愛を重ねて次の未来へ
2019年の大晦日はいつもより風が強かった。さしずめ「風と共に去りぬ」ってところか。名作のタイトルを頭に浮かべながら秀吉は、しかしまだその名作がどのような物語なのか一秒たりともその目で確認した事はなかった。
「古い映画は見る機会がなかなかないから、でも漏れ聞こえる話をつなぎ合わせればなんとなく輪郭も見えてくるものだし」
「ふふっ、それもそうだが、それだけじゃつまらんよ。やはり自分の目で見ない事には……」
「あっ、そろそろ年が明けるわ!」
すでに紅白でテープは飛び散り、落ち着いた夜景がテレビを彩っている。そして0時0分、風と共に2019年は去り、鐘の音と共に2020年は訪れた。
「あけましておめでとうございます、小早」
「今年もよろしくおねがいしますね、ヒデさん」
こたつの同じ面に足を並べながら愛しさと少しの眠気も混じったトロンとした瞳でお互いの瞳を見つめ合えば、ぼんやりとした輪郭がいつもよりも優しく微笑んでいるように見えた。秀吉と小早は唇と唇をただ重ね合うよりも暖かい、心の口づけで新しい年の始まりを迎えた。
小早にとっては名字が変わってから初めての年明け。しかも順調に行けば5月か6月頃に二人で育んだ子供たちをこの世界に産み落とす瞬間を迎える。時間に示せばまだ半年ほど先の話。でもその肉体は日々確実な変化を遂げつつある現状、それを遠い未来の出来事だと他人事のようにはとても思えなかった。
そういった先の事を思って小早が一瞬目尻を鋭くしたのを目ざとく察知して、秀吉は膨らみを増してきた腹部を柔らかく撫でた。
「頑張らなきゃいけないな、俺も。去年みたいな成績じゃ、生まれてくるこいつらに申し訳が立たん。それに小早も、俺に出番がなくて余計な心配はかけられんからな」
「わ、私は別にそんな……。でもヒデさんなら大丈夫です。妻というよりサッカーを愛してサッカーを糧に生きる一人の人間として、きっとやれるって信じるどころかもう確信してるから」
「あらまあ、確信されちゃったか。ふふっ、それならなおさらだな」
若手の台頭もあり、秀吉は去年ほとんどリーグ戦に出場出来なかった。しかしそれは明確な衰えを意味するものではなく、むしろそのストライカーとしての鋭さは磨かれる一方であり、その証拠に試合数とゴール数がイコールになっている。数字上は試合に出さえすれば確実に1ゴールは決めるという計算になる。
そして昨年まで指揮を務めていたヒース監督は退任し、コーチとして秀吉ら試合出場に乏しい選手たちのメンタルケアなどに尽力してきた港滋光が監督に就任した。
港滋光。言わずと知れたかつての尾道のディフェンスリーダーである。秀吉がこの地に降り立った時は身長こそ低いもののそれを補う頭脳でセンターバックの一角として不動のレギュラーを確立し、しかもキャプテンとしてチームをまとめていた。港キャプテンに導かれて尾道は強化の道をたどり、ついに昇格を果たした。
しかし港は昇格を置き土産に現役を引退。しばらくはその明晰な頭脳を買われて評論家として活動したが、数年後満を持して指導者への道を歩み始めた。それから尾道のまずはユース、そして昨年はトップチームのコーチとしてキャリアを積み上げてきた。
昨年の7月に不惑を迎えたという、早すぎず遅すぎずの年齢も含めて、現役時代からいずれはこの時を迎えるであろう人材と見られていたため、まさに満を持しての監督就任であった。
現役時代はディフェンダーだったが、就任会見においてはオフェンスの強化を何度も口にしていた。
「我が尾道は言うまでもなく地方クラブです。決して金銭的に余裕があるほうではないし、名の知られた大物をポンポンと引き抜いていくような文化はない。だからこそ、観客はもちろんの事、選手からしても魅力的だと思えるようなサッカーを披露しなければこの最高峰の舞台で戦い続けられなくなるでしょう。もちろんヒース監督が培ってきた組織的な戦いは継続していきたい。でもそれだけじゃない、佐藤監督が2016年に見せたようなサッカーこそが尾道の生きる道です」
佐藤監督と言えばスリートップを置いた攻撃サッカーで、2シーズン制だった当時のリーグにおける後半戦ではあわや優勝という大躍進を見せた。結局内部のゴタゴタもあって佐藤は1年で退任し、今ではスーツを着込む役職に就いている。しかし彼が残した魂は消えるどころか未だにチームの中に息づいている。
本当のところはヒース監督もそういうサッカーを好んでいた。しかし就任時は佐藤の次の監督選びに失敗してごたついた状況。降格という最悪の道から逃れるため、一番手っ取り早い方法として守備的なサッカーを選ぶしかなかった。
それからも時々オフェンス力を高めるべく様々な手を打ってきたがなかなかままならず、秀吉や浦といった個人の爆発はあれどなかなかチーム全体のイメージとしてはスローガンの如きアグレッシブさとは無縁の小粒、真面目、守備的サッカーといったいかにも地味な存在というコンセンサスが漂っていた。
果たして港監督はそれを打ち破れるのだろうか。佐藤監督時代もサッカーの内容自体はかなりスペクタクルだったはずなのにやっぱり地味なイメージだったように、やはり尾道を取り巻くその空気に取り込まれてしまうのか。でも下手に変えようとすると竹島監督時代みたいな痛手を被りかねないもので、チーム作りとはまったくもって難しいものだ。
「この子らが産まれる頃にはどうなってるものか……」
そこまで思いを馳せたところで秀吉は急に背筋が跳ねたかと思うと目が覚めたようにぎょろりと大きく見開いて、「ああ、そうだ」と問いを投げかけた。
「そういえば、子供の名前って考えてる?」
「ええ、まあ、一応は……。ほら、出産してからだとなんかテンションがハイになって変なのになりかねないって話だから」
「はははっ、いや、それはそれで別にいいと思うけどな」
「でも一生残るものだから、一時の気まぐれで付けるのもね。そう言えばヒデさんは何でその名前になったとか聞いた事ある?」
「うん、生まれが伏見だからな……。他にタイコウって案もあったらしい。コウの字が日に光の晃で。小早は?」
「なんか船の名前らしくて。栃木なんて海ないのに」
「でもご両親はうまく付けたと思うよ。本当に小早って感じに育ったんだから。俺なんてどうあがいても名前負けだよ。お釈迦様の手のひらではしゃぐ孫悟空の気持ちさ」
「それは、ううん。でもヒデさんは他にいないヒデさんですよ」
「それで、小早はどういう名前考えてる?」
「今のところは紫陽とか。ほら、アジサイを漢字で書いたら紫の陽ってなるから」
「へえ、綺麗な名前だな」
「でしょ! じゃあヒデさんは?」
「うん。ちょっと似てるけどタイヨウって言うんだ」
「タイヨウ。空? 海?」
この問いに対して秀吉は言葉なく、しかし天井に向けて指を立てて答えとした。
「なるほど太陽。……いよいよ私のアイデアとそっくりで、いかにも最初から双子のために用意されたみたいになってきたわね」
「完全にたまたまなんだけどな、まあせっかくの夫婦なんだし、それぐらいの以心伝心があってもいいだろ。でもここがツボなんだが、一文字目が太いじゃなくて大きいなんだよ」
「太いじゃなくて大きい……、太陽じゃなくて大陽か。でも何で?」
この問いを待っていましたと言わんばかりに、秀吉はいたずらを仕掛けた子供のように無防備な笑みを浮かべた。
「何でってそりゃあもちろん、俺がストライカーだからさ」
胸を張って心臓に右の手のひらをかざし、いかにも自信満々といった様子からのふわっとした答えに小早は一瞬その意味を測りかねたが、数秒後真意に気付いた途端お腹を抱えながら声を出して笑い始めた。それはまさしく点取り屋の矜持と含羞を一人の男の体に見たからだ。
「そうか、それか! ふふふっ、確かに他に考えられない名前だわ!」
「だろう? 伊達に40年近くも生きてないよ」
「まったくね。それにつけても私こそこの二人、大陽と紫陽を健康に産み出すために頑張らなきゃね。あっ、どっちが大陽でどっちが紫陽ってのも考えておく?」
「それはおいおいな。それよりも今は、眠ろうか。あんまり夜ふかしすると健康にも触るだろう」
「うん、二人のためにもね」
それから消え入るような囁きを残して部屋の電気は暗くなった。本小説も後2年ぐらいは続く予定ですので、今年もご贔屓のほどよろしくお願い致します。
100文字コラム
今年末に竣工予定の尾道新スタジアム。ネーミングライツパートナーが事実上の親会社でもある幸波グループに決定した。五年契約で総額三億円。名称は主力製品である貨物船から「ラピスフィールド備後」となる模様だ。




