開幕その1
3月4日、千葉県千葉市。ジェミルダート尾道の面々は現在この地に立っている。そこで行われる戦いに参加するためだ。戦いの名はJ2。そしてこの戦いは11月の終わりまで続く。1位と2位は自動的に日本サッカーの最高峰であるJ1に昇格するが、今季からの新たな制度として3位から6位となったチームでプレーオフが戦われる。それまでは3位までが自動昇格だったので間口が広がったと言える。
啓蟄を迎えたサポーターたちは列を成してスタジアムに集合し、千葉のチームカラーであるイエローがスタジアムのほとんどを瞬く間に埋め尽くしていった。はるばる広島県から乗り込んだ赤と緑の尾道サポーターもスタジアムの一角に固まって存在をアピールするがやはりアウェーだと人数的に不利か。しかしどちらのクラブを愛すかに関係なく、春を待ち焦がれたサッカー馬鹿どもの巣窟と化したこの閉鎖空間からは沸々とした期待感が湧き上がっている。2012年J2第1節、千葉VS尾道は15時キックオフ予定である。
冷えたフライドポテト、レトルト全開のカレー、しなびたフランクフルトですらおいしく感じるサッカー日和(これはものの例えでこの手のブツが本当に売られているスタジアムはないでもないが、近年はグルメが充実している所のほうが多い)。試合開始まで30分を切った所でオーロラビジョンが真新しい映像を映し出した。同時に観客のボルテージが見る見る上昇していく。選手紹介が行われるからだ。
まずはアウェーチームである尾道の選手紹介から。女性アナウンサーが淡々と選手の名前を読み上げる中、尾道サポーターは一人一人が呼ばれるのに合わせて気勢を上げる。しかしこれはいわば前座。このスタジアムにとっての本番はホームである千葉の選手紹介にある。
間もなく尾道の選手紹介が終わると、オーロラビジョンからスタイリッシュな映像が流れ始めた。これに合わせるようにスタジアムDJが観客を煽り立てる。千葉のスターティングイレブン紹介の時間だ。メンバーだけ見るとJ2ではかなり強力と言える名前が揃っており、チームの目標もただひとつ「J1復帰」である。
1993年にJリーグが誕生する前から一度も降格経験のないエリートチームとして知られた千葉であったが、2009年に史上初めてとなる屈辱の瞬間を迎えてしまった。それから2年が過ぎた。2010年も2011年もJ1昇格の有力候補と言われながらも届かずに2部残留という屈辱の上塗りを重ねてしまった。もはや猶予はない。今年、2012年は三度目の正直として甘さを捨て、約束の地へ帰還を果たす事が出来るのか。
「敵対するものはすべて蹴散らしてやる!」
そう言わんばかりにいきり立っているイエローのユニフォームをまとった守護者たちは、上へ下へと大きく揺れながらスタジアム全体を覆うように響く低い声で選手たちへのエールを炸裂させている。
「いよいよ始まりだな」
「ああ、何だか緊張してきたなあ」
「でもわくわくするもんだろ。今年の初めてだからな、パーンと点取ってくれよなキヨシよ」
「そうですね。練習の成果を見せないと」
ロッカールームにて、尾道の選手たちは各々の手段で精神統一を図っていた。特に開幕戦ともなると通常以上のプレッシャーを感じながら戦わざるを得なくなる。感じすぎると足かせとなるが排除しすぎるとむしろ軽くなりすぎるというこの難物とうまく付き合うのも一流選手の必須項目と言える。
玄馬や港、山田といったベテラン選手が御野や有川ら若手選手に声をかけている。この若手選手たち、口では緊張したと言いつつその目つきはギラギラと輝いているのでベテランたちは安心した。これなら問題ない、実力をしっかりと発揮してくれるだろうと確信できたからだ。自分の若いときは、などと感傷に浸りたくもなったがそれはやめた。自分たちもまた命を懸けて戦う戦士だからである。センチメンタルになるべき時は今ではない。
その横で我関せずと言わんばかりに大きく息を吐き出したのは今季レンタル移籍で尾道に加わった山吉である。長い前髪をヘアバンドで押さえつけると、誰よりも鋭い目つきに切り替わった。元々所属していたクラブの右サイドには日本代表クラスのレギュラーがおり出場機会に恵まれなかった。しかし技術では負けていなかったという自負はある。足りなかったのはフィジカルと試合経験で、尾道にはそれを手するために来た。だからこそ、必ず結果を残して戻らなければならないと心に青い炎を揺らめかせている。
新加入の秀吉はモンテーロ、ヴィトルのブラジル人コンビとポルトガル語で何か話している。もう10年近く前に単身ブラジルへ突入した秀吉である。もちろん通訳などいない中、現地で習得したポルトガル語はいわゆる「口論のできるレベル」まで到達している。秀吉の存在はブラジル人選手と日本人選手の交流を円滑にするという副次的効果も生み出しそうだ。
さて、本日の尾道のスターティングイレブンとベンチ入り選手は以下の通り。各選手の大雑把なデータに関しては第一部「尾道選手名鑑」を参照のこと。ページの一番下あたりに目次というところがあり、そこを進むと視界が開けてくる。
スタメン
GK 1 玄馬和幸
DF 3 山吉貴則
DF 4 モンテーロ
DF 5 港滋光
DF 15 小原伸平
MF 6 山田哲三
MF 7 今村友来
MF 10 金田正和
MF 24 御野輝
FW 9 王秀民
FW 11 ヴィトル
ベンチ
GK 20 宇佐野竜
DF 25 鈴木仁
DF 26 深田光平
MF 13 中村純
MF 22 久保春人
FW 16 有川貴義
FW 27 荒川秀吉
基本的には秀吉が初めて尾道の練習に参加したときに行われた紅白戦でのビブス組=スタメンとなっている。GKはベテランの玄馬、センターバックには頭脳派の港と巨人モンテーロ、右には山吉、左には小原と技術に秀でたサイドバックが揃う。中盤の底にはタフな山田と冷静な今村、二列目にはパサーの金田とドリブルにセンスを発揮する御野で前線にアクションを送る。そしてFWはヴィトル、王のダイナミックな外国人コンビでパワフルに得点を狙う。
ベンチには控えGK宇佐野に両サイドをこなす深田と中央を任せられる鈴木のDF二人、守備的なポジションなら万全の中村と前線のリズムを変えられるテクニシャン久保、そしてパワーのある有川と得点力に定評のある秀吉が攻撃のオプションとして控えている。3月1日に加入が発表された秀吉だが、選手登録は間に合ったので早くもベンチ入りしている。
これが今季を戦う基本的なメンバーになるだろう。比較的よくまとまったメンバーではあるが、現在の駒だけではシーズンを戦い抜くのにまったく足りない。より上を目指すには今日の試合でベンチ入りできていない高卒トリオら若手選手の台頭、怪我で戦線を離脱している選手の復帰などの複数のプラス要素が重なる必要がある。
出陣前、水沢監督は選手たちに檄を飛ばした。
「俺がこの尾道の監督になってから今年で4年になる。その中でも今年が一番いい選手が揃っている。はっきり言って相手の千葉は強い。今すぐJ1に昇格してもいい戦いをできる選手が揃っている。しかし練習でやった事をきっちりと出せれば叶わない相手ではない。さあ、勝ちに行ってこい」
人事を尽くして天命を待つ。水沢監督の気持ちを例えるならまさにこれであろう。もはやできる事はやった。しかしそれを実践できるかは本番にならないとわからない。試合中、多少の指示を与える事は可能だがそれは些細な事。重要なのは試合前の準備だ。
そして選手入場だ。尾道と千葉の選手がグラウンドに姿を見せたその瞬間、鳴り響く歓声が広大なグラウンドをサッカー一色に染めつくした。ほとんどはここをホームとする千葉に向けられた応援だが、自分たちを応援してくれる声も確かに存在している。その事実こそが選手の心をより鋭く昂らせるエールとなるのだ。
ここで尾道の選手たちの身を包んでいるユニフォームについての説明をしておこう。現在着用しているアウェー用ユニフォームは上半身が白基調で、左よりの部分に緑と赤のラインが1本あしらわれている。背番号、パンツ、そしてソックスは緑色が基調だが、わきの下からパンツにかけては赤色が使われている。真横から見ると「尾道のアウェーユニフォームは赤が基調となっている」と誤解されてもおかしくないが正面から見ると間違いなく緑が基調であると理解できる。また、ソックスには赤色の細いラインが2本入っている。
エンブレムは右半分は緑、左半分は赤で縁取られている菱形の盾を2人の戦士が持っているというものである。右の戦士は鎧をまとっており、左の戦士は片方の肩を露出させたワイルドな格好をしている。アウェーのユニフォームについている緑と赤のラインはエンブレムのちょうど真ん中を通過している。菱形の中、上方には五角形と六角形を組み合わせた形のサッカーボールが描かれており、その下には「GEMILDATO ONOMICHI 1993」と3行に分けて書かれている。ボールと文字の色は黒。
100文字コラム
新加入の荒川だが古傷の影響からか動きがやや鈍い。しかし水沢監督は「必ず復調する」と強く信頼する。現役時代にブラジル留学経験のある指揮官と日本からブラジルに飛び出したストライカー、繋がる絆は確かにある。