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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2020 荒野に咲いた花
275/334

荒天の出港その4

 さしもの野獣も絶え間なく打ち寄せる加齢という波には抗えないものであろうか。後半の残り10分そこそこというところですっかり運動量が低下してしまった。


 それでも心はくじけていない。その証拠に、折り曲がった眉毛の下に光るブラウンの瞳は輝きを一切失ってなどいない。


 試合展開は2対3、尾道1点のビハインドを追いかけている。尾道はすでに3つの交代枠を使い切ったから、後は今ピッチ上にいる11人でどうにかするしかない。選手たちはあらゆるアクションを仕掛けて最低でも1点をもぎ取ろうと全力を尽くしたが敵もさる者、ただ受け身に回るだけでなく時には積極的な攻撃を仕掛けるなどして常に驚異であり続けた。


 そして残り時間はアディショナルタイムの3分のみとなったところで、尾道が最後の攻勢を仕掛けた。


 まず中盤で森川と西東の共同プレーでボールを奪ってから一気に前線へ放り込んだ。それをセラーノが競り合って、こぼれたボールを野口が抑えた。


 さあここからどう展開するか。とは言ってもじっくり考える時間はないから瞬時の判断を下すしかない。そんな時、野口の脳裏にエコーしていたのは秀吉の言葉であった。


「ここぞって時は迷わず俺にボールよこせよ!」


 それが今だと、ためらいなく思えた。チーム全体としては今村やルイッチも猛烈なスピードで前線へと突き上げていたのだが、もはやそれ以外の答えは見えないほどに「正解はこれしかない」と信じられた。だから間違いなく、その声に従うだけだった。


「ヒデさん!!」


 年齢は10歳以上離れていても長年プレーした同士だ。きっと彼ならここにいるはずというスペースに折り返すと、まるでワープしてきたかのように秀吉はそこに向かってダッシュしていた。そのスピードは疲れ果てていたかに見えた先程までとはまさしく別人。さっき投入されたばかりにしか見えないほどの切れ味で疾走する姿に相手ディフェンダーに選手としての理性を忘れさせるほどであった。


「うおおっ!!??」


 ペナルティエリア目前で強引に抑え込まれてストライカーの疾走はなぎ倒されたが、これを決定機阻止と見なされてレッドカードが雨上がりの空を染めた。


「おお痛い痛い。しかし駄目だな。全力で走ってこれだよ。最低でもPKまで持ち込みたかったんだがな」

「いや、でも絶好の位置ですよ!」

「そうだな。じゃあ、後は頼むぜ。このゴールはお前に譲るさ、パブロ」


 パンパンとユニフォームを叩いて汚れを払いつつ颯爽と立ち上がった秀吉は、最後の見せ場を自分よりひとつ若い背番号のアルゼンチン人に譲った。


「ああ、言われるまでもない。このコース、何千と練習した位置だ。外しはしない。ただヒデよ、お前こそ心配だ。なかなか派手な倒れ方だったじゃないか」

「俺だって何千と倒されてきた男だ。綺麗な倒れ方ぐらい心得てる」

「ふっ、それもそうか。じゃあ、後は後ろからじっくりと見てるんだな」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 これが最後のチャンスとなっても不思議ではない展開にあってパブロ・セラーノもまた秀吉と同じく、憎らしいほどにいつも通りであった。


 そして試合再開後、セラーノは短い助走を経て左足で止まったボールを撃ち抜くと、そのまま直線的、暴力的な軌道を描いてゴールネットを叩きのめした。


 日本においてこの男がフリーキックを直接決めるのは初めてだったが、それは何度もリピートされた映像を再び見る時のようなデジャヴ感さえ漂っていた。コースも威力もあまりにも完璧すぎたからだ。


「よし同点! さすがはパブロ!」

「練習でいつも決めてるけど、改めて見ると美しさすら感じられるほどパーフェクトですよね」

「それだけ鍛え抜いた自信もあるんだろうな。それよりまだ試合は終わってない。もう1点足りないからな」


 そのままサッカーの教本にも使えるようなセラーノのフリーキックでようやく試合を振り出しに戻した尾道。しかしまだゲームの時間は尽きていない。尾道はどうにかボールを奪って一気に攻め立てたが、最後の望みを込めたルイッチのシュートはゴールマウスのはるか上空を通り過ぎて、そして激闘は終わりを告げた。


 絶望的な前半から終わってみれば3対3。港監督の初陣は波乱の中にも着実な一歩をこの吹田の地に刻んだといえるだろう。


「なっ、監督って大変なもんだろ?」


 試合終了後、上空を見上げて大きく息を吐きだしていた港監督に向かって、相手の監督がにこやかに肩をたたいた。


「そうですね……。今日一日だけでしっかり教えられましたよ」

「ははっ、でも今日は引き分けだったからな。これで負けてたらもっとガクッとするぜ。でも勝てた時の喜びもまた選手時代よりよっぽど大きい。この世でこんなにやりがいのある仕事もないだろうよ。まっ、これからもお互い頑張っていこうぜ、後輩よ!」

「はい先輩! そして次に当たる時もきっと同じ立場で会いましょうね!」

「ああ、そうありたいよな……」


 浮き沈みは指揮官の常。そして一度沈んだらその首をあっさりと切られる厳しさもまたこの職務の定めである。新監督だろうが実績豊富なベテランだろうがそれは変わらない。


 港監督は自分の決断によって試合の行方が大きく変わるという監督の醍醐味を、1試合目にして早くも全身で受け止めた。そして前半の反省を頭の中で反芻しながら次の試合に向けてシミュレーションを繰り返した。


 一方で選手たちだが、前半の最悪な流れを断ち切って同点に追いついた最大の殊勲者が背番号9荒川秀吉である事に疑問の余地はなかった。だから試合後もインタビューに答えていたが、時間が進むにつれて苦しそうな表情を浮かべてほとんど会話にならなくなった。


「あ、あの、大丈夫ですか?」

「……ちょっと大丈夫じゃないかも知れませんね」


 全身を棒で打たれたかのような痛みがベテランの思考と言葉を奪っていく。試合中はアドレナリンが補っていた肉体のダメージが終了と同時に噴出して、とてもまともに喋れる状況ではなくなっていた。


 結局インタビューは強引に打ち切られて慌てて担ぎ込まれた病院で検査した結果、骨折が判明。むしろよく試合終了まで戦えたものだと医者が呆れるぐらいだった。


 これで秀吉は離脱を余儀なくされたが、しかしこの試合の後、全世界で猛威を振るう新型コロナウイルスの影響でリーグ戦やカップ戦はすべて延期され、現在に至るまで再開の目処は立っていない。


「それにつけても、たったの45分でこのざまよ。だんだんと無茶が利かなくなってきてるのがいかにも情けないじゃないか小早よ」

「でもやれる事はやれたでしょ。負けのペースをひっくり返して勝ち点1。それで十分じゃない」

「現実的にはそうだが、それでも後1点……。やれないはずなかったんだがな」

「……そう言えばタクトくんから聞いたけど、無茶しないでって言われてそんな話は聞けないって返したんだってね。それならあたしからも重ねて言うけど、無茶しすぎないでくださいね。今年は降格もなくなるし」

「だからって程々でいいってのはプロとして違うだろう。今回の病気のせいでお客さんだって二の足を踏むだろうし、そうなると日本サッカーのためにも今まで以上に全力でやらないと嘘じゃないか」

「そりゃああたしだってヒデさんのそんなプレーを愛した一人だけど、でもやりすぎて傷ついた姿を見て何も思わずにいられるほどの関係でもないんだから……」

「その気持ちは分かってる。でももうちょっとは無茶を続けさせてくれないか。自分のためって以上に、こんな世の中に生まれ出るこいつらがこれから少しでも楽に生きていけるために……」


 自宅待機中の秀吉は小早の大きく膨らんできた腹部を柔らかに撫で回した。このカーブに宿る、自分と自分が最も愛する人の魂を等しく受け継いだ生命の源たちのためなら老いた身体がどれだけ傷ついても構わない。どうせ残された時間は短いとは知っている。残された自分の選手生命を、自分を受け継ぐ存在のために燃やし尽くしたいと願うのは人智を超えた生命38億年の本能であろう。


 大陽と紫陽という名前が付けられるはずの子供たちが胎内を抜け出し光の色を知るのは6月、果たして世界は鮮やかな日差しと暖かさで迎えてくれるだろうか。

100文字コラム


サッカー協会会長が感染するなど猛威を振るう新型コロナウイルス。開幕戦以降の日程が全て延期となるのも当然だ。今年は降格なし、来年は20チームでリーグ戦を行うようだがそもそも今年中に再開できるのだろうか。

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