開幕その3
「よーしよくやったみんな! 前半終わって0対0、ここまでは計算通りで来ているぞ!」
ハーフタイム、尾道のロッカールームでは水沢監督の声が響いていた。対戦前、選手個々の技量では尾道を上回る千葉の対策として「前半は守備を固めてしのぎカウンターであわよくば1点を狙っていく」という策を講じていた。1点は高望みだったようだが、苦しい場面においても守備陣は破綻することなく千葉の幾重にも渡るアタックをしのぎきった。無失点で終われたのならば十分目標は達成できたと言える。
「千葉の攻めはどうだった? 今村よ」
「正直厳しかったです。特に試合中盤は。でも最後の10分は大分楽になったような」
「そうだ。相手の技量が上と言っても集中していれば守りきれない相手では決してない。それを前半で証明したんだ」
「なるほど確かに」
「オフェンスに関してもいい流れを何本か作れていた。御野が終盤に惜しいシュートがあったが、あれは相手のグッドラックだ。ああいう形で攻めていったら必ずゴールできる、そういういい形だった」
「はい、分かりました」
「とにかく攻める事が大事だ。オフェンスもディフェンスもこっちがイニシアチブを握ったほうがむしろ楽になる」
多少のミスは気にしない。むしろ次の機会に対してもよりポジティブに、よりアグレッシブに戦えるようにと背中を押すのが水沢監督のやり方である。特に尾道のような若い選手が多い集団については、選手に自信を持ってプレーさせることがクオリティの向上につながるという信念を持っているので殊更に前向きになっている。一部では「褒めすぎ」「ポリアンナ症候群」などと揶揄されているが気にしない。
「攻撃の際はもっとサイドを広く使って、そうすれば中央の攻めもやりやすくなるし、頼むぞ山吉!」
「はい」
「期待してるぞ小原!」
「任せてください監督」
激励と同時に後半への指示も出していく。この試合の目標は善戦する事、どうにか引き分けて勝ち点1を得るなどといった小さなものではない。あくまで狙うのは勝利、勝ち点3のみ。
「それと荒川と有川」
「はい!」
「何でしょう監督」
控えFWに登録されているよく似た名字の二人が名指しで呼ばれた。
「後半、出番あるぞ。しっかりアップしておけ」
「はい!分かりました」
「おお、いきなり出番の可能性か」
「とにかく1点がほしいとなった時が出番だ」
前半終了時における尾道のシュート数は3本、ボール支配率は38%となっている。後半もそうそうチャンスは作れないだろう。となると、尾道が勝利を手にするためには少ないチャンスをしっかり決める必要がある。ヴィトルはともかく王はシュート精度はそれほど高くないので代えるとしたらまずはここと心に決めている。
しかし秀吉と有川は同じFWでもタイプが違う。大雑把に言うと恵まれた身体能力で相手DFに競り勝ってゴールを狙うのが有川、身体能力では劣るものの一瞬のスピードや経験に基づく駆け引きで相手DFを差し置いて得点を奪いにかかるのが秀吉といったところか。どちらを出すかは今後の展開次第、水沢監督の胸に秘めた事柄である。
「さあ、そろそろ後半開始の時間だ。行ってこい! ディフェンスは前半と同じに集中してやればいける! オフェンスはワンプレーの精度を大事に! そして、勝利を掴んで来い!」
「はい!」
士気も高く尾道イレブンは戦いの舞台へ舞い戻った。45分とプラスアルファ、グリーンの芝生が敷き詰められたバトルフィールドで何が出来るか。それを証明するために。
22人の選手がピッチ上に散らばって間もなく、高らかに後半開始のホイッスルが鳴り響いた。両チームともハーフタイムでの選手交代はなし。後半は選手交代も含めてチームとチームの総力戦となってくる。
試合展開は前半の終盤と同じ、千葉と尾道がお互い中盤で潰しあってチャンスらしいチャンスをなかなか作れない展開となった。両サイドに散らして突破口を開こうとする千葉に対して、タフに走り回ってパスを封じる山田とクレバーな読みとインテリジェンスあふれる動きでボールを奪う今村のダブルボランチによるディフェンスがよく機能していた。
「右から来てるぞ! スペースを埋めろ!」
玄馬は相変わらずよく通る低い声でディフェンス陣に指示をしまくっている。サイドバックの山吉と小原も守備に追われる時間が多い中、ここぞの場面では鋭い攻め上がりを見せるなど尾道のリズムも少しずつ見られるようになってきた。
後半6分、そのサイドバックからの攻め上がりが絶好のチャンスを生み出した。玄馬が千葉のシュートをキャッチするとすかさず港にパス、港は右サイドの山吉にボールを送り、山吉は金田、ヴィトルとの連携で徐々に千葉陣内に攻め込んでいく。何度かスローインなどをはさみつつセンターラインをもう少し千葉寄りに行ったあたりで中央の御野にパス、すかさず左サイドを駆け上がる小原へのパスが通った。
「よーしシンペー! そのまま突破しろ!」
「中にはシューミンおるでー! クロスやー!」
一気にスピードを上げて突進してくる尾道の攻撃に戸惑ったか、千葉ディフェンダーのスライディングが遅れて小原の足を削った。小原は激しく転倒、ホイッスルが鳴り響きイエローカードが掲げられた。
「おいおいシンペー大丈夫か!」
「大丈夫! 全然、いけますよ」
尾道の選手たちやサポーターの心配を打ち消すように、小原は千葉ディフェンダーの手を借りながらも事もなげな表情で立ち上がった。
「よーし小原いい位置でファールもらったぞ」
「ナイスシンペー!」
大丈夫と判明したので安心して殊勲者に対する賛辞を送る。相手ゴールからの距離は29mという地点でフリーキック、直接狙うと言うよりはクロスを上げてペナルティーエリア内にいる選手に合わせて得点というパターンが定石となる。中央にはモンテーロ、王、港らが集まって千葉の選手たちと静かに熱いポジション争いを繰り広げている。キッカーは無論金田。
そして笛が鳴った。金田は右足で内側に巻きつけるようなボールを蹴りこんだ。ターゲットはモンテーロ、千葉のGKは飛び出しを自重したので高さに関しては尾道にアドバンテージがある。そしてヘディングシュートを繰り出したが千葉の選手の足に当たって弾かれる。勢いなくこぼれたボールに飛び込んだのはストライカーヴィトル! 右足で軽く振り抜かれたボールは鋭く千葉ゴールを襲う!
ガゴッ!
GKの反応を完全に上回っていたが運に恵まれなかったというのか、完璧のはずだったシュートはしかしポスト直撃に終わってしまった。すかさず王が詰めたが千葉のディフェンスのほうが素早かった。足を投げ出すようなキックでボールをゴール前2mからタッチラインまで弾き飛ばした。最後の最後の粘りが千葉を失点のピンチから抜け出させた。こわばった顔で見つめていた千葉のサポーターも歓喜爆発! 猛烈な千葉コールがスタジアムを支配した。
「あああああああ惜しい! 後一歩だったのに!」
「今のは本当に紙一重だった。それにしても、そろそろ1点がほしいところだな」
「そうだな! 今こそ攻勢の時だ」
実戦投入を視野に入れたアップをしていた秀吉と有川に向けて不意に声を放ったのは水沢監督だった。
「有川、ジャージを脱げ。出番だぞ」
「あ、ええ」
「おお、いい出番もらったなキヨシ! しっかり決めてこいよ」
「荒川の言う通りだぞ有川! この展開で出番ということは事はやるべきはひとつ。それはゴールだ! とにかく点を取れ! 奪いにいけ! わかったな!」
「分かりました!」
ペシペシと叩くようにエールを送る秀吉と水沢監督に向けてハキハキした返事をすると、有川はピッチサイドに向かった。そして尾道ボールのスローインで再開されたゲームがもう一度中断した所で選手交代を告げるアナウンスがなされた。王と交代で巨漢有川が千葉のフィールドに降り立った。
「きっといけるぜ、頑張れよ絶対に、キヨシ!」
自分が使われなかったにも関わらず秀吉の感情は極めて落ち着いていた。まだこの試合に出場するチャンスは大いにあるし、客観的に見ても今の展開においてはパワーのある有川を使うのが適切と思えたからであった。今後の展開に割と期待しつつベンチに戻った。
「シューミン、よく走ってくれたぞ!」
「監督……」
「今はしっかりダウンしておけよ。後は選手たちを信じよう」
「了解」
水沢監督はそれまでのバトルモードを解除するべく大きな呼吸を繰り返している王に激励の言葉をかけた。この交代の意図としては「現在の尾道は積極的に攻める事が出来ているが最後の詰めには至らずという状態である。最後の一歩を埋めるために高さとパワーのある有川を投入、得点感覚とスピードに優れるヴィトルと合わせて何としても得点を奪いたい」というものである。
しかしここからは思ったような流れはなかなか来ず、千葉優勢の時間帯が続いた。せっかく点を取るために投入された有川も今はシュートよりも相手のボール回しにチェイスを繰り返してミスを誘う役割ばかり。しかしそう簡単にボールを奪えるはずもない。右へ左へと展開される千葉の攻撃に耐える展開が続く。しかし前半よりも「失点待ったなし」という空気ではない。尾道ディフェンス陣の集中した守りが千葉に対応しつつあると言う事だ。
後半19分、投入されて5分の有川がろくにボールを持てない中、千葉のMFが強烈なミドルシュートを放った。玄馬が何とか右手を伸ばしてコーナーキックに逃れたが、一瞬のプレーで大ピンチを迎えた。
「相手へのチェックが甘かったぞ! もっとタイトに!」
ホーム千葉の大歓声に水沢監督の指示も紛れる中、尾道イレブンはコーナーキックを何とか防ぐ。こういう場面ではモンテーロのサイズが単純に武器となる。拠点防衛には向いた選手である。コーナーキックが3本続いたが、ショートコーナーからパスを回した所を港がカットし、ついにカウンターチャンスを掴んだ。
港から今村へ、今村から金田へ、金田からヴィトルへ、3本のパスで一気に形成がチェンジ。前を向いてボールを受けたヴィトルは持ち前のスピードで千葉ディフェンスを切り裂く。そしてペナルティーエリア目前、ヴィトルは右にボールを流した。そこにはオーバーラップしてきた山吉がジャストなタイミングで走りこんできたのだ。山吉は深く侵入してクロスを上げた。
エリア内にはニアにヴィトル、ファーに御野と有川という配置だった。山吉のクロスはやや奥に低め、そのボールに呼応するように有川がふらりと一歩後退して千葉のマークを外した。
「フリーだ!」
「いけえキヨシ!」
ベンチからの叫びを体全身に受けて、有川は大きく左足を振り上げた。腰ほどの高さに来たクロスボールを捉えたボレーシュートはGKの反応スピードを遥かに超えてゴール左隅に突き刺さった。
「キヨシ!! ナイスゴール!! 完璧!! ハイパー!!」
スタジアムにこだまする黄色いため息に紛れて、秀吉自身も何を言っているのかちょっと分からない絶叫を繰り出した。まるで自分が決めたように有川のゴールは嬉しいのだ。まだ1週間ぐらいしか関わっていないのに、冷静に考えると不思議かも知れない。ただその内心には喜びしかないのも事実である。
これは、恋?
と言うのはまあ冗談だが、有川という素材にほれ込んでいるのは間違いない。
100文字コラム
クールな情熱を燃やす主将の港。高い統率力はピッチ外でも同様で練習後によく若手を捕まえて飲みに行ったり勉強会を開いている。「いくら語っても語りきれない深奥がサッカーにはある」と哲学者さながらの語りぶり。