暗闇探検その3
直後、野口と交代でピッチに立った秀吉が見たのは意気消沈したイレブンの姿だった。いや、一人退場しているからイレブンと呼ぶのは本来不適切と言えるのだがテンと言うのも何なのでとりあえずイレブンとしておく。
それはともかく、元々下手くそなくせに意味不明な自信にあふれている讃良が地面を見ている姿は秀吉にとって初めて見る光景だったので、良い悪いではなしに興味深いと心から思っていた。
「俺があんなミスしなければ……。すみません」
「へえ。讃良お前、すみませんなんて言葉もちゃんと知ってたんだな」
「茶化さないでくださいよ。今は結構マジなんですから」
「ふっ、甘い甘い! 大体さあ、本番でミスしたの今日が初めてだろう? たった一回の失敗で随分脆いじゃないか。俺だってな、何百回と失敗をしてきた。それでも幸い今までプロやってこられてるのはサッカーはミスするスポーツだからだ。だってボールを足で操ろうなんて人体の摂理に反する動きだ。それぐらいの事は分かるだろう?」
秀吉の言葉に対して讃良は何を今更という表情で「そりゃあまあ」と答えた。秀吉は「そこまで分かってりゃ十分だ」と背中を叩いた。
「ミスしない奴はいない。ましてや讃良、お前が下手だって事は誰だって分かってるんだ。そんなお前が悔やんで何が出来? ぶつかっていくしかないだろう。それにサッカーはチームスポーツ。お前のミスはお前だけのミスじゃなくてフォローしきれなかったチーム全体のミスだ。今日だってな、色々あったけどまだ勝てそうな試合なんだぜ。時間はまだ十分ある。下向いてる暇はねえぞ。勝とうぜ! 本当の戦いはこれからだ!」
チーム最年長の男が発する熱気は今のグラウンドに集う誰よりも燃え盛っていた。讃良は二度と下を向くまいと決意して、力強く返事をした。直後、仙台のオフェンスは讃良を重点的に攻めてきた。ミスで萎縮してくれればそれがミスを誘発するはずという考えによるものである。
「そんなボール、この俺に通用するか!!」
しかし讃良はすでに立ち直っていたので安直なロングボールをことごとく弾き返した。十代の心は疾風怒濤。今さっきまでは落ち込んでいてもすぐさま切り替えられるのもまたそのフィジカルにも劣らぬ強さの一つである。
「やるじゃねえかアキラのやつ。さて、俺も負けちゃいられねえな」
同時に情熱を燃やすのは浦。だが特に後半はほとんどボールを触る機会に恵まれなかった。尾道が攻め込まれているので浦は前線でパスコースを限定させる程度の動きしか働き口がなかった。
それで一番困っていたのが野口だった。結木と御野の両サイドが相次いでベンチに退いた事によってクロスが提供されなくなり行き場を失っていた。前線において今はとにかく動ける人材が必要だという事で秀吉と交代となったのだが、それでもやはり目立つのは讃良と岩本の高さやフィジカルばかりであった。
「試合は川じゃなくて壇ノ浦だ。必ず潮流は変わる。その時を逃すなよ」
「俺だって海の子だからそれぐらい分かってますよ」
「それもそうだったな。俺の地元は海もなかったからこれを読めるようになるまで難儀したんだがな、お前にはその必要がなさそう……、来るぞ!」
「おう!」
延々と攻められていた尾道だが後半40分になろうかというところでようやく村松がボールを奪った。その瞬間、最前線の二人は一斉に走り出した。
ボールは村松から亀井を経て河口まで繋がれた。去年までの尾道が得意としていたカウンターの形だ。本来今年はこのスタイルからの脱却を目指していたのだが、ディティールより眼前に広がる勝ち点3という現実を掴もうとあがくのは本能。勝利を目前にして形にばかりこだわるようでは本末転倒だ。
「よし、走れ浦!」
敵も味方も全員が走りながらの局面で河口はかなり鋭いスルーパスを浦に向かって放った。すでに85分頑張ってきた浦だがこれが最後の頑張りとばかりにそんなに長くない足を精一杯に伸ばしてボールに追いついた。
「おおっ、やる!! さあ撃て!!」
「言われるまでもねえ!!」
ディフェンダーを強引に引き剥がした浦はその勢いのままに右足を振り抜いたが、GKの両手によってコースを強制的に変更させられた。
「ちっ、コーナーか!」
「だがまだチャンスは続いている。ここで決めようぜ!」
岩本と讃良の両センターバックが巨体を震わせて最前線まで参戦してきた。カウンターを受けたらその時というリスキーな選択だが、今年は今まで以上に攻撃的に行くという佐藤監督の意向はこの状況でも不変であった。
キッカーの宮地が繰り出した低く鋭いキックに反応したのはニアの讃良だった。
「もう1点貰った!!」
「させるかよっ!!」
しかし相手も警戒しているもので、讃良の前にすっと入り込んだ相手DFが頭で弾き飛ばした。しかしそれは不完全なクリアだった。大きな弧を描いてゆっくりと落下していくボールに反応したのは二人の男であった。
「どけおっさん!」
「お前こそ自重してろ!」
右より現れたのは背番号18の若武者、左より迫るのは背番号9のベテラン。ともに鋭いゴール嗅覚を持つハンター同士、相手に妥協して手柄を譲ろうなどという気持ちは毛頭なかった。この一瞬のためだけに命をかけているからだ。
「なめるなあっ!!!!」
「うおおおおっ!!!!」
ボールが芝生を叩く寸前、浦の左足と秀吉の右足がほぼ同時に振り抜かれた。どっちが先に触ったのかは誰にも分からない。しかしこのツインシュートによって明確な方向性を撃ちだされたボールは明確な意志を持っているかのようにゴールに向かって直進していき、そのまままっすぐにネットを突き刺した。
「き、決まった!! だが……」
「どっちだ!?」
岩本が、讃良が、河口が、それ以外の選手たちが、首脳陣が、そしてスタジアムに詰めかけたサポーターたちが。ゴールを見たもの全員がそれを生み出した付近に目を凝らした。そしてこの騒動を巻き起こした張本人たちはと言うと、あまりこだわりがないようだった。
「ヒデさんがどいてくれると思ってたのに! まあ俺のほうが先に触ったからいいものの、あわや大惨事でしたよ」
「先に触ったのは俺だぞ浦よ。ただまあ、いずれにせよ決まってくれて良かったぜ」
そして二人は小さく微笑み合って、ハイタッチをした。公式発表では浦のゴールという事になったが、本当の事を言うと両者によるゴールとしたほうが正しかった。
「ともかくこれで2対1だ。リードは絶対に守りきろうぜ!」
「おう!」
この奇妙なゴールは尾道の士気を高めた。試合は最後まで集中力を保った尾道がこのまま勝利。見事に初陣を飾った佐藤監督だが、その表情はまるで引き分けたようであった。
「とりあえず勝ち点3という結果を残せたのは幸いでした。ただ内容はね……。退場でプランが狂ったのはその通りですが、試合となればどんなハプニングがあってもおかしくないもの。そういう状態であっても怖さを持ち続けられるかが問われる部分だと思っているので、そう考えると今日の出来ではまだまだですね」
冷静な口調のまま、あくまでも未来を見据える指揮官。
「アキラとケンジにしてもね、もっと成長していかなきゃならないし、それが出来る存在です。それはもちろん僕自身もそうですし、チーム全体、クラブ全体もそうですから。今日は去年までの遺産のお陰で勝ったようなものですけど、そこにとどまり続けるようなら先はないですし、とにかくやり続けるしかないんです。暗闇の中、どれだけ険しい道であっても……」
一寸先は闇というが、まさに現状もその通りで今日は勝利という歓喜で終わったもののそれが続くとは限らない。むしろこんな危なっかしい戦いの中でそれが続くはずがない。未来の見えない暗闇を、それでも何かを求めようと覚束ない足取りで進む探検はまだ始まったばかりだ。
100文字コラム
関係者が一様に「素質は凄い」太鼓判を押すのが謝花だ。確かに練習でも超絶技巧を度々披露するがとにかく集中力が続かない。「同じ事してると飽きる」と平気で言い放つ気まぐれな性格を改善すれば主力確実だろうに。




