寒い夜だから
師走の声を聞いて間もなく襲ってきた寒冷前線は独り身に堪える。今日なんか指が切り裂かれそうなほどに寒い夜だ。秀吉は36になってなお結婚式を挙げる相手が見つかる気配さえない。
海外暮らしが長引いたため身につけた抜群の料理の腕を活かせるのはただ自分のためだけというのがまた寒いが、それが日常でありすぎたのでもはや彼にとってそれが寒い事だとは気付いていない。
近所のスーパーで買ったタラとアサリで作ったアクアパッツァを野菜ジュース片手にもさもさと平らげながら付けたテレビに映っているのは、赤いユニフォームの選手たちがエトランゼを相手に躍動する姿だった。
ちょうど今、クラブワールドカップが開催されている。この大会は現在日本で開催されているので、開催国枠としてリーグチャンピオンが出場しているのだ。言うまでもなく今年の王者は鹿島だった。リーグ戦で勝ち点を最も多く稼いだのは浦和だったが、チャンピオンシップで敗退したのだから仕方ない。これもルールとして最初から決まっていた事だし、結局浦和は弱かったというだけだ。
しかしここで彼はふと思う。もしもあのピッチに立っていたのが自分たちだったとしたら。これは去年までならとんでもない夢物語でしかなかった。しかし今年に限って言えばその可能性は、最終節が終了するまで存在していた。
無論、それはカンダタが掴んだ糸よりも更に細い可能性であったのは言うまでもない。結局浦和よりよっぽど弱かったのが尾道だし。しかし今年は3位で終わったチームが王者となったように、ゼロでないならばそれは常に扉が開かれていると同義。負ける可能性のほうが高かった。でも勝ちたかった。あの日の試合は秀吉にとって今でも痛恨事として記憶されている。
痛恨と言えば最後のシュート。あれも本来は「これなら確実に決められる」と確信して振り抜いた、はずだった。しかし力が入りすぎていたので、軸足が少しずれていた。インパクトの瞬間それに気付いたが後の祭りで、ご存知のようにボールは上空へと消えていった。
試合後、グラウンドに崩れ落ちた背番号9はしばらく立ち上がれなかった。正しくないインパクトがもたらした痛みは原因の1割に過ぎず、そのほとんどは決められるシュートを決められなかった、その事で敬愛する佐藤監督のリーグ最終戦を勝利で飾れなかったという悔恨であった。あれが決まってたら20得点の大台突入で単独得点王とか、そういう功名心は皆無だった。
親しい友人からは「途中から2点も決めたんだから十分じゃないか」と慰められたし、客観的にもその通りだという気持ちはあれど、人間主観を捨てて生きられるものではないのでただの言葉でしかなかった。
こういう試合で、プロ入り時から今まで荒川秀吉という男を支えてきた佐藤幸仁は指導の現場から強制的に遠ざけられた。思えばあれからもう1ヶ月も過ぎ去ったのだ。
この1ヶ月、様々なうねりが尾道を直撃した。まず浦和戦の翌日、尾道は新監督として竹島良吾が就任すると発表した。実は前日の浦和戦もスタンドから視察していたという、非常に手際の良い就任劇であった。
竹島新監督は現役時代、ストライカーとして日本のみならず南米でも活躍したが指導者としての実績はそれほど多くない。どちらかと言うと解説者のイメージが強い男だが、確かに必要なライセンスは取得しているので就任できない理由はないというものだ。
さらにヘッドコーチとして竹島の元チームメイトだったダヴィドが就任することも併せて発表された。ダヴィドは選手としては優秀なセンターバックでディフェンスリーダーだったが、指導者としてはブラジルの中小クラブを転々としており、目立った実績を残しているわけではない。
その他のコーチ陣に関しては、GKコーチの森永は留任したもののアシスタントコーチとして佐藤監督を支えた古谷はユース監督に回され、2013年からチームの体調を支えてきたフィジカルコーチの神田は川崎への復帰が決定した。
代わりにダヴィドの親友とされるブラジル人のフェレイラが後任となった。また竜石コーチもフロント入りし、チームスタッフで一番語学堪能な鈴木美春が通訳兼任コーチとして首脳陣入りした。まさに一新で、佐藤監督のサッカーは否定されたようなものであった。
実績に関しては極めて疑問の新監督だが意欲は並々ならぬものがあり、就任会見においては「個人あっての組織。選手それぞれが自分の武器を発揮することで相手を圧倒する」「全盛期の磐田のようなサッカーが理想」などと晴れやかな表情で目を輝かせつつ目標を語った。新指揮官はかつてサックスブルーのユニフォームに身を包んだ事もある。
また早速12月に行われたトライアウトを視察して、お眼鏡にかなった選手と直談判するなど、靴底をすり減らす活動も盛んだった。
ここで獲得したのが池山大心という神戸に所属していた選手だ。生まれも育ちも神戸市で、プロ入りしてからもここまで移籍する事なく地元クラブに在籍し続けてきた32歳。基本的にはMF登録の大型ボランチだがセンターバックもこなす。そして陽気な性格はムードメーカーとしてサポーターにも親しまれてきた。
退団が決まった際、フロント入りを打診されたが「まだ体も動くし、倒れる時は前のめりでというポリシーを曲げてまで収まろうとは思わない」とその話を断り、トライアウトに参加した。
トライアウトでも巨躯とパワフルでありながら時に繊細なプレーは明らかに目立っていたので、争奪戦になると予想されていた。しかし意外とあっさり尾道入りを決断してくれた。やはり決め手は監督の直接出馬だった。
「まさかトライアウトが終わった当日に話が決まるとは思っていませんでしたが、竹島監督の熱意に感動して入団を決めました。神戸から離れる寂しさはありますが、瀬戸内海をちょっと西に泳いだと思えば怖くありません」
頬骨が発達した池山の無骨な顔をくしゃくしゃに歪ませるとただでさえ細い目が更に細くなって、しわと分からなくなった。
他にも降格が決まった湘南から日川周の獲得も決定的となった。父親は元サッカー選手、母親はバレーボールの元代表というスポーツ一家に生まれた日川は、抜群の身体能力が武器のサイドバックだ。ガッツもあり、尾道のチームカラーに適した補強と言える。
それに既報通りの新人として三重県の中立大学からMFの奈古一平も加わる。奈古の所属する中立大は近年急速に力をつけている新興チームで、かつて尾道のコーチだった中島大輔が監督を務めている縁もあって入団が決まったものだ。身長は極めて低いがパワーとクイックネスは抜群で、なかなかユニークな選手だ。
ユース出身の池角斌生も入団が発表されている。まだまだ肉体的には未完成だが身長が高い割にテクニックもあり、タイプとしては河口に近い。ただユース監督の木暮が「シュートの精度は現時点でも河口より上」と太鼓判を押すように、ストライカーとしての素質も高そうだ。
そして外国人としてエクアドル出身のトリニダード。現在までに決まっている新加入選手はこのぐらいだが、まだオフは始まったばかりなのでもう数名増加するのは確実。期限付き移籍している選手に関しては成田と西東の復帰が決定している。
100文字コラム
中ノ瀬が養子縁組に伴い名字が山元に変更、登録名も来年から変更される。「新しい服を着たみたいで自分でも新鮮。背番号も若くなったし改めて山元育巳として覚えていただけるように頑張りたい」と決意を新たにした。




