得点その2
「安易にパスを出すな! 相手はこういうミスを絶対に見逃さないぞ」
「はい!」
「それとディフェンスはもっとタイトに! 水戸の攻撃を早いうちに封じるように」
熊本戦から2日後、チームの練習場のひとつである神勝寺グラウンドにて戦いの声がこだまする。ここでは次節の対戦相手である水戸を想定した紅白戦が行われていた。水戸は日本代表でも活躍した往年の名ディフェンダー桂谷哲治が監督となっており、現役時代を髣髴とさせる熱血指導と確かな理論による守備構築によってめきめきと力をつけている最中である。また、前線には元日本代表の実力者が集い、怖さの出てきたチームである。
この難敵を前に、まずはクラブミーティングで選手たちと一緒に今季の水戸の戦いをまとめたビデオを見て要点を整理した。水戸は元日本代表でワールドカップでもゴールをもぎ取ったフォワード大神を中心にオフェンスを仕掛けてくる。一方ディフェンスに関して、水戸の形容詞とされていた攻めをほとんど放棄したいわゆる「ドン引き」スタイルはもはや過去の話。より組織的なディフェンスでありながら当時以上の鉄壁ぶりを実現させている。
「水戸はここまでの7試合でわずか3失点しかしていない。ディフェンス力はリーグ屈指だ。その上で当然ウチの対策もしてくるだろう。今は有川を中心とした攻撃でうまく回っているが、これからはその上を行くパフォーマンスを演じなければ得点を奪う事は出来ない」
相手の攻撃を根本から防ぐフィールドのタフネゴシエーター山田はレッドカードをもらったため次節は出場停止である。山田のように動ける選手は山田しかいない。つまり代役の選手は「山田のように」ではなく山田とは別の方法に活路を見出してほしいと水沢監督ら首脳陣は期待している。今日の紅白戦では今村と中村のダブルボランチが試されたが、茅野ら控え組の選手に個人技で突破される部分が多く、満足できる結果を得られなかった。
「どうしますかねえ中盤の底。トモキとジュンのコンビは正直ねえ」
「うむ、どうもこの2人はかみ合っていなかったな。パスを防ぐのはいいが個人技のある相手には対応できそうにない」
「同じようなタイプですからね。もっとガンガン行くタイプと組ませないと持ち味が出ない」
練習終了後のクラブハウスにて、水沢監督とコーチ陣が議論を交わしている。空はすでに黒く染まっているが、中身は太陽の降り注ぐ時間帯にグラウンドで行われた戦いに負けず劣らずの熱さである。
「じゃあいっそ中盤を3人にするのはどうだろう。そして前線は有川トップでシャドーにヴィトルと王」
「危険ですね。特に金田の守備力は不安定ですしあまり後ろには置けない。今村だけでは中盤を簡単に制圧されてしまう」
「これは佐藤コーチに賛成だな。前線にいい選手が増えてきたし3トップ案は面白いが、守備を考えるとあくまでビハインド時の一手にとどめるべきだろう」
「攻めのバリエーションを考えると金田を外すのはまずい。御野の突破力も捨てがたい」
「水戸の強力なディフェンスを考えるといずれも外せません。でもこっちのディフェンスもおろそかにしてはならない」
現役時代FWだった中島コーチは攻め重視で時には無謀なほどに強引な、ディフェンシブなポジションを担ってきた佐藤コーチは守り重視で割と杓子定規な意見を述べ、GK専門の野沢コーチやコンディショニング理論に長けた園川コーチによる専門的な助言を挟みつつ水沢監督が最終的にとりまとめるというのが尾道首脳陣の議論パターンである。
「とにかく、フォーメーションはまだ変える時期ではない」
「じゃあ、亀井はどうですか。今日の紅白戦でもいい動きでしたし」
「まだ身体がプロとしては弱い気がするけどなあ、確かにいいセンスしてるけど」
「そうですね。この資料を見たらわかると思いますが亀井のスタミナやパワーなど軒並み標準以下。試合に出してもどこまで持つか」
「まだ育成の必要があるということですか。しかし元ディフェンダーとして言わせてもらうとセンスは本当に素晴らしいものがあるので、個人的には推したいですね」
「なるほど亀井か、しかし……」
ここで沈黙が続いた。尾道の若手は力があるといっても実戦での経験はまだまだ乏しい。主力が怪我やカードによって欠場した際に打てる手はかなり限られてくるが、その中で最善手は何かという結論は簡単に出せるものではない。
今は力が落ちるにしても若い選手を試合に出場させて鍛えるという作業は必要である。特に尾道のように育成メインの小規模クラブにおいては。しかし育成のために勝敗をないがしろにするのもそれは違う。毎試合のスタメンはそういったせめぎあいの中からギリギリまで考えられて決められる。幸い次の試合までにはまだ5日ある。今はむしろ拙速を恐れるべきである。
「とりあえず明日は今村と亀井で組ませてみようか。結論を出すのはそれからでも遅くない」
「そうですね。今後もこういったケースはいくらでもありえますからね」
「じゃあ解散といこうか」
「明日の練習開始は午後からですね。じゃあお疲れ様でした」
間もなくクラブハウスから明かりが消えた。
翌日、ハーフコートで実戦形式のトレーニングを行った。中盤の底には今村と亀井を置いたが、亀井がなかなかの動きを見せて指揮官を唸らせた。これは決まりかと安堵した矢先、次なるアクシデントが尾道を襲った。セットプレーの練習中にディフェンダーの橋本と競り合っていたヴィトルが着地の際バランスを崩して派手に転倒してしまったのだ。
検査の結果、右足のねんざと診断された。骨折などの重傷ではなかったのは不幸中の幸いだが、少なくとも次節の欠場は確定してしまった。水沢監督はまたオーダーの組み直しをする羽目になった。
「次節は山田とヴィトルが欠場か。痛いな、本当に痛い」
「しかしこれはいい機会かも知れませんよ。荒川を使うには」
「確かに、そろそろ荒川をスタメンで出すべきとは思っていたところだから」
珍しく佐藤コーチと中島コーチの意見が一致した。水沢監督も秀吉のアピールは分かっていた。しかし現在は有川とヴィトルの両FWが好調なのでそれを動かす事で勢いが停滞するかもというリスク、ゲームの流れを変えられる秀吉の存在感はあえてジョーカーとして使う事で最大限に発揮されるだろうと考えた事からリザーブに回していた。しかしヴィトル欠場という現状で使わないのは嘘だろう。目を閉じて少し考え込んだ後、決断を下した。
「確かに、いいチャンスかも知れないな」
「それがいいですよ監督。では水戸戦は荒川と有川の2人がトップと言う事で」
「まあ荒川は経験豊富ですから、きっと対応してくれますよ。贔屓目じゃなくてそう信じています」
いきなり尾道の練習に乱入してから1ヶ月半の時が過ぎた。ついに秀吉が尾道のスタメンとして名を連ねる。世界を股にかけた幻のストライカーがそのベールを脱ぐ時が来たのだ。
100文字コラム
先日グラウンドでチーム最年長選手の玄馬が二年目の宇佐野にコーチングの指導を行っていた。守護神の地位をを争うライバルに塩を送る形だが「これぐらい知らなきゃ土台にも立てないような基礎を教えただけ」と悠然。