生命の螺旋
夏の熱気も少しずつ薄らいでいき、そして本物の秋が訪れた。見よこの半袖に受ける爽やかな風を。ついこの間まで散々降りしきっていた刺すような日差しとは雲泥の差。これが人間の生きるにふさわしい気候だと胸を張って断言できる。
リーグ戦の概況としては、上下がくっきり分離したのが最大の特徴であろう。8位大分と9位神戸の間にはかなり大きな勝ち点差があり、しかも9位神戸から15位浦和までの7チームがわずか勝ち点1の間にひしめき合っている。尾道もこの巨大な集団の構成員として激しい戦いを繰り広げている最中だ。
もう少し下を見ると、まず最下位に沈む磐田は二度に渡る監督交代も虚しく連敗が続いており、もはや厳しいなどという言葉では到底言い表せない。残念ながら悲しい知らせは遠からぬうちに届くだろう。17位の松本もここが踏ん張りどころだ。
この自動降格2チームの上には前半戦の絶望的な戦いから巻き返してきた鳥栖がいるが、上の団体とはまだ少し差がある。この16位になるとJ2の3位から6位によって争われる一連のプレーオフに打ち勝ったチームと入れ替え戦が行われる。
去年は磐田がこの恐ろしい戦いに挑んだが、6位から勝ち上がった東京Vに2対0で楽勝して残留を果たした。戦力の格差もあったが、日程的にも連戦の末にほうほうの体でようやく入れ替え戦までたどり着いた東京と準備万端でそれを受けて立つ磐田ではどちらが有利だったか言うまでもなく、正直よっぽどの事がない限り残留側のほうが勝ち残れるルールだろう。
しかし寸前で救われたとは言え入れ替え戦まで進んでしまうようなチームがJ1全体で崖っぷちだったのもまた事実で、その危険水域に達していたのに監督交代なし補強はほぼなしと抜本的な変化からは顔を背けた。当然開幕から低空飛行を続け、それでも補強の成果と呼べる個のある外国人も使いこなせず半年で退団では現在の苦境に立たされているのも致し方のない事であろうか。
そして今度の週末にはその磐田をホームで迎え撃つ尾道だが、こちらも相手をどうこう言えるほど立派な状況ではない。夏場に奈古や蒔田など怪我人が出たのに続いて、9月にはリーグカップにおいて守護神種部が接触プレーで負傷退場してしまった。
その試合自体は交代出場した潘の頑張りや添島の鋭いドリブル突破から決めた見事な決勝ゴールもあってどうにか勝ち進んだが、決して楽観視できるチーム状況ではない。
ましてや磐田とてかすれていく可能性の光の筋ならば一本でも手放してなるものかと死にものぐるいで来るだろう。新監督のサッカーも時間とともに浸透していくから、決して容易い相手ではない。そんな中、秀吉と小早の二人にも否応なしに変化が訪れていた。
その日は小早が朝食を作る日だったが、寝起きから体調が優れないようだったので代わりに秀吉が料理した。
「どうしたんだ小早。お前らしくもない」
「うーん、どうしたんだろうね。疲れが溜まってるのかな」
「あー、そうだろうなあ。毎日遅くまで計画練ってるからなあ。いくら若いって言ってもそりゃあきつかろうな」
ただでさえ30人にもわたる選手たちの調子を見てそれぞれに最適な調整を提案実行する仕事は激務だが、今はそれに加えてパブロ・セラーノ再生計画と第する、極めて組織的なプロジェクトが進行している。
鳴り物入りで加入したセラーノだが、現状においては期待外れと言うしかない成績に終わっていた。先日の横浜戦では相手の虚を突く形で待望の来日初ゴールを決めたものの、それ以外は鳴かず飛ばず。試合も大量失点を喫して敗北となった。
せっかく億単位の年俸を払ったのにこのままではいけない。幸い3年契約なんて結んでいるので、今現在の短期的な結果にこだわらず長期的な視野でしっかりと回復してもらおう、何なら新スタジアム竣工する頃にようやく本領発揮するぐらいのペースでもいいじゃないかという計画をクラブ全体の創意として打ち立てた。
そのためのデータ取りやメニュー作成などに小早らトレーナーは総動員されて、しかももちろん従来の任務もパーフェクトにこなさなければならない。そのために犠牲になるのは時間と体力で、この頃は夜も帰って食べてすぐに眠るような、機械的で潤いのない日々が続いていた。
でもそういう仕事だと知った上で選んだんだからと、立ち上がろうとする女を男は優しく制した。
「体調が悪いなら今日は休めばいい」
「でも」
「トレーナーはいざって時、血気にはやる選手を止めるのも必要だろう。その時、明らかに無理してる人間が『あまり無理をするな』って言っても説得力なくなるぜ?」
「それはそうだけど……」
「心配するな。そういう日はある。テレビでみんなの活躍をゆっくり眺めてくれよ」
そんな事を言って家を出た秀吉の背中が完全に消え去るまで、小早はまばたきすらせずに見つめ続けていた。そんな日のメンバーは以下の通りに発表された。
スタメン
GK 25 潘海斗
DF 12 茅野優真
DF 3 シドニー
DF 20 讃良玲
DF 34 ボイェ
MF 30 添島正成
MF 4 八幡銀仁郎
MF 19 河口安世
MF 16 宮島傑
FW 39 パブロ・セラーノ
FW 11 野口拓斗
ベンチ
GK 13 山田多摩男
DF 2 円山青朗
DF 15 西東良福
MF 6 山田哲三
MF 24 森川好誠
FW 10 デニス
FW 27 山崎灯
潘と山田多摩男が種部離脱中の正GK争いを繰り広げているが、前節スタメン出場した山田は複数失点を喫してしまったので今日は潘がスタメン出場となっている。サイドバックには攻撃的なボイェを起用し、ダイナミックさを追求。ボイェと言えば大味な守備でも知られているが、地道にではあるが改善しつつあるのは良い傾向だ。
中盤はお馴染みの面子と呼んでもいいだろう。最前線も相変わらずセラーノが使われている。確かにようやくゴールを決めて勢いに乗ってきたと言えない事もないが、安定した実力者のデニスを控えに置いてまで使うほどかと言うと極めて疑問。しかしこれも契約というものの重みである。
ベンチには蒔田の負傷に伴い山田哲三が今シーズン初のベンチ入りを果たした。一方で秀吉はベンチからも外れたが、それはそれで仕方ないと切り替えて「テツさんやりましたね」と、笑顔を見せた。
「まあこれからだな。夏が過ぎて、この広がったデコにも涼しい風がガンガン当たる季節になってようやく必要とされる時が来たんだ。それよりそっちだよ」
「いや俺は別に……」
「そうじゃなくてな、お嬢さんだよ。体調悪いんだってな」
「ええ。朝から何か気持ち悪いとかで。それで朝食でお魚焼いたけど、いつもは好き好んで食べるのに今日はそういう気分じゃないとかで残すし」
「へーえ、なるほどねえ、なるほどねえ。ふふっ」
深刻そうに顔をしかめていたかと思うと急にぱっと明るい表情と声になった山田の豹変に秀吉は困惑した。
「どうしたんですテツさん?」
「どうしたじゃないだろ。というか何か思いつかないのか?」
「いえまったく」
首をかしげる秀吉の仕草をまるで愛おしいもののように、山田は鼻で笑い「そうかそうか」とうなずいた。
「俺は何度か経験してるがそっちは初めてだもんな。それで言うと、つまりな……」
山田は秀吉の耳元へとおもむろに近づき、小さくとも確信に満ちた声で神聖な言葉を告げた。まるで心臓に弾丸を撃ち込まれたように鼓動は膨張していき、みるみるうちに爪の先まで紅に染まっていった。
「正気ですか!!」
「それはこっちの台詞だよ。中学生じゃないんだからさあ。これも日々の結晶だろうがよ。やる事をやってればいずれそうなるのは分かってただろ?」
「い、いや、まあそうですけどね……。で、でも、急にそう言われると……」
「確かにこれ自体は単なる推測だ。聞いた話じゃそうとしか思えんがな。それにもし今回はそうじゃないにしても、いずれその時が来た時も考えろ。お前がしっかりしてなきゃどうにもならんのだからな。幸い今日は試合出場もないんだから、家に帰るまでにしっかり心を整えとけよ」
「は、はい!」
妙に大きな声でまるで後輩のようなはっきりした返事をする秀吉の姿に、周囲の選手も何だこれと目線を向けてきた。まるで一本一本が強く引かれた弓から放たれる矢のように刺さってきた。
「な、なんでもないって! さあベンチ外メンバーは外に出よう! 運営のお手伝いだ!」
ベンチ入りしなかった選手たちはスタジアムの周りで行われるイベントに参加するなどそれなりに忙しいのだが、試合に出られない頃は率先してその手のイベントに参加していた秀吉もさすがに今日ばかりは心ここにあらずといった、ぼんやりした表情で過ごしてしまったので後で思いっきり後悔した。
100文字コラム
外国人枠拡大で仕事が増加した鈴木通訳。リンドマンはともかく英語のシドニーとデニス、フランス語のボイェに続いてスペイン語のセラーノまで加入したが「全て習得済みなので問題ない」と胸を張る。さすが本郷大卒。




