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幻のストライカーX爆誕(仮題)  作者: 沼田政信
2015 偉大なる第一歩
135/334

和歌山シリーズ 嵐の中の灯火

「もうこれ以上耐えるのは無理だな。となると攻めるしかない」

「ならばようやく俺の出番ですかね」

「ここまでお前の出番を引っ張ったのはお前がいつでもゴールを奪えると信じているからだ。頼むぞ!」

「ええ、やってみましょう」


 尾道のベンチ前で首を回しながら出番を待っていたのは背番号9、尾道最高の得点感覚を持つ生粋のストライカーであった。緊迫した展開の中でもいつも通りの動作で体をほぐしている。精神的にも程よくリラックス出来ているようだ。


 そして一分ほど後、ボールがサイドを割ったところで交代が告げられた。ピッチに立った秀吉は自分と交代の二木の肩を叩こうとしたが、二木は随分ふらついており明らかに体力が消耗していたので少し驚いた。


「よくやったぞニッキ! 後は俺に任せろ!」

「はあ、はあ。頼みます。しかし何なんでしょうねあいつら。想像以上に無茶苦茶な勢いで攻めてきて」

「和歌山はそういうチームだから初めて当たれば面食らうのも仕方なかろうよ。大丈夫だ、せっかくリードしている試合なんだから。俺がきっちりとケリを付けてやるよ」

「あっ」


 二木が妙に間の抜けた声を発したのはこの試合まだ尾道がリードしているという事実をすっかり忘れていたからだが、実際フィールドに立っている尾道の選手たちは誰もが二木と同じような恐怖心を抱きながら戦っていた。勝ちたいという思いも今は逆に重みとなって選手たちの肉体にまとわりついている。


「随分やられてるみたいだな。だが大丈夫だ。この試合、守りきれるもんじゃない。攻めてゴールを叩き込むために俺は出たんだ! さあ行こう!」


 秀吉の鼓舞に選手たちは少しだけ前を向いた。試合再開後、フォーメーションがボックス型の4-4-2に変わった。桂城は中央から左寄りにポジションを変えて少しはプレッシャーを削減出来るかと思ったが、猪口はやっぱり徹底して桂城を潰す気でいるようだったので余裕は与えられなかった。


 その分中央にはややスペースが出来た。しかしここを活かせるドリブラーとして適任だった御野もゼ・マリアもいないのはタイミングが悪い。しかし何かに使えそうだという事で、この存在を嗅ぎつけた亀井や桂城は密かに大事にしておいた。


 なお試合展開は、秀吉投入が尾道にとっては無言の激励、和歌山にとってはプレッシャーとなったようで多少はボールを回せるようにもなった。全体的には未だに和歌山のペースだったがそれに対抗する尾道ディフェンス陣に活気が戻ったのが大きい。


 つまり、今までは攻撃のあてがなかったのでいつ果てるともなく続く和歌山の猛攻をひたすら耐えるだけだった。当然精神的、肉体的な疲労の度合いも大きくなる。しかしワンチャンスでも得点に結びつける事の出来る秀吉投入によって「今この攻撃を耐えればカウンターにつながるはずだ」「ヒデさんがボールを持てばきっと1点取ってくれる」という希望が生まれた。


「さすがなもんだ剣崎。1秒どころか0.1秒の隙で抜け出してくるんだからなあ。だが最後に決めるのはヒデさんだ!」

「くっ、さすがにしぶとい!」


 剣崎のみならず矢神や竹内、栗栖にも選手たちが全力でぶつかっていきピンチの芽を摘んでいった。そして後半41分、尾道に千載一遇のチャンスが生まれた。この時もやはり和歌山に攻められており、相手の左サイドである三上がクロスを上げたが岩本がクリアした。高さに関しては尾道に分があるので見えていた結果であった。


 今までと違ったのはこぼれ球を拾ったのが亀井だったという点である。後半の流れだとクリアしたところで和歌山の選手が拾って次の攻撃につなげていた。しかしようやくセカンドボールをこちらで拾えるようになるまで流れを引き戻したのだ。


「よし、ここから一気に行くぞ!」


 亀井は躊躇なく縦に鋭いボールを蹴り込んだ。走りながらこれをトラップしたのが今日ここまでいいところがなかった桂城だった。しかし囮やパスを繋ぐだけというどうでもいい役割に甘んじながらも常にチャンスをうかがっていた。そして今がその時とばかりに敢然とドリブルで中央に切り込んでいったのだ。


「やらせるかよ!」


 ハードマーカー猪口はこれを見て当然のように潰しにかかった。右には川崎が手を上げているし左の後ろからは井手が猛然とせり上がって来ている。ボールを奪われない事に拘泥するならそっちへパスするほうが安全だっただろう。しかし桂城はゴールを奪うために最短のルートを突っ走るとすでに覚悟を決めていた。


「人間負けっぱなしでいると思うなよ!」

「何っ!?」


 更にスピードのギアを上げた桂城は猪口をわずかに振り切った。背は低くとも分厚い壁を超えたその先には、ディフェンスラインの前に佇む秀吉の姿があった。佇むというとのんきに聞こえるし実際は激しい駆け引きを続けていたのだろうが、桂城には奇妙なまでに悠然と構えており、まるで地面から浮いているようにさえ見えた。もはや他の選択肢を考える余地はなかった。


「ここしかない! 通れ!」


 桂城の左足から放たれた鋭いパスは和歌山ディフェンス陣を切り裂き、それに反応できたのはただ一人だけだった。取り残された和歌山のディフェンス陣は手を上げてオフサイドをアピールしたが旗は上がらなかった。抜け出した時に右サイドのソンがほんの一瞬だけ残っていたのだ。それこそ0.1秒でもずれていたらオフサイドになっていただろう、まさに完璧なタイミングでGKとの1対1を作り出した。


「こういう修羅場こそ守護神の仕事場よ! 勝負!」

「むうっ!?」


 和歌山の守護神友成は勇気を胸に飛び出した。そしてそのタイミングは抜群で一瞬にしてほとんどのシュートコースは埋まった。友成の身長が低いので上を狙えばと思われるかもしれないが生半可なループシュートは瞬発力の高いジャンプであっさりキャッチされるのが落ち。無論、秀吉もそれは知悉していた。


「ならば、こうだ!」


 秀吉は右足にありったけの力を込めてシュートを放った。そのコースは友成の正面だった。あらゆるコースを潰しているなら逆に一点突破を狙うという強烈なシュートを、しかし友成は手のひらをかざして弾いた。


「ぐああっ!!」


 球威に押されてもんどり打ちながらも友成は伸ばした両腕でボールを右に弾いた。しかしその右にはまるで測ったかのように秀吉が走り込んでいた。最初から弾かれるのは承知で、こぼれ球の位置までも予測しつつ走っていたかのようであった。


「なぜだ!?」

「もらった!!」


 ふわりと浮いたボールを胸でトラップし、ワンバウンドした瞬間利き足とは違う左足で軽く蹴り出した。その姿に無駄な動きはひとつもなく、一番目の前で見ていた友成にはスローモーションで再生されているように見えた。しかし体は動かず、ボールがゆっくりとゴールへ転がるのを麻痺したまま眺めるだけだった。


「くっ……」

「ふう、危なかった。一度止められた時はどうなるかと思ったぜ」

「けど結局決めたのはあなたでしょう荒川さん」

「生憎結果だけをかっさらうのは得意でね。だがお前もやるもんだな。これで守備の組織がしっかりしてりゃクリアされてたかも知れないし。ただ今日は俺達の日だったようだな」


 結果としては友成と秀吉の一騎打ちを秀吉が制したという形のゴールだったが、秀吉の言うように一度はシュートを止められたのでこれを他のディフェンダーにクリアされていたかも知れないし、もっと広く見るとラインを連動させてのオフサイドによって飛び出しを阻止出来たかも知れない。和歌山にとっては返す返すも前監督の時期が無に終わったのが悔やまれるゴールであった。


「さすがヒデは違いますね。何としても必要だったゴールをこうも鮮やかに」

「しかし試合はまだ続いている。残り5分と少々で2点差。奴らなら追い付いてくる程度の差だ。佐藤コーチ」

「ええ、キンゴはアップも十分です。今すぐにでも投入出来ますよ」


 正岡監督はすかさず井手と交代で布施を投入した。屈強な肉体を誇り、去年はセンターバックの一角としてプレーした布施だけに尾道は実質スリーバックとも言える堅実な布陣。何としても勝利を勝ち取りたいという交代である。


「後5分か、まだまだ大丈夫だよなあ!」

「言われるまでもねえ。最後の0秒になるまでは終わりじゃねえのがサッカーだ!」


 対する和歌山に意気消沈という言葉はなかった。失点を悔やむより、その屈辱を今すぐ向こう側のゴールにぶつけるという気迫がイレブンから満ち満ちていた。


「負けてたまるか! 俺達が間違っていないと証明するためにもここままじゃ終われない!」


 竹内が、矢神が、そして剣崎が吠える。尾道にとっては1秒たりとも気の抜けない展開が続いた。特に和歌山の場合距離があっても打てると見るや積極的にシュートを放ってくるのでただ引いて守るだけでは守りきれない。危険を覚悟である程度出て行かないと本当の意味でのディフェンスとはならないのだ。


 アディショナルタイムは4分と発表された瞬間、センターサークル付近にまで下がってボールを受けた剣崎が振り向きざまに狂気の表情を見せた。まさか、と思う間もなく強烈なシュートを打ってきた。ストレートな軌道のアーチは確かにゴールの範囲内へと突き刺さろうとしていた。宇佐野はジャンプして弾き、どうにかコーナーに逃れたがこんな無茶苦茶なシュートでさえ和歌山にとっては紛れもなくシュートレンジだったのだ。


「これだ! あいつらにはこれがある! だからこそ安全な点差なんてないんだ!」

「ああ、4分は長いぜ。だが何としても守りぬかねば!」


 この時間帯で2点差あればさすがにどうにかなるだろうという甘えを許さない剣崎の一撃は、尾道の選手たちにも集中力を改めて蘇らせた。和歌山の選手も必死だ。尾道も必死だ。そして時間は3分と50秒がすでに過ぎ去った。数字上はどうにか勝てそうだ。そう岩本が思った瞬間、横からするりと足が伸びてきた。


「うあっ、しまった!!」

「だああああああああああああっ!!」


 ボールを奪った剣崎は1秒を惜しむように右足を振り抜いた。弾丸のようなシュートは横っ飛びする宇佐野の両腕を貫き、ゴールネットを波打たせた。剣崎は狼のように咆哮した。それは喜びではなく遅すぎた追撃に対する自分自身への嘆きであるかのように、どこか物悲しく響いた。直後に試合終了のホイッスルが吹かれた。


 4対3でリーグ戦初勝利。しかし尾道の選手たちはこの結果にはしゃぐ力さえすっかりと尽き果てていた。いつ誰が打ってくるか分からない相手に対して集中力を切らさず戦い抜いた代償である。比較的元気だった途中交代の川崎、布施、そして秀吉が芝生に倒れ込んだ選手たちに肩を貸していた。


「まったくやってくれるぜ。今ので引き分けに持ち込まれた気分だ」

「ハッシーはよく守ってくれた。そして皆もそうだ。だから俺達は勝てたんだ。さあ、集合だ」


 橋本は膝が笑うのをどうにかこらえながら歩いて行った。いや、橋本だけでなく結木も亀井も桂城も、風が吹けば倒れそうになりながら歩くうちに勝利の実感が湧いてきたようで汗の中から笑みが自然にこぼれていった。これが尾道のリーグ戦初勝利となった。


 ここまで4試合で1勝1敗2分の勝ち点5。昇格1年目のチームが残留を決める目安が5試合で勝ち点5以上らしいが、それと比較するとこの時点でノルマ達成となり、順調といえる推移である。


 一方和歌山にとっては悔やまれる敗戦であった。今石監督は今日という日に向けて最大限の手は尽くした。そして何より前監督末期のような捨て鉢な空気は消え去り、選手たちの一体感がもたらす推進力が戻りつつあるのは朗報である。だからこそ勝利を掴みたかった。


 例えば前半、野口に立て続けにゴールを決められたが、あれもう少し時間があれば今石監督によって修正されていただろう。ヘルナンデス体制からの脱却、そして彼がいた期間はなかった事になったのだが実際になかったわけではない。得るものがなかったとしても空費した時間は帰らない。ただそんな監督を招聘したのは現監督であり、そう考えると巡り巡って敗北は必然的な運命だったのかも知れなかった。


「相手が和歌山さんなので当然ですが、全く気が抜けないゲームでした。何点取っても安心できませんし、常に戦い続ける姿勢を持ち続けないとあっさりひっくり返されてしまう、あの迫力はまさに和歌山ならではのものでした」


 正岡監督は試合後、随分げっそりしていた。春先だというのに夏のように流れ出た汗を拭いながらのインタビューは戦いの激しさを物語っていた。インタビュアーに「これでリーグ戦初勝利となりましたね」と振られたところ「これがひとつきっかけになると思います。強い相手でしたがそこに勝てたのは大きな意味がある。これからも結果を積み重ねていきたいですね」と、ようやく微笑みを浮かべた。


「禍福は糾える縄の如しと言いますからね。今日は俺達のほうに運が向いていたって事でしょう。どっちが勝ってもおかしくはなかった。ただ90分を通した全体の集中力に関しては上回っていたと言えますね」


 勝利を決めるゴールを叩き込んだ秀吉は試合後のインタビューでこのような事を口走った。一度止められたものの押し込めたのは運が良かったから、というだけでなく和歌山が内部のゴタゴタによって本来の爆発力を一時的に失ってしまっていたのが自分たちには幸いしたと言外に述べているようだった。


「あのシュートも一度は止められましたし、自分にとってはあの一回しかチャンスはなかったんで決まらなかったらってところでしたけど、ただそれを決め続ける事で俺はここまで来たわけですからね」


 GKと1対1の局面を作り出せば負けないという自信が秀吉を34歳にしてプロの舞台に立たせる原動力となっているのは論を俟たない。常々「年間10ゴールは最低限の目標」というが、逆に言うとテクニックがあるわけでもなくスピードも全盛期からするとすっかり衰えた自分など10点は取らないとお払い箱だという危機感の現れでもある。


 しかしお払い箱になる日は当分来そうにない。まず一瞬でトップスピードに持っていく瞬発力は未だに健在である事。そして身体能力は確かに時間の経過により衰えたもののその分得た経験をベースにしたテクニックを身に付けているという事。そして何より秀吉最大の武器である類稀なる得点感覚は鋭さを保ったまま衰える気配さえないのだから。


 若く荒々しい和歌山は今後世界を塗り替えかねないエネルギーに満ち溢れている。秀吉や尾道の選手たちにそれほどの力はないが、それでも確かに得難い輝きを放っている。ささやかな灯火、しかしそれは嵐の中でも輝き続ける力強さを会得しつつあるようだ。夜の紀三井寺にもう一度優しい春風が吹いた。

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