苦闘その2
「よーし、勝つぞ。まずはじっくりパスを回して行こう」
キャプテンである港の指示通り、いつもと同じくボランチや最終ラインまでボールを下げてから自陣でパスを回す事でしっかりとゲームを作っていく慎重な立ち上がりをするかに見えた尾道。しかし右サイドの山吉にボールが渡った瞬間、今までとはまったく違う展開がスタートした。
「よし、発動だ。一気に上がれ! まずは先制点を狙うぞ!」
山吉が右手を上げると、それを合図として左サイドの深田、中盤の御野、最前線の王が相手陣内の奥深くへと走り出した。そして山吉は左サイドへ大きくサイドチェンジを図ったのだ。
「何だこの攻撃は!」
山形の選手はいきなりの速攻に戸惑っている。尾道は基本的にじっくりと攻め上がるタイプの攻撃パターンが多いとはインプット済みだったので、山形としてもその対策としてじっくりディフェンスラインを構築しようとしていた。その矢先に奇襲戦法が炸裂、ボールは御野に渡った。完全に山形の裏をかいた形となった。
「よし、渡った! そのまま一気にクロスまで行け深田!」
「分かっとるで! ここでワンツーやテル!」
「OK!」
深田と御野の素早いコンビプレーでディフェンスラインを引き裂いてクロスを上げたが、その際ペナルティーエリア内に山形の選手は未だに1人しかいなかった。
「頼むぞシューミン!」
「おう!」
かなり低いクロスはゴール前に飛び込む王のヘッドにジャストミート! 山形のGKが飛びつく事すら出来ない、完璧なタイミングのシュートだった。しかし運が足りず! ポストに直撃したボールはポーンと上空に跳ねて、そのまま枠外へと消えていった。
「ああー今の決めたかった!」
「惜しい惜しいナイシューシューミン!」
「そっちこそいい突破とクロスだったぞテル」
ゴール前で頭を抱えて倒れこむ王だがその表情は明るい。一方、その王の周辺で立ち尽くす山形のディフェンス陣はまさに肝を冷やしていた。結果的には幸運に恵まれてノーゴールだったが、完全に1点ものの突破と認識していた。
山形はここまで優勝争いをしている。そのプレッシャーは並大抵のものではない。そのせいか、今日のゲームにおける山形のパフォーマンスは総じて低調だった。一方尾道はその争いから一歩後退となった事で、逆にいい意味での「開き直り」のようなものが生まれていたように見えた。特に序盤はその傾向が顕著で、山形サポーターですら「今日の試合はやばそうだ」という空気が漂っていた。
しかし意外にもここから試合は膠着状態に陥った。試合開始直後は何度も決定機を作った尾道のオフェンス陣であったが、やはり根本的には連敗中らしくミスや決め切れなさが目立った。その内に組織を立て直した山形のディフェンス網の前に攻撃がつながらなくなっていった。
「秀吉さん、なんかちょっと変な雰囲気になってませんか? なんか攻撃がつながってないと言うか」
尾道のベンチでは茅野が秀吉に問いかけていた。同じ疑問を持ったのは茅野だけでない。リザーブのメンバーたちは今ピッチで繰り広げられている尾道の姿にどこか違和感を感じていた。
「そうだなユーマ。最初の速攻は良かったんだが。あるいはそれで決められてたらまた違ったんだろうが」
「初めて見たパターンでしたね。でもあれなら例えば僕なんかをターゲットにしたらもっと楽にやれそうだと思うんですがねえ」
「そうだな。キヨシほどの身長がありゃターゲットとしては申し分ないからな。ただなあ、この攻撃」
「同じ人しか絡んでないような」
尾道がこの試合から突如使い始めたサイドを広く使った速攻は監督やコーチなどのチームを取り仕切る人間が生み出したアイデアではなく、山吉を中心とした数人がやってみようと決めた攻撃のバリエーションなのだ。しかし所詮は付け焼き刃。型としては最初に見せたパターンぐらいしかないので山形がサイドのケアを重点的に行えばすぐ機能不全になってしまった。
「ピッチを広く使うのはいいアイデアだ。しかしあくまで中央でのパス回しが多いウチがいきなりやったから効果があったという奇襲戦法。効果は一度きりだ」
山吉らは「連敗を止めるためには何かを変えないといけない」という思いから新たな攻めのバリエーションを構築したようだ。それ自体は間違いではない。しかし頼れるのは自分たちだけと言わんばかりに固定化されたメンバーによる攻撃に固執してしまうと、もはや正解からは遠く離れてしまう。
しかし山形もボールを奪ったところで有効な一手を繰り出せるわけではなかった。優勝争いのプレッシャーに加えて、日程による疲労も選手たちを蝕んでいた。3月からもう4ヶ月戦っているJ2戦線である。J1より試合数も多いので1週間に2試合といった日程をこなす機会も多くなる。
そして天候もやっかいである。今の日本列島は梅雨前線に覆われている。毎日のように降りしきる雨に打たれながらの戦いは体も心も重くさせる。今日は幸い曇りだが、黒雲はそこまで迫っており、いつ降り出しても不思議ではない。
「3トップに警戒しろ。パスを回してくるがフィニッシュまで近づけさせるな!」
「9番のマークOK!」
守備に関してはベテランの玄馬と港の冷静な判断、モンテーロの代役である橋本が予想以上に奮闘している事などから安定している。しかし問題は攻撃。やはりゲームメーカーの金田不在は大きい。今村も頑張ってはいるが、なかなかサイドへパスを散らす事が出来ず、チャンスを作れない。その結果ワンパターンな攻撃に終始してしまい、山形に簡単に読まれてボールを奪われてしまう。
双方が低調な内容のまま前半は終了した。見所は前述した試合開始直後の王のダイビングヘッドと、前半27分に山形がGKと1対1になってドリブルでかわしたかに見えたがシュートを外した場面ぐらいで、金を払ってこれでは返金を要求されても仕方ないような展開だった。
「おい山吉よ。あの攻めはなんだ?」
ハーフタイムのロッカールーム、ディフェンスラインの中心選手であるキャプテン港が今回のオフェンスの首謀者と目される山吉に問いかけた。
「練習じゃあ見られなかったやり方をやってたよな」
「最近練習して覚えました。でも最初いい形が作れたでしょう」
「それはいい。面白い形だったからな。だがそれ自体が問題じゃないんだ」
「じゃあ何が問題なんです!」
山吉はいきり立って質問を返した。山吉としては「俺たちは勝利のために今までと違うやり方を試してみたんだ。何で分かってくれないんだ」と思っている。それは港も分かっている。分かっているが今こそ水沢監督のサッカーを思い出す時だと港は考えているのだ。バチバチと火花を散らした視線が2人を結ぶ。
「まあまあまあまあ落ち着いて落ち着いて」
一触即発の空気を和ませるように声を出したのは秀吉だった。普段は割と「俺様」タイプな物言いをする秀吉であるがこの時はかなり軽く明るく、まさにヒートアップしすぎた議論に水を差すような温和な声を発していた。
「秀吉さんなら分かるでしょう」
「そりゃあまあな。やっぱオフェンスは色々アイデアを使わないとゴールには近づけないからな」
自分の考えを援護するかのような秀吉の言葉に山吉は「わが意を得たり」とばかりに口元を歪ませた。
「ただな、せっかくの新しいアイデアも途中からは明らかに読まれてたぞ、相手に」
直後に浴びせられたこの言葉には身に覚えがあったようで山吉も沈黙した。
「まあ、色々やってみるってのは絶対間違いじゃない。後半も色々アイデアがあれば試してみるべきだし、それまでの攻撃と組み合わせるだけでももうバリエーションになるだろ」
「まあそうですね」
「それが分かるならもう十分だろ。後半は点を取る時間にしようじゃないか。もちろん、点を取られない時間にもだ。そっちはもうキャプテンもいるし、ゲンさんもいるし」
「そうだな。まあ、頼むぜオフェンスは」
港に頼むと言われたら山吉としても意地を張る理由はない。後半に向けて、今回は港が大人になる事でとりあえず亀裂を修理してみせた。
そして始まった後半の開始2分、最終ラインでボールを回す山形に対して最前線の王とヴィトルが積極的なチェイスを仕掛けた。運動量とスピードに優れた2人から難を逃れるべく一旦GKへボールを戻した山形。しかしこの平凡なバックパスをGKが処理し損なってしまった。キックする直前で微妙にバウンドが変わった事によって空振り、そのままゆっくりとゴールマウスに吸い込まれていったのだ。この一連のプレーにもちろん反則などはなかったので、誰が判断してもゴールを認める以外の選択肢はありえなかった。
「えっ、入ったの?」
「な、何だよこれ。喜んで、いいんだよなあ」
「うん、一応得点だし、ねえ」
とりあえず両手を広げてみせたヴィトルや王ではあるが、表情は明らかに困惑していた。自分たちがボールに触らないまま完全に相手の自滅で1点が入ってきたのだから。それ自体は喜ばしいものだが、最前線のハンターとしては手ごたえのない歓喜であった。観客も怒ったり喜んだりする前に「何をやっているんだ」という疑問符に満ちた先制劇であった。
「ん、ウチが先制してる? 何が起こったんですか?」
「どうやら相手のキーパーがキックをミスってそのままゴールに入ったらしい」
「そんな事って、あるんですねえ。うーん、さすがに生じゃ一回も見たことはないですよ正直」
「俺はギリシャにいた時一度見たが、そんなちょくちょく起こってはならないわな。まあゴールはゴールなんだし、ありがたく受け取ろうぜ」
「そ、そうですね。うん、よーし先制だー」
「……やっぱしっくり来ませんねえ」
ベンチにいる選手たちも経験豊富な秀吉を除いて皆一様に困惑の表情を浮かべている。「これがフットボールだ」という言葉に集約されるような微妙な、しかしルール上いつ起こってもおかしくない形で1点を奪った尾道。しかし、この思いがけないゴールがさらに彼らのサッカーを窮屈なものにしてしまった。
「幸運にも転がり込んだ1点だ。何とか守りきって久々に勝利を得たい」
「いや、こんな形の1点ではまだ不安定だ。自分たちの力でもう1点取って勝利を確実にしたい」
フィールド内の11人はこの2つの考えに分かれてしまった。どちらの考えも間違いではない。しかし守りきるなら守りきる、攻めきるなら攻めきるといったように意識が統一していなければいけなかった。
通常の精神状態ならば彼らとてプロフェッショナル、その程度は造作もない。しかし今は連敗中、「この苦境を俺の力で救ってやる」とばかりにはやる気持ちが噴出して選手のエゴと言うべき本質的な感情が表に出やすい時期となっていた。また、突然相手から与えられた事で心の準備が一瞬遅れたのもまずかった。精神的に油断、と言うと語弊があるかも知れないが、不意にリードを奪った事で感情的に中途半端となった尾道に対して山形は「何としても追いつく」と逆にチームが団結した。
ここから山形の猛攻が始まった。対する尾道はその場その場で対応するだけしかできなかった。選手の力量だけ見ると同一カテゴリーに所属するだけあってそれほど違いはない。それだけにチームとしての団結が鍵になる。前半の山形は中途半端だったので押されていたが、後半は尾道が団結を失う一方山形はチームが一丸となったので、流れも大きく変化していった。
「クリアするだけじゃ駄目だ! ボールをつなぐように!」
「奪われたらすぐ戻る! 左から来てるぞ山吉!」
玄馬と港の両ベテランが積極的に声を出すが雨雲に飲み込まれるように効果が薄かった。中途半端な気持ちのままピッチに立つと自分たちのプレーが出来ず、その分疲れが増す。交代も対処療法的な措置しか出来ず、尾道のペースに引き込むなどまったくできずにいた。
そして後半28分、山形に同点ゴールを許してしまった。山形に右サイドを突破され、クロスを長身のFWに合わせられての失点だった。いつの間にか雨も降り出していた。ここからは山形の流れがさらに加速する。後半30分から39分までの10分で山形が放ったシュートは実に10本。対する尾道は0本と圧倒的だった。しかし尾道は粘った。選手たちの奮闘によってギリギリの所で耐え忍び、後半45分を通過した。
残るはアディショナルタイムのみ、ここをしのぎきれば勝ち点を得られる。しかしその数分が落とし穴だった。猛攻を仕掛ける山形に対してほとんどドン引きで対処する尾道、しかしゴール前のパス回しで相手FWをフリーにしてしまった。すでに右足は振り上げられており、マジでシュートが放たれる1秒前である。
「ええい、シュートさせてなるものか!」
「ああ! やめろシュータ!」
後半途中から山吉に代えて出場していた長山が玄馬の制止を振り切るように身を投げ出すようなスライディングを仕掛けた。しかし雨の影響もあり想像以上に滑ってしまった。
「うおおお!」
勢い余ってペナルティーエリア内で相手の足を削るように倒してしまったのだ。笛の音と同時に自らの過ちに気付き顔面蒼白の長山にはイエローカードが提示された。そしてもちろんPKも与えてしまった。玄馬は右に飛んだがキックは左に飛び、ゴールネットを大きく揺らした。後半47分、土壇場で尾道は1対2と逆転を許した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお山形!!」
「最高のタイミングで逆転だああああああああああああああああああああ!!」
試合終了直前に我らがホームチームが逆転! 歓喜に震える山形サポーターの地鳴りのような叫びがスタジアムを支配した。そして試合は再開されたが、直後に試合終了のホイッスルが響いた。尾道は連敗を4に伸ばしてしまった。順位も9位に後退し、プレーオフどころか2桁順位すら見えてきた。なお、最後のファールはディフェンスラインが完全に崩されていたのでファールがなくともゴールだった可能性が高い。
「また、何も出来なかったのか」
ベンチの前でうつむく秀吉には今日も出番はなかった。
100文字コラム
尾道のモノマネ王こと開田。特にチャゲのマネは絶品。「チャゲアスのマネする時いくら飛鳥が達者でもチャゲが雑じゃ本質を理解しない三流」と独自のこだわりを披露。なお尾道で一番飛鳥のマネが上手いのは港だとか。




