【第一章:アトリエ】
今日も予備校かぁ……。
先月高校三年生になった私。ゴールデンウィーク最終日の今日は、春の陽気で日差しが温かく感じられる。
駅近くの繁華街に出ると、周りには楽しそうに手を繋いで歩いているカップルがやたらに目についた。付き合うなんて経験の無い私にとって、それは羨ましい存在であるが、大きな声で騒いでいるそれを見かけると、純粋な嫌悪感に変わる。
簡単に言えば、うざっ! と思うわけ。
こんなに人が多いと歩きにくいし、肩も当たりそうになるし、おっさんなんてタバコ臭いし……。ほんとヤダ。
人が多いことに若干腹を立てながら、人混みの中を歩いていると、肩がぶつかった。派手に。
「あっごめんなさい」
ぶつかった相手の顔を見ないまま、咄嗟に謝ったために、ちょっと後悔した。
振り向いた先にいたのは、顔面にピアスやらチェーンやらをつけている金髪の野郎だった。見た目は二十歳と若く、髪をワックスで立てて派手な革ジャンを着ている。
なんだ、謝って損した。
ぷいっと踵を返して、駅に向かおうと歩き出したとき、後ろから怒りのこもった声が聞こえた。
「おい、ちょっと待てよ」
ギクッ……。何も聞こえなかったフリをしよう。ていうか私謝ったのに……。
私はその場を去ろうと、足早に歩き出した。
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いつもより早く歩いたおかげか、駅にはすぐについた。
さすがにさっきの男も追ってはきてないだろうと安心した途端、後ろからまたしてもあの声が聞こえた。
「おい待てって!」
ついて来ていたのか……。金髪野郎、怒っているのかな? と思った瞬間、肩を掴まれた。
振り返ると、金髪野郎が目を大きくしていた。
「おっラッキー! 結構美人じゃん」
私は怖くなって、革製の鞄で金髪野郎の顔を思い切り叩くと、一目散に走り出した。
後ろからは、痛ってーな! という声が聞こえた。
逃げなきゃ。捕まったら真面目にヤバい。
駅の中を猛ダッシュした。恥ずかしいけど、今はそれどころじゃない。改札を走り抜け、ホームに続く階段を駆け降りる。
こんなに走ったの、いつぶりだろう。体育でもこんなに走ったことないもんなぁ。
ホームの地面に飛び降りると、駅員の鼻のかかった声が響く。
「間もなく、5番ホームに4両編成、小倉行き、特急列車が参ります。黄色い線の内側に立ってお待ち下さい……」
周りを見渡しても、金髪野郎の姿は無い。どこのホームかわからなければ、追いついてこれないだろう……と安心した瞬間、向かいの6番ホームに金髪野郎を見つけた。金髪野郎は、向かいのホームの私を見つけると、焦ったような悔しそうな顔をした。
今、私のいる5番ホームに来るためには、階段を上がって、また降りてこないといけない。だが、その間に電車は到着し、出発してしまうだろう。
そう思うと、金髪野郎の顔が面白くてしょうがなくなった。吹き出しそうになるのをこらえていると、金髪野郎が急に私に指を差し、叫び出した。
「ちょうど良かった! エリザベス! そいつ捕まえて!」
エリザベス……って誰よ? ふと振り返ると、人がいた。もしかして、この人のこと……? この人のメイク、なんかおかしいんですけど。
目の周りに花の模様が描いてあるんですけど……これもメイクの一種?
その人は、西洋風の鍔の広い黒色の帽子をかぶって、白銀色のシルク製の服に、フリルのついた黒色のロングスカートを履いている大人びた人だった。
そのエリザベスという人は、私をそっと強く抱きしめた。そして私の耳元で、優雅に微笑みながら小声で囁いた。
「はい、捕まえた」
私、どうなるの? 何かされるの? もしかして……犯されるの? 私まだ経験無いんですけど……。誰か、助けて……。
エリザベスって人の香りの強い香水のせいか、頭がゆらゆらして、最後には視界が真っ暗になった。
てかこの人、胸が大きくて、柔らかいし、ブラジャーつけてない。
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何この甘い香り……。ふわっとしてる。
私は仰向けで目を覚ました。天井には、木製のタービンが3つ、音を立てながら回っている。そして目の前には、お人形……かな? 巻かれたツインテールの金髪、小顔で、唇も小さくて可愛い。これって西洋風のお人形なの? というか私、あの後どうなったの? 殺されちゃったの? ここは天国? 地獄? 楽園?
目の前には、依然として私を見つめる可愛い瞳が二つ。可愛い視線を受け止めていると、お人形が口を開いた。
「やっと目を覚ましたんだね!」
うわっ! 喋った! これは本当に天国って感じかな? 私死んじゃったのかな?
いやいや私まだ十七歳ですよ? 人生これからだし、まだ楽しみきれてないですよ?
「お、本当だ! やっと目を覚ましやがったな」
なんか聞いたことあるような声が聞こえる。声の主の方向を見ると、私を追いかけ回していたさっきの金髪野郎がいた。
えっ? 金髪野郎がいるってことは……私まだ生きてる?
勢いよく起き上がると、お人形ちゃんの額と私の頭がごっつんこした。
「あっごめんッ! お人形ちゃん!」
お人形ちゃんを見ると、涙を目の縁に溢れさせながら、額に手を当てている。その小柄な体に、母性がくすぐられる。
「お人形ちゃん……て誰のこと?」
今気付いたけど、声かわいい! それに髪型も可愛い! なんでそんなに可愛いの? お人形ちゃん。
「プッ! お人形ちゃんだって? これは傑作だ」
金髪野郎も涙を溜めて、声を上げて爆笑していた。
お人形ちゃんは、顔を上げて涙を白いハンカチで拭った。
「私ね、メロンパンナって名前つけられたの。でもね、私の本名は真理奈っていうの」
メロンパンナちゃんっ! 可愛い!
「はははっ! お人形ちゃんなんて、お前はギャグのセンスもあるんだな」
金髪野郎はまだ笑っていた。金髪野郎を横目で睨みつけると、野郎はちょっと怒ったような目をした。
「そういえばお前! 俺を叩いたよな?」
あっ! 確かに叩いた! でもあれは……一応、正当防衛よ。
「あなたが肩を掴んだから叩いたのよ!」
「そうだけど、それはお前が逃げたからだろ!」
「あなたが追いかけてきたから逃げたの!」
「それは、お前が無視したからだろ!」
うっ、弱った。これは私の負け……なの?
「ヒロ。あなた女性をストーカーして、肩を掴んだの? あなた最低だわ」
エリザベスさんは近づいてきて、私が寝ていたソファに腰掛けた。
エリザベスさん! 私の見方になってくれるの?
「いや、あれはっ!」
ヒロが反論しようと口を開いた……が。
「もうそこまでにしたら? 言い訳なんて見苦しいわよ?」
「エリザベス! お前も共犯じゃないか!」
「あら、私はただ、この可愛らしい女の子が目の前にいたから、優しく抱き締めただけよ。だから共犯じゃないわ」
エリザベスさんはそう言って怪しく微笑み、私をぎゅっと抱き寄せた。
あの、エリザベスさん? 胸が当たってるんですけど? まぁ気持ちいいからいっか。