和歌山シリーズ 春風の紀三井寺公園
「さて、次の相手は和歌山だが皆も知ってるように、先日ヘルナンデス監督が解任されて今石博明GMが監督も兼任する事となった」
練習前、クラブハウス内の一室に監督とコーチ陣、そして選手たちが集まり恒例のミーティングが開催されていた。データを重視する理論派である正岡監督にとって、このミーティングは普段の肉体を用いるトレーニングに勝るとも劣らないほど重視していた。
「そういうわけでプレシーズンマッチから集めてきたデータは全部チャラになったってわけだ」
ホセコーチが大袈裟に肩をすくめて笑いを誘う。データ担当のホセとしてはせっかく集めたデータがまったく無駄だった事になり笑い事では済まされなかっただろうが、結果を残せなかった者が消え去っていくのはプロの世界の定め。これもまた宿命である。
「それにしてもあの監督、バンコクとかこの間の甲府戦に勝ってようやく乗ってきたのかなと思ったら案外あっさりクビになりましたよね」
「それだがな、アンゼよ。今回のは明らかに内部の問題だからな、最後は結果がどうなろうが解任しかないってところまで行ってたんだろうよ」
「矢神の件とか見るにヤマトの言う通り内部でかなりごたついてたっぽいからな。そりゃあ矢神は若かったとは思うが、ただあれで監督はクビ要求したらしいからいくらなんでもなあ」
「それにスタメンも変だったよな。剣崎が控えで小宮がベンチ外とかありえんだろ普通」
「せやなあ。チームの戦略もあったんやろうけど放っておいても点取れるのになあ、あいつは。またメンバーから外してくれたら楽なんやけど」
「だがもうあの監督はいねえし普通に出してくるだろうよ」
生業を同じくする者とて尾道と和歌山は決して近くはないし、新聞や雑誌であれこれ報道はなされているもののそれが真実であるかどうかは疑わしいものである。
ただ桂城が述べた矢神の一件、開幕となる湘南戦のハーフタイムに和歌山のFWである矢神真也が味方であるアンデルソンの胸ぐらに掴みかかったという事件に象徴されるようにチーム内に亀裂が生まれており、それが修復不能にまで広がってしまった結果を受けての解任である事は間違いなかった。川崎の言う奇妙なスタメンも亀裂が顕在化した一部分でしかないのだろう。
「そう言えばヒデさんはあの監督の事どう思いますか?」
「それだがな、ウサよ。俺の知ってる限りじゃもう10年ぐらい前だが、ちょうどヨーロッパでやってた時だな。直接相見えたことはないが当時からブラジル人らしからぬ指揮官だって向こうじゃよく言われてたぜ。規律重視で突出した個人技よりもチームのために動く選手を好み、意に反した選手は主力であっても毅然と干していた」
現状チーム最年長となった秀吉はそのキャリアにおいて多くの監督のもとでプレーした経験を持つ。長期政権を築いた者も、数ヶ月で消えてしまった者もいた。敵を知り己を知れば百戦危うからずという事で敵味方問わず多くの選手や監督について記憶していた秀吉だが、その脳裏にヘルナンデス監督もまた記録されていた。
「なるほどね、規律重視か。それが今も変わってないとしたら矢神の件もさもありなんって奴だな」
「そう言えば確かアンデルソンだっけ? 監督と一緒に入って矢神ともめてたFWも一緒にクビになったな。結局ノーゴールじゃ当然だが」
「ただポストプレーは本当にうまかったな。はっきり言ってタクト、お前より上だった。それだけにアンデルソンを基点に剣崎ら得点感覚に優れた選手が連動的に動くようになると危ない、みたいなデータを作ってたがあっさりクビにしてからに」
「ホセコーチも大変ですね」
実際アンデルソンはゴールこそなかったもののポストプレーに関しては存在感を示していた。ただその動きがチームと調和することは最後までなかった。それに本人にゴールを狙おうという意志があまりにも希薄で見ていて「そこは打てたのに」とやきもきするプレーも多かった。ましてや攻撃特化の和歌山において、そのあまりにもフォア・ザ・チームに重点を置きすぎたプレースタイルが浮いた存在であったことは想像に難くない。
「ヘルナンデス監督だって今まで結果を残してきたからこそこうしてキャリアを重ねてきたんだ」
「でもどこかの雑誌で功績は実は全部前任者のものだったみたいに書かれてましたけど」
「結果を残すってのはそんな簡単なもんじゃないさ。ヘルナンデス監督だってやる時はやるんだろう。ただ致命的に和歌山の哲学とは合わなかった」
「お互いが不幸な結果になってしまいましたからね」
「あそこは特化型の選手ばっかりだからな。それに我も強いし。まあフロントとしても多少の反発は覚悟の上で選んだんだろうが、最後まで融合する事はなく自爆みたいな形でおさらばだから残念な話だ。変えようとしたのがまずかったのか、あるいは……。ままならぬものよ。だからこそ面白い」
「さあ、過去の話はそこまでだ! これからは未来の話をしよう」
妙な方向で熱中の気配を見せた議論に水を差すように、正岡監督はパンパンと手を叩いた。今ある現実はヘルナンデス監督はすでに和歌山を去ったというもので、去った人間についてどれだけ議論を尽くそうと数日後の相手に勝利を奪うための情報は得られないだろう。
「今石監督はU-18の監督として名を馳せていた。和歌山の主力は彼が引き上げたユース組だから、今のチームを作り上げた人物と言っていい。それだけにヘルナンデス監督のやり方とは正反対のやり方で来る可能性が高いだろう」
「何年か前は監督で対戦もあったけど、結構トリッキーな采配かます印象だったな。剣崎なんかも最初は贔屓起用だなんて叩かれてたけど使い続けた結果がこれだし、信念の前には相当頑固なんだろうな」
「さすがテツ、生き字引だな。ところでこれを見てくれ。今石監督就任後の練習で組まれたメンバーだが、剣崎と矢神に須藤も前線に置いたフォーメーションを重点的に試しているようだ。全員ユースで得点王となった系譜だ」
監督が交代してもぬかりなくデータを揃えていたホセコーチがプリントの資料を選手たちに配った。そこに記載されたメンバーは前線のみならずディフェンスラインには江川や猪口、中盤にも栗栖や竹内を中心とした和歌山U-18出身選手でほとんど占められていた。
「ユース組か。実際ヘルナンデス監督の末期は完全に組織がぐちゃぐちゃになってた感じだし、そんな中で頼れるものといえばやっぱりユース組の結束ってなりますからね」
「いくら今石監督が選手達を掌握していると言っても期間が短すぎるし組織的にはそう動けまい。一度破壊されたそれを回復させるには時間がかかるものだからな。下手すると今シーズンは間に合わないかも知れない」
「せやけどあの個人技はやっかいや。特に剣崎なんてあいつどこからでもシュート打ってくるし」
深田がちょっと待ってとばかりに立ち上がった。和歌山はオリンピック予選に本来もうちょっとバラけてもいいところを7人選出、中でも剣崎と竹内はフル代表にも選出されるというスター集団。個々の実力では和歌山に分があるのは認めざるを得ない事実。しかし正岡監督とてその程度は知っているし、当然対策は考えていた。
「そうだな。とにかく剣崎のような、決めるべき選手が決めると和歌山も勢いがつくだろう。監督交代直後で何としても結果がほしい中だからなおさらだ。だから剣崎はなるべく仕事させてはならない。そこはテツ、お前に任せようと思う」
「責任重大ですね。分かりました」
「個人技では和歌山のほうが上とは分かりきった事だ。ただそれで勝ち負けが決まるわけじゃないのがサッカーだからな。団結こそがうちの武器だ。全員の力で勝利をもぎ取ろう!」
「おう!」
そして4月4日、リーグの第4節となる和歌山対尾道が紀三井寺陸上競技場にて開催された。桃源郷などという名前は立派なスタジアムでやってた数年前まではどう見ても場末のマイナーカードだったが今ではともに最高峰のリーグまで上り詰め、和歌山に至ってはアジアを舞台に戦うまでに成長した。
だから今日の観客動員もあっさり1万人を超えてまだまだ増えている。今年の秋には国体が開かれるとかでスタジアム自体も割と最近改修工事が行われたのでなかなか綺麗だ。春休みということもあってホーム和歌山のチームカラーである深緑のユニフォームがスタンドを埋め尽くしているが、一部では赤いものも見える。これはアウェーのゴール裏に集った赤と緑のユニフォームを持つ、はるばる尾道から訪れたサポーターたちだ。
太陽が西に傾いてもまだ朗らかな熱気が残る中、本日のメンバーが発表された。まずはアウェーの尾道からで、メンバーは以下の通り。
スタメン
GK 20 宇佐野竜
DF 17 結木千裕
DF 3 橋本俊二
DF 5 岩本正
DF 2 マルコス井手
MF 10 亀井智広
MF 6 山田哲三
MF 16 竹田大和
MF 7 桂城矢太郎
MF 22 二木太一
FW 18 野口拓斗
ベンチ
GK 1 蔵侍郎
DF 4 布施健吾
DF 30 佐藤敏英
MF 15 川崎圭二
MF 23 成田秀哉
FW 9 荒川秀吉
FW 28 小河内鉄人
まずGKは宇佐野。基本的には若い宇佐野をメインで、経験豊富な蔵は二番手に置きたいというのが正岡監督の考えのようだ。両サイドは言うまでもなく右に結木と左に井手のコンビで、センターバックには橋本と岩本が並ぶのもいつも通り。
ボランチは亀井と山田。亀井はすっかり不調を脱して非常に存在感が高まっている。二列目の右には竹田がスタメン復帰した。和歌山相手には川崎のテクニックより衝動的な竹田の突破のほうが有効と判断した。そしてゼ・マリアが離脱した左にはリーグ戦では初出場となるルーキー二木が入る。中央は桂城でワントップは野口。
控えはまずGKに蔵。布施、佐藤、川崎は複数のポジションをこなすタイプで、この三人がいればディフェンスラインから中盤全般までまかなえる。左利きのルーキー成田もベンチ入り。FWには大柄な小河内と切り札秀吉が入る。
鬼が出るか蛇が出るかといった和歌山とは違い、概ね順当なメンバーが揃ったが、和歌山のように指揮官交代などもなかったので当然といえば当然である。強いて言うなら二木は抜擢とも呼べるが、すでにカップ戦ではスタメン出場してアシストも記録しているので出るべくして出た、順当な抜擢だった。
カップ戦で活躍した浦と讃良に関して正岡監督はビギナーズラックだと処理したらしくメンバーに入っていなかったが、これとて順当と言えば順当で驚くには値しない。
しかしこれは言わば前菜。スタジアムに駆けつけた人々が本当に見たいもの、それは尾道のサポーターも気になっている部分である。監督が交代したばかりの和歌山のスタメンが発表されたのはその後であった。それが以下の通り。
スタメン
GK 1 友成哲也
DF 4 江川樹
DF 2 猪口太一
DF 34 米良琢磨
DF 32 三上宗一
MF 24 根島雄介
MF 8 栗栖将人
MF 16 竹内俊也
MF 13 須藤京一
FW 36 矢神真也
FW 9 剣崎龍一
ベンチ
GK 30 本田真吾
DF 15 ソン・テジョン
DF 26 バゼルビッチ
MF 10 小宮榮秦
MF 11 佐川健太郎
MF 27 久岡孝介
MF 28 藤崎司
一人ひとり、名前が告げられるにつれてスタジアムにどよめきが広がっていった。まず明確な違いとしては前監督と運命を共にしたアンデルソンが消えた代わりに、開幕戦の一件で前監督が今後一切使わないと明言していた矢神が早速スタメンに復帰している。
「いや待てよ! 前線だけじゃない。これ後ろもユース出身で固めてるじゃねえか!」
「中盤もだ! うわあ今石やったなあ、ここまで振り切るなんて」
近森や桜井の怪我もあるとはいえ、まさかスタメン全員がユース出身者とは。徹底しすぎるほどに徹底した今石監督の覚悟に観客はおののいた。そしてこれはヘルナンデス体制からの完全なる訣別と、和歌山本来の一辺倒とも言える極端なまでの攻撃的サッカーへ回帰するという今石監督からの明確なメッセージであった。その賛否は選手紹介の最後に指揮官の名前が告げられた時の盛大な歓声が全てを物語っていた。
「それにしても残念だな。前の監督のままなら勝ち点3は確実だったのに」
「あいつの話はしたくないね」
試合前、野口は去年のチームメイトであった和歌山の選手たちに声をかけてみた。概ね「尾道でもよくやってるじゃねえか」「敵味方に戻ったが勝つのは俺達だ」といった反応だったが前監督の話になるとあからさまな嫌悪感を示す選手が多かった。
「……とまあそんな感じで、正直思った以上に前の監督とはうまく行ってなかったみたいですね」
「そうか。しかし試合となればそんな事はもはや関係ない。和歌山は勝ちたいと強く願っているだろうが、それはうちとて同じ事。まずは先制点を何としても奪うんだ! ディフェンスラインは身長が高くないし、サイドをうまく使うように!」
「はい!」
「OK」
尾道の両サイドを司る結木と井手はそれぞれ元気よく返事をした。特に気持ちが入っていたのが結木で、和歌山は彼にとって古巣でもあると同時に何も貢献出来ずに移籍した後ろめたさを引きずる、自分の未熟さの象徴でもある。それを今、最高峰の舞台で振り払おうとしているのだ。気持ちが入らないわけがない。
あっちはあっちの、こっちはこっちの思惑が渦巻く中、海から吹く少し暖かい夜風がそっとスタジアムを撫でた午後7時3分に試合開始の笛が鳴らされた。
ここから大体4話ぐらいになると思いますが、中村鉄也様の「オーバーヘッド」シリーズからキャラクターや設定をお借りして物語を進める事となります。




