真夏の夜のトライアングル
その人が帰るべき場所に帰り「ただいま」と言った時に「お帰り」と返してくれる人がいるのは幸いだ。尾道にはそういう人がいる。傑出した個人で成り立っているわけではないチームがそれでも国内最高峰リーグで戦えているのは、チーム一丸となった親密さゆえなのだから。
「お疲れタクト! ナイスゴールだったぞ!」
「ははっ、ありがとうございますヒデさん!」
「チヒロも疲れたろう?」
「いやあ、まだまだ疲れ足りないぐらいですよ。ねえタクト」
「それも、そうか。出来ればもうちょっと向こうに居座りたかったんですけどね」
地球の裏側リオデジャネイロ。情熱にあふれたこの地で開催されたオリンピックに尾道からは二人の出場者を輩出した。その野口と結木が今、戦いを終えて再び練習場に舞い戻ってきたのだ。
日本サッカーとオリンピックのつながりは長い。古くは戦前のベルリンオリンピックにおいて、関東出身者を中心に構成された日本代表はまったくの格上スウェーデンを逆転で下すという番狂わせを起こして、それは「奇跡」と呼ばれた。
戦争によってベルリンの奇跡のメンバーが亡くなるなど痛恨の時期を経て、一時的に日本サッカーのレベルは大きく落ちたがその後は復活して、まず1956年のメルボルンオリンピックに出場。次のローマオリンピックはアジア予選で敗退したものの、雪辱を果たすべくプロのコーチを招聘した東京オリンピックではアルゼンチン代表に勝利するなど予想以上の健闘を見せた。
そして当時の日本サッカーにおいて最大の成果を見せたのが1968年に開催されたメキシコオリンピックにおける銅メダル獲得だ。当時はプロ選手の出場が認められていなかったので特に南米の代表は大した事がなかったとは言え、まさしく快挙であった。
しかしその後、日本サッカーは長い低迷の時代に突入した。メキシコの銅メダルは少数精鋭で鍛えられた十数名の選手によってもたらされたほんの一時のピークであり、それを国として持続出来なかったのだ。メキシコで活躍した実力者が抜ける度に日本代表は弱体化していった。
しかし今は違う。1996年のアトランタオリンピックで久々の出場を決めてからシドニー、アテネ、北京、ロンドン、そして今回のリオと6大会連続でオリンピック出場を決めている。それぞれのチームには柱となるような優秀な選手がいたが、それがいなくなっても即弱体化にはつながらなくなった。
結局のところ国としての強い弱いを測るのはこういった総合力にある。時は誰に対しても平等に流れる。一人の力を常に維持する事は出来ないので、次々と有力な選手たちや指導者がいないとこうはならない。メキシコの頃の日本にそこまでの力はなかった。今はある。それは日本サッカー界の育成が上手く回っている証拠だ。
その中で野口と結木、二人ともにユース出身者なのもまた現在の日本サッカー事情を如実に表していると言えるだろう。メキシコの頃は代表選手のほとんどが大卒だったが、特にJリーグ開幕以降は高卒選手がチームの大半を占めるようになって、現在ではその当時影も形もなかったユース出身という方式が主流となっている。だが二人はそんな歴史など知ったこっちゃないと言わんばかりに清々しく笑っていた。
「そうは言ってもたった一点じゃあね。剣崎見ましたか?」
「いやあ、さすがにあれを基準にするのはきついと思うぞ」
「でもやっぱり目指したいじゃないですか、ストライカーならば。それに勝ち残ってりゃもっととんでもない数字になってただろうし」
確かにもっと勝ち残りたかったのは事実だろう。しかしオリンピックで望んだ結果が残せなかったとしてもそれが全ての終わりではない。むしろこれからが始まりだ。だから野口と結木は笑うのだ。
「まあ、もう過ぎた話ですけどね。とにかく、これからはまたジェミルダートの野口として、バリバリにやりますよ!」
「俺もたった今から尾道の結木だな。でも向こうにいた時も試合結果とかずっと気にしてたんですからね。スマホとかで」
「ふふっ、そうか。それなら話は早いな。今のチーム状態がどうってのも改めて説明するまでもないんだから」
野口と結木がいなくなった尾道は、セカンドステージ開始当初の勢いはなくなっていた。しかしチームの主軸が複数抜けてダメージを受けないはずがなく、ましてや尾道はいくらでも代役が湧いて出てくるような予算がないクラブ。
そう考えると彼らがいなかった5試合で1勝1分の勝ち点4を奪えたのは十分に健闘したと言える数字だった。これに不満を持つのは「尾道、優勝戦線に殴りこみ!」などといった無責任な記事に踊らされた人だったが、実際問題としては降格圏からは大きく離れたのでむしろ安堵するサポーターが多数派だった。
現在、尾道は年間順位で11位の位置につけている。ファーストステージ終了時は18位だった事を思うと驚異的な浮上だ。しかもこの付近には同じ程度の勝ち点のチームがひしめいているので、うまくやると年間順位一桁も夢ではない。
一方で降格圏内最上位の16位とは勝ち点で言うと15以上も離れている。もはやよっぽどな何かが起きない限り安全圏と言える。最悪の結果に心煩わせる事なく目の前の一戦に臨めるのだから精神的な負担の軽減は計り知れないものがある。
「そう言えばチヒロよ、お前代表監督から目をつけられてるらしいな。いわく今の代表にないものを持っているとか」
「えっ? マジで? 初耳なんですけど?」
「ソースはTスポだけどな」
「なんだ、デマじゃないっすか」
「いや、分からんぞ。あそこはたまにスクープぶっこんでくるからな。まあ、次の神戸戦は早速頼むぜ。また巻き返しだ!」
そして神戸戦当日、スタメンは以下の通りに発表された。
スタメン
GK 35 種部栄大
DF 5 岩本正
DF 20 讃良玲
DF 30 ジェス・ロー
MF 6 山田哲三
MF 7 桂城矢太郎
MF 8 御野輝
MF 17 結木千裕
FW 9 荒川秀吉
FW 11 野口拓斗
FW 19 河口安世
ベンチ
GK 16 西恵介
DF 24 中ノ瀬育巳
MF 12 茅野優真
MF 22 二木太一
MF 31 川崎圭二
FW 18 浦剣児
FW 28 小河内鉄人
オリンピック組の二人が早速スタメンに復帰した。言うまでもなく結木は右サイド、野口はセンターフォワードだ。それ以外の選手に関してももはや言うまでもないだろう。GK種部、右から岩本・ロー・讃良と並ぶディフェンスライン、守備が達者な山田とゲームメーカー桂城で組んだボランチ、サイドからドリブルとクロスで敵陣に強襲する結木と御野、そしてスリートップ。
このスタメンを補助するメンバーがベンチに控えている。GKの西、センターバックの中ノ瀬はともに堅実なタイプ。攻撃にアクセントを加えられる二木と川崎のテクニシャン二人に爆発的な運動量を誇る茅野、そして若武者浦と高さがあり前でも後ろでも使える小河内。
「これでベストメンバーが揃った。そして今日は、これからの尾道はこれで戦っていくんだというベースを見せる試合にならなければならない。必ず勝つんだ!」
「おう!」
佐藤監督以下、チームの士気は最高潮に達している。真夏の夜の激闘が今まさに幕を開けた。
100文字コラム
リオ五輪は無事に閉会した。帰国した野口は「やっぱり普段とは違う。重圧が強い分手応えも大きい」と代表戦の醍醐味を堪能した様子。そして浦と讃良は「次は俺達の時代だ」と早くも四年後の東京を睨んで燃えていた。




