古の軌跡'10
10年
コーチ 園川広平 10-12
当時26歳。大学院から海外研修を経て加入した、尾道初のフィジカルコーチ。こういった人材を加えられるようになったのはクラブ経営の力強さを示している。3年間在籍した後、再び海外で勉強して現在は岡山のフィジカルコーチを務めている。
1 玄馬和幸 10-13
当時34歳。尾道初の元日本代表選手としても知られているが、これまでのキャリアにおいては控えの時期も長くチャンスを求めて何度も移籍を経験するなど、酸いも甘いも噛み分けた渋いベテランだった。そえゆえに判断力の高さなどキーパーとしての実力だけでなく、精神面においても欠かせない人材として君臨した。
徐々に若い宇佐野が台頭してきて守護神のポジションを争ったが、完全に宇佐野優位となった13年には移籍志願し、香川へ途中移籍と最後までプロ意識の高さを見せつつ尾道を去っていった。16年にはY横浜へ移籍し3年プレーし、現在は地域リーグでコーチ兼任としてなおも現役を続けている。
4 アンドレ・シウバ 10-11
当時26歳。前年のジアスと違ってがっしりした体格で高さに強い、いかにもセンターバックらしいセンターバックだった。足元もそこそこ器用で安定感のある優良外国人として2年間盤石のレギュラーを確保した。12年に徳島へ移籍し15年まで在籍した。それから韓国へ移籍して帰国し、複数のクラブでプレーしつつ18年に引退してサッカースクールを経営しているらしい。
5 佐藤敏英 10-11,15-17
当時23歳。層の厚い鹿島では出番に恵まれなかったが、期限付き移籍で加入した尾道ではボランチやサイドバックなど守備的なポジションならどこでもこなすユーティリティとして大いに重宝された。山形、甲府を経て15年に復帰してからもリザーブ要員として堅実な働きを見せた。
本人は東北出身らしい真面目で朴訥とした性格なのになぜか毎年背番号変更されるのも不思議だった。こだわりのなさもここまで来ると一種の異能か。17年に退団後は仙台を経て今年から栃木へ移籍。
7 村島平 10-11
当時22歳。大学生では屈指のドリブラーと評判で、ルーキーながら背番号7を与えられるなど大いに期待されたが伸び悩んだ。パチンコ屋での目撃情報が多発するなどプロ意識を高めきれなかったのが原因か。退団後は沖縄、藤枝を経て14年限りで引退。現在はスポーツショップ勤務。
9 王秀民 10-12
当時21歳。珍しい中国人選手で、大学生として日本に留学していたところを当時の林GMに見初められて入団という経緯もかなり異色だった。そんなインテリかつ温厚な人柄だがプレースタイルは強引な突破武器のパワフルなファイターというギャップも面白かった。12年途中に帰国も、その後和歌山へ加入したりACLで顔を見せるなどちょくちょくサポーターを懐かしがらせた。今も中国で現役を続けている。
10 佐久間翔 10
当時23歳。この年の尾道が行った補強の中でも最大の目玉。天才的テクニシャンとして知られ潜在能力は桂城以上と前評判は高かったが、結果的には大失敗。とにかく試合ごとにムラが大きく、また若手を従えて遊び歩くなど素行面でも疑問符がついた。
潜在能力を発揮出来ないまま1年で横浜Mへ出戻りし、その後も定期的な横浜復帰を挿みつつ和歌山、東京V、大宮などでプレー。現在は京都に所属している。本当に才能だけでは今でも現役とはいかないだろうからそれなりに努力もした成果なのだろう。
12 サンタナ 10
当時27歳。いまいち爆発力に欠ける攻撃陣のテコ入れとして途中加入したが5試合の出場に終わった。テクニックあったがゲームを支配するほどではなかったしフィジカルも平凡、何よりチームに馴染めず独りよがりなプレー連発では見切られても仕方なかった。当時の林強化部長が現地で視察できず、代理人の売り込みを真に受けたという経緯も含めて痛恨の補強失敗。なお退団後はニカラグアで活躍したらしい。
21 金田正和 10-12
当時22歳。当時の尾道においては貴重な攻撃センスの持ち主で、2年目からは背番号10を背負い主に司令塔として活躍した。13年に栃木へ移籍したもののこの辺りからパフォーマンスが低下。以降は相模原、八戸、今治と移籍しつつ19年限りでついに引退。フィジカルや守備など弱点の多い選手でもあったのであれ以降も尾道に在籍したところでどれだけ働けたかは疑問だが、あの頃の金田は赤と緑のユニフォームを纏い確かに輝いていた。
22 久保春人 10-12
当時22歳。入団当初から金田とタイプが被ると言われていたように、彼もまた当時の尾道に少なかったテクニシャンであった。金田より堅実な性格なので尾道向きと思われたが怪我が多く真価を発揮しきれず。退団後は地域リーグで2年プレーし引退。大阪のIT企業を経て、現在は養鶏業。
23 今村友来 10-12,20-
当時18歳。入団当初は地味で特徴が不明な選手だったが知識を吸収するスピードが異様に早かった。まず11年にサイドバックとして台頭し、12年はボランチや司令塔などもこなす万能選手に成長した。その実績を見込まれ清水に引き抜かれるも、ちょうどチーム力が低下する時期だったので苦しいシーズンが多かった。
特に清水が降格した15年のオフには尾道が強いオファーを出して一時は復帰ほぼ確実とも報じられたが決意の残留、厳しい二部リーグの戦いを責任をもって勝ち抜いた。しかし尾道はなおもオファーを送り続けて、ついに今年それに応えた。そして復帰してからも相変わらずミスの少ない適切なプレーを披露し、左サイドのポジションに定着している。無表情なプレースタイルの裏に見え隠れする古風な熱い男の顔、これこそ今村の真骨頂と言えるだろう。
25 鈴木仁 10-12
当時27歳。フィジカルは平凡だが二部リーグでの経験豊富で実戦的なセンターバックだった。1年目はほぼ全試合に出場もそれ以降は控えメインとなり12年限りで退団、翌年町田で1年プレーし引退となった。その後は地元の埼玉県で主に犬を扱うペットショップを経営している。
10年まとめ
基本的には前年と同じような強化策を試みて、前年ほど有効ではなかったという結論になるだろうか。桂城の後釜として期待された佐久間の才能は確かに凄かったが、結局チームとして開花させられなかったのでは凡才も同然だ。また光の後釜を確保しきれず得点力はかなり低下した。ベテラン木暮の奮闘が命綱ではさすがに心許ない。
一方でディフェンス陣は堅実な補強に成功した。ベテランの玄馬は守護神に定着、経験豊富な鈴木仁も確実な戦力となった。期限付き移籍の佐藤敏英もボランチやサイドバックなどを器用にこなし、復帰後も合わせて5年間にも渡って在籍してチームを下支えした。テクニック十分なのになんとも渋い今村や金田といった新人選手も含めて、尾道の真面目なチームカラーを強めたのはこの年の選手達だったと言えよう。




