白鳥の歌その4
「そろそろ頃合だな。ヒデ、決めてこい」
「分かりました。点差から言うと、ちょうどハットトリックですね」
「ふふっ、お前にはお誂え向きな舞台だろう?」
「ええ、やりましょう」
後半10分、ついにその時が訪れた。ピッチサイドで体を動かしていた秀吉が、佐藤監督に声を掛けられたのでジャージを脱いだ。その瞬間、にわかにスタンドが沸いた。ピッチ上では中盤で浦和がパスを回している、特に何でもない場面だったので一見不思議だったが、観客はよく知っていたのだ。この男が投入される時こそが勝負をかけるタイミングだと。
交代は後半に入ってしばらく経ってやや動きに切れがなくなった謝花とであった。鍛えたとは言え所詮はにわか仕立てで、まだまだスタミナ不足なのは最初から分かっていた。それでもスタメンで起用したのは浦和の守備陣をかき回してくれればと期待したからであり、その任務は概ね果たされた。
まるでスペースシャトルの燃料タンクのように謝花は交代となった。本人としてはもうちょっとやりたかったのにって渋い顔だったが、秀吉に「続きは来年に取っておきなよ」と言われたため引き下がった。謝花はあれでごちそうを最後に食べるタイプだと熟知していたからだ。
後半は浦和もしっかりと組織を立て直してきたので、尾道としてもオフェンスが停滞していた。時間はまだあるが、ここから3点取るにはギリギリのタイミングだった。
ジリジリと焦らされる時間は、この瞬間終了した。「やはり尾道にはこの男がいないと」という晴れやかな空気が場を支配する。このストライカーなら「何か」を起こしてくれるはずだ。無論、根拠はない。しかし確かな確信を持たせるだけの雰囲気をまとった背番号9の出陣は、この感覚に偽りがない事を自らのプレーで証明してみせた。
「さあ、行こうぜ」
ピッチに向かって元気よく走る秀吉は、立ち止まる一瞬前に周囲を見回して尾道のイレブンに目配せをした。
「おう!」
力強く反応する野口や桂城ら選手たち。そしてスローインから試合再開されると同時に、秀吉は早速活発なアクションを展開した。1秒毎に異なる動きをしてディフェンス陣を撹乱する。一方中盤でボールを回す尾道はじっくり攻めるものかと思いきや、桂城がいきなり前線へふわりと浮かせるパスを出した。
組み立てもなく、好調な両サイドを頼むでもない新種のオフェンスに、敵陣の赤い壁は一瞬動作を遅らせた。その僅かな隙を見逃さず、野口が頭で落としたかと思うといきなり抜け出してきた秀吉がボールをさらっていった。オフサイドはない。
「まったくありがたいチームメイト達だ。そして俺はその恩に報いる義務がある。ゴールという形でな!!」
キーパーが飛び出すにはあまりにも時間が少なすぎた。秀吉は相手の動きを見極めつつ、ワンタッチでボールの軌道を変えてゴールに流し込んだ。出場からのファーストタッチが試合の流れを呼び戻すゴールとなった。
このゴールは偶然が生み出したものではなく、一種のサインプレーにも近い流れであった。秀吉ならばこのタイミングで見事に抜け出してくれるだろう、そこにボールは供給されるであろうというお互いがお互いを信じる心の結晶だった。
そして男たちは立ち止まらず、なおもオフェンスのボルテージを高めていった。これで勢いを増した尾道は、直後にさらなる一撃を生み出した。
たった今のゴールから3分も経っていない時間であった。敵陣でボールを奪った御野が倒れこみながらも強引にシュートを選択した。精度は低く、威力も大した事はなかったので本来はキャッチされて終わってもおかしくなかった。
しかしこれが勢いのなせる業なのか、キーパーはパンチングを選択したが中途半端なクリアとなってしまった。相手としてはいささか気弱になってしまっていたのか。安全策を選んだつもりがむしろ危険を誘発する結果になった。こういうボールに対して、最も反射神経を磨いてきたのが秀吉だからだ。
「弱気は最大の敵って、はっきり分かるんだな。もらったぞ!!」
しれっとボールの前に出現したかと思うと、トラップする時間も惜しんで背番号9は時によって鍛え抜かれた右脚を振り抜いた。ボールは刃のように鋭い軌道となって、ゴールネットを切り裂かんと襲っていった。
「させるかよ!!」
しかし秀吉が暴れ回るさまを黙って見逃す相手ではない。赤いユニフォームが必死に足を伸ばしてブロックした。しかしそれがかえってボールの軌道を変えてキーパーの足を止める結果となったのは皮肉だった。
勢いがあるままだったほうが、逆にセーブ出来ていたかも知れない。ブロックで威力が弱まった事で、かえってフェイントとなってしまったからだ。ゆったりとした曲線を描きながら、ボールはそのままネットまで吸い込まれていった。
本来は起こりえないゴールだったが、尾道優勢の場合はこのような事も起こりえるものだ。これで4対1。サッカーの神様は尾道の事を気にかけてくれているように見えた。しかしまだ笑顔を浮かべる選手はなかった。
後一点。されど一点。簡単ではないと知っていたからだ。尾道のさらなる猛攻は続く。最後のカードとして若武者浦がアップのペースを上げて今にも投入される寸前だった。この勢いで押しまくれば必ず決まるはずだ。逆転優勝ももはや夢ではない。誰もがそんな夢を見ていた。後半25分までは。
きっかけは浦和のカウンターだった。強固なシステムを構築している浦和だ。選手も揃っている。本来は尾道など鎧袖一触で葬り去る力を持っているチームなので一度攻勢に出ると簡単に止められるものではなかった。
前半とは違ってスピード豊かな井手がドリブラーを抑えているのでなかなかフィニッシュまで届かない。しかし浦和は老獪でもあった。強引に上げたクロスを弾き返そうと構えるローに近付いたFWが、自分から軽く接触したかと思うとおもむろに倒れ込んだのだ。瞬間、試合の暗転を告げるホイッスルが吹き鳴らされた。
100文字コラム
途中加入の守護神種部のトレードマークはチェフを思わせるヘッドギア。「昔怪我した時に装着したけどすっかり慣れたので」傷が癒えてからも常用している。積極的な飛び出しこそ種部の真髄だけに心強いパートナーだ。




