得点その6
「やられた、体よくやられた。尾道にこんなオプションがあったとは……」
テクニカルエリアで腕を組む水戸の桂谷監督は、苦虫を3匹ほど一気に噛み潰したような表情でピッチをにらみつけた。現役時代は日本代表の最終ラインに君臨した男。それだけに有川のパワー、王のタフネス、秀吉の決定力という3本の矢が絡み合うコンビネーション攻撃を防ぎきるのは容易でないと痛いほどに理解できる。
前半のように有川を集中的にマークしていると王や秀吉に引きずられてディフェンスが分断される。金田というJ2屈指のパス精度を誇る司令塔を有する尾道である、少しでも気を抜くと今のように崩されて失点に直結してしまう。しかし有川のマークを薄くするのも彼のパワーを見るに危険な賭けとなる。とにかく、尾道のトライデントは攻撃力を大幅にアップさせるフォーメーションであるという事だ。
しかしすぐ気を取り直した。まだ時間は30分ある、今の流れがずっと続くはずがない。また自分たちの時間が来るだろうから、それまでは耐えるべきだと思い出したのだ。
「奇襲、奇策。そういったものは最初しか通用しないものだ。それはそのやり方がそのチーム本来の形ではないからだ。今に必ずボロが出てくる」
そしてそれは現実となった。当初は有機的に絡んできた3トップだったが時が経つにつれて鋭い攻めが見られなくなった。なぜか、それは水戸に中盤を制圧されてボールの保持すらままならない状態となったからである。中盤の底を形成する今村と中村はともにスペースを潰すのは上手いがアグレッシブに向かっていきボールを奪うのは得意ではない。水戸は遅攻でポゼッションを確保しつつジワジワと尾道の領域に攻め込んでくるが、尾道はなかなかボールを奪えない。
「やはり気付かれたか。しかしディフェンスにおいて現状で打てる手段はないに等しい。みんな、何とか耐えてくれ」
早くも神頼みに走る水沢監督だが、ピッチの選手たちは水戸のオフェンスに押されながらもギリギリで破綻は免れていた。最前線を担当する秀吉や王も自陣に下がって守備のフォローに走り回った。失点を防ぐにはそれしかないとはいえ、尾道得点の匂いがまったくしない時間が続く。同点劇からの20分で尾道のシュートは右サイドから山吉が強引に放った大外れのミドルシュート1本のみ。それに対して水戸は6本、枠内には4本と尾道に脅威を与え続けた。
「まずい、まずいぞ。まったく攻め手がない。このままでは失点を待つばかりだ」
「監督、前線の交代をすべきです。攻撃は最大の防御、守勢に回るより逆にやり返したほうがいい」
焦りが募る水沢監督に大胆な意見を叩きつけたのは中島コーチであった。
「中島コーチ!? いや、確かに現状打破にはそれしかないか」
「しかし誰を出せばいいんです? もう前線の選手で言うと王は出しましたし」
「うむ、茅野投入を提案する」
「なんと茅野!」
「練習でもいい突破を見せていたし今日の調子は良好。これから10分間、ひたすら走り回るだけでも相手を撹乱させるには十分なはず」
「よく進言してくれた中島コーチ。それで行こう」
「もう、賭けるしかないですね」
「尾道選手交代のお知らせをします。背番号27番荒川秀吉選手に代わりまして、背番号19番茅野優真選手が入ります」
後半も後10分で1点がほしいという局面で繰り出されたのは初出場のルーキー。サポーターも一瞬反応に戸惑い、選手名鑑やマッチデープログラムを眺めて確認している。
「おいおいまたルーキーか」
「もう誰でもいいから点を取ってくれ!!」
「こうなったらルーキー初出場初得点いけー!!」
だんだんやけになったような歓声も飛ぶ中、茅野はフィールドに降り立った。緊張のあまり何も見えない何も聞こえないという状態になりかけたが、入れ替わりの際に秀吉がポンと肩を叩いて「いつも通りでやれ。アップの時の感覚を忘れるな」と声をかけたお陰で正気に戻ったという一幕もあった。
「荒川、久々の先発はどうだった」
「さすがにちと疲れたけど、やっぱり楽しいな。1点は取れたし、後はこれが無駄にならないことを祈るだけ」
「そうだな、後はみんなに任せよう」
秀吉久々のスタメンは1得点を上げて後半36分に交代という結果に終わった。この得点を生かすか殺すかは今ピッチにいる11人に託すしかない。秀吉は、黄色いコートを羽織ってベンチに座り戦況を眺めた。
さて、ピッチでは新たに投入された茅野と王が積極的に走る事で尾道の流れをより明確にさせた。王は言うまでもなく、茅野も抜群の身体能力をフルに生かした野性味あふれる泥臭いプレーが身上である。この2人は前線のディフェンスにしても寄せが早く、水戸はパスの連携が崩れた。
後半38分、パスミスを奪った左サイドの小原がドリブルで一気にゴール前に侵入、そのままシュートを放った。2分後には中央から茅野と王のコンビネーションで水戸のディフェンス陣を切り裂き、シュートまで持っていったが相手CBの身を挺して突撃したシュートブロックに阻まれて得点とはいかなかった。
「ああああああああ惜しいいいいいい!!」
「でもそのペースだ! 一気にゴールいけえええ!」
後一歩まで来ている。その一歩を後押しするのがホームスタジアムに集まってくれたサポーターたちの歓声である。4112人と発表された本日の観客動員、そのほとんどが尾道の味方である。彼らに報いるためには「ホームで勝ち点1」では許されない。そう、狙うのはあくまで「勝ち点3」しかない。
「絶対に決めてやる」
「まだ時間はある。何としても追い抜く。勝って見せるんだ」
尾道の選手たちは瞳に不屈の闘志を燃やして水戸ゴールに迫る。しかしジリジリと時が進むのは誰にも止められない。ついに後半も45分を過ぎ、アディショナルタイムの3分を残すのみとなった。
ここをしのぎきりアウェーで引き分けなら上等と気合を入れなおした水戸相手にあと少しを進めることが出来ずさらに2分が過ぎた。もうプレーの1つ1つが貴重で判断ミスが命取りになる時間帯、尾道は王の強引なドリブル突破からコーナーキックを得た。これが最後の攻めとなる可能性はそれなりに高い。しかし選手たちはやけに冷静であった。キッカーの金田が慎重にボールをセットすると東から少し強い風が吹いた。
ピーーーーーーー!!
ホイッスルに導かれて金田はその右足をしならせる。乾坤一擲、ボールは大きく弧を描いてニアポストを急襲する。ターゲットは有川、しかし水戸ディフェンダーがバランスを崩しながらも小さくクリアする。
「まだだ! ボールは生きている!」
ベンチから立ち上がり秀吉が叫ぶ。クリアボールを拾ったのは山吉だった。限られたスタミナの出力調整をこなす事でフルタイム出場でも息が切れないようになってきたこの右サイドバックはいきなりミドルシュートを放った。糸を引くような強烈なストレートキャノンがゴール左隅を狙う。しかしこれはポストに嫌われた。水戸ディフェンス陣はクリアに向かう。王、茅野、今村ら尾道の選手は押し込もうと走る。
「これが最後のプレーだ! 何としてもクリアしろ!」
「絶対にゴールだ! 体ごと突っ込め!」
気迫は五分五分、ラグビーのスクラムのように選手たちが入り乱れての大混戦が繰り広げられた。先に届いた水戸のディフェンダーがクリアしようと力一杯にボールを蹴飛ばしたが、立ちはだかった今村に直撃してペナルティーエリア内を点々と転がった。このボールの一番近くにいたのは赤と緑に包まれた背番号19であった。
「行け!」
「決めろ!!」
「打てえユーマ!!!」
こぼれ球にタイミングを合わせた茅野が鋭く右足を振り抜くと、今日のゲーム最大の歓喜を約束する波動が運命のドアを叩いてゴールネットを揺らした。ファールもなし、この土壇場で尾道が2対1と逆転のゴールが生まれたのだ。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル」
「わあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
もうわやくちゃになって何が何だかわからないが、今この瞬間に劇的なゴールが決まったことだけは確かである。爆発した尾道サポーターがあらん限りの絶叫を繰り出す中、試合再開と試合終了の笛が相次いで鳴り響いた。
殊勲の茅野は笛の音を聞いた途端、高校サッカー決勝のごとくピッチへ大の字に倒れこんだ。まさに緊張の糸が切れた瞬間である。ヒーローインタビューもしどろもどろ。まるで今日の事が現実ではないような、ふわふわとした感覚に包まれていた。
「良くやったなユーマ。言った通りだったろう、お前ならいけるって」
「あ、ヒデさん。ありがとうございます」
秀吉に言葉をかけられて茅野はようやく満面の笑みを浮かばせた。ひたすら緊張していてそれを覆い隠すために走りまくった試合中、なぜか決勝点を決めていてそれが現実と思えなかった試合終了直後を経て、ようやく感覚が現実世界に戻ってきたようだ。続いて駆け寄った同級生亀井の「すごいなあかっこいいなあ」という素直な賞賛にこそばゆくなったが、内心では誇らしかった。
「ふふ、ありがとよカメやん。お前に負けないよう頑張ったつもりだから今日は」
「そうだね。僕ももっと頑張らなきゃね、うん」
のんきな亀井だがその内心は燃え上がっているようだ。今はこの場に立っていないもう一人のルーキー野口拓斗も含めて、こういった若手選手の切磋琢磨がチームを上へと押し上げる原動力となるのだ。彼らの頼もしい姿には秀吉も思わず目を細めた。
「自分のミスを選手たちが帳消しにしてくれた試合だった」
試合後の記者会見で水沢監督は開口一番こう切り出した。この試合だけで大分やつれたようだったが、試合後には生気を取り戻していた。そして早くも次の試合に向けて思索をめぐらせていた。
100文字コラム
尾道創設メンバーはGK松本圭輔、DF大岡亨、新本敦、神原和久、藤井省吾、MF寺田吉政、辻直広、岡野佑一郎、赤川昌人、平田健、FW村上武男、林淳一、松田文也、神原辰馬の十四人。今もサッカー談義をする仲。




