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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2018 永遠の向こう側
239/334

ニューオーダー

「例の犯人結局広島まで行ってたとか、よくやるもんだよ」

「らしいですね。泳いで渡ったんだから尾道にもちょっといたわけですよね。怖い怖い」

「でも無事に捕まって良かったよ。これで試合の時に検問しなくても良くなるはずだから」


 4月に尾道のまさしく向かいにある向島に潜伏していた脱走犯は、周辺の地理に詳しい人間なら薄々予想していた通りすでに向島を脱出していた。しかし防犯カメラで雁字搦めの都会に出たのが運の尽き、最後は警察とのチェイスの末に逮捕と相成った。


 この事件、尾道市に本拠地を置くクラブチーム内ではリアリティのある心配事となっていた。練習を終えていつものマッサージをしながら、秀吉とトレーナーの小早は事件の解決を心より喜んでいた。この件のせいでゴールデンウィークに行われる試合のチケットが例年より売れていないという話も漏れ聞こえていたからだ。


「とにかくこれで一段落ですし、5月になればヒデさんの季節ですね」

「なんだいそりゃ?」

「太陽の眩しい季節だから、ヒデさんの肉体も目覚めつつあるみたいじゃないですか。それと今日ここに来る時にね、四つ葉のクローバー見つけたんですよ!」

「へえ! そりゃあ良いな!」

「はい。だからあたしはヒデさんの幸運を祈ったから、きっと5月はいいことあるんです!」


 秀吉は根拠のない占いを信じないが、それを信じる人の心は信じていた。年月は人間の心を擦れっ枯らしに変えたが、純粋でいられる心を羨んでもいたからだ。小早とちょっとした話をするだけでも穏やかな気持ちになり、身体だけでなく心までも癒やされるように感じられていた。


「そうなればありがたいがな。ここ最近チームもちょっとしっくり来てないし、俺もそろそろ働かんとな」

「今のチーム状態をあたしなりに分析すると、オフェンスのリズムが単調に見えるんです。ナコちゃんもマーティンも一本気なタイプでとにかく勝負勝負だから、相手からすると読みやすいでしょう」

「それがあいつらの武器だからな」


 デニス負傷以降、尾道のチームバランスは崩壊とまではいかないものの明らかに悪化していた。特に攻撃に関しては連動性が低下し、得点力不足に陥っていた。


「だから必要なのはヒデさんみたいな選手ですよ。近いうちに必ずお呼びがかかりますよ、きっと」

「それはミスターの決める事。俺に出来るのはいつ呼ばれてもいいように万全のコンディションを保つだけだよ」

「そうですね。そしてあたしはそのお手伝いが仕事ですからね」

「いつもすまんね。俺みたいなおっさんにかかりっきりで申し訳ない」

「そんな、気にしないでください! むしろあたしから志願してるぐらいですから。なにしろヒデさんはチームで一番心地いい筋肉持ってますからね。この年齢にしてこの地鶏みたいな弾力。いつまでも触れていたいような……、すみません」

「ははっ、いいさ。お嬢さんは俺に多くを与えてくれてるし、俺も何か与えないと不平等だろう?」

「なんてもったいないお言葉。あっ、イチくん! もうメニュー終わったの?」


 トレーニングルームに入ってきた一原に気付いた小早は声を掛けたが、「あっ、はい」と気の抜けた返事をしただけですぐ自分の世界に篭った。せっかくの鈴のような声を無駄に投げ捨てるような塩対応に、秀吉は嘆息するばかりだった。


「うーん、イチくんはどうすればいいのか」

「悩んでるよなあ、あれは相当に。ましてやイチは脇目もふらずサッカーだけに邁進してきた男。それが今サッカーに跳ね返されている。だから自分の人生に何も残っていないみたいに思えてるんだろう」

「一筋で来たからこそ逆に脆いんでしょうかね」

「ただあれで最近読書にはまってるらしいんだ。しかも政治とか経済とかの」

「知らなかった! アカデミックなんですね」

「勉強せずにいたから新しい発見ばかりだって。それはいいんだが、この間『ここに世界の真実が書かれているんですよ』って勧められた本読んでみたらユダヤがどうとかそっち系でな。目を覚ませって言っちまったよ」

「……難しい状況ですね」

「中身はともかく自分で自分の道を切り開いてるのも確か。意欲を潰す言い方になったとしたら、良くないわな」

「とは言え最後は本人が気付くかどうかですしね」

「まあもうちょっと見に回るしかなかろうよ」

「そうですね。とにかく今は次の試合に集中するしかないでしょう。きっとヒデさんも出番ありますよ!」

「そうだな。俺が信じるお嬢さんの信じる事を信じてみるさ」


 そんな会話が繰り広げられた次の試合、尾道の前半の戦いぶりは最低だった。カード累積によって出場停止となった讃良の代わりにセンターバックで出場した鄭のスピード不足もあり、得点力不足を補っていた守備が崩壊。前半だけで3点のリードを許すに至ったのだ。


「話にならんな」


 ハーフタイム、ヒース監督は一言こう告げただけで黙りこくった。選手たちはそれぞれ心の中で己の不甲斐なさを嘆いていた。それが十分に染み渡ったと判断した時、指揮官は自らが築いた沈黙を破った。


「ジョー! ヒデ! お前達に任せる」


 マーティンと交代で中原、浦と交代で秀吉という両ベテランをピッチに送り出した。今シーズンここまで出番の少なかった両雄の起用。勝負を投げたのかとも思われたが、むしろここからが今年の尾道が完成するその第一歩となった。


 後半開始から10分、ベテラン二人は鳴りを潜めていた。こうして指揮官の奇策は奇策のまま失敗に終わるかと思われていたが後半11分にいきなり動いた。それまでボールすら触れられなかった中原が勝負手を差すように撃ち込んだスルーパスにいつの間にか接近していた秀吉が反応。キーパーとの1対1を制してゴールネットを静かに揺らした。まるで二人以外の時が止まったかのような美しい一撃であった。


 そしてこの瞬間から一気に試合の流れは尾道のものとなった。特に中原の硬軟織り交ぜたパスワークは相手を翻弄し、それは一瞬の動きで勝負する秀吉の持ち味を存分に活かすプレースタイルであった。中原というパートナーを得た秀吉は幽霊のように敵陣に消えては現れ、死神の鎌を振り下ろした。


 後半30分に同点に追いついてからは、西東と交代で平田を投入した。これで右サイドに平田、茅野は左に回って極めて攻撃的なメンバーを揃えて猛攻を開始した。ただこれは勇み足が過ぎて、逆にカウンターからつまらない失点を喫して結果的には敗れてしまった。


 試合後の会見で監督は口角を上げて「前半は最低の試合、後半は最高の試合」と述べた。今日の後半のような戦いをすれば必ず勝てる。そう確信したからだ。そしてそれは次節の鳥栖戦、早速有言実行となる。スタメンは以下の通りに発表された。


スタメン

GK  1 種部栄大

DF 12 茅野優真

DF  2 円山青朗

DF 20 讃良玲

DF 15 西東良福

MF  8 中原城吾

MF 10 亀井智広

MF 19 河口安世

MF 13 奈古一平

FW 11 野口拓斗

FW  9 荒川秀吉



ベンチ

GK 32 山田多摩男

DF 28 平田祥矢

MF  5 池山大心

MF  6 山田哲三

MF 16 謝花陸

MF 29 マーティン

FW 18 浦剣児


 前節で活躍した中原と秀吉のコンビがいきなりスタメンに抜擢された。またセンターバックには出場停止明けの讃良と怪我から戻ってきた円山が組む事となった。円山は今シーズンリーグ戦出場は初めてだったが、さすがの安定感を見せて無失点に貢献した。


 そして攻撃は中原のパスに反応して抜け出した秀吉が1対1を冷静に流し込むという得意技で先制点を挙げたが、後半途中にはもう引っ込んだ。しかし相手に与えたダメージは大きかった。ベテランの技によって精神的にも肉体的にも疲労した鳥栖守備陣にフレッシュな謝花と浦が襲来されれば、もはや為す術はなかった。


 矢継ぎ早に浦が1点謝花が2点を奪うと、最後のカードとして奈古に代えて山田を送って堅実に守備固めして4対0と圧勝。以降はこれが2018年尾道の新秩序となった。

100文字コラム


ラフファイターの印象が強かった円山だが今年はクリーンプレーに徹している。サイドバック挑戦など選手としての幅を広げているのも「来年には三十だしいつまでも同じスタイルじゃ頭打ち」という危機感の為せる業か。

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