新次元その1
そして春、戦いのシーズンに突入した。3月7日土曜日の午後2時、白基調のアウェーユニフォームを纏った11人の選ばれし戦士たちがはるか鹿島の地に立っていた。その試合のメンバーは以下の通り。
スタメン
GK 20 宇佐野竜
DF 17 結木千裕
DF 3 橋本俊二
DF 5 岩本正
DF 2 マルコス井手
MF 10 亀井智広
MF 6 山田哲三
MF 16 竹田大和
MF 7 桂城矢太郎
MF 19 ゼ・マリア
FW 18 野口拓斗
ベンチ
GK 1 蔵侍郎
DF 4 布施健吾
DF 30 佐藤敏英
MF 15 川崎圭二
FW 9 荒川秀吉
FW 11 河口安世
FW 28 小河内鉄人
これが尾道にとっての一部リーグ初陣となる、歴史的メンバーである。GKにはユースからの生え抜きである宇佐野。センターバックは橋本と新加入の岩本がコンビで、サイドバックは去年同様右に結木左に井手。
蒔田が抜けたボランチは亀井と山田が担当。特に亀井は去年の終盤からぴりっとしないプレーが続いていたがユース代表シンガポール遠征の効果もありようやく切れ味が蘇りつつある。二列目は右に竹田、左に新加入のゼ・マリアで中央には桂城。そしてワントップは言うまでもなく野口。
控えGKには経験豊富な蔵。センターバック中心だがサイドバックもこなす布施とサイドバック中心だが中盤でもプレー出来る佐藤というユーティリティなDF二人に加えて、MFの川崎も複数のポジションをこなすタイプ。FWには点取り屋秀吉、テクニカルな河口、パワフルな小河内とタイプの異なる選手が連なる。現状においてはベストなメンバーである事は間違いない。後はどれだけ通用するかという一点にポイントは絞られていた。
「開幕戦、良い相手と当たったものだ。鹿島と言えば二部落ちの経験がない日本を代表する強豪中の強豪だ。言わば日本のスタンダード。だが臆することはない。全力でぶつかってみようじゃないか。そして日本に尾道ありと示すのだ!」
「おう!」
正岡監督も心なしか興奮しているようだった。無論選手も興奮していた。しかし興奮するだけではなく、プロフェッショナルとしての冷静さも持ちあわせており、情熱と冷静という二つの流れがない混ぜになった、一段高い精神状態がロッカールームには漂っていた。
フィールドに登場したイレブンの目に飛び込んできたのは一面の赤であった。鹿島のサポーターが着ているレプリカで椅子の色は完全にかき消されており、しかも声という壁のような圧力が加わって効果は倍増していた。
観客動員数の問題もある。しかしそれだけでなく春の始まり、非日常的光景のスタートを待ちわびる心からの叫びがこの一種異様な景色を生み出しているのは間違いない。3月からまずは11月まで、そして王者を決める大会は12月まで続く。その第一歩がこの炎のような赤色であった。
午後2時2分にキックオフを告げるホイッスルが高らかに吹き鳴らされ、今日のためよく整えられた芝生の上を軽やかにボールが滑るたびに高らかな歓声が上がり、簡単には鳴り止まなかった。
「ざっと見たところ割合は9:1どころか9.5:0.5ってところだな。さすが強豪は違う。だが皆さんの思い通りにはいかせないぜ」
トップ下に位置する桂城はスタジアム一周を見回してから唇をなめた。真っ赤なスタジアムのほんの僅か片隅に、それでも異なる色合いのサポーターは確かに存在していて、数では及ばないながらもどうにか声を張り上げてその存在を主張している。彼らのためにも不甲斐ない戦いは出来ない。
試合序盤に主導権を握ったのは意外にも尾道であった。今までにない注目をその背中に集めていうという現実が力になっているのだろう。アグレッシブな動きで積極的な攻撃を披露した。
前半2分、試合初のシュートはゼ・マリアのいささか強引なミドルシュートでそれ自体は大きく枠をそれたが、これが号砲となったかのように尾道のボールは前へ前へとつながっていった。特に動きが良かったのは亀井で、鹿島の攻撃を分断してボールを奪うと時には素早く、時にはじっくりと緩急を使い分けつつ的確にゲームをコントロールしていった。
もちろん去年の攻撃の核となっていた結木と井手という両サイドバックの攻め上がりも切れ味抜群。前半7分には亀井から右サイドの結木に渡って、クロスを野口が完璧なタイミングで合わせるというシーンがあった。今までならまず決まっていただろうがさすが日本最高峰リーグ、ここから右手が届くGkがいるものなのだ。
ボールはゴールネットに吸い込まれる直前に軌道が変わり、ポストの僅かに上を通り過ぎていった。尾道ゴールならず。スタジアムは爆発的な歓声でGkのファインセーブを歓迎した。
「むうっ、惜しいな」
「しかし今のが入らんか。さすがに違うもんだな」
尾道にとってかなり決定的なチャンスを封じられたのは確実にダメージとなった。その後のコーナーキックはゴール前の混戦を演出したものの最終的にはきっちりとクリアされた。その後も何度かチャンスを作りかけたもののゴールの匂いはそれほどしなかった。
むしろ20分以降は鹿島がその実力を発揮してきた。さすがにうまい、強い、速い。選手の質で言うと間違いなく鹿島のほうが上なのは残念だが認めなければならない、抗えない真実。その上で監督やベテランを中心によくまとまっている。若手も次々と出てきている。滑らかなパス回しから次々とチャンスを作った。
しかし尾道もよく守った。ディフェンスラインの中心となるのは橋本で、彼の的確な指示でオフサイドを多く誘発した。また、岩本もさすがの高さに加えて早くもチームの戦術にもフィットしている姿を見せた。体格の割にはそこそこスピードもある方だし判断力もないわけではない。そしてやはり大きい。去年は常に不安だったコーナーキックの守備が明らかに改善されているのはこのビッグマンの功績である。
そして山田もさすがの運動量を見せて相手に嫌がられるプレーを続け、GK宇佐野も溌溂としたプレーでよくシュートを防いだ。去年の尾道はどちらかと言うと守備により定評のあるチームだったが、それはJ1の舞台でも変わらないどころかさらに強化されていた。
「尾道も結構やるじゃないか。良いチームだな」
「ああ、知らなかったけどしっかりとしたサッカーだし、十分実力はありそうだ」
鹿島のサポーターにもこのような認識が広がりつつあった前半終了間際、スコアは未だに0対0でそろそろハーフタイムも目に入ってくる時間帯に突然試合が動いた。
センターサークル付近に浮遊していた鹿島のボランチが急にペースを上げる縦パスを通したのだ。オフサイドになるかならないかギリギリのタイミングだったが副審の旗は上がらず、FWが独走となった。
「やられてたまるかよ!」
しかし尾道のゴールマウスを守るのは瞬発力に定評のある宇佐野。1対1で相手FWは強烈なシュートを右側に蹴り込んだが読んでいたかのように立ちふさがった。渾身のパンチングで危機は去ったかに見えた。しかしここでタイミングよく走りこむ赤いユニフォームの選手がいた。
どうにかボールを追った橋本のスライディングを物ともせず蹴り込んだシュートは無人のゴールに突き刺さった。その瞬間、待ってましたとばかりにスタジアムの観客は総立ちとなりゴールを讃えた。その直後、お互いにシュートまで至らない中で前半終了のホイッスルは響いた。
この前半、尾道のプランは概ね順調だった。しかし一秒にも満たないほどのほつれ、まったく一瞬の隙を見逃してくれないのが鹿島の強さであり、一部と二部を隔てる薄くて大きい壁そのものであった。
「さすがに容易くはいかないものだな」
「まったくだ。あれが強さって奴だな」
ロッカールームに消え行く選手たちは口々にこのような言葉を連ねた。しかしまだ試合はその半分を終えただけに過ぎない。ここから意地を見せねばそれこそ評論家を納得させるだけのチームに成り下がってしまう。正岡監督の表情も硬い。やはり相手は強い。しかし勝利を諦めるものは誰もいなかった。
100文字コラム
桂城が遠い記憶を辿っていた。「みらくるドラクルって漫画があったんだ。好きだったはずなのに幼くて内容は覚えてないけど、唐突に最終回を迎えた印象は残っている。読み返したいけどなかなか手に入らない」と嘆息。




