海流のなかの島々その2
熱気高まる練習場に見知らぬ影が一つあった。その影の主は初めて来たとは思えないほどこの場の空気に馴染んでいて、カーキ色のワークキャップの奥にキラキラ輝く瞳はどこか昔を懐かしむような色合いをしていた。
「あっ、あれはまさか……!?」
「どうしたんだテルよ」
「いえですね。ちょっと失礼します」
その男のシルエットを見つけた御野はその表情に驚愕と困惑を浮かべつつも、その男の方へと走っていった。帽子で髪型も見えず、光の加減で顔すら判別できない中にあってもそれが誰なのか、御野にははっきりと分かるようだった。
「タネさん! タネさんですよね!! なんでこんなところに!?」
なんではないだろテルよ。決まってるだろ? 今日から俺も晴れてジェミルダートの一員だ」
「ええっ、本当に!?」
「俺が嘘をつくと思うか?」
帽子の男は指でつばを弾きながら颯爽と話すも、ここで御野は言葉を継げられずにいた。未だに嘘じゃないかと疑っていたからだ。
「おいテルよ、誰だこいつは?」
見知らぬ男と何やら話し込んでいる御野の様子を見て、何事かと秀吉が駆け寄ってきた。秀吉にとってはその男の正体はまったく不明であったので、旧友か何かかと推測していた。
秀吉の声に気づいた御野は「ああヒデさん。この方はですね……」と紹介しようとしたが、紹介される側がさっと右手を伸ばして次に続く言葉を制した。自分の事は自分ですると言わんばかりであった。
「俺は種部栄大。本当はずっとここにいたんだけどまあ色々修行とかしてて今日からやっと戻ったんだ。てなわけでよろしく!」
「お、おう!」
まったくの初対面なのにいきなりこんな口調で話しかけてきたので最初は少しだけ驚いたが、それからはむしろ感心した。随分バイタリティがある面白い奴だと思い直したのだ。それはかつての自分とどこか同じ香りがしたようだった。
「それでテルよ。このタナベってのは何者なんだ?」
とは言ってもこの帽子の男は秀吉にとって海のものとも山のものとも知れない存在であり、その疑問が解消されたわけではなかったので再び御野に尋ねた。今度はちゃんと答えてくれた。
「タネさんはですね、僕の一つ先輩なんですよ、ユースの」
「ユースって言ったらうちの?」
「はい。種にサッカー部とか野球部の部って書いて読みはタネベじゃなくてナタベ。でもみんなタネさんって言ってました。ポジションはキーパーで、本当はトップチーム昇格もほとんど決まってたんですよ。でも……」
「はいストップ! それ以上は言わんでいいぞ」
「ええ、でも」
「でもじゃねえよ。これは先輩命令だ!」
御野が何やら込み入った事情を話そうとすると口から泡を飛ばす勢いで制止にかかった。フィールド上以外ではいささか気が弱い御野は素直に従おうとしたが「あんまり後輩をいじめてやるなよ、後輩君」という声が聞こえた途端、攻守が逆転した。カウンターの主は尾道の生き字引と言える存在であった。
「やけに騒がしいと思えば懐かしい顔が紛れ込んでるなあ。お前、タネだろ」
「ああっ、テツさん。お久しぶりです!」
「元気してたか? とは言っても今の返事で十分だけどな」
「はい、おかげさまで」
山田と目を合わせた瞬間、帽子の男の態度が一変した。今までのやたらと強気なオーラは一瞬にして消え去り、まるで礼儀正しい好青年のように変貌した。そんな姿すら山田にとっては想定内といった雰囲気で、カラカラと高い声を上げて笑った。
「テツさん、これは?」
「こいつはいい奴だよ、ヒデさん。ちょうどこいつが三年の時一年下のウサとユースのレギュラー争いしてたんだ。それがある試合でな、当時の監督からウサがキーパーするからお前はフィールドプレーヤーとして出てほしいって言われたんだ。こいつ足元が凄い上手いんだよな。だから」
「ああ、もう、やめてくださいよ本当……」
しおしおになりながらも帽子の男がどうにか発した言葉をまったく無視して山田は語り続けた。この面の皮の厚さもまたベテランの特権と言えるだろう。
「でもそれを拒否したんだよな。俺はキーパーしかやりたくないとか言って」
「ええ、まあ、若気の至りって奴で……。反省してますよ、さすがに。今ならなんでそう言われたかも分かるんですけどね、あの頃はもう感情だけで」
「それでドイツ行くんだから若さって素晴らしいよな。それで今はどこいるんだっけ」
「ドイツからオランダに行って、前はチェコにいました」
「ああ、そうだっけな。しっかし、相変わらず帽子被ってんだな。何も変わってないようで安心したぞ」
「これは趣味ですから。でももう試合中には被りませんよ。でもプレーに関してははっきり言ってかなり成長しましたから、見ててくださいよ」
「ほう、それは期待だな。早速今日の練習が楽しみだ」
そしてその日の練習では選手だけでなく監督コーチや、見学していたファン含めた全員を刮目させた。言葉通りの、まさしく圧倒的なパフォーマンスを披露したからだ。
本人としては「まだ本気じゃなくて軽くならす程度」だそうだが、まったくそうは思えなかった。もはや正ゴールキーパーがこの男になるのは確定したようなものであった。規定によって7月までは出場出来ないのが恨めしいぐらいだった。
「ふうむ、俺の知ってるタネじゃねえな。あの頃よりよっぽど進化してる」
「お褒めに預かり光栄ですよ、テツさん。まあ、俺だってヨーロッパで遊んでたわけじゃないんだしそれぐらいは見せないと、頑張ってきた甲斐がないってもんで」
「ふふっ、まったくだ。こんなに成長してくれておじさんは嬉しいぞ」
冗談めかした言い方だが実感のこもり方はジョークなどではすまされないものであった。種部も一瞬照れたような笑みを見せたが、すぐ鋭さを取り戻した。
「そう言えば、次の対戦相手は名古屋でしたよね。名古屋って言えば、知ってますよ。あいつがいるんでしょ?」
「ああ、そうだ。どうせなら一緒のほうが良かったか?」
「まさか。むしろ雌雄を決したかったんで相手になったほうが好都合でしょ。それにしても次の試合、出たかったなあ」
「まあ仕方ないさ。セカンドステージでは当たるだろうし、それこそ次の試合をじっくりと見て英気を養ってくれ」
種部は「そうですね」と顔をくしゃくしゃにしながら頷いた。そして時は流れ、名古屋との試合当日を迎えた。
「いやあ、こうして会うのも久々に思えるなテルよ。元気でやってるみたいじゃないか」
「まあな。それよりそっちこそレギュラー奪って絶好調みたいじゃないか」
「奪ったってか与えられただけだし、まだまだだよ」
試合前に御野はかつての同僚と尽きぬ話に花を咲かせていた。彼の名は宇佐野竜。言わずと知れた尾道ユース出身のGKで、去年までずっと同じユニフォームを着ていた男だ。
尾道では一時期レギュラーに定着したが経験豊富な蔵が加入した2014年以降はゴールマウスを譲る機会が増えていった。その間にチームは昇格と、最高峰の舞台での残留という見事な結果を残した。
「このままでは取り残されてしまう。もっと成長するためには決断を下すしかない」
当然林GMや佐藤監督は必死で慰留したが、男の決意にはかなわなかった。そして移籍した名古屋には長年ゴールマウスを守り通してきた元日本代表のベテランがいて、当初はその牙城を崩せずにいた。
ベンチ入りすらままならない日々。しかし今は耐える時と歯を食いしばって首脳陣にアピールを続けた。そうしているうちに風向きは変わった。GKに怪我人が相次いで、宇佐野に出番が回ってきたのだ。
この試合で宇佐野は持ち前の瞬発力を爆発させた。強烈なシュートを次々とセービングして1対0の勝利に貢献したのだ。その試合のヒーローに選出された宇佐野はそれ以来、名古屋のゴールマウスを守り続けている。
しかし宇佐野に達成感はない。そもそも主力の怪我がなければ出番はなかったという現実があるからだ。彼らが復帰してからが本番となる。だからこそ今、アピール出来る時にアピールをしておきたいと燃えている。宇佐野にとって今がまさに選手生命を左右する重要な時期なのだ。
「まずうちとしては名古屋に追いつくのが目標になるからな。悪いけどゴール奪われてくれよ!」
「俺たちだってここで勝てば残留争いから抜け出せるんだ。だからお生憎様だな。もちろんお前のシュートは全部シャットアウトするぞ」
「ふっ、どうかな。まあ、いい試合をしようぜ」
「ああ! じゃあまたピッチで」
かつての友も今ではライバル。しかも今の順位は名古屋が13位、尾道は17位。ともに低迷している中、落としてはならない戦いとなっている。
「あっ、そう言えばタネさんが来たって本当?」
「ああ。お前と一騎打ち出来ないのが残念だが。でも今日なんかスタンドにいるはずだから」
「そうか。ならなおさらしっかりやらないとな」
ユース時代はポジションを争った関係。そして種部の自爆的退団もあったが最終的にポジションを勝ち取ったのは俺だという自負もある。そんな宇佐野にとって、種部は弱みを見せられない存在であった。これはやっかいなところに火をつけたかなと御野は内心で不安を覚えた。
100文字コラム
チーム一の美肌と名高い村松。複数の化粧水やクリームを使いこなすコスメ男子っぷりはさすが都会人と感心させられる。彼に影響されて先日謝花も化粧水を購入したが三日坊主に終わった模様。美人より美獣を目指そう。




