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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2015 偉大なる第一歩
153/334

和歌山シリーズ 楔

 後半を迎える両チームのイレブンは前半からそれぞれ一人入れ替わっていた。言うまでもなくそれは前半終了間際に起こった激突が原因である。和歌山は矢神と交代で櫻井を、そしてGKを失った尾道は蔵と交代でエマーソンが投入された。


「エ、エマーソンって、大丈夫かよ?」

「俺見たことないんだけど、こいつ。どうなん?」

「俺も練習でしか知らないからよく分からん。しかも実戦は初めてだからなあ」


 熱心なファンさえもおののく謎GKの登場。しかし今日この試合においてこのオーストラリア人をベンチ入りさせたのは間違いなく正岡監督の判断であった。


 今シーズンの宇佐野はどうもおかしい。J1というレベルの高い舞台でシュートの質もそれまでとは比べ物にならないほど正確かつ強烈になり、それに気圧されたのかやけにミスが多かった。しかもキャッチに失敗して失点などのケアレスミスが頻発しており、本人も自信を失っているようであった。


 だから何をやっても最高70点程度だが毎回最低でも60点は取れる安定感の高い蔵がレギュラーとして活躍していたが、その影でエマーソンの評価もひっそりと上昇していたのだ。元々2m近い身長という武器を持っていたが、最近は反応も良くなってきたと評判だった。


 もちろん怖さはあるのだが今の不安定な宇佐野よりはと抜擢したのだが、まさかいきなり出番とは思っていなかっただろう。エマーソンはこれが公式戦初出場となるが、意外にも緊張はしていないようだった。


「ふっ、任せてくれボス。俺だって今シーズンここまで眠ってただけじゃねえんだ。要はきっちり抑えりゃいいんだから、大船に乗った気でいればいい」


 このような事をまくしたてたが、オーストラリア人特有の訛りがきつい英語だったので何と言ってるか分かったのは秀吉ぐらいのものだった。


「ヒデさん、今エマは何って言ったんですか?」

「まあやるぞ、頑張るぞってそんな感じだ。随分自信ありそうだけど、まあ頑張らせないぐらい皆でフォローしていかないとな」

「ヒデの言う通りだ。どれだけ実力がある選手でも初出場、しかも途中交代となると難しいものだ。しっかりとエマをフォローして、シュートを撃たれる前にケアしていこう」

「はい!」


 監督も不安がないはずがなかったが、とにかくこうなったからにはもう後戻りは出来ない。しかも相手は和歌山。口では「シュートを撃たれる前に」とは言ったもののガンガンシュートを放ってくるチームだけにどれだけケアしても限界はある。しかも後半には剣崎投入も控えているのは明らかだ。やはりエマーソンに頑張ってもらうしかない。


「力はあるんだ。やってくれるのを祈るのみ」


 最後はほぼ神頼みとなった中で後半開始のホイッスルが吹き鳴らされた。


「エマが試合の流れに馴染むまでは我慢の時間帯になるかな」


 最前線の野口から最後尾の岩本まで、前半以上に慎重な動きで後半をスタートさせた。一方で攻めきるしかない和歌山は後半から全開で攻めてくる。流れは明確に和歌山だった。


 その中心となったのが後半から投入された背番号42櫻井である。両足で同じようにボールを操る抜群のテクニックに加えてストリートで鍛えられた独特のリズムを持っている男だが、今日は特に良いリズムが彼の頭の中に響いているようであった。


「くっ、何だこいつは!? まったく動きが掴めん」


 とにかく櫻井の動きはまるで規則性といったものが認められない。まるで酒に酔って千鳥足になっているかのようにフラフラとした動きから一瞬で相手を置き去りにするという異様なドリブルは尾道ディフェンス陣を困惑させた。


「むう、この曲線的な動き。まるで酔拳だな」


 正岡監督は櫻井の動きを苦い表情で見つめていた。スピードの衰えたエジでは彼を止めるのはやや大変そうだったが交代枠はすでにひとつ使っている。今後オフェンスにも使いたいと考えているだけにどうにか今の11人で対応してくれなければならない。


「よし、ここだ!」


 櫻井の酔拳ドリブルによってほころびを見せ始めた尾道ディフェンス陣に強烈なシュートが次々と降り注いだ。しかし来日初出場となるエマーソンが意外にも鋭い反応を見せて決壊を防いでいた。さすがに大口を叩くだけあって緊張はまったくしておらず、むしろ練習よりも動きの質が良くなっているようであった。


「ちっ、相手もなかなか」


 オーストラリア生まれの薄そうで意外と厚い壁を恨めしげに睨みつけながら、櫻井は走り去った。一方で尾道の選手たちは「よし、よく動けてる。これならエマも計算出来そうだな」と一息つく心地であった。しかしこの辺りで堀尾の動きが目に見えて悪くなってきた。


「おい、大丈夫かタイショーよ」

「うーん、きついす。足が言うことを聞かなくて、どうも」


 肩で息をしながらどうにか返事するだけで精一杯といった堀尾だが、前半から攻撃に守備にフィールド狭しと走り回っていただけにそれも仕方のない事ではあった。最初から90分持つとは誰も思っていなかったし、それは正岡監督の指示を愚直なまでに忠実に実行した結果であった。


「監督、タイショーはもう」

「分かっている佐藤コーチ。第二段階に移行せねばな。頼むぞヒデ」


 後半開始直後からあらかじめアップのスピードを早めていた秀吉は、正岡監督のコールに力強く応じた。こうなる事はチームとして織り込み済みだったからだ。その上で現状1対1の同点となっている。基本的に秀吉が呼ばれる時はそうなのだが、直接対決となる今日は特に、なんとしても1点が欲しいシチュエーションだ。


「任せてください」


 後半14分、堀尾と交代で赤と緑の背番号9が尾道のピッチに降り立った。


「はあ、はあ……、頼みます……」

「おう頼まれた。よく走ってくれたぞタイショー。後は任せておけ」


 体内のエネルギーを消費し尽くし、形で息をしていた背番号13の背中をいたわるように軽く叩き、秀吉は白いラインを越えていった。これに従いフォーメーションも野口と秀吉のツートップ体制に移行。オフェンスのギアをトップに入れた。


「ふふっ、せっかく途中出場していただきましたけどあいにく今日はノーゴールで終わりますよ」

「ほう、強気だね猪口くん」

「俺達は勝ち続けるしかないんだ。こんなところでもたついてるわけにはいかないんすよ」


 守備側の猪口がむしろ野心に燃えるハンターのように目をぎらつかせていた。この若さ溢れる洗礼に秀吉の心もまた一層熱くなった。思わず口元をニヤリと歪ませるほどに。


「望むところだな。君が素晴らしい選手だとは知っている。だからこそ倒し甲斐があるというものだ」


 猪口は対抗心に満ちた強い視線を秀吉に向けた。年齢が10歳以上離れていようとも同じフィールドに違うユニフォームを纏って立っている以上は対等のライバル同士となる。しかし彼らが対決する前に尾道はゲームの根幹を揺るがしかねないトラブルに直面した。


「くっ、あのドリブルを止めないことには!」


 せっかく登場した秀吉だが試合の流れとしては尾道ディフェンス陣が櫻井のドリブルを捉えきれず、ピンチを度々作っていた。そして後半16分、櫻井の中央突破で岩本を翻弄してGKと1対1になった。ここですかさずエマーソンが飛び出してきた。非常に勇敢な飛び出しで、タイミングも絶妙だったが櫻井にとってはこれとて想定内であった。


 櫻井はエマーソンと勝負するのではなく、ノールックで背中へとパスを回したのだ。そこにタイミングよく走り込んでいたのは小宮であった。


「くくく、これでとどめだ! 死ね尾道!」

「やらせるか!」

「邪魔だ!」


 いち早く危険を察知した亀井が強引に体を入れてシュートを妨害した。小柄な小宮は体制を崩されながらもつま先で弾くようにボールを前に蹴りだした。それがちょうどループシュートのように巨躯エマーソンの上空を通過しながらゆっくりと、しかし確実にゴールネットへ向かって進んでいた。


「ああっ、駄目か!?」


 誰もが絶望を覚えたその一瞬、ゴール前に立ちはだかる黒い影が浮かび上がった。エジ・サントスがここにいたのだ。


「頼む! 止めてくれ!」


 尾道サポーターの悲痛なる祈りがスタジアムにこだまする。そしてその願いは叶えられた。しかしイリーガルな方法によって。


 エジは両手を伸ばし、まるでバレーボールのブロックをするようにしてボールを払い落としたのだ。間もなく主審の笛が響き渡り、レッドカードが掲げられた。


 確信犯的なハンド。退場を宣告された瞬間、彼は軽く微笑みを浮かべながら「アディオス」と一言つぶやき、ざわめきが収まらないスタジアムを後にした。尾道のサポーターも和歌山のサポーターも、特にどっちのファンとかではないけど何となく訪れたお客さんも等しく騒然としているが、その仕掛け人はもはやピッチの上に存在しない。


 かくして稀代の名手エジ・サントスはユニフォームを脱いだ。尾道ではリーグ戦わずか4試合出場で、スタメン出場はこの和歌山戦が最初で最後となった。10年以上日本で華やかなキャリアを築き上げた男にしては寂しい末路とも言える。しかしそれは意味のない在籍ではなく、両チーム内に残る確かな楔となったのだ。

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