歓声の嵐その3
選手交代によって試合の流れはそれまでの浦和一辺倒から次第に変化していった。ようやく尾道がボールを持てるようになった。無論、浦和としてはここで無理をする必要はないという読みを持っての事だが、わずかなチャンスを逃さない男が最前線に入ったのでそれは極めて危険なふるまいになったと自覚してはいなかったようだ。
「ボールはよく回していけよ。そして攻める時は一気だ。余裕綽々な相手に一泡吹かせてやろうぜ」
そして後半11分、ついに動いた。浦和が前線に出したボールを桂城がカットしたのだ。
「よし、テル!」
「おう!」
桂城は一気に前線へと鋭いボールを蹴り出した。それに反応していた御野がボールを受けて加速する。それに呼応して野口、河口、そして秀吉のスリートップも地鳴りを上げて突き進む。この連動した迫力こそ今年の尾道オフェンスだ。
「頼むアンゼ!」
「おう! と言いたいけど、ここはこうよ」
御野のクロスにいち早く反応したのはニアサイドに走っていた河口だった。当然シュートコースを潰そうと赤い壁が群がってくる。しかし河口はシュートを選択せず、ヒールで斜め後ろに流した。そこに交代したばかりのあの男が走っていると知っていたからだ。
「よし、ナイスパス! もらった!!」
走り込んでいた秀吉は一瞬のためらいもなく右足を振り抜いた。バウンドする低いシュートだったので何もなければキャッチされてた可能性は高かった。しかし河口を警戒してブロックしていたディフェンダーがこの局面においてはGKにとっての壁となり、反応を鈍らせた。ボールはそのまま間隙を縫うようにネットへと吸い込まれていった。
「まだ1点だ! 次行くぞ!」
「おう!」
この1点で尾道は流れに乗った。直後、今度は右サイドの結木が突破してクロスを上げた。ニアには野口、ファーには河口がそれぞれ広がるように走り込む。浦和のディフェンダーはそれに反応してディフェンスを分割されたが、肝心の中央ががら空きになっていた。
そしてそれを逃さないのがストライカーのストライカーたる所以である。抜け目ない背番号9はGK以外誰もいなくなったゴール前にしれっと侵入すると、倒れこむようなヘディングを浴びせた。
「俺をフリーにして勝てると思うなよ!!」
低めにうまくコントロールされた一撃は守護神の右脇をかすめていった。あまり身長が高くないので普段はあまり見せない頭を使ったシュート。しかしこうもフリーで打つのなら、そう簡単にヘマはしないものだ。これで1点差となった。
「よし! 後30分で1点差、無理じゃねえよなあ」
「当たり前だ! 一気に追いついてやるぜ!」
「そうだなタクトよ。だが向こうもやられっぱなしじゃいられねえからな、そろそろ考えてくる頃だ。勢いでここまでは来られたが、ここからがこの試合の本番よ」
秀吉が読んだ通り、慌てていた浦和はここで体勢を立て直してきた。彼ら本来の冷静なパス回しでリズムを掴み、攻撃的な選手を投入する事で再び流れを取り戻そうとした。しかし一気に点差が詰まった事で集中力を取り戻した尾道ディフェンス陣がそれに立ちはだかった。
「クロスに対して高さで負けないなんて、やってる事は大して変わらねえな!」
「よしナイスゴッチ! クリアだカメ!」
「おう!」
特に交代出場の小河内は初めてとは思えないほど冷静にプレー出来ていた。元々高さがあるため空中戦では安定感が高く、そして1対1や組織的な動きもなかなか堂に入っている。ここが弱点だろうとオフェンスの選手を小河内のほうへ集中させているが、亀井や中ノ瀬のフォローもあり突破を許さない。
残り10分を切ったところで最後の駒として桂城と交代で川崎が投入された。桂城も復帰初戦にしては悪くない出来だったが本人は「もっと動けたのに」と自分のパフォーマンスに不満そうだった。
「後は俺らに任せろって。ちゃんと追いついてやるさ」
「ふっ、任せましたよ」
そして川崎だが、去年は怪我もありやや出場機会を減らしたがテクニックは十分なものがある。そして川崎には桂城を凌ぐ特性がある。それはプレースキックの精度の高さだ。これに関してはまさにチーム1だ。
「なんだかんだ言っても選手の技量は向こうのほうが上。そういう相手にこじ開けるにはこれが一番だ」
佐藤監督が期待したその技術を披露したのは後半アディショナルタイムであった。逃げ切りを図る浦和に対して攻勢を強めるも後一歩が遠かった。しかしその一歩を埋める力は備わっている。慎重にボールをセットした川崎は試合再開のホイッスルが鳴った瞬間、その銀色に渋く輝く右足を振り抜いた。
ゴールから遠ざかるようなカーブが掛かったボールに反応したのは野口でも河口でも岩本でもない、ましてや秀吉でもなくて途中交代で出場した小河内であった。
「いける! ゴッチいけるぞ!!」
後ろから叫ぶ秀吉の声はおそらく小河内の耳に届いてはいない。だが脳に届く前の、小河内の脊髄が強く反応した。今は飛ぶしかないと。そこに理屈はなく、その瞬間から小河内はボール以外の何も見えなくなっていた。
「うおおおおっ!!」
マークは他の選手に分散していたお陰で邪魔される事なくジャンプ出来た小河内はその広い額で確実にボールをミートした。完全に逆を突かれたGKはまるで金縛りにあったかのように動けなくなっていた。ふんわりと浮遊するボールはゆっくりと、しかし確実に前進していきやがてネットに包まれた。
身長188cmの巨漢が芝生に着地した時、それはまさにたった今さっきまで自明であった世界が崩れた瞬間であった。3対3、同点。尾道は残された僅かな時間でついにビハインドを全て清算したのだ。手荒い歓迎の嵐に包まれた男は、ただ咆哮によってその歓喜を爆発された。
二部リーグ屈指のセンターフォワードとしてこの大舞台に復活したもののリーグ戦ノーゴールに終わった男が、ポジションを後ろに下げた今年は1試合目でゴールを決めるとはなかなか皮肉な巡り合わせだが、小河内にとってもチームにとってもこの一撃がもたらした意味は大きかった。
そして間もなく試合終了。その瞬間、スタジアムは猛烈なブーイングに包まれた。尾道にとっては奇跡の同点劇だが浦和にとってはホームで格下相手に楽勝ペースだったはずが勝ち点2を落としたという悲劇的な結果なので、これも当然の帰結であった。
「ハットトリック狙ってたんですけど、足りませんでしたね。まだまだですよ」
試合後のインタビューで秀吉は笑顔なくこう述べたが、その口調は真剣そのものであった。まだまだ闘志と向上心に衰えはない。
「ゴッチもいいゴール決めたし、チーム全員で戦えたら上も狙えるって事をもう見せられたと思います。このチームはもっと良くなっていくんで、それに乗じてでもないですけどやっぱり狙いたいですね、ハットトリック」
最後にいたずらっぽく口元を歪ませた。一方で佐藤監督はいつもの冷静さを装う中でも明らかに満足そうだった。ハーフタイムとはまさに180度異なった口調と表情でインタビューに答えている。
「前半は最低でしたが後半は一つの指針となるようないい内容だったので、今日の後半のようなサッカーを出てなかった選手も含めて全員で追い求めていきたいですね」
そして次の東京戦は秀吉をスタメンで起用して、勝った。2対1で、先制されたものの間もなく秀吉のゴールで同点に追いついて、後半途中出場の浦が決勝ゴールを叩き込んだ。開幕戦以来の勝利だった。
ちょうど先発で秀吉が見本を示し、浦がそれを凌駕しようと奮闘しているうちにゴールが決まった感じだった。これ以降秀吉スタメン、スーパーサブに浦という形が増えた。
100文字コラム
昨年終盤から守護神に定着のエマーソンだが夏には帰国する予定。代わりにオーストラリアで鍛えられた茅野が戻ってくる。大幅にパワーアップしたという報告も入っており野口亀井との同期トリオ揃い踏みに期待増大だ。




