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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2020 荒野に咲いた花
279/334

birth

 2020年6月9日火曜日、荒川秀吉と小早にとって忘れられない一日となった。二人が育んだ愛の結晶である息子の大陽くんと娘の紫陽ちゃんがこの世の光を浴びる瞬間を迎えたからだ。


 初産の、しかも双子という負担に負担が重なる構図でありながら母子ともに健康な状態でどうにかここまではクリア出来たのは幸いと言う他にないだろう。


 そもそも双子の場合、胎内に子供が一人という人としてもっともありふれた形態の妊娠と比べて早産の傾向が強いとされているらしい。


 だから5月頃から心理的にはいつ来てもおかしくない、もしかすると今日かも知れない明日かも知れないと思い続けるうちに季節の端を越してしまった。


 臨月に突入する6月に入って最初の定期検診を受けた際にも、もう少しかかるとの事で安心しつつ不安もありつつ、ともかくゆっくりとした動きのままで日常生活を過ごしてきた。8日までは。


 8日の夜は普通におやすみなさいで眠った。しかし夜が明けて、目覚めて秀吉が朝ごはんを作っている時に突然小早が痛みに悶え始めた。


「大丈夫か? もしかしてそれ陣痛じゃないのか? よく分からんけど」

「私も分からないけど、何となく今までとはちょっと違う気がする」


 近頃はこういう痛みとか、血を流したりはちょくちょくあった。特に下着を汚す出血にも似た症状は、俗におしるしと呼ばれる出産の兆候なのではないかと医師に尋ねたが、陣痛が来たら入院という事で落ち着いた。とにかく未経験の事ばかりだから今回のそれが出産に直結するものなのかは、母子ともに判断しかねていた。


「まだ痛みでどうしようもないってほどじゃないかな? うーん、タクシー呼ぶ?」

「これが定期的になるなら呼ぶけど、もうちょっと待って。それにせっかく作ってくれた朝ごはんはちゃんと食べなきゃね」

「それは別に……。でもいつ出産だってなってもいいように、今のうちからしっかり食べとけよ。ほらっ、今日のおすすめはしろ菜のおひたし! 実家から送られてきたけどな、この野菜はいいぞ。癖がない味だからいくらでも食べられる。あんまりこっちのほうじゃ見かけないけど、もっと全国的に広まってもいいポテンシャルはあると思うんだよ」

「わあおいしそう。いただきます」


 窓の外の夜明けとニュースを眺めながらゆっくりとした時間を過ごしていく。そんな日常を、今日に限っては許してくれなかった。


 最初は鈍かった痛みが次第に鋭さを増していき、それでもどうにか朝食を平らげた頃には声を上げて悶え苦しまずにはいられないほどに暴れ踊っていたのだから。即座に専用のタクシーを呼んで病院に駆け込んだ。


「それで先生、容態はどうなりました?」

「今は安定しています。産まれるのは今日の夕方から夜になると思います」

「夕方から夜ですか。結構時間かかるものなんですね」

「かかるものなんですよ。まだ私もこうやって歩けるし、今はヒデさんの仕事に専念してくれていいんですよ」

「なんだ小早、随分と余裕そうだな。それならその言葉、信じよう。というわけで、行ってくる」

「行ってらっしゃい。怪我には気をつけてね」


 ひょっこりと顔を出した小早にも了承を得た上で練習に参加した。クラブにはあらかじめ連絡を入れていたので、秀吉が練習場に降り立った時には一連の話もとっくに膾炙していた。


「聞きましたよヒデさん! いよいよ秒読みなんですってね!」

「それより練習参加してていいのか? これから来るって聞いてびっくりしたぞ!」


 現場に出ている人間の中だと上は52歳の古谷コーチから下は23歳のボイェまで、20人以上いる子持ちの先輩からやんやと色々言われたので、さすがに気恥ずかしかった。


「今日の夜か明日にかかるかってぐらいらしいけど、塩梅はよく分からんよ。ただ俺は俺と小早が信じる医者の言葉を信じてここにいるんだ。まだ産まれてないし、普通に接してくれよな」


 とは言うものの練習中、秀吉はいつもより細かいミスが多かった。しかしそうなった理由は明らかなので、港監督もコーチ陣も必要以上にそれを咎めたりはしなかった。


「へへっ、どうしたよ。らしくないプレーが続くじゃないか」


 目尻にうっすらと笑みを浮かべながら山田が近付いてきた。この山田哲三、37歳にして5人の子供を設けている、尾道における父親業界の第一人者でもある。


「いやあ、もうここ数ヶ月でテツさんへの尊敬度が10割増しになりましたよ。よくこんな重圧を5回も耐えられましたね」

「そりゃあ最初は大変だったけどな、慣れると段々まあこんなもんってのも見えてくるもんだよ。とは言ってもヒデさんの場合はその一回だけで終わる家族計画なんだっけか?」

「ええ、あんまり年をとってから産んでも大変ですし、二人ぐらいはって思ってたらいきなりですからね。……もうちょっと出会うのが早ければテツさんみたいになっても良かったかなってのはありますけど」

「ふふっ、大事なのは数より愛情だからな。いい子に育ててやれよ。それに俺だって密かにワクワクしてるんだぜ。ご近所でも双子っていなかったからなあ」

「ベビーカーとか専用のやつ買ったりで、ただでさえ初めてなのにこうもやる事いっぱいあるとは知りませんでしたよ」

「その経験が男として成長させるんだろう。今年で40だろ。それでもまだ伸びる要素に満ち溢れてるんだから羨ましい限りだぜ」

「そうですね!」


 サッカーでは小さい頃から多くの壁が立ちふさがり、その度にそれを正面から見据えてどうにか乗り越えてきた。今直面している衰えという絶望的な敵に対しても、得点特化によって善戦しているし、でもそれが出来たのは今までサッカーにだけリソースを割いていられたからでもある。


 これからは男として父親として、もっと成長していかなければならない。そんな折にコロナという災厄が降り注いだ。リーグ戦は中断を余儀なくされ、クラブさえも活動停止となった。サッカー選手としては致命的な停滞だ。しかし荒川秀吉という一人の人間にとっては、それまであまり考えずにいた問題を真剣に見据える時間が与えられた。


 もし再開されても絶対に出産立ち会いはすると最初から決めていた。一度はコロナのせいでそれすら不可能となりかねなかったが、5月中に日本全国に発令されていた非常事態宣言は解除され、それに伴い立ち会いもマスクをしながら時間を限られた上でという条件付きながら解禁された。


 妊娠したと判明した頃はまだこの新型ウイルスは影も形もなかったのに、災厄と不安を散々撒き散らして母体に不要な心配をかけさせてくれたものだ。そのくせギリギリのタイミングで去っていって「やったぞ立ち会い出来るようになった!」なんて喜ばせるのはいかにもたちの悪いマッチポンプだが、この際はそんな事も言ってはいられない。


 このタイミングでコロナが落ち着いたのはつまりこの世界は産まれてくる子どもたちを祝福した証明。そして自分にとっても、人間として成長するためには不可欠な父親としての任務が人知を超えた天空の采配から授けられた。今はそう信じる事にした。


 それまでサッカーに使っていた時間を利用して秀吉は病院で行われる講習会を真面目に参加したりして父親になるための心構えを十分に身に着けた。ましてや初産、しかも双子。母親となる小早は言うまでもないとして、父親となる秀吉も相当の努力をしなければこの難事業の成功はおぼつかない。それぐらいは自覚しているのだから、秀吉も今までになく真剣だった。


 禍福は糾える縄の如しと言うが、全世界を駆け巡った不幸が一人の男を頑迷な思考から自由にさせたのはまさしくその言葉が真を穿つものであった証明であろう。


 そして練習メニューは粛々と消化され、最後に紅白戦を行おうかというところでクラブスタッフがグラウンドに飛び込んできた。


「ヒデさんヒデさん! 病院から連絡がありました! 小早さんが破水したそうです!」

「むう、ついに来たか……!」


 内心では心臓バクバクなくせにちょっと気取った言い方をしてみせるものの、先達からするとその程度の心理状況は見透かされていた。夏だというのに氷が固まったように動けずにいる肉体を見かねた指揮官がおもむろに近づき、肩を叩いた。


「ヒデ、早く行ってやれよ」

「……はい監督! じゃあ俺はそういう事で、お疲れ様です!」

「ちゃんと産まれたら写真ぐらいは送れよな!」


 夕方から夜には少し早いが、まあそんな簡単にはいかないのだろうと納得するしかない。結局この期に及んでもフラフラと右往左往で情けない男だと内心苦笑しつつ、ともかく秀吉はすぐさま練習を切り上げて病院に直行した。

100文字コラム


毎年恒例の尾道美男子コンテスト。今年は昨年二位の森川が初戴冠。「目つきが可愛い」「尾道の中村倫也」等のコメントに森川は「嬉しいです。親からの貰い物に感謝したい」とニコリ。なお二位は山崎兄、三位は河口。

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