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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2016 頂点を我が手に
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寒い夜だから2

 一方で退団する選手もいる。まず大きなトピックスとしてはGK蔵の引退だ。これは最終節が終わった二日後に判明した。


 2014年に加入した蔵は、宇佐野ら若手との競争を制して一つしかないポジションを掴んだ。その年に尾道は昇格を決めた。最高峰リーグ1年目となった2015年もゴールマウスを最も多く守ったのはこの男だった。言うまでもないが初の昇格とは史上唯一の出来事。まさにクラブの歴史の転換期にその名を刻んだ守護神だった。


 しかし今シーズンは昨年負った怪我の影響や若手の台頭もあり出場ゼロに終わった。出番が減っただけなら他のチームに移籍する選択肢もあったし、去年までならためらいなくそれを選んでいただろう。しかしきっぱりと引退を選んだのは、彼に心境の変化があったからだ。


 蔵はリハビリがてら、今年入団した木野下にあれこれと口を出していた。高身長を持て余す未完の大器のプレー一つ一つがあまりにも未熟で見ていられなくなったからだ。その甲斐あって若き守護神候補はかなり見られる動きになったのだが、それは蔵にとっても嬉しい事だった。


 指導する面白さ、喜びに目覚めると同時に、本来は一つしかないGKという枠を奪い合う戦いはもう出来なくなったようにに思えた。木野下が成長したとして、それで弾き出されるのは自分だ。昔ならそれが嫌でたまらなかったはずだ。二番手扱いが長く、各クラブからはそういう意味で信頼されていたがそれに満足した事はなかったのでまた移籍を繰り返した。そういう負けず嫌いな感情が薄れてきていた。


 現役にしがみついても後数年がせいぜいか。しかし指導者としてなら20年でも30年でもやれるかも知れない。考えれば考えるほど、現役への執着心が失せていくのがはっきりと分かった。


「今までの現役生活、思い出すのは楽しい事ばかりです。特に尾道の昇格に立ち会えたのは人生最高の出来事でした。これからはしっかり勉強して、将来はGKコーチとしてきっと戻ってきます」


 最後の表情はあくまでも爽やかな笑顔とともにあった。尾道ジュニアユースのコーチに就任が決定している。また東京Vから期限付き移籍の村松とは契約を延長しない。


 と、ここまでは例年とはあまり変わらない。しかし今年はここからが本番だ。つまり、クラブの方針に反発した一部選手が退団を表明したのだ。


「こんなに心温かな人々が集う素敵な街はないのに、そんな街にあるこのクラブを愛せなくなった……」


 大粒の涙をこぼしながら頭を下げた大男の光景はどこか異様なものであった。岩本正は磐田への移籍が決定した。また結木も移籍確実で、現在複数のクラブによる争奪戦が繰り広げられている。


 これに関しては日本代表選手に払えるマネーが尽きたという事情もあった。しかし佐藤監督同様に表舞台から遠ざけられた林GMから引き継いだ交渉担当者の態度がまずかったのも一因であった。彼はいきなりこう言い放った。


「オリンピックにも出場したし代表にも選出された。今が一番高く売れるタイミングだ」


 結木は頭に血が登っていくのがはっきり分かった。林GMなら、もし同じような内容の言葉を喋るにしてもまずはねぎらいの言葉をかけて「あの日のあのプレーは良かったな」とでも、サッカーが大好きだからこそ言える事を色々を話してくれただろう。それが今は、まったくドライな対応だった。そこに選手やサッカーに対する愛情は微塵もなかった。


 クラブにとって選手は単なる金蔓に過ぎないのか。確かに現実としてそのような一面は存在する。尾道のように資金力に乏しい地方クラブであればなおさらだ。しかし地方クラブであるからこそ、その存在が地域に支えられて成り立っていくには愛が必要となってくる。金に代表される力と愛は両輪でなければならない。


 愛だけでは生きていけない。しかし同時に力だけでも生きてはいけないものだ。結木は怒りが収まった後、酷く寂しくなった。そしてもうここに自分の居場所は存在しないと悟った。涙さえ出てこなかった。


 佐藤監督退任報道の際に最も強い反応を見せた二人の移籍は、それを助長する人間がいたのは事実だとしてもある意味予定通りと言えた。しかしこれは氷山の一角に過ぎない。例えば、亀井は浦和戦前に秀吉の元を訪ねた事があった。


「一番そういう経験が多いヒデさんだからこそこういう事を言いますけど、移籍する時ってどんな事を考えるんですか?」


 声は小さく震え、明らかにチーム状態の悪さによる動揺が見て取れた。そしてほとんどの選手が亀井と同じ悩みを抱えていた。この手の相談を受けたのはこれで4人目だったからだ。むしろそんなもやもやを抱えたチーム状況でよく戦えたなと、今でも秀吉は自分たちの事ながらほとほと感心している。


 なおこの質問に対して秀吉は「そんなつまらん事を考えてるうちは移籍するタイミングじゃないって事だ」と返した。


「俺自身あちこち移ってるし、今更生え抜き至上主義者に転向するつもりもない。移籍したほうがいいと思ったらそう言うさ。ただ今のお前に関しては残った方がいい。これは断言出来る。残れ」

「どうしてです?」

「お前は今、ようやく亀井智広としてオリジナルのプレースタイルを見つけようとしている最中だからだ。尾道でやるべき事はまだある。完全な亀井智広を確立するという仕事がな。移籍しても同じだと思うなよ」

「ふうむ、そんなもんなんですかねえ」

「そうとも。移籍で幸せになった奴、不幸せになった奴、残って良かった奴、可能性を閉ざした奴。色々見てきたさ。人の歩く速さはそれぞれ違うもの。大事なのは今、自分がどこにいるかを見失わない事だな」


 ここまで言うと亀井は素直に「はい」と返事をした。悩みは晴れたようだ。現在は残留前提で交渉が行われている。秀吉は彼にとってそれが一番良かったと思っている。


 亀井は素質がある。だからこそ今、選手として一番大事な時期に間違った判断をしてほしくない。それが多くの移籍を経験してきた秀吉の切なる願いであった。他にも野口や種部は複数年契約で残留するなど、愛を表明した選手もいる。人は行き交うもので、今年のチームは今年限りなのは仕方のない事だ。そして秀吉もまた、赤と緑のユニフォームを着込んで来年のピッチに立つ。それが未来における唯一の決定事項だ。


 テレビの向こうでは鹿島が南米王者に堂々たる戦いを見せて、ついにはこれを打ち破って決勝進出を決めていた。これは史上初の出来事だ。秀吉は手を叩いて、自分の事のように喜んだ。そして来年もやるぞと決意を新たにした。


 寒い夜だから、昔の事や今の事、色々な事を考えてしまう。来年はどんな年になっているだろうか。未来の事は未来になってからでないと分からない。

100文字コラム


森永コーチは競馬に詳しい。「馬という美しい動物がギリギリの勝負を繰り広げるスリルが最高」と熱く語る。好きな馬はダイユウサク。理由を問うと「金がなかった頃にたんまりと稼がせてもらいましたから」とニヤリ。

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