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苦闘その4

「どうしたんだ山吉。途中までは良かったが先制されて以降はさっぱりじゃないか」

「すみませんヒデさん。でも今は、放っておいてください」


 どうやら例の突破失敗と直後の失点が堪えたらしい。しかし放っておいてと言われて本当に放っておくわけがない。そもそもそんなにナイーブを生かしておいては今後プロでなど到底やっていけないだろうし、今は放っておくべき局面ではない。秀吉は言葉を続けた。


「1つのミスで早くも泣き寝入りか? お前らしくもない」

「俺にだって、泣きたい時はありますよ」

「はは、そりゃそうだ。だがな、お前はそういう奴じゃないだろ。もっとギラギラした瞳だったはずだが」

「……はあ」

「無鉄砲で向こう見ずで、いつももっと上へと思ってて。そんな目をしたお前が俺は好きだ。まあ多少は無謀すぎる部分もあるが、俺だってお前の年の頃は人のことを言えたもんじゃなかったからな。お世話になっていたスタッフがいきなりクビになって、『あの人と一緒じゃないとサッカーをやっていけません』なんてさ、まあ若かったよ」

「ヒデさん……」

「だからさ、今しかできない事を今はするべきだって。ミスしたところで何だ、それを糧にする事が出来るだろう。悩んで悔やんで、そして探り当てた答えがやっぱり違って、そんな繰り返しでお前はもっと強くなる。牙を折る事だけはするなよ」


 普段はそれほど話さない秀吉が熱に浮かされたように言葉を発している。


「何となく言いたい事は分かりました。ありがとうございます」

「じゃあ行こうか、これからは後半だ」

「はい!」


 山吉の瞳に再び炎が燃え盛った。そして始まった後半はそれまでと打って変わって仮想徳島チームが躍動した。その中心となったのはもちろん山吉である。右サイドを基点として最前線を彩る運動量豊富な王、得点に直結するような動き出しを繰り出す秀吉、そして持ち前の長身に加えて効果的な育成トレーニングが功を奏して力強さを増してきつつある野口の3トップがそれぞれの持ち味を生かしたプレーを見せてゴール前に迫る。


「くっ、前半と比べると迫力が段違いだ! これ以上踏み込まれると本当に失点を」

「うろたえるな橋本! 1試合において俺たちがずっと優勢なんて事はありえない。こういう場面を防いでこそのDFだ!」

「そ、そうですね」

「お前は中央の野口を警戒しろ。俺は右を防ぐように動く」

「はい! 了解です」


 開始直後は浮き足立っていた尾道であったが、港の的確な指示によって徐々に落ち着きを取り戻していった。


「パスが通りにくくなったな。さすがに修正してきたか」

「その辺はさすが港さんってところだな。ただ万に一つも抜けられないわけじゃない。そこはお前を信じてるぜ。これからもガンガンボールを預けていくぞ山吉よ」

「分かってますよヒデさん」


 あくまでも右サイドを使った攻撃を仕掛ける仮想徳島チームに対して尾道の左サイドは深田と港が常にケアに当たるような形となった。かなり手厚いディフェンスとなったが、それでも狭いスペースを果敢に攻めていく。


「よし、そろそろだな」


 後半も15分が過ぎたあたりで山吉はこうつぶやくと右手を上げながらボールを蹴り上げた。


「むう、サイドチェンジか!」


 港の予想通り、ボールは右サイドからいつの間にか左に流れていた王に渡った。もう1人左に流れていた中村とのコンビネーションで長山を抜き去るとすかさず野口に向かってクロスを上げた。


「味な真似を! 弾き飛ばせ橋本!」

「了解!」


 ともに成長著しい野口と橋本の競り合いを制したのは橋本だった。ボールは右に流れ、キープしたのは山吉だったが、前を向いた山吉に向かって港が立ちはだかった。


「さあ抜いて来い山吉よ」

「言われるまでもねえ!」


 ドリブルを開始する山吉。しかし前半はこの勝負に敗れたのがきっかけで失点までつながった。港はプロ入りする前からエリートディフェンダーとして知られていたが残念な事に身長があまり伸びなかった。そのため自分より高い、自分より速いという相手とばかり対峙してきた。それが現在の読みの深さにつながったのだ。その港を相手に山吉はいかにも経験が足りない。


「今度は、左か」


 山吉の進行方向を潰すように足を伸ばそうとした港。しかし山吉は左に突破すると見せかけてストップし、右足の外側で払うようにパスを送った。そこには亀井が走りこんでいた。


「何だと!」

「よし成功! カメ、クロスを上げろ!」

「はい!」


 ゴールから逃げるように曲がる低目のクロスが野口の方向に向かっていった。橋本が対応しようとしたが、その眼前に秀吉が飛び込んできた。そのなびく長髪から繰り出された弾丸のようなダイビングヘッドはGK宇佐野の反応を完全に上回った。彼にできる事はボールがゴールの左隅を揺らすのを見守るだけだった。


「ゴール! 秀吉ゴール!」


 地面にはいつくばっていた秀吉はゴールを確認すると素早く立ち上がり、左手で握りこぶしを作った。表情は安堵の色が濃く浮かんでいた。


「うむ、いい動きだった。クロスの前の山吉のパスも的確だったし、荒川はさすがの得点感覚だったな。匂いのするところに出現してこそのゴールハンター、まさにストライカーの動きだ」


 水沢監督は得点シーンについて冷静に褒め称えている。その後、ディフェンスへの指示を加えた事もあり、試合はこのままの点差で終了となった。


「お疲れ山吉。今日の動きは良かったじゃないか」

「あ、港さんお疲れ様です」


 試合終了直後、ドリンクをほおばる山吉の背後から港が話しかけてきた。山吉はそれまでのような険のある態度ではなく自然な言葉で返した。


「これなら安心だな」

「港さんとヒデさんのお陰ですよ。まあまだ確定した何かを掴んだってのじゃないですけどね。何となくこう、何かが生まれたような感覚はありますね」

「そうか、それは良かった。視野が広まれば俺なんかを簡単に抜き去っていける男よ」

「まさか、そんな簡単には行かないでしょ」

「同世代のJ1にもいないぜ、お前ほどスピードとテクニックを両立できてる選手なんて。後は目と頭、長く活躍するにはここを鍛えるに限る」

「そうですね。これからもご教示のほどよろしくお願いします」


 まるで借りてきた猫のように大人しくなっていた山吉だが、決して牙を折られたわけではない。平たく言うと少し大人になったのだ。しかしそれがあまりにも突然だったので逆に港のほうが戸惑っていた。


「おいおい逆に調子狂うな。敬語なんて引き出しもあったのか」

「はは、そりゃあそれぐらいはね、できますよ。でもフィールドでは野獣でやっていくつもりですから」

「そうだな。それがいい」


 もう山吉と港の間にはわだかまりも何もなくなった。小さな考えの違いなどを乗り越えた事により魂の結びつきはより強固になったはずである。


 そして7月1日、今日J2第22節が開催される。我らがホーム備後運動公園に徳島を迎えてのゲームである。天気は相変わらず雨。開幕時には今か今かとつぼみを膨らませていた桜の花はすでに散り、5月を彩ったつつじの花も色褪せて、今はアジサイが紫色をつけている。


「いよいよだなあ。そろそろ勝ちたいなあ」

「せやな。どうやって勝つのかすら分からんようになってきつつあるしなあ」


 今のところ5試合勝利のない戦いが続いている尾道、しかも前のホームゲームはまったく酷い内容での完敗だった。しかも天気は今日と同じ雨。悪い予感が頭に渦巻き、不安の言葉を口にする選手たちもいた。


「もうこうなったら信じるしかないだろ」


 ロッカールームの湿気を切り裂いたのは秀吉の一声だった。


「俺は優勝争いも残留争いも昇格争いもしたし中位で目標のないまま漂う事もあった。1年で何度も監督を変えたチームにもいたし選手がごっそり入れ替わるチームもあった。まあ色々な国で色々見てきたとは言えるがな、自分たちを信じられなくなったチームが落ちるんだ」

「なるほど、確かにそれは重要そうですけど」

「だから、俺たちにできる事は信じる事だ」

「信じる?」

「そう、今までやったことを信じるんだ」


 海外放浪に生きた秀吉らしい切り口で語り始めた。サッカーは世界中で行われている。その国や地域ごとに様々な色彩を帯びているのは事実であるが、それでも同じ競技である以上はやはり共通するものがあるのだ。それが「信じ抜く事」の重要さである。どこかの90年代前半に1曲ヒットしたグループと同じ事を言っているようだがまあどうでもいい。


「思い出してみろ開幕前を。評論家は何位と予想した? その理由は?」

「確か、下位が多かったですね。21位とか言ってる人も」

「選手個々の能力が低いとか何とか言われてましたね」


 そうは言っても開幕前の予想なんて適当なものである。特に地方クラブには取材も行かず「名前を知ってる選手がこれぐらいだから順位は多分こんなもんだろう」程度の認識で穴を埋めたとしか思えない評論家も存在する。ただ低く評価された選手たちにとっては「見返してやる」というモチベーションとなる部分もあるのは間違いない。もう開幕からしばらく経った事もあり消えかけていた炎に秀吉が再び火をつけた。


「そうだ。そしてそれは結局のところ当たっているんだ。俺達は1人1人で言うとそれほど強くない。いくら連勝して4位だの3位だのにつけていてもそれは数ヶ月とかその程度では変わらないんだ」

「むう、確かに」

「悔しいけど、そう言われるとそうかも知れません」


 あえて煽る秀吉の前についた炎が大きくなる。


「その俺たちがどうやって勝った? ここが一番大事なところなんだ」

「集中したディフェンス!」

「隙を突いた速攻!」

「わずかなチャンスをものにする精神力!」


 選手たちが口々に発したのはチームの強さ、そしてそれこそが秀吉の求めていた答えだった。それを選手たち一人一人が自主的に思い出してくれた事こそが重要なのだ。


「そう! そうだよ! それだよ! 今思い出すべきはそれなんだ! どれだけ勝ってもどれだけ負けてもチームのベースは春からやってきた事で変わらないだろう! まずはそれを信じるんだ!」

「確かに、今俺たちにできる事はそれですね」

「そうだ! ならばもはややる事は1つしかないだろう。それはいがみ合いなどではないって分かるだろう」

「そうですね。今はただ勝利のために一致団結するべき時」


 こうしてチームは活気を取り戻した。選手たちの心の中にもはや暗黒の雲は消え去った。誠実な心のままで今の勝利を掴むため、1つの目標に向かってチームは真の意味で団結したのだ。


 一方その頃スタジアム、雨の日の午後は眠って過ごしたいが試合があるとなると話は別とばかりに今日も多くのサポーターがレプリカと雨合羽を重ね着してスタジアムに集まってきた。そして午後6時の試合開始も近づき、選手入場の時間となった。


「よーし行け尾道!」

「今日こそは絶対に勝ってくれよー!」

「ここで踏ん張ればまだまだプレーオフだってあるんだ! 諦めるなよ!」


 勝てない日々が続いてもチームを愛してくれる人がいる。その人たちのためにも今日こそは勝利という形で愛に報いなければいけない。赤と緑を身にまとったイレブンは改めて気合を入れ直すと、ピッチに散った。

100文字コラム


九十八年の暮れ、広島や神戸で活躍した元プロの土生健次がジェミニFCに加入した。彼は辻、岡野と同級生だった。彼を中心に今なお現役の山田哲三ら優秀な選手を次々獲得、プロを目指す戦いはこの瞬間から始まった。

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