judgement 1
勝負は時の運とは言うものの、そのような言葉だけでは片付けたくないほどにやるせない、後味の悪さばかりがやけに残る試合にも時には巡り合ってしまうものだ。例えばたった今タイムアップのホイッスルが吹かれたアウェー岐阜戦などはまったくそれであった。
尾道のスタメンは開幕から不変。試合は尾道が押し気味な展開が続くものの岐阜の堅実な守備に阻まれてスコアレスのまま前半を終えた。岐阜もただ守るだけでなく時には鋭いカウンターを見せてあわやゴールかというシュートを放つなど、ここまでは実力伯仲の好ゲームであった。
試合がようやく動いたのは後半37分であった。途中交代で出場した川崎のパスを起点に御野とマルコスの連携プレーで左サイドを突破。最後は御野がドリブルでペナルティーエリアまで侵入すると豪快な右足のシュートをゴールネットに叩き込んだ。
「さすがテル! これで3試合連続!」
「本当に絶好調だな! どうだテルよ、このまま得点王でも目指すか?」
「へへっ、まぐれまぐれ。でもやっぱゴールが決まるって楽しいっすよね」
「まったくだ。さあ、残り十分も集中して行こう!」
「おう!」
アウェーと言う事もあって控え目な喜び方であったが、その目にははっきりとした充実感が見て取れた。もはやシュートに不安だった頃のどこか頼りなさげだった雰囲気は払拭されており、いつJ1のクラブから引き抜かれても不思議ではないというほどのパフォーマンスを継続して披露している。実際に複数のクラブから水面下でオファーをもらっているという話も漏れ聞こえるほどで、御野が尾道のユニフォームを着てプレーする姿を見られるのは長くても今年までで場合によってはシーズン途中までの可能性さえあると見られている。
そんな好調な御野の得点も岐阜としては想定内という部分も確かにあったのだろう。ここから岐阜は攻勢を強めてきた。しかしディフェンスリーダーの橋本を中心にしっかりとまとまった尾道のディフェンス陣は全員が集中して猛攻をうまく耐えた。亀井との交代でピッチに投入された巨漢グリーンが右足一本でシュートをブロックしたプレーなど「こういう決定的な場面を止められるって事はやはり尾道勝利の流れだろうな」と思わせるようなシーンも続いてアディショナルタイムの4分台突入まで残り10秒未満という瞬間であった。
「あと少し、何としてもやらせるかよ!」
放り込みのボールを橋本が頭でクリアしたが、その際に相手FWがバランスを崩して橋本のほうへと倒れ込んだ。一見何でもないシーンであったがこの瞬間、冷徹な笛が吹き鳴らされた事でそれは非常事へと姿を変えた。主審の右手には赤いカードが添えられ、橋本の目の前でそれは高らかに掲げられた。
「な、何故!? ちょっと待ってくださいよ審判! 俺が何をしたって言うんです?」
「そうですよ! これはあっちが勝手にバランスを崩しただけです。俺からも証言しますけどね、橋本さんはファールに値するプレーは絶対してませんでした」
橋本は両手を広げて食って掛かり、宇佐野や布施も詰め寄って無実を証明しようと抗議を行ったが主審は毅然とした態度を崩さない。結局岐阜にPKを決められて試合は1対1の同点に終わってしまった。
尾道がどうにかして訴えようとした内容は概ね正しかった。真相としては90分タフに走ってきた相手FWも試合終了間際でスタミナが疲弊しており、芝生にスパイクが足を取られて勝手に転倒したというものであり橋本がその一連の動きに関与したはずがなかった。ただ橋本は一瞬足を伸ばしたように見えないこともない動作をしており、審判のいた角度から見ると足を引っ掛けて決定機を阻止したように見えたという事だった。
「審判がそう判断したらそれがピッチ上においては正しいと言う事。それがこのスポーツのルールだから、それに則ってやるのが選手の責務ですから……」
退場となった橋本はあくまでも冷静さを保とうと悲壮なまでに努力していた。少しでも油断するとその表情は鬼のように歪んでしまうので、それを表面には出さないよう、出てしまった場合は何とかして元に戻そうと必死であり、その戦いこそが心の葛藤を如実に表しているようであった。選手は今後も審判と付き合っていかなければならないので迂闊な事は言えない。その代わりに吠えたのが正岡監督であった。
「あのようなジャッジは日本サッカー発展のためにも謹んでほしかった。同点に終わってしまった試合だが本来の結果がどうあるべきであったかは皆さんが一番ご存知でしょう。選手たちはみんなよく頑張ってくれた。無論、岐阜さんの選手も全員がよくプレーできていましたし、本来なら彼ら選手たちの躍動が試合の主役となるべきだったしファン・サポーターの皆様もそれを期待していた。そして途中まではそのような流れであった試合がこのような形で終わってしまったのは非常にもったいない事だと言わざるを得ません」
例のサイトではばっさりカットされるのが常であるこの手の発言によって始末書を提出する事になったのだが、とにかく何を言おうと失われた勝ち点2は戻らない。この岐阜戦で得たものは勝点1であり、次の大分戦は橋本抜きで戦う必要に迫られたというのが尾道に残されたリアルであった。
「一日過ぎればそれはもう過去だ。今考えるべきはまずディフェンス陣に誰を使うかだ。さあ、どうするかな」
正岡監督とコーチ陣はクラブハウス内の一室で様々なフォーメーションなどを提示しつつ、現状で最善の形はいかなるものかについて思案に暮れていた。
「やはり仲真でしょう。高さというアドバンテージもあり、戦術理解も高まっています。それにあれは物怖じしませんから。まさか出番に浮き足立つなんて事もないでしょうし」
「佐藤コーチの言いたい事は分かる。ただ相手が相手だからな。布施だって判断力はまだまだ改善の余地がある選手。橋本に引っ張られてこその布施という部分は間違いなく存在しているからな」
「その通り。このデータを見ても分かる通り、布施はまだ対処療法的なディフェンスをする癖があるのでうまく御さないと高い身体能力を持つがゆえに逆に危ない。大学時代はファールも多かったとの事ですし、今のところはその点はまだ出てはいないものの常に頭には入れておかないと」
ルーキーの布施はスピードとパワーを兼ね備えたタフネス男で今のところはそれがうまく作用しているが、それも橋本が巧みに制御しているからというのが大学時代から対戦相手として彼を何度も見た正岡監督の見方であった。
それ以外の選手で言うと、韓国人の朴もコミュニケートという観点で言うとまだまだ容易ならざる部分があり、本来このような仕事をもっとも得意とする港は年齢的な衰えが目に見える速さで進行しておりこれまた期待薄。本来なら「将来伸びる可能性があるが今は未熟な選手を使って育てる」という事はしたくないと考える正岡監督だが、現実的な視点で考えても一番勝利に近いのは仲真の抜擢であるぐらいなら十分に理解していた。
「大分は去年J1だった事もあり、かなりの力を持っている。そのような相手に対してディフェンスの中心である橋本を抜きにして戦う必要があるのは考え方によっては幸いだな。J1に向けて戦う中で、いずれこのような状況は来ると思っていたからな」
正岡監督による不敵な笑みを浮かべながらの総括でこの会はお開きとなった。
そして一週間後、ホームに大分を迎えての一戦は14時にキックオフとなる。それに先立ち発表されたスタメンは以下の通り。
スタメン
GK 1 蔵侍郎
DF 17 結木千裕
DF 21 仲真勝大
DF 4 布施健吾
DF 2 マルコス・イデ
MF 10 亀井智広
MF 6 山田哲三
MF 16 竹田大和
MF 7 桂城矢太郎
MF 8 御野輝
FW 11 河口安世
ベンチ
GK 20 宇佐野竜
DF 24 鈴木美春
MF 15 川崎圭二
MF 25 グリーン
MF 30 谷本将
FW 9 荒川秀吉
FW 27 芳松昇治
センターバックにはやはり仲真が入った。それと同時にGKには宇佐野ではなく30歳で経験豊富な蔵侍郎が今シーズン初出場となった。そもそも実力的には宇佐野に勝るとも劣らない男。布施はルーキーで仲真は二年目という若いセンターバックの二人は確かにポテンシャルは高いが、初めてのコンビでもあるので下手に浮き足立ってしまう危険性もある。それを未然に防ごうという策である。控えに鈴木がいるのもまた同様の意図による。
この守備陣がどれだけやれるかは今後において昇格に絡めるかをはかる試金石とも言える布陣であった。前線のメンバーは幸いにして開幕から不動だが、これとていつ誰が離脱するかを予言する事など出来ない。その際に必要となるのはチームの総合力であり、橋本が抜けたからもう守備は駄目だとか、そのような選手層の薄いチームであれば遅かれ早かれ長いシーズンのどこかで何らかの問題が生じて来るのがチームスポーツの必然である。
「おっ、さすがのマーくんも今シーズン初出場となると緊張するもんかね」
「はははっ、冗談はよしてくださいよヒデさん。せっかくのチャンスなんですから、むしろここでどれだけアピールしてやろうかと燃えてるぐらいですよ」
「おお、豪気だな」
「プロフェッショナルとしてはね、チャンスを掴んでこそ。でしょう?」
「だな。ふふっ、まったく立派な男よ。お前なら俺ごときがどうこう言う必要もないな。とにかく、頑張ってこいよ」
「はい!」
試合開始直前のロッカールームで、秀吉は壁に向かって険しい表情で立っている仲真へ声をかけた。思えば自分が最初に入団した横浜時代、リーグカップで初出場すると決まった時は気を張りすぎて必死に走ったもののそれが空回りするばかりで後半途中に交代という苦い思い出があった。
その点で言うと仲真はまだ十代だがその声からは確かな自信と余裕が感じられて、秀吉は「あの頃の自分とは大違いだな」と安心した。間もなくキャプテンである桂城の「さあみんな行くぞ! 確かにやっかいな相手ではあるがJ1を目指す俺たちとしてはこの試合、何としても勝とうじゃないか」という言葉に全員で「おう!」と頷いて、イレブンはピッチに向かった。
100文字コラム
谷本が存在感を高めている。背番号10を担った昨年は怪我の影響で期待外れだったが傷の癒えた今年は本来の技術力を披露。「完璧よりも現状のベターを求めようと意識が変わった」と語るように、戦える選手になった。