judgement 2
「まずは好調なテルさんにボールを集める感じで行きますかね、ヤタローさん」
「ここ数試合のテルはかなりキレキレだからな、使わなきゃ損ってもんだ。そのためにも頼むぞ、安世」
「オーライ」
河口が親指を立てて笑った直後、試合開始のホイッスルが吹き鳴らされた。ボールは河口から桂城と亀井を経てディフェンスラインにまで下げられた。このボールを布施と仲真は無難に回して右サイドの結木につなげた。この際ボールの流れにはいささかの不自然さもなく、滑らかに試合に入れた事を物語っていた。
「ふうむ、そうは言ってもやはりテルさんはマークがきついな。安易にパスを送ってもカットされるだけだし多少は頭を使わないと」
前半7分、右サイドを起点にチャンスをうかがう結木は対戦相手の変化に気付いていた。ここまでチーム最多得点の御野に対するマークの厳しさは彼が連続でゴールを叩き込んでその好調さが喧伝されるのと比例するかのようによりタイトに、より人数が多くなっていた。
ただもちろん相手としてもピッチに送り込めるのは11人である。御野にマークが集中すればそれだけ他の部分は薄くなる。結木は竹田と結託して右サイドの突破を試みると、グラウンダーのクロスを上げた。それに走り込む御野に対してはぴったりとマークがついているが彼は囮、これをシュートしたのは中盤の奥から上がってきた亀井であった。
「これで、どうだ!」
コンパクトに振り抜かれた右足からのシュートは惜しくもゴールポストの5cm上を超えていったがあわや先制点という形を作る事には成功した。しかし大分にとってはこれさえも想定内と言った表情であった。
「さすがに尾道は好調なだけあるな。ガンガン攻めてくる」
「ああ。だがこっちの守備組織はうまく機能してるしまずは無失点で進める事に注力しようか」
大分の選手たちは監督から事前に伝えられていたのであろう、このような方針を口にし合っていた。そして前半は彼らの目論見通り、0対0のまま折り返す事になった。御野は徹底的なマークに苦しんで得点どころかろくにシュートさえ打たせてもらえなかった。
「さすが大分と言ったところだな。ここまでは五分五分どころか狙い通りのゲームをされている分向こうのペースだ。予想通りとは言えテルに対してはかなりガチガチのマークで来ているし、目先を変える必要があるな」
ロッカールームでは正岡監督の言葉が響いていた。懸念されていたディフェンス陣はここまで、まったく問題を見せてはいなかった。しかしそれは大分にチャンスらしいチャンスが少なかっただけで、まだ答えを出すには早計。逆にここまで好調だったオフェンス陣がやや停滞しており、そこが正岡監督の悩みどころとなっていた。
「ドリブルを仕掛けても止められるならハイボールを使うのも手だ。後半はサイドを広く使うなりしてアクセントをつけてみよう。攻撃の起点となる選手はテル以外にもいるんだから。お前の事だぞ安世」
「はい!」
「俺たちにはまだまだ手は残されている。俺たちの対策を取ってきたって事は驚異だと思われてるって事なんだから光栄な話。そしてそのさらに上を行けるのがお前たちのはずだ。さあ、行ってこい。45分、前を向いて戦おうじゃないか」
このように声をかけてから、正岡監督は選手たちを後半のピッチに送り出した。後半もやはり大分は御野に対して密着マークをかけてきた。あくまで守備的、しかし時には鋭いカウンターであわやの場面を作り出すのが尾道にとってはまたいやらしい。引き分けで上等、あわよくば勝利という方針にブレがない。
「ふうむ、かくなる上はやはりお前に頼るしかないな。決めてこい、ヒデよ」
「ふっ、了解です」
後半13分、竹田と交代で秀吉がピッチに投入された。その直後、右サイドバックの結木に代えて川崎も送り出された。この川崎は結木ほどのスピードはないものの右足のキックはチームで断然トップの精度を誇る隠れたテクニシャンである。
東北の大学を経てプロ入りは2008年、J2初年度となる尾道の新戦力として期待されての入団であった。当時の彼の売りはやはり今と同じく右足のキックで、当時の選手名鑑には「精度の高いキックはプレースキッカーとして使えそう。ドリブルも巧み」などと書かれている。そしてルーキーイヤー、中盤戦から当時の小松田監督の信頼を得て少しずつ試合に出場するようになっていった。
決定的に信頼を得たのはこの年J2で破竹の快進撃、他のクラブからすると鬼畜の爆走を続けていた広島戦であった。2点差をつけられての後半途中から投入された川崎は出場直後にフリーキックを直接叩き込んで反撃の狼煙を上げると、後半38分には尾道を代表する名ストライカーで現在はユース監督を務めている木暮丘明へのラストパスを決めて一時は同点に追いつくという健闘の立役者となった。
後半戦はレギュラーとしてほぼ全試合に出場。補強選手がなかなか結果を残せない中での頑張りは、現在フロント入りしているアタッカー高橋一明や栃木を経て現在は北九州で活躍している左サイドの平将吾らとともに低迷していた尾道初年度における数少ない希望の一つと称えられた。
結局この年は最下位を辛うじて逃れるという順位で終わった尾道は小松田監督の退任と水沢監督就任という決断を下さざるを得なかった。
「監督が代わっても自分のやる事は変わらない。しっかりとアピールして頑張らないと!」
意欲に燃える川崎に襲いかかったのは、しかし災厄であった。あまりにも張り切りすぎたのがかえって良くなかったのか、キャンプ中に全治二ヶ月の負傷をしてしまい新監督への絶好のアピールチャンスを逸してしまった。
怪我から復帰した頃、尾道は大いに燃えていた。前年苦しんだ中で着実に力をつけた選手たちに清水を経て今はドイツへ羽ばたいた光好一などのフレッシュな新加入選手が加わり、力強い攻撃サッカーを繰り広げていたのだ。
昨年ものにしかけていたポジションには柏から期限付き移籍で加わっていた背番号7、少し浅黒い肌を持つパワフルな司令塔が君臨していた。この男は両足で同じようにハイレベルなボールタッチの技術を持っている上にパワーとスピードに関しては圧倒的とあっては川崎に勝ち目がなかった。結局2年目は1秒たりとも出場機会がないままシーズンを終えてしまった。そしてシーズンオフ、川崎に提示された来季の年俸は0であった。
「このまま諦められるものか! J2でも俺はまったく通用しなかったわけじゃない。チャンスさえあれば……!」
強い決意を秘めて臨んだ合同トライアウトでは急造チームの中で鋭いフリーキックを蹴り込むなど必死のアピールを続けた。そして数日後、練習に参加してほしいという水戸からの連絡が訪れた。おっとり刀で参上した北関東の地で得意のテクニックを披露し、二月になって契約を勝ち取った。
水戸における川崎は、まず自分自身を改革する所からスタートした。元々攻撃的なポジションを好み、しかも運動量はそれほど多くなかった。しかし「所属チームも変わったし自分も変わらなければ生き残れない」という確信が川崎の足を動かした。今まで以上の熱心さを持ってトレーニングを続けた。練習において控えメンバーでも腐らず、監督の目に留まるようアグレッシブさを失わないプレーを続けてチャンスを待った。
その姿勢が認められて水戸においても徐々に自分の存在意義を見出し始めていた。シーズン後半には、それまでに経験したことがなかったというボランチでの起用がなされたが無難にこなした。もちろん得意のセットプレーでも確かな存在感を見せ、移籍によって新境地を見出した。
さらに2012年に、今度は請われての移籍となった福岡では司令塔的なプレーもこなして汎用性をより高めた。そして今年、尾道に戻ってきた。これもまた請われての移籍である。退任した水沢監督に代わる正岡監督の熱烈なオファーがあったのが復帰した理由のまず一つ。ただそれ以上にプロ生活をスタートした地を再び踏みしめる事を決断させた大きな理由は、つまりこれである。
「あの頃と違うのはこのチームだけじゃない。俺だって変わった。強くなったと始まりの地で証明したい」
普段は饒舌な川崎だがその裏側には熱い心を宿している。かつては自分のポジションを奪った背番号7、一度は柏に戻ったものの昨年再び尾道に舞い戻ってやはり不動の司令塔という地位を得ている桂城と今は同じピッチに立っている。
「早速ボール集めますんで、よろしくお願いしますよ圭二さん」
「おう、分かった。お互いにしっかりやろうぜヤタロー」
若き日々、その高い身体能力に裏打ちされた輝きを羨み妬んだ事もあった。しかし今は違う。同じ時間で積んだ多くの経験をチームの勝利というただ一つの目標に向かって赤と緑のユニフォームを身にまとう同士、いささかの恨みなど脳裏の片隅にも残っているはずがなかった。
そして後半21分のプレーもこの二人の連携から始まった。秀吉投入によって4-4-2に近いフォーメーションとなっていた尾道は、その右サイドで桂城がボールをキープしながら全体の動きを見計らっていた。
「囮は十分だな。よし、今だ」
中央へドリブル突破すると思わせて相手ディフェンス陣を引きつけながらバックパスでオーバーラップしてきた川崎にボールを送った。
「ナイスパス!」
右足で滑らかなトラップをした川崎は素早くクロスを上げた。河口と御野はファーポストに位置しており、大分の選手たちも彼らに仕事をさせまいと密集していた。しかしそれこそがこの攻撃の狙いであったのだ。山と連なる大分ディフェンス陣の前、ニアポストにするりと抜け出してきた秀吉。それと同時に川崎のクロスが急失速して秀吉の足元に滑り込んできたのだ。
「よし狙い通り! 後は頼みますヒデさん!」
「言うまでもない!」
冷静にトラップした秀吉は相手GKの動きを見計らって動き出す前を狙って右足を振り切った。鋭いライナーがゴールネットによってその勢いを止められるまでは一瞬であった。尾道待望の先制点、かと思われた。しかしそれは幻に終わった。
「な、馬鹿な!? ありえない、そんな事は絶対にありえない!」
「何で、何で今のがオフサイドなんですか?」
その瞬間、確かに大分の左サイドの選手が自分より後ろにいると秀吉は確認していた。しかし副審はどうやらそれを見逃していたようである。VTRでも流せば事実は一目瞭然のはず。しかし現状サッカーにそのような制度がない以上、副審の掲げた旗こそがピッチ上における唯一の真実となる。まるで先週のデジャヴであるかのような不条理な判定がまたも突き刺さった。
「くそう、あの審判、何見てたんですかねえ。あんなの不条理ですよ、不条理。ねえヒデさん」
「……それ以上は言うな、安世。認められないと決まった以上はもう1点取ればいいだけの話だろ」
「ううむ、そうは言っても今の大分のディフェンスはしっかりしてますから、そんなチャンスがあるかどうか」
「相手がどうじゃなくて俺たちがやるんだよ。それが出来なきゃお払い箱って世界なんだから、ストライカーならやるしかないだろう。分かるな?」
「ううっ、は、はい! この試合、今まで以上に燃えて何としても得点を目指しましょう!」
「ふっ、その意気だ。さあ、もう試合は再開してるぞ。頑張ろうぜ」
審判の判定がどうなどと、覆りようのない事に心を痛めるよりこの試合の残り時間においてベストを尽くすべきだと、秀吉はすっかり割り切っていた。しかしそれは彼の心が醒めている事を意味しない。むしろ胸の奥においてさらなる熱さで燃え盛っているのだ。
「この試合、必ず勝たねばならぬ」
秀吉以外の全選手がこのような思いを抱いてチームが一つになっているのが良かったのか、なおも流れは尾道にあった。一度オフサイドに判定されたとは言っても決してくじけずになおも積極的な飛び出しを見せる秀吉を中心とした尾道のオフェンス陣は大分のディフェンス陣をスピードにおいて上回りつつあったのだ。そしてようやく報われたのが後半33分、右サイドから結木が突破して倒されたもののフリーキックを得たのがその始まりであった。
「ふうむ、仲真はディフェンスではいいがオフェンスじゃまだ自分の身長を使いきれてないな。ならば高さ以外の新味を見せないとな」
ペナルティーエリアに集結した十数人の動きを注視しながらキッカーの桂城は考えていた。尾道はディフェンスラインから長身の仲真が集団に加わってはいるものの普段の練習でも攻撃においてあまり存在感を発揮出来ていない彼に本番で大きな期待はしたくないというのが本音。河口も去年の野口ほど空中戦は強くない。
「ならば、これを使うか」
試合再開のホイッスルが鳴ると同時に、桂城はボールをペナルティーエリアに放り込んだ。中にいる選手たちは「これを頭で叩き込んでやる」「やられてたまるか、弾き飛ばしてくれるわ」と一斉にうごめいている。しかし桂城の狙いはそこに集った選手たちではなく、ゴールマウスそのものであった。
「何っ、ボールが急激に動くというのか!?」
高所から試合を見つめている観客たちがその変化にいち早く気付いた。遅れてそれを察知したGKは必死に手を伸ばしたが届かない。決まったか。しかしボールは白色のポストをしたたかに打ち付け、手前に弾き出された。
「おお、危ねえ! 誰かクリアを!」
「させるか! ボールはなあ、ゴールに入ってりゃいいんだよ!」
ほぼ直角に落下するボールに一番早くたどり着いたのは、この場においてもっとも得点の嗅覚に優れた生粋のストライカーであった。秀吉は頭から飛びかかり、ボールと一緒に己の肉体をネットに叩き込んだ。今度は無事にオフサイドもなく、尾道の先制点と相成った。
「うおおおおっ! 決まったあああ!!」
「さすが荒川秀吉! 判定にもめげず決めてほしい時に決めてくれる!」
決めるべき男が決めるべき時に、観客の多くが待ち望んでいた結果を残す。秀吉が長らくこのピッチで戦い続けることができたのはひとえにこれが得意だからなのだ。
「まだまだ試合終了じゃないぞ。これから向こうは攻めてくるだろうからな!」
河口・御野ら若武者の祝福に一瞬頬を緩ませたもののすぐ現実に戻る冷静さは常に持ち続けている。そして秀吉の懸念はやはり的中した。もはや時間も少ない、ならば攻めるしかなかろうとばかりに大分はそれまでの攻撃パターンをかなぐり捨てて、決死の猛攻撃を仕掛けてきたのだ。
100文字コラム
昨年途中で現役引退したシュヴァルツは帰国せず福山市で飲食店を開くそうだ。「暖かな日本の人々に恩返ししたい。友人のシェフを呼んで本格的なスイス料理を楽しめる場にしたい」と意気込む。開店は今年秋頃を予定。




