古の軌跡'14
14年
監督 正岡忠満 14-15
当時40歳。前職は大学のサッカー部を指導していた。昇格が絶対的目標のチームにおいてより組織的なフォーメーションと精神の充足を図った指導、そして何より重要な試合で勝ち切る勝負強さを見せて尾道を昇格に導いた。翌年、レベルの高い相手としか当たらない最高峰のリーグ戦においても全員で戦い抜きどうにか残留に成功した。その瞬間を見届けた後「手持ちのカードは全て出し尽くした」と退任。その後はスペイン留学を経てまた学生サッカーのフィールドに戻っている。
コーチ ホセ 14-15
当時38歳。正式名称はホセ・マヌエル・ブスタマンテ・ゲレーロ。メキシコ出身だが日本での生活は長いので日本語堪能な分析担当コーチ。陽気な性格で選手のみならずファンからの人気も高かった。15年、正岡監督退任とともにチームを離れた。横浜Mを経て現在は大分に在籍している。
1 蔵侍郎 14-16,20-
当時30歳。それまでは複数のクラブで主に控えGKとしてチームを堅実に支える役割を担っていた。尾道でも当初はサブと目されていたが、守護神大本命だった宇佐野が昇格争いのプレッシャーの中で脆さを見せる一方ミスの少ないセービングを見せる蔵の存在感は日増しに高まっていき、最終的には宇佐野の負傷もあり守護神に定着した。この年の昇格プレーオフにも出場し、歓喜の瞬間をフィールド上で体感した。
翌年も引き続きゴールマウスを守ったが怪我もあり16年限りで引退。そのまま尾道に残留し、下部組織のコーチを経て20年、港監督就任と同時にトップチームのGKコーチに就任した。熱心な指導でウェインら若手を鍛えている。
4 布施健吾 14-15
当時22歳。趣味が筋トレと公言するだけあって強烈なフィジカルを武器にパワーとスピードを両立させた実力派DF。すぐさまセンターバックとしてレギュラーに定着して昇格に貢献したが、同ポジションの強力な移籍選手が加入した翌年は出番を減らし、C大阪からのオファーを受けて退団した。それから鳥栖を経て現在は磐田で昇格を狙う。
11 河口安世 14-
当時22歳。大学時代から正岡監督の指導を受けてきた秘蔵っ子と呼べる存在。当初は長身だがテクニックも併せ持ったセンターフォワードとして新フォーメーションの中心に君臨していたが、得点感覚の乏しさから芳松にポジションを譲った。しかし翌年途中から二列目の選手としてレギュラー入りし、その後は主にボランチとして定着。
恩師の正岡監督が去っても基礎的な技術力の高さに加え、去年は久々に前線で勝負と意気込んだが逆にセンターバックとして定着するなどチーム状況に応じてあらゆるポジションをこなす献身的な万能性から尾道に欠かせない選手の一人となっている。哀愁漂う目つきで多数の女性ファンを虜にしたチーム最高の美形としても名高い。
17 結木千裕 14-16
当時20歳。地域リーグからキャリアをスタートさせた不屈の男。持ち前のスピードとテクニックを武器に前年ついに埋まらなかった右サイドに君臨し、左サイドの井手とともに強力なサイド攻撃を構築した。16年にはフル代表にも選出されるなど順調に成長していったがオフに吹き荒れたクラブのゴタゴタを嫌いこの年限りで退団し古巣和歌山に復帰した。
18 森本剛 14
当時24歳。かつては大学ナンバーワンストライカーと評判だったがF東京ではほとんどアピールできず、尾道に期限付き移籍してきた。練習で時折見せる鋭い突破やシュートに確かな素質を感じさせたが怪我の多さから出番に恵まれずこの年限りで古巣復帰。16年から千葉、相模原を経て17年に引退。尾道所属時から同僚に投資を勧めていたが賛同者は少なかった。現在は宅配業に従事。
24 鈴木美春 14,17-
当時29歳。語学堪能なサッカー界屈指のインテリとして当時から有名だった選手で、前年はタイリーグに所属していた。選手としてはやや細身で迫力に欠けたためポジションを確保できず1年で引退となったが、その知性を買われて当初は通訳として、ヒース監督就任後はコーチ業も兼任するようになった。選手としては戦力にならなかったものの、トータルではクラブに多大な貢献をしてくれている存在。
25 イアン・グリーン 14
当時27歳。提携したオーストラリアのクラブから加入した大型ボランチだが、日本において中盤を任せるにはテクニックが不足しており、それよりも持ち前の高さを活かしてのパワープレー要員や最終ラインで相手の放り込みを跳ね返す役割として目立っていた。やはりサイズはそれだけで武器となるものだ。1年限りで帰国したが今ぐらい外国人枠に余裕があれば優秀なリザーブとして長くチームに貢献できていたであろう。一時期カタールでもプレーしたが現在はオーストラリアに復帰している。
28 堀尾大将 14-16
当時18歳。スタミナ豊富なボランチとして加入したが翌15年のシーズン途中から二列目で起用され、持ち前の運動量を武器に走りまくった。16年の佐藤監督体制ではポジションに恵まれずこの年限りで退団し横浜Cに加入、現在も所属している。佐藤体制を受け継ぐ現在の港監督体制でもやはり苦しいだろうが、こういうタイプの選手を好むヒース監督時代なら出番もあっただろう。そういった部分も巡り合わせなので仕方ないが。
32 蒔田宏基 14,19
当時28歳。昇格争いが盛り上がったシーズン途中、勝利の切り札として途中加入した元代表の実力派ボランチ。長身だが飄々とした雰囲気を醸し出す男で、プレースタイルも含めて愚直な選手が多い尾道の中ではその洗練されたムードは一際目立っていた。昇格に導いたところで任務完了とばかりにあっさり退団したのも颯爽たる引き際だった。
その後は神戸と磐田を経て19年に尾道復帰を果たしたが加齢の影響からややミスが目立ち、八幡ら若手に押し出されるように1年限りで退団となった。あの半年だけの在籍であれば美しい思い出のままでいられただろうに、なまじ復帰した事で見なくても良かったものまで見せられてしまうという少し物悲しい別れも大人びたほろ苦さと言えるのだろうか。ミスを言い訳せず、ただ少しくすんだ雰囲気を醸し出すのがなんとも悲しくなるのだ。現在は水戸に在籍。
14年まとめ
2年連続で昇格を逃しついに監督交代に踏み切った尾道。その目標は当然昇格であり、ただその割には決して大型補強に走ったわけでもない。それでも正岡監督は持ち前の勝負強さを存分に発揮して重責を全うした。ただ新加入選手も地味とは言え粒揃いで、この効果的な補強が最高の結果を導く要因となったのは論を俟たない。
特に守備陣においては守護神として活躍した蔵や大卒1年目からセンターバックに定着した布施、そして何より右サイドの覇者結木とレギュラークラスが一挙に加入した事でチームに多大なる安定感をもたらした。途中加入の蒔田やリザーブとして仕事を果たしたグリーンも忘れ得ない存在だ。本来ストライカーとして期待された河口が中盤やディフェンスラインで長らく活躍したり、蔵と鈴木という後のコーチが二人加入したりと当時は想定していなかった部分における現在への影響力も大きいのが面白い。それもチームが上手く循環していたがゆえの幸運であろう。




