなかった讃良奈古西東といった選手が監督交代以降は使われるようになったりと出入りが激しかった。
また成績低迷を打破するための緊急補強も連発され、そこで中原など抜群の存在感を見せた選手を獲得成功という成果もあったが金をドブに捨てたと言われても仕方のない失敗もあった。ともあれ最終的に残留という結果を手繰り寄せたのはクラブが全力で戦ったがゆえである。時には見当違いの方向へ突っ走っても、その足取りに妥協はなかったからこそどうにか正解へと辿り着けたのだろう。
そんな年に加入した選手だがチャンスに恵まれていたとも考えられるわけで、池山と円山がセンターバックを組んだり、奈古が台頭したりと即戦力的に活躍してくれた選手が多かった。逆に日川は環境のせいで実力をフルに発揮しきれなかったのがもったいない。なおトリニダードは世界中のどんなクラブでも制御不能なので考慮しないものとする。




