秋風その3
堀尾と秀吉の早期投入は北九州に傾きかけた流れを強引にかき混ぜる効果があった。妙にパスカットがうまくいくようになったり、セカンドボールを拾えるようになったのは尾道に流れがきつつあるという証拠。そして後半17分、ついに求めていた瞬間が訪れた。
きっかけはあいも変わらず突破一本槍な堀尾の攻めからだった。ポジションチェンジで右サイドを突破する堀尾がクロスを上げたところ北九州ディフェンダーはコーナーに逃れた。一年間キッカーを担当してきた桂城は常に冷静だった。あえてショートコーナーを選択。パスを受けた結木の低く鋭いクロスにまず飛び込んだのは堀尾だった。
「うおおおおおおおおお!!」
観客席まで響く鬨の声とともに向こう見ずな突進を見せる堀尾に対してマーカーが二人も動いた。しかしその分外の選手は動きやすくなるというもの。堀尾の後ろから飛び込んだ竹田のふんわりとしたヘディングはジャンプしたGKの手の上をゆっくりとすり抜けて行き、優しくゴールを揺らした。かくして尾道は1対2に追いついた。
「よし、ナイスヤマト!」
「まだまだ! 負けてるんだからお話にならないでしょ!」
「当然! 幸いまだ時間は残ってる。この試合、引き分けじゃあ意味がねえからな」
「おうよ、必ず勝つ!」
このゴールに達成感を持つ尾道の選手はいなかった。ゴールを決めた竹田でさえも興奮に身を委ねる事なく次を見据えている。一方で北九州の選手も追いつかれた事で落胆する様子は見られない。「これからが本当に戦いよ」とむしろ舌なめずりしているようであった。緊迫感の高まったピッチでは以前にも増して激しく、そして鋭いプレーの応酬が続いた。
「俺にボールを集めろ! 尾道は高さがない! 上からガンガン通してやる!」
こう叫ぶのは北九州のセンターフォワード小河内であった。確かに今日の尾道のセンターバックはともに身長が180cm前後と低いほうである。長身と言えば仲真やグリーンはなかなかのものだが仲真はまだまだ育成途中、グリーンも結局便利なリザーブの域を脱する事が出来ずにシーズンを終えようとしている。
さらに前線の選手も芳松は身体能力である程度カバーしているものの身長はそれほどでもない。秀吉は言うまでもない。正岡監督肝いりの河口は長身かつ献身的なプレースタイルは好感を持てるものだったが、最前線にいる者に求められる得点能力の未熟さを露呈してしだいにスタメンから離れていった。それでもシーズン序盤は御野が絶好調だったのでどうにかなっていたが、御野の調子が普通に戻ると急に得点力が落ちて、そこで得点力がありある程度高さでも勝負出来る芳松に取って代わられた。
監督の哲学によってはそれでもあえて河口を使い続けるという選択肢もあっただろうが、正岡監督は監督としては若手だがどちらかと言うと現実主義的な面を多く持っており、それは初めて監督になった時はいきなり降格待ったなしだったのでわずかな可能性にかけて少しでも勝ち点を積み上げるためにはどうすればいいかと常に考えながら采配していたのが影響しているのかも知れない。今年の尾道の目標は言うまでもなく昇格である。そうしたほうが勝ち点を積み重ねられるとなれば贔屓的に起用していた河口もあっさりと外す。求められる結果を残したいという意志を持って戦い続けた軌跡が道になると信じているのだ。
後半30分。ついに均衡は崩れた。ここまで攻めていたのはどちらかと言うと北九州であった。高さを多用したオフェンスは彼らの狙い通りに決まったが蔵の冷静なセービングが最悪の結果を防いでいた。しかし高さで競り勝った小河内がほぼフリーで放ったヘディングを横っ飛びでコーナーに弾き出すなどあわやゴールの場面も散見しており「尾道はよく耐えているが決壊するのは時間の問題」と思われていた。
しかしこれもまたサッカーらしさだが、一瞬でそんな流れは逆転するものだ。発端は小河内とのフィジカル対決からボールを奪った朴であった。すかさず得意のロングボールを蹴り出す。それに反応した竹田がヘディングで桂城に送った。そして桂城がドリブル突破を開始したのだ。
「くっ、ドリブル突破か、それとも……」
北九州ディフェンス陣は桂城の意図を計りかねていた。なぜなら桂城の左には秀吉も並走していたからだ。秀吉の得点感覚は図抜けている。特にGKとの1対1において冷静に穴を見定めてゴールを決める技術は抜群。となるといつパスを出すのかを警戒しないといけない。そう考えることで北九州の選手たちは見落としていた。桂城にそんな意図は最初からなかったという事を。
もっとスピードのある御野や竹田がいるというチーム事情もあって彼らを活かすゲームメーカーであるかのように振る舞ってきた桂城だが、元々はドリブラーとして名を売った男でもある。頻出はしない。しかし切れ味に力強さを加えた豪快なドリブル突破を忘れたわけではなかったのだ。中途半端に立ちふさがるディフェンス陣をシンプルな動きで抜くといつの間にかゴール目の前まで到達していた。
「くっ、どうする。パスか、1対1なのか?」
その瞬間、桂城は軽く目線を左に逸らした。やはり最後は秀吉か。そう考えたGKの動きの逆、右側を的確に狙ったシュートは力こそなかったものの、GKの足は動いてくれなかった。必死に激走した北九州のディフェンダーが最後の望みをかけてスライディングを試みたものの時すでに遅し。スパイクの先がボールに触れた時、すでにゴールラインを割った後だった。一気呵成のカウンターで尾道、同点。
「ふっ、すみませんねヒデさん。今回は最初から俺がヒーローになろうと決めてましたから」
「いい判断だったぞヤタロー。だが残り15分は短くはない。もう一回は俺にもチャンスがあるってもんだ」
「ここで意気消沈してくれれば楽なんだけど」
「そんなやわなチームじゃあの状況でこんな順位にはなるまい」
秀吉の言った通り、逆転を許した北九州はここでくじけるどころかさらに闘志を燃やして尾道陣内へと攻め入った。交代枠も次々と切った。まさにプライドをかけた猛攻である。しかし尾道にもプライドはある。「橋本がいないから守備が崩壊して負けた」などと言われたくはない。蔵も「宇佐野が怪我しているから出場しているだけ。実力は下」と見られるのは不本意。すでに2失点しているが、これ以上は絶対に許されないラインとなる。
後半38分、尾道最後のカードとして切られたのは意外にも川崎であった。結木と交代で右サイドバックに入ったが、その右足から繰り出されるキックの精度は抜群。また、場合によってはセットプレーのキッカーとなる事もあるだろう。今シーズンの尾道、フリーキックは桂城か亀井、出場していたら川崎というパターンであった。桂城はストレートな球筋で威力のあるキック、亀井は強烈なカーブをかけるタイプである。そして川崎はコースを狙うのがやたらと巧みであった。なおコーナーキックは基本桂城でPKは倒された選手というのがお決まりであった。
また、川崎は中盤ならどこでもこなせる上に今日のようにサイドバックでも堅実なプレーを見せるので主に控えとして重宝された。もちろん彼自身の野心としてはレギュラーとして出場したいとは思い続けているのだが、それ以上に自分がプロ生活をスタートさせた尾道を昇格させたいという思いが勝っているのだ。こういった情熱の集合体が北九州のオフェンスをどうにか弾き飛ばして、そして時間はアディショナルタイム4分を迎えた。どのような結果でも順位に影響はない。しかし譲れないもののために、お互い勝利を求めるのだ。
「ここで勝ち切れない程度ではJ1じゃ到底戦えない。未来の為にも勝ち抜く!」
「俺達は弱いから昇格出来ないんじゃない。制度の前に敗れたが力は上だと示す!」
そしてその決着はこのようにしてついた。アディショナルタイムも2分が過ぎた時、ペナルティーエリアの右付近で堀尾が倒されてフリーキックを得た。これが最後のチャンスになるかも知れない。最終ラインの布施と朴も最前線まで上がっていった。そしてキッカーは川崎であった。
直接フリーキックなら桂城の可能性もあっただろうが、この場合は尾道の選手に合わせるクロスボールを蹴る必要があり、それにはコントロール抜群な川崎を使うのも妥当である。なお桂城はあれで182cmと意外にも長身なので競り合いに加わっていた。
「それにしても懐かしいな。このスタジアムって、俺が若かった頃と何も変わってないみたいに思える」
川崎圭二の出身は福岡県。小学中学高校、サッカーをプレーする喜びを見出してから何度もこのスタジアムで青春の汗を流した。大学では福岡を離れ、そしてプロ生活をスタートさせたのは尾道。そんな尾道に今年戻ってきた男が最大のミッションに挑もうとしている舞台は他でもない北九州。これはもはや運命と言えた。あの頃何度もやったように、慎重にボールをセットする。ホイッスルが鳴らされた瞬間に繰り出された力強いキックは川崎の命の叫びにも似ていた。
「ナイスキック! そして俺が決める!」
「いや、俺だ!」
「とにかく何としても押し込め! 引き分けじゃ負けと同じだ! 勝つぞ!」
高すぎず低すぎず、GKが前に出るにはリスクがありすぎながらディフェンスがクリアしにくいまさしく絶妙のキックが飛び込んできた。これに合わせたのは蒔田であった。しかし北九州ディフェンス陣もやられっぱなしではない。競り合ったボールはニアに流れた。そこに偶然走り込んでいたのは堀尾だった。
「これを決めるんだ! うあああああ!!」
「やらせるかよ!」
力いっぱいに右足を振り上げてのシュートに鋭く反応したのはここまで戻っていた小河内であった。横っ飛びしてのシュートブロック。そして小河内の胸がボールを捕らえた。ふわりと弾き飛ばされるボールが向かったのは、しかし最も危険な男、背番号9の足元であった。
「なぜだ!」
なぜそこにいるんだ! 小河内の悲痛なる絶叫も秀吉の耳には届いてはいなかった。彼の脳裏にはゴールしか見えていなかったからだ。張り詰められた弦のような右足が緩められた時、ボールは誰に求められなくなっていた。やはり真打は最後に登場するものである。激闘に決着をつけた秀吉のシュートは、矢のようなスピードでネットまで突き刺さった。
それから間もなく、試合終了のホイッスルが吹き鳴らされた。2点のビハインドを跳ね返しての逆転劇で今シーズンのリーグ最終戦を終えた尾道。しかし戦いはこれで終わりではなかった。
「俺達の完敗だ、ヒデさん。それにしても何であそこにいたんですかね? お陰でせっかくのブロックがパーだ。これが天性の得点感覚って奴か」
「何となくこの辺りだろうと思ってたら偶然にも来てくれただけだ。チームとしても実力はそう変わらなかった。勝ち負けじゃこうなったが、お前たちも強かったぜ小河内くん」
「ゴッチでいいですよ。往年の名プロレスラーみたいだけど昔からこう呼ばれてたんです。それにしても今年は本当ハードラックだったな。日本を悪い意味で騒がせた二人の苗字を足したらちょうど俺の苗字になるんだから。へへっ」
「ああ、あの二人か。そりゃあ確かに同情するな。後は何か会見でもして号泣すればパーフェクト」
「勘弁して下さいよ本当にそれだけは」
試合後、秀吉は北九州の小河内に近づいて声をかけた。それにしてもあんな名前が浮かぶのはもう今年が終わりに近づきつつあるからだろうと、深まりきった秋風の冷たさを思うと何となく納得するものがあった。
「まあとりあえず、プレーオフ第一回戦は無事に突破出来たって事だな。北九州に負けたくせにJ1でございますなんて破廉恥な結果にはならなくて一安心よ」
「撃破したかったけどな。まあうちに負けるようじゃ昇格もなかったでしょうし、そこは良かったんじゃないですか? それじゃ、頑張ってくださいね。これで昇格失敗したら俺たちの負け損だし、しっかり昇格してくださいよ」
「ああ、誓うよ。それとまだ天皇杯もあるし、この時期なのに熱くなれるってのはいいもんだ。ところでゴッチよ、お前はどうなんだ? 16点だったろ。これぐらいの数字なら上から声がかかっても不思議じゃないだろ?」
「さあ、未来の事なんてとても。ただ個人昇格は認められてるんで、オファーによっては違うユニフォームでまた戦う事になるけど」
「ふふっ、そうならない事を祈るよ。少なくとも今と同じユニフォームで対峙するのは最後といきたいところだ」
秋の空よりも澄み切った笑顔を見せながらユニフォームを交換した二人。しかしまさか来シーズン、この二人が同じユニフォームを身に纏っているとはさすがのストライカーも予想だにせぬところであっただろう。こうしてシーズンは終わった。尾道は3位。これから昇格をかけたプレーオフに突入する。
100文字コラム
引退説も囁かれる港だが本人に直撃したところ「今はチームの昇格しか考えてない」とかわされた。今年は怪我が多く試合出場も少ないが「そこは監督の考え。僕は役割に最善を尽くすだけ」とクールな闘志は今なお健在。




