和歌山シリーズ 夜空を翔ける熱風
「新生和歌山がどれほどのものかしっかり見極めておかないとな」
前半のキックオフは尾道からだった。ボールを持った尾道の司令塔である桂城は相手の動きに刮目した。規律重視のヘルナンデス監督ならある程度流れも分かっていただろうが、監督交代でどのような影響が出るか。特に桂城は今石監督時代の和歌山を知らない選手の一人なので注目する部分は多かった。
まず目についたのはやはり正岡監督が言った通りディフェンスラインの身長が低いという部分だった。ちなみに本日のスタメン平均身長を計算してみたところ尾道の179cmちょうどに対して和歌山は172.91cmとなっている。しかも180を超えるのは剣崎や竹内など前目の選手ばかり。最終ラインを形成する選手で一番身長が高いのは米良の177cmだが、これとて最終ラインの選手としては低い部類に入る。
なお平均年齢は尾道の24.64歳に対して和歌山は20.73歳。尾道だって十分若いのに和歌山とは比べ物にならない。と言うかそもそも剣崎や竹内の世代が6人、その下に矢神と米良と三上、そのまた下に須藤と根島という3つの学年に固まっているという天然のアンダー22選抜だ。
しかしだからと言って楽な相手ではない。例えば猪口は165cmしかないが、それでもスタメンで起用されてオリンピック予選のメンバーにも当然のように選出されている。その理由である強靭な脚力をベースにしたタフなマンマークの技術、そしてインターセプトのうまさは群を抜いている。
そんな猪口が露骨に接近してきたので桂城ちょっと焦った。どうやら和歌山は尾道の司令塔を機能不全に陥らせるのが狙いらしい。中央に君臨してタイミングに応じてサイドへ散らしつつ単独突破もこなす桂城は間違いなく尾道の攻撃を司る中心選手であるだけにここを封じられるのはダメージとなる。
「なかなか味な真似をする。だが今は俺以外って手もあるし、試してみるか。ニッキ!」
桂城はボールを素早く左サイドに張っている二木へと送った。二木は持ち前のテクニックでボールをキープしながら井手のオーバーラップを待ち、井手とのコンビネーションでサイドを突破しクロスを上げた。それに反応した野口のヘディングは、しかしコースがGKの正面だったので友成は苦もなくキャッチした。
「おいおい馬鹿にすんなよ? 何だそのナマクラシュートは!」
「俺はこれでも義理堅い男だからな。去年和歌山にいたお陰で成長できたんだからその恩返しをしたいって思ってるんだ」
「それが今の手抜きシュートか?」
「いや、今のはご挨拶ってもんだ。本番はこれからバシバシ叩き込んでやるさ」
「ふん、返り討ちよ。それっ!」
友成の正確なゴールキックはハーフウェーラインを超えて中盤の竹内に収まった。竹内としてもいくつか選択肢はあったが最初の攻撃、誰にボールを授けるべきかは自ずと知れていた。
「剣崎!」
ペナルティエリアからは少し距離がある位置でボールをキープした剣崎だが、そこにはボランチの山田が密着していた。ボールを持てばそこがシュートレンジという剣崎だけに、山田はシュートを打たせないという難題にチャレンジしている。
「へっ、それにしてもまさかあんたがここまで生き延びるとは思ってなかったぜ」
「だろうな。俺だってそうなんだから。ただ生き残ってしまったからには仕事は果たさせてもらうぞ」
山田に課せられた仕事とは言うまでもなく「剣崎を止めろ」の一点である。山田としても剣崎とは何度か対戦したことがあるが、1秒でも気を抜くと次の瞬間にはゴールを狙われるという貪欲さ、鋭さを持った選手であるとよく知っている。
「だからこそ、お前にしか頼めないんだ。頼むぞ、テツ」
指揮官にこうまで言われて頑張らない山田ではない。「分かりました」と落ち着いた口調で答えたものの、その内心は今までで一番の闘志で燃えていた。徹底的な密着マークにさすがに攻め手がないと、剣崎は一旦ボールを後ろに戻した。
「ふふっ、どうした剣崎。もう終わりか?」
「ちっ、しつこい奴だな」
「おうよ。俺からしつこさを取ったらサッカーの下手なおっさんにしかならんからな。それに今年から幸乃も小学生だ。ここで頑張らずしていつ頑張るんだって話よ!」
「はあっ!?」
誰だよそれはと思った方にプチ情報。山田には子供が三人いて、長女の幸乃ちゃんは山田が言ったように今年から小学生となるのだ。井手、ジュニアユース監督の野村尊之と並ぶ尾道三大子煩悩として知られる山田だけにここで頑張りたいという気持ちは人一倍だ。それにしてもチーム最年長なのに未だに独身貴族を続けて女の影すら見当たらない秀吉は一体何なんだって事になるが閑話休題。
「なあ剣崎よ、子供ってのはいいもんだぞ。そう言えばお前、いい相手っているのか? いるんなら早く結婚したほうがいいぞ」
「だああ、うっせえええ!!」
「剣崎ボールだ!」
渡りに船とばかりに栗栖からボールが送られたので剣崎はトラップするやいなや鋭いターンで山田を抜きにかかった。しかしこれも全部読んでいたかのように、剣崎の前に亀井の右足が飛び込んできた。
「ぐおっ!!」
鋭いスライディングに思わず剣崎は転倒したが、完全にボールだけを捉えていたスライディングだったので笛が鳴るはずもなかった。
「よし速攻!」
素早く立ち上がった亀井はボールを前線に蹴り込んだ。野口から桂城を経て左サイドの井手と二木で突破していって、最後は二木がクロスを上げた。野口の身長を活かすためのふんわりとしたボールだったが、野口の頭へ到達するより早く友成の両腕がボールを捕らえた。
「無駄無駄! スローすぎてあくびが出るぜ!」
試合序盤は概ねこのような流れで推移していた。尾道としてはクロスまでは簡単に進む。また、和歌山の攻撃に対してもまずは剣崎には山田によるマークを付けて、その上で剣崎にボールを供給する中盤にも竹田を中心に積極的なプレッシングを仕掛けることでラインを寸断。
須藤や矢神がエリア外から積極的にシュートを撃ったので和歌山もシュートの数はそれなりに稼いでいたものの正確さはそれほどでもなく、危険なシーンはほとんどなかった。特に剣崎は存在感がほぼ皆無で、ゲームから消えていた。流れは尾道にあり。しかし最後のワンポイント、シュートをゴールに叩きこむという段階でその流れは停滞を見せていた。
猪口のタフなマーク、身長がほとんどハンデにならない友成の瞬発力。個々の力ではやはり和歌山に一日の長がある。肝心な部分は個々の選手でねじ伏せるのでクロスに関しては何本上げられても問題ないと言わんばかりの守り方をしていた。
「ここまでは悪くない流れだな。結構シュートも打ててるし」
「前の監督だったらあんなロングシュート打とうものなら文句言ってただろうし、ようやく俺達のアガーラが帰ってきたかな」
スコアこそまだ0対0ながらも紀三井寺に訪れた地元サポーターによる評価は上々だった。何より前監督の体制では否定されていた和歌山らしさ、積極的にゴールを狙っていく姿勢が蘇ったように見えたからだ。しかしやはり今の和歌山は昔のそれとは違う。それは前半30分にもなろうかというところではっきりと現れた。
この時尾道は右サイドを突破して、後はクロスを上げるだけというところまでは進んでいた。しかし一見空中はフリーに思えても実は見えない壁が立ちふさがっていると、かつて彼らとともにプレーした結木はよく知っていた。
「その壁をどう砕くかだ。一人じゃきついなら、二人でやれば!」
結木はグラウンダーのクロスを上げようとしたがこれはマークについていた三上に当たってコーナーキックとなった。
「やはりこれしかなかろうよ。頼みますよ桂城さん」
「おう! やっと自由になれたし、そろそろ働かないとな」
コーナーキックとなると当然のようにセンターバックの岩本も相手ゴール前まで上がってきた。実に身長191cmの巨体。身長188cmの野口とともにゴール前にでんと構えるツインタワーは存在自体が迫力そのものであった。和歌山としても当然マーカーを割かなければならないが、その分他の選手は楽に動けるようになる。
ホイッスルが鳴るとすぐに、桂城は小さく助走をとって右足でボールを蹴った。ゴールから離れていくボールにニアサイドの岩本は反応してジャンプした。させるかと友成と飛び込んだがボールは岩本の頭上から1m近くも離れた場所を横切った。最初から岩本は囮だったのだ。
ならば野口か。いや、これも違う。ファーポスト付近に陣取っていた野口に至っては高さだけでなく距離もまったくずれていたからだ。つまり、桂城は最初からツインタワーを使う気などさらさらなかったのだ。
じゃあ誰が合わせるんだ。その疑問に答えるべくここで大外から走りこんできたのは亀井だった。亀井は落ちてきたボールに対してトラップする間も惜しいとばかりに右足を振り切った。直線的なシュートはユニフォームの間を抜けて誰もいないゴールマウスを貫いた。
「よし、狙い通り!」
「ナイスカメ! まるでフォワードみたいなシュートだったぜ!」
「タクトがうまく引きつけてくれたお陰だよ。それとやはり和歌山の守備陣はまだがたついてるみたいだ」
「ああ、マンマークはしっかりしてるが連動した動きにはついていけてない」
「となると今がチャンスだな。ここで一気に追加点を狙おう!」
「そうだな!」
秀吉もかくやという亀井の見事なボレーシュートで尾道が先制した。しかしこれとて尾道がキャンプ中から練習を重ねてきたプレーだった。逆に言うと和歌山はヘルナンデス監督中心に行っていたキャンプは今となっては何の意味も成さなくなってしまっており、その積み重ねの違いが出たゴールであった。
「ふうむ、見透かされていたな。やはり付け焼き刃じゃこの程度か」
ベンチ前、和歌山の今石監督は腕を組みながら唸っていた。和歌山にとっては見事にしてやられた形となったこの失点。尾道のセットプレー対策をしていたからこそ野口と岩本には厳しく当たっていたのだが今回に関してはそれも計算済みとばかりに次の手を打ってきた尾道のほうが一枚上手だった。そして狙っていた先制点を奪われた事で気落ちしたか、ここから急に尾道の流れとなった。
前半33分には結木の鋭いクロスから野口が米良のマークに遭いながらもそれを強引に引きちぎるようなヘディングで追加点を奪った。どんな時もゴールを狙えという和歌山超攻撃的サッカーの洗礼を受けた野口が、同じく和歌山に所属していた経験を持つ結木のクロスでそれを実行するというこれ以上なく痛烈な恩返しとなった。次いで35分には、今度は井手のグラウンダーのクロスに野口が合わせてもう1点加えた。
わずか5分でこの3ゴール。これは尾道の攻撃力が高いという印象よりもむしろ和歌山の不甲斐なさが目立った場面だった。監督が代わってもあっという間に崩れる脆さは相変わらず、と言うかこの脆さをどうにかするためのヘルナンデス監督だったはずが大失敗に終わったわけで今石監督になったところで改善されるはずもなかった。
「何だよ、せっかく期待したのに全然変わってねえじゃねーか!」
「ふざけんなよ今石金返せ!」
やはり駄目なのか和歌山。そんな空気が漂いつつあるのを一番もどかしく思っていたのは和歌山の選手、特に最前線にいる男たちであった。彼らによる逆襲が始まったのはその直後の事である。




