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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2021 旅路の果て
312/334

陰陽

 6月の声を聞いた途端に太陽が唸りを上げ始めた。夏の強い日差しが肌の色を漆黒に染め上げる頃、秀吉と小早の子である大陽と紫陽は1歳の誕生日を迎えた。


 何もかもが初めての日々を気づけばもう365回も通り抜けて、それぞれをどうにか形にしてきた成果がこの「ママ」「ブーブー」といった言葉達だ。今はこの程度しか話せない。でも本当は分かっている。この世界にはもっと多くの言葉が広がっているなんて。ただそれを示す術を持たないだけなのだ、今は。


 部屋の白い壁に向けて手を広げ、細く短い足を伸ばしてすっくと立ち上がるもののそこから進む事はできない、今は。しかし決して遠くない未来に、今は肉体を支えるだけで精一杯だった両足を器用に前後させて前へ進む時が来る。


 1年で人間とはここまで変わるものなんだ。秀吉が過ごしてきた40年間で培った経験は、ある程度人生の目先が利くようになったと言うか「これをすればこうなる」とか見えてきたつもりだった。しかしそれはとんだ思い上がりで、今こんなにも新鮮な気持ちに出会えるんだからやっぱり人生って素敵だなと改めて感謝していた。


 しかしそんな我が子達のバースデイを秀吉はただ穏やかな気持ちで祝ったり感謝したりするだけではいられなかった。というのもこの6月9日に、試合の日程が組み込まれていたからだ。


 という事で5月終了時点でリーグ戦10位という中位につけている我らがジェミルダート尾道。今までは世代別代表はともかくフル代表に関しては基本的に他人事として処理していたのだが、今回は野口が選出されたためテレビのコンテンツの一つとして適当に処理するわけにはいかない。


 なお世代別代表のほうにも森川が選出されているので、先日ジャマイカ代表が来日不能となったため緊急で実施された兄弟対決においては、本来同じユニフォームを纏うべき両者が対戦相手として対峙する珍しい光景が展開されるに至った。


 ところでそんな森川だが、どうやら8月頃には海外へと移籍する公算が大きくなっている。今や尾道不動のボランチとして攻守において重要な役割を果たしているだけに、ここで抜けられるのはダメージだが世界的潮流の前には棹さすしかないのだろうか。


 更にパブロ・セラーノに至っては、6月上旬にイタリア二部のクラブへ移籍するために退団すると発表されて会見も実施された。


 かつては爆発的なシュートを有する世界的ストライカーとして大暴れしていた男が尾道に流れ着いたのは、一昨年の夏であった。それまでは基本的に地味な補強しかしてこなかった尾道まさかの奮起は大いに驚かれたが、怪我が相次ぎいよいよヨーロッパでは需要がなくなっていたという内実を知るものからすると「昔の名前に騙されてるだけ」という冷ややかな声も上がっていた。


 ファンが尾道というクラブを誇りに思うのは当然だが、客観的に見ると都落ちと言われても当然の移籍。これでスター選手のほうに余計なプライドや言い訳が少しでもあったならそのまま腐っていっても不思議ではなかったが、あくまでも謙虚にサッカーというものに向き合ったのがセラーノの生き方だった。


 錆付きつつあった肉体を蘇らせるための新たなトレーニングにも真剣に取り組んだ。なおこの再生プロジェクトのメニューを作成するなど、その中心として働いたのが現在は育児に専念している小早だった。


 この件に関しては「素敵な女性だよ。ヒデとそういう関係だと知らなかったら手を出してたかも知れない」などと、往年のプレイボーイぶりまでも再生されたかのような危ないジョークを口走っていた。あれはどこまで本気だったのか、聞き返す気もないが確かにかなり熱心に話し込む様子はお互い満更でもないという雰囲気は漂っていた。


 いや、あくまでサッカーというビジネスのパートナーとして相性抜群なだけだと信じたかったが、そもそも秀吉だって最初は選手とトレーナーとしての信頼関係しかなかったはずがどうしてか色々と運命の糸が縺れに縺れた結果赤に染まっていたので、あんまり確信めいた事も言えずにいた。ただ同僚として動き出しのコツなんかは少し伝授した。


 ともあれ最初の半年はなかなか結果を残せずにいたが、2シーズン目となる去年は時間をかけてリハビリした成果が出てきた。明らかに動きが見違えていたのだ。


 さすがにGKの手首をへし折った全盛期ほどの爆発的パワーが蘇ったわけではないが、それを補うかのような巧みな駆け引きや自身から漂う存在感を囮にしたプレーで新たな魅力を発掘するのに成功した。それも全部秀吉のお陰だ、などと言うつもりはなかった。もしも参考になったとすれば光栄だが、それも結局は本人の力だからだ。


 そういう意味では間違いなくセラーノは尾道で変わった。だからこそ一度は見切られたヨーロッパのクラブを再び振り向かせたのだ。その事実は退団の会見でも、ポケットに入れた石ころの感触を確かめるように何度も触れては感謝の言葉を述べていた。


「この素晴らしい国の素晴らしいクラブに来ていなければ、今頃もう引退していたかも知れません。オファーが来た時は悩みましたが、あの時正しい決断を下せた自分を誇りに思います」


 そして会見の直後に開催された今日の天皇杯が、送別の舞台となる。相手は岡山県代表のアマチュアだが、油断して勝てる相手でもない。だから尾道のスタメンは、野口と森川こそ先述の理由から外れてはいるものの他に関してはかなり厳選された上で本気と実験を融合した組み合わせとなっている。それがこのメンバーだ。


スタメン



GK 25 潘海斗

DF 39 ヘジス・コスタ

DF 19 河口安世

DF  5 バルニエ

MF 16 宮島傑

MF  4 八幡銀仁郎

MF  2 今村友来

MF 20 庄野吏応

FW 12 山崎臨

FW 13 山崎灯

FW  8 パブロ・セラーノ


ベンチ


GK  1 ウェイン

DF 30 桜田熱獅

DF 31 西東良福

MF  6 川土越

FW 11 垰月透

FW 24 池角斌生

FW 27 荒川秀吉


 キーパーは潘。リーグ戦では一時期木野下にポジションを奪われかけたが、その木野下が現在世界中で猛威を振るうコロナウイルスに感染してしまった。これに関してはもう仕方がない、来るべき時が来たとしか言いようがない。それで濃厚接触者と判定された蔵コーチも現在は隔離されている。


 ディフェンス陣には新外国人のヘジスが入っている。このヘジスが最初リーグ戦に出場した時は右からヘジス桜田バルニエと屈強なトリオで組んだのだが、どうもコンビネーションがしっくりいかず大量失点を喫してしまった。


 結局本職じゃないはずの河口が真ん中に入る事でようやく安定を得るというのも奇妙な話だが、それだけ河口がチームに欠かせない存在だと証明している。大卒から今年で8シーズン目、もはや尾道そのものとなりつつある。


 中盤は右に宮島、左にはリーグ戦ではここまでスーパーサブメインだった庄野が入っている。そして普段はボランチの今村が本来森川がいるポジションを埋める。噂が本当だとしたら後半戦はこれが基本スタイルとなる可能性もある。試せる時に試すのも重要な任務だ。


 そして山崎兄弟を引っさげて、最前線には言わずと知れたナンバーエイトのストライカーが鎮座する。これが日本でのラストマッチとなる運命はすでに決まっている。まさかジャイアントキリングで終わるわけにはいかないだろう。


 良い事もあれば悪い事もあった。そして今、朱鷺色と淡いブルーのカクテルとなった夕空の下を勝利を目指して男達は駆け抜けるのだ。

100文字コラム


尾道の中でも特に鍛え抜かれた肉体美を誇る尹。その秘訣は徹底した自己管理にある。「僕のように才能ない者でも自分を厳しく律するのは可能」と断じるストイックさは菊池や川土ら若手にも着実に受け継がれつつある。

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